アイルランド探検隊(第2回)
妖精の通り道

司馬遼太郎の『街道を行く 愛蘭土紀行』は彼の地の探検を志すものにはバイブルのような本である。
そして、その本の中に、私たちの好奇心をとらえて、はなさなかった一節がある。それは話題が妖精の話に及んだとき、アイルランドにはかわった交通標識がある、
・・・
日本でよく”子供飛び出す、注意”といったような標識があるでしょう、あれよりもりっぱな標識でした、”レプラコーン クローシング”」つまり、「−レプラコーンが横断するぞ、車よ、気をつけろ。
・・・
という標識が存在するというのだ。
レプラコーンとは、靴の修理をする妖精らしく、イエイツによると、
垣根の先に座って、靴を直している姿を見かける・・・掴まえられれば、その人はレプラホーンから、黄金の入った壺を取り上げることができる・・・しかし、もしレプラホーンから目を離すと、煙のように姿を消してしまう。・・・
外見は、「七つずつ二列に並んだボタンの付いた赤い上着を着て三角帽をかぶり、ときどきその帽子のてっぺんを支えにして、こまのようにくるくる回る・・・」(W・B・イエイツ編 井村君江編訳 ケルト妖精物語 ちくま文庫)のだそうだ。

こんな妖精の通る道が、アイルランドにはあるらしい。いかにも妖精の国アイルランドだ。これが本当の話なら、どうしても見たくなるのが人情というものだろう。

こんな感じ?
Ring of Kerryで購入した
レプラコーンの置き物

しかし、本を繰り返し読んでみても、文中に場所を特定する言葉はない。いくつかでてくる地名をヒントに地図とガイドブックを取り出して、候補となる場所を探す以外に手はなさそうだ。どうも、司馬遼太郎の言う”レイディズ・ヴィユー”という地名がガイドブックの”貴婦人の眺め”に当たるように思える。とすると、アイルランドの南西部ケリー州のKillarney から Kenmare に向かうN71かR568あたりであろうか。

司馬遼太郎の一行は、5回そのあたりを通って1回しか見なかったという。きっと、東京でビックリマーク(!)の道路標識を見つけるよりも難しいにちがいない。

Killarneyのハイストリート
観光の足は馬車

出発地 Killarneyの町は当日まあまあのお天気だった。しかし町をはずれ、Lower Lakeのほとりを歩き出すと雨が降ったかと思うと、次の瞬間には太陽が雲間から顔をのぞかせるという、アイルランド特有の天気になった。

観光客をのせた馬車数台とすれちがう。「ハロー!」とあいさつをしながらお互い手を振る。その轍のあとを20分ほど歩いただろうか。緑の中にひっそりとたたずむMuckross Abbeyを見つけた。廃虚と化した修道院でいつ妖精がでてきても不思議ではない雰囲気。Abbeyへと続く脇道にはいろうとするとまた雨が降り出してきた。木陰で雨宿りをしながら妖精たちにいたずらされているような気がしてくる。自分たちのすみかを邪魔されないように、人間を近付けないように。絹糸のような雨の中、以前は立派な修道院だったであろう崩れ落ちかけた石のかたまりが妙に美しく見えた。

Muckross Abbey
Ladies View ”貴婦人の眺め”

さて、私たちは”謎?”の標識を探すために Killarney 観光もそこそこに、当日の宿をとっている Kenmare の町へ急ぐことにした。
途中、Middle LakeとUpper Lakeを右手に見ながら、車は”貴婦人の眺め”と呼ばれる峠を目指して登る。やがて、Ladies View の標識とともに、右手には「貴婦人の眺め」の見事な景色、そして、左手、山の斜面に峠の茶屋ならぬ峠のパブが現れた。

ここまで、目を皿のようにしていたが、「妖精に注意」の標識はもちろん、逆立ちをしてくるくる回っている不審なヤツも見かけなかった。
とりあえず、「峠のパブ」の駐車場に車をとめて、地図を再確認することにしよう。パブの入り口の看板には「LADIES VIEW PUB」という店の名前の下に、なんと、レプラコーンらしき妖精が上半身ほどもあるギネスのグラスを片手に走っている絵が描かれていた。

Ladies View Pub
の看板に・・・

そして、駐車場へとハンドルを切った瞬間、それはあっけなく見つかった。

駐車場の片隅に黄色い地に黒で”Leprechaun crossing”の文字の踊る標識が立っていたのである。
”Leprechaun crossing”の文字の横には、赤い三角帽に緑の上衣を来て、道路を横切るユーモラスな妖精の絵が描いてある。(イエイツのとは、上衣の色が違うようだ)あんなに見つけるのが困難だと本にあったのにあっけなく見つかると逆に残念でもある。

車からおりて、標識の方向に向かうとまた雨が降り出した。今度は結構激しい雨である。9月だというのに咲き乱れているあじさいの花が雨に打たれてまたもや妖精がいたずらを始めたようだ。

レプラコーン・クローシング

しかたがないので、「LADIES VIEW PUB」に避難することにした。
パブとはいうものの店の中にはレストランとみやげ物屋もあり休憩ができる。サンドイッチをほおばり、雨が止むのを待った。しばらくして、また太陽がでたのを見計らい、標識の横で証拠写真だけは撮っておく。(これで、今回の任務も無事遂行だ)他の観光客も次々と車の中から出てくる。いつの間にか10台ほど車が集まっていた。
ついでに、道をはさんだ向かいの展望スポットへと足をのばしてみた。雨上がりの緑濃い山際からは Upper Lake と Middle Lake に向かって七色の虹が顔を出していた。「貴婦人の眺め」という名の通り、まさに絶景が広がる。日本のように高い木々ではなく低木がごろごろとした岩の間から生い茂り、ところどころにヒースのピンクとハリエニシダの黄色が彩りを添えている。それがずっと下にある湖まで続いている。邪魔をするものは何ひとつない。1軒の家も建物も電柱や電線さえない。冷たい風が吹き付けるのも忘れ景色に見入る。感動!

妖精は妖精を信じる者にしか見えないという。現実的に考えると非科学的だが本当に存在しているのかもしれない。でも、すぐにまさかとその考えを否定してしまう自分が悲しい。だから妖精を見ることができないのかも。そして、そのとき、道路を横切ったレプラコーンが Upper Lake の谷に向かって、駆け降りていく気配を感じたのは気のせいだろうか(と、書くのはちょっとさぶいかな)


<参考にした本>
司馬遼太郎『街道をゆく 31 愛蘭土紀行II』朝日文芸文庫
W.B.イエイツ編(井村君江 編訳)『ケルト妖精物語』ちくま文庫