| 2000年12月10日(日) 居酒屋 |
酒嫌いが一人で居酒屋に行くことほど惨めなことはない。
青森旅行に行った時、郷土料理を食べたいがために一人で郷土料理で有名と本に書いていた居酒屋に入った。
入ったら「お酒は?」と聞かれ、一応ビールと言った。おすすめと聞いたことがない料理をちょこちょこっと頼んだがなかなか料理が来ない。一人でなかったら、ここでいろいろ話が盛り上がり、ちょうどいい時に料理が来る、といった具合なのだろうが、一人旅行なのでそれは無理。しかもあまりお酒が好きでなく、それ以上飲みたくなかったので、テーブルのジョッキは空のまま。
時間が長く感じた…。
料理が来てもぺろっと食べてしまい、また暇な時間ができてしまう。
長いよ…。
注文通り料理がすべて出て食べ終わっても、なんか不満。買うつもりのなかったものをしかも高く買ってしまった感じ。
私にとっては居酒屋より大好きなトンカツ屋かな。
| 2000年11月19日(日) スタートの場所 |
感染症病棟での研修を終えた。実はこの病棟は私のスタートであった。
中学3年の時、私はその場所にいた。1番の友達が入院していたのだ。小学5年の時から仲良くなり、彼の影響でいじめられることもなかった。勉強面でも刺激を受けた。しかし彼は病気がちで週一回検査のため学校を休み、そして中学2年の頃から長期入院した。ある日そのお母さんから「面会する時間がありますか?」という電話が来た。何もわからなかった私は「時間がないです」と答えたのだが、親がその電話の意味を知ってその病棟に行くことになった。
彼の姿は変わっていた。お腹が大きく膨れていた。顔色も悪かった。ちょっと声をかけると、彼は自分が分かったみたいだった。
廊下に出て今の状態を聞いた。涙が出た。
5月7日、彼は亡くなった。15才の誕生日は迎えることはできなかった。
それ以来、私はその大学の医学部で勉強をし、医者になろうと思った。無事その大学で勉強をし医者になり、その病棟でたくさんの患者をみて医療を行った。みんな元気になってくれた。とても楽しかった。
中学生の時に思ったあの「医者になりたい」という気持ちをこれからも大切にしたい。
| 2000年11月5日(日) マニキュア |
ある女の子の爪に目がいった。マニキュアである。星がついている。
「先生、つけてみる?」
私もまだ子供なのだろうか?つけてみたくなった。全然恥ずかしくなかった。指に、しかも小指に星がついたマニキュアをつけた。みんなで大笑いし、盛り上がったが…。
2、3日後ポリオ予防接種の診察係として保健所にいった。その日は6カ月ぶり、しかも一時期中断していた後のポリオであったため大勢の赤ちゃんとママたちで一杯だった。医者1人2時間で少なくとも100人以上見なくてはならないという苛酷な状況であった。必死だった、本当に。
許可のサインを書いていたとき、ふと気付いた。私の小指がピーンと立っている!しかも星のマニキュアがついた小指!恥ずかしくて小指を隠そうと思ったが、逆に不自然ではないかと思い小指は立ったままにした。めちゃくちゃ恥ずかしかった。立たないよう気をつけたが、なぜか今日に限って小指が立ってしまう。100人のママの内、何人にわかってしまっただろう。そして何人に「変な医者だ!」と思われたであろうか?もうマニキュアはやめよう!そう誓った。
数日後またその女の子が他のマニキュアを3つ持ってきた。
私はやはり子供なのだろうか?今度は中指、薬指、小指につけてしまった。しかも大喜びしてしまった。翌日新しく入院した患者のママに見つかって……「おもしろい先生ね」と言われた。「変な先生」でなくて良かった。ほっとしたが、慌ててしまった。
もう絶対にマニキュアはつけない!手の指にはね。
| 2000年10月22日(日) 再会 |
研修医はまだ外来はしないので、退院した患者さんのその後はあまりわからない。特にNICU卒業の赤ちゃん達は長い間一緒に過ごして愛着があるのに、その後はどうなったのかわからずに寂しい。
でも思いもよらぬ所で再会というものはあるのだ。健診である。
染色体異常で長く生きられない赤ちゃんがいた。周囲の予想に反して赤ちゃんの状態はよく、退院することができた。その後はわからず、「もう天国に…」と思っていた。ところが検診で再会!ちょっとやせ細ってきたが、元気そうであった。うれしかった。お母さんから「この子、神経芽細胞腫の検査(赤ちゃんみんな必ずする検査)、必要ですか?」と聞かれたが、「お母さん、他のお子さんと同じように検査をしましょう。」と答えた。その子にとってその検査の意味はないかもしれない。しかし他のお子さんと同じように生活して欲しいのである。
その子、帰る間際に“ニコッ”としてくれた。本当に笑みであったかはわからない。
でも私にとっては“笑み”であった。再会に感謝。
| 2000年10月1日(日) 復帰したが |
帰ってきたら、いきなりきついよ〜〜〜。
夏休みからの復帰前日、様子を見に行ったら大学病院らしい患者がちょうどその日に入院していた。感染?免疫?それとも悪性腫瘍?今から見つけて治療しないといけない。大変な感じ。
仕事始めの日、いきなり状態が悪いので皮膚科、CT検査、放射線科を行ったり来たりと走り回る。悪性腫瘍?わからない。
結局食事を取る暇がなかった。看護婦さんに送ったお土産のリンゴ2個を逆にもらった。その日食べたのはそれだけだった。
次の日も検査が続く。自己免疫疾患?もちろんその患者さんだけ診ていればいい訳ではなく、他の患者さんも診ないといけない。
入院して3日目にしてなんとかきっかけがつかめた。感染!改善も見られた。なんとか…。
しかしまた…。きびしい日々が今後も続きそうだ。
| 2000年9月25日(月) 夏休み |
約1年半医者として働いてきたが、病院に行かなかった日はどのくらいあっただろう。昨年夏休みは土日を含めて5日、冬休みは3日、合計8日であった。土日を含めそれ以外は毎日病院に顔を出していた。祖父が亡くなった日も朝、顔を出してから地元に帰り、次の日の夕方に戻ってきて患者さんを診た。
今回やっと1週間の夏休みをもらい、大好きな青森に行った。自然を満喫してきた。周りを気にせず、自然の中で寝ころびぼーっと空を眺めた。こんな時間の使い方をしていいのだろうか?と思うくらい、ぜいたくな時間だった。
来年はどこに行こうかな?でも1人旅は…。
| 2000年9月10日(日) 不動産ストーカー |
とある別の施設で当直中に外線が。
「◯◯ですが、住民税5万円ぐらい払っていますよねえ。税金対策で…。」
こんなところまで電話するか(怒)!何を考えているかわからない。
土日の朝10時頃には必ず無言の留守電が入っている。一回同じ時間に電話を取ったことがあるが同じ不動産関連だった。丁重に断ってもだめだし、以前「どこから電話を調べたの」としつこく聞けば「夜中に電話します」をいやがらせを示唆するような言い方をされるし。ここまでくればストカーである。もう不動産関連とわかったとたん切るようにしています。
大体そんなお金持っていないし、住民税も5万円なんて…。国立大学の月給は15万円なのに(他の施設で働いてなんとか生きています。)。しかも他の内科とは違い、小児科だと研修医が夜働ける場所は限られているので、上積みされるお金も少ない。
どこから電話番号が漏れるのだろう。
不動産、大嫌い!不動産を買うなら、本を買う!
| 2000年8月20日(日) NICUでの研修を終えて |
研修医としてのNICU生活がとうとう終わった。医者になって現在1年3カ月だが、そのうち7カ月をNICUで過ごしたことになる。
最初の病院では産科がなかったので、産科開業医から突然入院依頼がきて呼び出されることが多かった。ただお腹の中であまり異常を指摘されていなかった比較的健康な赤ちゃんだったので、赤ちゃんのことを勉強でき、NICUの楽しさを感じることができた。
今回は大学病院であり、お腹の中での赤ちゃんの異常、お母さんの異常などがあり、いつごろ生まれるかはわかるのもの、一人一人が重症で、かなりきつかった。生まれた直後の赤ちゃん管理の良し悪しがとても大事であることもわかった。そしてNICUの厳しさを感じた。
小児科医である以上、ちっちゃく生まれた赤ちゃんに会うことは多いであろう。この研修で得た知識を十分生かしていきたいと思う。
これから生まれる赤ちゃん達。会わなくてすむように元気で生まれてね。でももし会うことになったらよろしくね。
| 2000年8月6日(日) 医者の保険 |
最近医療ミスがよく報道されている。その医者にも家族、生活があるので、高額の賠償を払わなくならなくなった場合どうしているのか?開業医みんなポイポイと払えるくらいお金持ちというわけではないのです。
実は医者用の保険が存在するのだ。年間数万円の掛け金で全額賠償を補うというものだ。こういう保険があって医者も生活を維持しているのだ。知っていましたか?
なお大きな病院では個人ではなく病院・病院長に対して訴えを起こします。個人ではないです。
また私はまだ保険に入っていませんが、直に入る予定です。この保険に縁がないように…。
| 2000年7月2日(日) 2人の涙 |
二人の赤ちゃんの涙を見た。
お腹の中で大きくなれなかった赤ちゃん。検査で染色体異常などいろいろ病気が見つかり、生まれてからも管理が大変であることが予想された。予想通り管理は大変で、赤ちゃんにはちょっと眠ってもらうことにした。赤ちゃんが苦しくて暴れると、さらに状態が悪くなり悪循環になるからだ。赤ちゃんはピクリとも動かなくなった。動いているのは人工呼吸で膨らんでいる胸だけ。ところがある時ふと見ると、涙を流している。何が苦しいの?どうして欲しいの?わかることは彼女が病気と闘っていること。見かけは動かないちっちゃな赤ちゃんであるが、しっかりと生きている。横には何もできないしわからない若い医者が…。
もう1人。お腹の中で、生まれても長く生きられない病気であることがわかった赤ちゃん。生まれても人工呼吸や蘇生を行わないことを家族と決めていた。することは刺激、酸素投与、口に入っている羊水を吸引することだけ。帝王切開にて出生。しかし泣かない。色も悪い。ところがしばらくすると小さな声で泣き出した。見る見るうちに状態が改善。本当に予後の悪い病気?と思わせる回復ぶりだった。ミルクをごくごく飲む姿、お腹がすいて大粒の涙を流す姿。その表情をみて、頑張って欲しいと思ったが、この子にとって頑張って生きることが本当にいいことなのか…。彼女は生後2日でこの世を去った。
私は2人の涙を見た。その涙は私の心に深く残った。その涙は何だったのだろうか。
2人、状況は違っていたが生きていた。一生懸命生きていた。あの涙は生きている証(あかし)ではなかったのか。
2人の涙を見て、一緒に胸が熱くなり涙を流すことができて、生きることを感じられて…。2人に感謝したい。
| 2000年5月28日(日) 立ち会い分娩 |
以前いた病院は産科がなかったため、生まれた後に何か異常があった時に運ばれてきた赤ちゃんを診ていました。
今回は産科がある病院にいるので、生まれる前からある程度だが赤ちゃんの状況はわかっています。NICUでの管理が必要と考えられる場合、産科から立ち会い分娩の依頼があり分娩室に(帝王切開の場合は手術室に)行きます。
先日、小児科医として初めて分娩に立ち会った。学生時代分娩に立ち会い、感動して泣いてしまったので、ちょっと心配だったが、「帝王切開なので大丈夫!」と思っていた。ところが帝王切開にて赤ちゃんが生まれ、泣き声が聞こえたとたん感動して泣きそうになってしまった。自分の仕事があったので泣くことはなかったが、もうどうしようかと思ってしまった。まだ“おさるさん”顔だったけど(当たり前)、かわいかった。
異常なく生まれ、NICUには来ず産科で管理となり、みんな一安心。
その日、一気に3人の分娩に立ち会い、1人NICUに入院、もう1人は他の病院(以前いた病院)NICUに搬送した。慌ただしい1日だったなあ。