徒然なるままに


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2002年5月6日(月) 別れと出会い

 連休中の昼過ぎに病棟から私に連絡が入った。「先生に面会の方が来られていますが。」
  病棟に上がってみると以前入院した患者さんのお母さんがいた。
 「先生、異動するんですって?? 先生目当てでこの病院をかかりつけにしたのに…。」
 開業医さんから紹介でうちの病院に入院した患者さんがほとんどで、一人も「うちの病院に通いなさい」なんて言っていないのですが、その後も来てくれる方もいてくれた。他のお母さんにも同じようにそう言ってもらえた。私のような若い医者にそう言ってもらえるなんて。嬉しかった。
 病棟を中心に仕事をしていたときはなかなかそういうことはなかったが、この1年は病棟だけでなく外来をするようになって、今までよりたくさんの患者さんに会うことができた。これは私にとってこの1年の大きな収穫であった。いろいろ考えさせられることもあった。
 もうすぐ別の病院に異動する。今はたくさんの別れがあるが、新しい出会いが待っている。がんばらないと!


2002年4月21日(日) 納豆

 私は納豆が好き。でも好きになったのは大学生になってからで、それまでは家族は食べていたのだが私は食わず嫌いをしていた。偶然スーパーで納豆をみて、ちょっと食べてみようと思って、食べてみるとこれがおいしい!びっくりしたし、それまで食わず嫌いをしていたことを悔やんだ。
 最近では小学生の学校給食にも納豆がでる。栄養面ではとってもいいことだが、好き嫌いがはっきり分かれそうである。そういえば私も小学生の頃、学校給食の好き嫌いは激しく、嫌いなものを半泣きで食べていた覚えがある。さらにさかのぼって幼稚園の時、時々朝に腹痛が起こっていたのだが、それが給食が八宝菜の時が多かったため、親からは精神的なものだとよく言われていた(真実は本人もわからない)。
 好き嫌いが分かれそうな納豆は給食に適当なのだろうか?たくさん残ったりしないのだろうか?臭いが教室に残ったりしないのだろうか?
 でも、小学生の時からあんなにおいしい納豆を食べる機会を与えられていて、納豆好きとしてはうらやましい。小学生クラスのみんなが一斉に箸で納豆をぐるぐる混ぜるのをちょっと見てみたい納豆好きな私であった。


2002年4月6日(土) ロタウイルスに感染して典型的な経過をとった私は?

 冬場に流行する嘔吐下痢症の中で最もひどいのがロタウイルスというウイルスに感染して起こる嘔吐下痢症である。子どもがほとんどで、大人にかかっても子どものような経過をとらず、軽症ですむのがほとんどである(『ロタウイルスを斬る』参照)。
 ある小児科医がいた。土曜日から38℃台の発熱を認め、夕方から嘔吐が始まった。日曜日になって下痢が出現したが、その下痢が白っぽかった。
 「しまった!ロタウイルスに感染してしまったっっっ!しかも子どもの典型的なパターンではないか。」
 翌日から病院勤務が始まったが、感染させる可能性があったので外来は中止、病棟では新たな入院患者の主治医にはなれなかった。そういう時に限って入院が多い。夜の小児の救急も私が今までほとんどしていたのだが、それももちろん中止。かなり迷惑をかけてしまった。
 かかってわかったことは、ロタウイルス感染による嘔吐下痢症は本当にきつい。大人できついのに、子どもだったら…。
 いろいろ実体験をしている私であるが、まさかロタウイルスに感染して、典型的経過をとるとは思わなかった。
 待てよ?子どもと同じような典型的な経過をとった私は、もしかして子ども?私はお子ちゃま?


2002年3月16日(土) ぶっっっ〜〜〜

 10か月の赤ちゃんを診察中での出来事。
 かぜ症状で受診したとっても丸々とした赤ちゃんだった。診察もだいたい終わり、最後に口の中を見ようと口に舌圧子を入れた時、口をへの字にした後…
 私の顔めがけて『ぶっっっ〜〜〜!』うわぁぁぁ〜〜〜、つっ、つば攻撃だっ!顔面直撃っっっ!やられた。しかも“何もしてないも〜〜ん!”と言わんばかりのすました顔、無表情さがなんか悔しかったりする。
 ママによると最近病院に行く機会が増えて、その技を覚えたそうである。それにしても10か月にしてその技を習得しているとは、なかなかのつわもの赤ちゃんだった。


2002年3月1日(金) 育児の大変さ

 「おじちゃん、遊ぼっ!」あの姉妹がまた私の所にやって来た。お母さんの仕事が長引いて退屈していたので、私が仕事をしていたナースステーションにやって来たのだ。
 「おじちゃんじゃないって言ったでしょ!」「いや、おじちゃん(二人声を合わせて)!!」「い〜〜〜や、おじちゃんじゃない!!!」
 いかん、これは相手のペースだっ、と思った私は話題を変える。「宿題した?」「今からする。宿題持ってくるね!」「持ってこなくていい!!」しまった。またもや相手のペースだ。宿題を持ってきた姉妹は私を挟んで座った。逃げようとすると白衣を引っ張る。「逃げちゃだめ!」結局2人のペースにのせられてしまった。
 30分ぐらいだっただろうか、相手をしてあげていたが、お母さんの仕事が終わって2人は帰ることになった。「楽しかったよ、おじちゃん!」私には言葉を返す元気がなくなっていた。
 結局私は全力で30分相手をしてしまったのだ。これほど疲れるものとは思わなかった。変な形で育児の大変さ、お母さんの大変さを感じた。
 私にはそれ以上に感じたことがある。早く「おじちゃん」と呼ぶのをやめさせなければっ。


2002年2月17日(日) おじちゃん

 ある看護婦さんが病気の勉強会に参加したのだが、一緒にそのお子さん(姉妹)も静かにするという約束で参加していた。
 最初はゲームボーイをしたり、宿題をしたりしていたが、次第に退屈しだした。隣に座っていた私もだんだん気になりはじめた。仕方がない。相手をしてあげるか。
 顔の絵を描いて失敗して捨てようとしたとき、その絵をもらって鼻をぶたの鼻にして“ママ”と書いたら大喜び。今度は私のまねをしだしたので、変な顔をしてやったら、また大喜び。部屋の後ろの方で3人で密かに盛り上がってしまった。
 終わってからその姉妹は私にこう言った。「楽しかった。ありがとう、おじちゃん!」
 なぬっ!おじちゃんじゃない!
 その看護婦さんによると、家に帰った後も「あのおじちゃん、楽しかったね」と言っていたそうだ。だからおじちゃんじゃないって!!


2002年2月9日(土) なぜ説明をしない?

 ある喘息発作を繰り返す患者さんがいて、その度に紹介され入院していた。入院中偶然私が主治医をすることになって、今までの治療を聞いてみると、「えっ?」という治療であった。お母さんに小児喘息ガイドラインを説明して、このようにしてみてはという話をしているうちに、「先生にお願いします」と言われた。家から病院まで1時間近くかかるのに、それでも通うと言われた。3年目の若い医者が努力をして信用を得られた瞬間であった。その後は全く発作なく、順調にいっていた。
 先日、朝突然咳がいっぱい出たので、心配になって急いで以前の近くの病院に行った。その医者は喘息の咳ではないといってとある薬を処方した。薬の説明書には「喘息の発作は抑えません。…」と書いてあったので、母親は心配になって1回しか使わずに、再診日であった翌日に私の所に受診した。
 「お母さん、この薬の説明を聞いた?」「えっ、聞いていないんですけど…。この薬、なんでしょうか?」「ステロイドですよ。」「えっっ??」
 喘息患者さんにステロイドの吸入はとってもいいと言われており、それを使用すること自体は特に問題はないと思ったので、喘息の治療でのステロイドの話と副作用の話をして、お母さんは納得して使用することになった。
 なぜ説明をしない?忙しいから?本来すべての薬について説明しないといけないが、時間的にできないことはわかる。しかし一般に不安を感じている人が多い、ステロイドの使用についてどうして説明をしない?全く理解できないし、いかなる言い訳も通用しない。
 患者さんやその親の感覚と、そして現代の医療の常識とかけ離れている。誰のための医療なの?


2002年2月3日(日) 冷えぴた

 発熱時におでこにぺたっと貼る『冷えぴた(製品名?)』というものがある。たくさんの人が使っていて、中にはアンパンマンの絵が書いてあったりするものもある。
 でもおでこを冷やすことは気持ちがいいだけで、解熱作用としては弱い。脇や股、首を冷やすのがいい方法で、そこには大きな血管が通っているから、そこを冷やすと全身が冷やされるのである。具体的にはケーキを買ったら入っている保冷剤をガーゼでくるんで脇や股、首にくっつけるのがいい。
 ところが最近『冷えぴた』の改良版『わきぴた』といのが発売されたと聞いてびっくり。実物はまだ見ていないのだが、アイディアとしては素晴らしいと思う。そんな製品がたくさん発売されればいいね。


2002年1月20日(日) ドラえもん先生

 『ドラえもん先生!』患者さんから突然そう呼ばれた。
 救急外来を受診した6才の女の子の採血していた時、少し半泣き状態になった。痛い所は終わっていたので気をそらしてあげれば…と思い、私は“大晦日のドラえもん見た?ジャイアンがコンサートしていたよね。”と採血しながらドラえもん話を始めた。すると泣きそうな表情が元気な表情に変わっていき、そうしているうちに採血終了。それからは入院することになったその子は私のことをドラえもん先生と呼ぶようになった。
 体格を見て『ドラえもん先生』と呼んだわけではなかったのでちょっと安心。病院嫌いだったその子は『ドラえもん先生がいるところは怖くない』と言って、うちの病院にはなんの抵抗もなく来るようになったと母親から聞いた。その話を聞いてドラえもん先生、大喜び!


2002年1月6日(日) 私が小児科医になるということ

 26年前、ある丸い3歳の男の子が腹痛のためとある市立病院に運ばれた。浣腸で粘血便を認め腸重積と診断され、高圧浣腸を施行されたが改善せず、手術をして治った。その後順調に成長し市内の中学に入学した。1985年5月7日(中学1年生)、小学生からの仲良しであった友達が某国立大学病院で亡くなった。彼はその日からその病院で医者になることを希望し、勉強するようになった。市内の高校を卒業後、希望していた大学の医学部に入学、卒業し小児科医の道を選び、そして今年度その市立病院に勤める事になった。
 今の市立病院は移転改築されたため、狭い坂道沿いにあった古くて汚い"市立病院"とは違い、とってもきれいである。不思議な感じがした。さらにそこで自分が腸重積を空気を使って治したりしているとまた不思議な感じがする。私にとって治してもらえるための病院が治すための病院に変わった。でも、私があの頃きつそうにして病院に受診した時と、今病気で苦しそうにしている子供は全く同じ目をしていると思う。時代が変わろうとも子供たちは守るべき・守られるべき存在であり、そうやってみんな大人になり、子供たちからいろいろなことを教えられたり癒されたりする。素晴らしい存在である。
 亡くなった友人の退院時要約を大学病院で偶然見た。彼は先天性外胚葉不全症という珍しい難病で、腸閉塞、重症真菌感染、腎不全などを合併していた。5月3日最後に会った時の姿は、知識のない中学1年生でもその状態の深刻さを感じさせる姿であった。
 子供たちが元気な姿でいられるよう小児医療に取り組んでいきたい。
(以上の文章は市立病院広報誌、およびとあるメーリングリストに掲載されました。)


2001年12月24日(月) 子どもがダウン症であること

 プリントを整理していたところ、1年目で新生児科にいたときに分けてもらった資料を見つけた。日本ダウン症協会福岡支部が作成したもので、公開の許可は得ていないが、素晴らしい文章なのでたくさんの人に見てもらいたく、その一部を公開したいと思う。
 “ダウン症をもった子どもたち お誕生日おめでとう!
  家族のみなさんおめでとう!
  私たちは心からそう言います
  病気との闘いがあったり…
  『障害』のことばにおびえたり…
  ゆっくりとした成長が不安だったり…
  たしかにいろいろあるかもしれないけれど
  子育てってそんなもの
  子どもを産むってことは
  何がおこるかわからないけど、そんなこんなはとりあえず
  引き受けようと覚悟することかも知れないな
  でも実はそんな覚悟なんかしなくても
  予期せぬ出来事、降ってわいたような事態にも人は
  日々を重ねる中で誰もが暮らし合う力をもっているのだとわかってくる
  それまで見えなかった風景
  子どもに育てられ、そして癒される喜び
  『障害児』との暮らし合いが、子育てのバリエーションにすぎないと
  たとえ気付かなくても、ほら、あなたも結構やっている
  私がかつて母の命に守られて命を授かったように
  子どもの命もまた授かりもの
  命の重さは量りようも、比べようもありはしない”
 リンク:日本ダウン症ネットワーク福岡ダウン症ネットワーク


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