徒然なるままに


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2001年7月1日(日) ボタンおしおし

 自動販売機の前で3才ぐらいの子供がボタンを押している。最近の自販機の中には高いところのボタンを低い位置に別に用意しているものがある。その子はそのボタンを“おしおし”していた。私がジュースを買いに近づいたとたん、白衣のせいか逃げていった。私はお金を取り出し自販機に入れた時、なんか嫌な予感がした。
 横を見るとあの子がいつの間にか戻ってきてボタンおしおしをしようとしている!
 急いでボタンを反射的に押して自分の好きなジュースを選べた。間一髪であった。その子は相変わらずおしおしを続けていた。それを見ていたお母さんがすぐ飛んできたのは言うまでもない。
 ただ一つ、思うことがある。その子が押そうとしていた9と10のボタンはお茶であった。もしかして私の体のことを気にして「じゅーちゅなんてのまじゅに、おちゃをのみなちゃい!ぼくがえらんであげるでちゅ。」なって思っていたりして…。


2001年5月27日(日) ドリンクバー

 久しぶりに大好きなトンカツを食べに行った。ちょっとぜいたくをして(?)ドリンクバーも頼んだのだ。
 大好きなトンカツにジュースのみ放題。う〜〜〜ん、ご機嫌!
 ところがトンカツを食べ終え、最後にジュースを一杯!と考えていたら、隣の席に6歳と3歳ぐらいの女の子2人とお母さんが座り、メニューを見だした。
 しまったっっっ。今ドリンクバーに行ったら、この女の子たち、特にちっちゃい女の子がジュースを飲みたがる!!どうしよう…。飲みたいけど…。ボタンを押した後に“ジューーッ”とさわやかな炭酸の音を立ててジュースが出る。う〜〜ん、困った。どうしよう…。
 あの状況で私は飲めなかった。
 翌日、またトンカツを食べに行った。今回はドリンクバーではなく豚汁にした。う〜〜〜ん、ご機嫌!


2001年5月20日(日) 天使のような表情 

 みなさんは本当に天使のような表情を見たことがありますか。寝顔なんてそれそのもの、って感じがするし、夢中で遊んでいるときもそうである。でも私はそんな表情は見たくない。私が見る時って…。
 感染症病棟に訪れた時に、急患が入っていた。感染後の突然の心不全。「いいところに来た!イソゾール(麻酔薬)を取ってきてくれ。」それだけでその子の状況がわかった。レントゲンもそれを裏付けていた。その女の子はその後ICUに入り全身管理をすることになった。
 3か月後、4年の人生を終えた。おそるべき病気、心筋症。最後のお別れの時の素顔は、最初に会った時とは違う穏やかな表情をしていた。
 私が小児科の学生実習中に入院した患者がいた。体中びらん(潰瘍)ができて、部屋中に嫌なにおいが立ちこめていた。前日は出血が止まらずに危険な状態に陥った。その後、なかなか原因がわからないまま、時間が過ぎていったが、何回か行った皮膚生検で血液の腫瘍と診断され治療をし、退院できるくらいまで改善していた。
 2年目になって大学病院に帰ってきた時、彼は再入院していた。最初に見たときと違い、皮膚は一部を除いて良くなっていた。でも腫瘍は…。
 その彼も18年の人生を終えた。病魔と闘った4年間。その壮絶さとは違い、早朝に静かに亡くなった。あの病気さえなければ、彼はそれまでの14年の続きを、高校生活、社会人生活、いろんなことを楽しむことができたのだろうに…。
 彼を見送って、私が病院を離れる時、3才ぐらいの子供が楽しそうに病院の方に向かっていた。たぶんお見舞いに行くのだろう。ちょっとした旅行気分かな?
 私はそんな楽しそうな表情をその2人では見ることはできなかった。お別れの時にあんな天使のような表情なんて見せるなんて。もう見せなくていいから…。


2001年3月11日(日) エレちゃんに

 検査のために小児科病棟以外の所にいたら、病棟から連絡が入った。
 病棟にあの“エレちゃん”(徒然「エレ」参照)が来てる!もう嬉しくて嬉しくて、早く病棟に帰りたくなった。検査がのびて1時間たってしまい、だめもとで急いで病棟に帰ったら、まだ待ってくれていた。大学病院で同じようにちっちゃく生まれたお兄ちゃんの定期検診に来て、そのついでに私に会いにきてくれたのだ。
 くぁわい〜〜〜〜〜〜。
 目がクリッとして、美容室に行ったかのように髪の毛がきれいにされていて、「★?☆○!▲$□」と何を言っているかわからないけどいろいろしゃべっているし。 もう、くぁわいくて、くぁわいくて…、抱っこしちゃった。(でも泣いちゃった…。)
 たくさんしゃべるのだが、残念ながら左手と足に麻痺が残った。主治医だった私としては悲しくて、悔しくて、辛くて…。リハビリの結果やわらかくなってきているそうだが。がんばれ!
 最後にもう1回抱っこした。今度は泣かなかった。また会いに来てくれるかな。 


2001年3月4日(日) キャラクターを憎まず

 携帯の音楽はどういう曲に?好きな曲、流行っている曲にしている人がほとんどではないか。
 私の携帯電話が鳴る時はだいたい嫌な内容である。『患者の状態が悪くなった』『急患が入ったから今から来て欲しい』といった感じ。
 以前ポケベルの音をミッキーマーチにしていた。明るくて楽しくなる曲だった。しかししばらく使っているうちに、その音楽が鳴るとろくなことがないことに気付きだし、だんたんその曲が嫌いになった。条件反射である。
 「ミッキーを憎んではいけない!」そう思い、今度はスーパーマンにした。でも今度はスーパーマンを…。
 音楽憎んでキャラクターを憎まず!
 現在の携帯の音楽は、暗い曲、交響曲25番にした。鳴ったとき、周りの人が振り向くけどね。この曲、ちょっと趣味が悪いので、いい曲募集中!


2001年2月4日(日) 耳がついた帽子

 子供用の“耳がついた帽子”、あれいいね。
 1歳のかわいい子供が入院して、1週間ぐらいで良くなって退院したが、そのころには私が抱っこしても嫌がらなくなっていた。退院したときはとっても寂しかった。その子から(実際はそのお母さんからなのだが)私宛に年賀状が来た。
 その子、右手にはストローつきのコップを持ち、そして頭にはあの耳がついた帽子をかぶってニコッとしていた。かわい〜〜〜〜い。さらに、お姉ちゃんにもなっていた(退院した日はかなり予定日に近かった)。最近よく妹さんにチューをしているそうだ。ふふふっ
 こどもができたら絶対“耳がついた帽子”をかぶせるぞ!そう、私は親ばか候補生。


2001年1月29日(月) 全国デビュー 

 とうとうテレビで全国デビューしてしまった。
 先日『決定!第9回FNSドキュメンタリー大賞』という番組で、私が出演していた作品がグランプリを受賞した。内容は『母だからこそ…リストラされる小児病棟』である。
 母だからこそ気付くことを小児科医はうまく診療につなげていかなくてはならない。しかし、現在は小児医療自体が危機的状態にある。小児科病棟がリストラされている。小児科医が高齢化(最も多い年代が60〜70代)する一方で、新卒小児科医がここ10年で20%減少している。小児科医がいない地区もある。政府の対策も高齢化対策のみといっていい状態。急性心筋炎でお子さんを亡くしたお母さんの話を中心にして、そういった現在の小児医療の問題点をうまく切り込んでいます。
 もし見る機会があればぜひ見て下さい。フジテレビ系列です。
 出演?プロローグ中に横顔がアップ!2秒間!以上、それだけ。 


2001年1月14日(日) 種まく子供たち

 あの明るさは何だったのだろうか。
 一人の女性が亡くなった。11月終わり頃このHPに遊びに来てくれた女の子。
 彼女は14年間白血病と闘っていた。白血病だけではない。拡張型心筋症、脳腫瘍など大変な病気を背負っていた。でも彼女は明るかった。彼女には何か周りを落ち着かせてくれる暖かさがあった。そう、春の香といった感じか。あの明るさは“春”ではなかったか。
 彼女自身は二十一世紀の春を感じることはなかった。しかし彼女が触れた心には彼女の春が今も、ずっと生きている。辛くても苦しくても、解決という“春”に導いてくれるでしょう。
 将来は小児科医になると言っていた。どんな小児科医になっていただろう。
 四月に本『種まく子供たち』が出版される。
 この本が病気と闘っている子供たちの支えとなり、そして彼女の小児科医としてのもう一つの人生が始まる。子供たちにたくさんの“春”をまいて、夢を育ててくれるでしょう。
 14歳の若い小児科医が今生まれようとしている。四月には桜の花を持ってその小児科医の誕生を祝いたい。


2001年1月4日(木) 初の本格的当直と外来

 初の本格的当直と外来をした。しかも小児科のない施設での当直と外来で、救急患者が来る施設であった。
 外来に行ったところ、看護婦さんから「小児科の先生?助かった!」と言われた。実は近くの小児科は休みで、正月は結構子供の患者さんが来るみたいだった。いままでは子供の患者さんが来た時はちょっと遠くの別の施設に送っていたそうだ。看護婦さんも慣れていないみたいだった。小児科のない施設なので役に立たないのではと心配していたがびっくりした。
 最初に外来に呼び出されたは3歳の腹痛の子供、次に呼ばれたのは1歳の下痢の子供であった。子供が来ると自分の縄張りであるので気分的に楽である。一方大人が来るとちょっと辛い。なんとか外科当直の先生の助けを借りてこなした。
 4歳の子供が来た。腹痛と関節痛を訴えていた。足に発疹がある。前日近医の外科の先生が見て足は異常ないと言われていた。お母さんの話を聞いて、足を見たとたん、小児科医、本領発揮!“アレルギー性紫斑病”と診断。子供特有の病気だった。すぐ小児科のある施設に送った。その子、小児科医が診なかったら…、と考えると当直してよかったなあと思う。
 何とか無事当直と外来が終了した。実際、病院によっては小児科医が病院全体の当直し、大人も診ないといけないところもある。とてもいい経験をしたが、もっともっと勉強しないといけないと感じた1日でもあった。


2000年12月24日(日) 再発がないように

 遅い夏休みからの復帰前日(9/26)に入院した男の子。大学病院の患者さんらしいまさしく“よく分からない”病気であった。いきなり緊張感が出てきた。原因を探しながら、抗生剤を投与し経過をみた。3日後改善傾向が見られたのだが…(このことは以前の徒然に書きました)。
 4日目に再び悪化。病因を考えながら抗生剤を変えたものの効果なし。病変が広がりはじめ、感染症も否定的になったので、とうとうステロイドの使用を考えないといけなくなった。原因がわからないままステロイドを使うと、治らなかった時や治っても再発した時に次の対応に苦慮してしまう。感染症グループだけでなく、免疫、循環グループなど、さらに教授にも相談した上でステロイドを使用することに決定した。
 おそるべし、ステロイド!投与後2日後には症状が改善傾向に向かった。途中で症状の改善が悪くなったため最高量を使用し、完全に症状はなくなった。すぐ退院と言うわけではなく、今度はステロイドを減量して症状が出ないことを確かめなければならない。少しずつ減量していった。
 一方で彼の部屋で日本シリーズを見たり、ゲームをしたり、学校に追いつけと小数点計算を教えたりして、仲良くなっていった。私の職場移動後主治医は変わったが、それでも今の病棟に遊びに来たりしていた。
 12/22、現在私が働いている病棟に本人と両親があいさつに来てくれた。ステロイドを完全に中止した状態で退院となった。結果的に原因は分からなかった。でも再発さえなければ、原因なんて…。
 再発がないように…。メリークリスマス。


2000年12月22日(金) プニュ

 4カ月健診での出来事。私の目の前にある赤ちゃんが登場。その赤ちゃん、私が聴診器を胸につけたとたん、プニュっと下唇を出した。これはもしかして…。
 「お母さん。お子さんはもしかして………泣きそうになると下唇をプニュっと出すのではないですか?」
 その答えは分かっていた私は聴診器を体から離した。すると下唇が引っ込みむ。ふふふ。
 くっつけてすぐ離すとと下唇をプニュっと出してすぐ引っ込める。またくっつけて離すとプニュっと出してすぐもどす。くっつけすぐ離したりしたら、追いつかなかった。かわい〜〜〜い。
 もうちょっと続けたかったのだが、仕事をしに来たことに気付き、診察を再開した。ありゃりゃ、すぐプニュと下唇を出して泣いちゃった。ごめんね。これがほんとの仕事なの。


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