20世紀最後の年が明けた。

 

 

00/1/13(木) am チューリップと弘徽殿
みなさんはチューリップの話をご存じだろうか。

昔々あるところに、チューリップという女の子がいました。大変かわいらしかったのですが、両親が大事に大事に育ててきたため大変世間知らずな娘でもありました。

そんなチューリップも年頃になり、ある日外を散歩していたら、地主の息子と出会いました。地主の息子はチューリップの美しさに一目惚れ、「結婚して下さい。結婚してくれるなら、あなたに金のかたまりをあげます」と言いました。

…うーん、バブリー。心惹かれるわ。なんてそんなことはどうでもいいか。

チューリップはにっこり笑って言いました。「はい。喜んで。」

どこの馬の骨かわからぬ男にいきなり求婚されて笑って「はい」もないもんだがとりあえずそういうことなのである。

地主の息子と別れたチューリップは、次にひとりの騎士と出会いました(棋士の方がおもしろいなと今思ったが騎士)。あとは地主の息子の時と以下同文で騎士はこう言いました、「私の妻になってくれ、なってくれたらこの剣をあげよう」

この騎士ってのは自分の価値観を人に押しつけている疑いがあり、私だったらそんな物は欲しくもありませんがチューリップは欲しかったんでしょうか、にっこり笑って言いました、「はい、喜んで。」

騎士と別れたチューリップ、今度は国王と出会いました。国王ってのは城のイスに座っているものであってその辺をふらついてるわけはないのですがそこはおはなし、出会ってしまうんです。そしてやっぱり以下同文で国王は言いました、「妃になって欲しい、なってくれたら王冠をやろう」

そんなもんもらってどうする?質屋に売るか?どちらかと言えばそんなお飾りよりは1500万以上の固定資産がいいです、と私なら思うところですがチューリップはやっぱりこう言いました、「はい喜んで。」

国王とも別れ、散歩を終えてチューリップが家に帰ると、家の前では大変なことが起こっていました。さっき会った3人が家の前で喧嘩をしているのです。3人とも、「チューリップの夫は自分だ」と言って大変な剣幕で争っています。

そこへチューリップが帰ってきたので3人が真偽を正すと、彼女は全員にイエスといったことが判明。今度は3人の怒りの矛先がチューリップに向きました。この辺が合理的で私はこの3人に大変好感を持つのですがそういうことは本筋とは関係ないんですね。

「お前は宝目当てに全員の申し出を受けたんだろう! ひどい女だ!」…3人はチューリップを責めました。この辺も好感が持てるところなのですがその間にチューリップは3人の怒りを受けて殺されてしまいます。

チューリップが殺され、その理由を知った両親は悲しみ、後悔しました。「私たちがあんなに世間知らずに育ててしまったのがいけなかったんだ」

一方、チューリップが死んだ場所からは見たことのないきれいな花が咲きました。金塊のような球根、剣のような葉、王冠のような花。これがチューリップの花の起源です。

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という話なのだが全くよくできている。大好きな話なのだ。

まず3人がそれぞれ「結婚してくれたら○○をあげる」と言っているところがいい。女をモノのように考えている男の嫌らしさがさりげなく全面に出ていてすごくいい。でも嫌らしいけど使えるからOK。オレの甲斐性を見せよう!という気概が感じられる(剣は欲しくないが)。

次に最後のまとめ。チューリップは確かにパーツごとに変な形をしている。球根も取り出して乾燥させると皮がつやつやになる。よく観察しています。はなまる。

最後に、何を置いてもやはり後半の展開であろう。チューリップに非があるとわかった途端、容赦なくチューリップを責め始める彼らに私の好感は12000点!(意味不明)なのである。普通のラブストーリーなら女を責めずに相変わらず男同士が「オレが!」「いや私が!」「余が!」とうだうだ争う…という展開になるはず。

そうなのだ。責めるべきは確かに女なのだ。

彼らの中には、「好きだから許す」「かわいいから許す」という論理が存在しない。手のひらを返したような仕打ちには、さっきまで君らその子を愛してたんじゃないすか?と思ってしまうほどである。

だが、愛を合理的にぶった切るその姿勢には感動のあまり拍手(その時男たちの間には妙な友情みたいなものが生まれていたんじゃ…とまで推測してしまうと愛って何?とも思うが)。

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前に、橋本治の『窯変源氏物語』を読んだことがある。高校生の時に読んだのでうろ覚えだが、確か弘徽殿(桐壺帝妃のほう)が「愛してるから許す」という論理がわからない人だった気がする。責めるべきなのに、曖昧な微笑で「まあよいではないか」とごまかしてしまう男性たちの態度を、彼女はものすごく不可解に思うのだ。

で、私はそのもやもやしたやり場のない感情がとてもよくわかり…しかし弘徽殿に共感したという事実の前ではたと気づく。「あ、私ってやばいのかも」

共感した相手が弘徽殿。橋本治から「こんなふうに考えちゃった女性はですね、つまり女性としてはマイナーコースってことですね。」と宣告された気がして、ある意味ガン告知くらいショックだった(ガン告知の経験はないが)。

それまで私は弘徽殿大嫌いだったのだが、これがきっかけでイメージが一転してしまった。これ以上書くと悲しくなるのでコメントは差し控えるが、弘徽殿となら親友になれる気がする。彼女となら一緒に仕事ができる。ベンチャー起こして一生共同経営することもできる。きっと。

田舎のばーちゃんに言っておこう。「やっぱりご期待には添えなさそうです」って。

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しっかし。ここまで書いてうろ覚えの内容が間違ってたら笑えるなぁ。ははは(笑ってごまかす)。

00/1/11(火) pm 伝わるべきこと
今年の正月にもらった年賀状を整理してみた。

みんなよく年賀状にこんなにコメントを書いてくれるなあと感心してしまう。何行も心温まる言葉が連ねてあると、自分がその人に出した年賀状の文面を思い出してしきりに反省である。

私の場合、はがきの空白を図柄で埋め、文字がなくても違和感のない年賀状に仕上げる。これは私が基本的に絵や色で埋まった年賀状が好きなこともあるが、いざ書くときにうまいコメントが全然浮かばない、という自分の性質を考慮しているせいでもある。

年賀状に書く文章って本当に浮かばない。結局全く当たり障りのない(つまりものすごくつまらない)ことしか書けない(大体2行程度)。そしてあとで人からもらった年賀状を読んで「なるほど、こういうことを書けば良かったんだ」と思うばかり。

私の年賀状で3行以上書いてあるのはだいぶたくさん書いた方である。よほど親しい人ならコメントにも困らないので、そういう人の場合は3行以上書いてある。でも3行以上書いてあるとはいっても、当たり障りのないフレーズとさほど変わらないから始末が悪い。

とりあえず年賀状を全部投函し終えて新年を迎え、親しい人がくれた年賀状のコメントを見て初めて、ああこの人にはもっといっぱい書きたいことがあったっけ、と思い出すのだ。

私はこれからも、本当に伝えなくてはいけないことをいざその人に会ったときには言い忘れ、後で「ああそうだった!」と思う人生を繰り返していくのだろうか。

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一方、私がもらった年賀状にはいいことがたくさん書いてあった。一番心に残ったのは、「オンリー・イズ・ノット・ロンリー」。んー、胸に刺さる。

これを言ったのは糸井重里だそうだが、さすが糸井重里。どせいさん(これ→)の創造者だけのことはある。今年のスローガンにしよう。

他にもいろいろあるなあ。ん、「大あばれに期待」? 「不摂生に要注意」?

確かに私に伝わるべきことが伝わっている気はするけど…

00/1/11(火) am ウソ日記
今日は久しぶりに掃除をしました。気分がいいです。といったわけでウソ日記の続きをお送りします。これまでの分は「Tが来る前に」をどうぞ。

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「あんたさぁ、いいわけ? 大事な婚約期間の大事な大事な連休期間にあたしみたいの泊めたりして」

そういいながら左手は慣れた手つきでもう私の部屋のドアを開けている。

「大丈夫大丈夫、3日くらい。お試しなんだからいろんなことをやってみないと。あたし、結婚してからだってサヤとは付き合っていくつもりだから」

今日、明日、あさってと、土日に祝日が続いた3連休である。この連休を利用してうちに泊まって一緒に遊ばないかと、私は友人のサヤを呼んだ。

「おお! 今すごいことを言ったね? そうなると…あんたの結婚後、あたしはあんたの旦那様に嫉妬される存在になるわけだ。快感なような、怖ろしいような…いやいやそこまで言ってもらえて、友人として光栄だけどね。で、あんたのダンナになる人ってどんな顔してんの?」

「あ、見せる見せる。とにかく中に入って」

「うー、寒! ストーブつけちゃうよー」

「うん、お願い」

サヤは古い友人なのだが、今は新幹線で2時間以上かかる遠くの街に住んでいる。高校を卒業してからずっとお互い遠くに住んでいるのだが、よほど気が合うのかなんだかんだ言って今まで友人関係が続いている。親しい友人の中でも、Tと全く面識がないのはサヤだけだった。

なぜ私はサヤをここに呼ぼうと思ったんだろう。この不思議な距離の友人は、いつもいいヒントをくれる。「独身のうちにめいっぱい遊ぼうと思って」といいながらも、この友人に今の状況を客観的に見て欲しくて、私は彼女を呼んだのかもしれない。

Tを知っている人はみな「きっと幸せになれるよ」と言う。でも私は、その状況がどこか不安だった。

唐突なきっかけと、見通される安定した幸福との間の不釣り合い。私とTとの関係は、どこかアンバランスな違和感がある。それを、全く先入観のないサヤに見て欲しかったのかも知れない。

00/1/10(月) am ふりだし3度
昨日、久しぶりに人生ゲームをやった。

友達数人と2回ほどやったのだが、いずれも私の人生を象徴するような展開で泣けた。

この人生ゲームの初盤、職業に就いたばかりの時に「台風にとばされる。」というコマがある。ここにとまると、せっかく就いたはずの職業を返してふりだしに戻らなくてはならない。

そして私はあろう事か合計3回もここに止まり、3回も人生をはじめからやり直したのである。さすがに1ゲーム内で2回も就職→ふりだしを繰り返すと、その間他の友人はみんな人生の中盤をとっくに過ぎて結婚しており、中には子持ちになってる奴もいる。なのに私は未だ学費を払っていて、親から仕送りなんてもらってしまう。「超!モラトリアム人生」である。

当然人生レースはビリを独走することになる。なんだかんだ言って職業では医者とかパイロットとかアナウンサーとか意外に稼げる職業を持つことはできて不自由しないのだが、ビリである。私は結局一度も人生ゲームのゴールにたどり着けなかった。

ビリだと生命保険もおりないし株券も売れないし、ひどいときはゴールより10コマくらい前の「決算日」(子供がいればボーナスがもらえる)のコマにも止まれないので全然お金がたまらない。

人生の災難のコマにはお金を失うタイプ(株の暴落とか毛皮のコートとか)のものと天災や事故のタイプのものと2種類あるのだが、私は明らかに火事・地震・交通事故と、天災・事故の項目ばかりに止まっていた(交通事故にはびっくりした)。

とにかく現実の私とリンクする項目が多いこと多いこと。ルーレットも実際の人生と同じに動くのだろうか。台風のコマ3度には1番笑えた。が、とりあえず怖かったので近所の八幡様から厄よけのお守りを買ってきた。800円なり。

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夜中の謎の外部からのネット切断事件(99/12/28の日記参照)は現在鋭意継続捜査中であるが、ここ数日再び先方の行動が活発化しつつある。

ゆうべは最終時刻がなんと朝4時。先方もだいぶ粘ったらしい。本日も夜12時ごろに外部切断があったので、こうなったらこのあとはなるべくネット接続せずに先方からの電話を待つことにした。

さーあかけてこい。明日は休みだし準備はオーケーだ。

00/1/7(金) pm 快挙
院試のため病院の健康診断に行ったらのびていた。

何がって、背が。

特に成長期もないまま年だけとってしまった私である。もはやもうのびるまいと思っていたのだが、おかしい。おととし計ったときから1.5センチ、大学に入ってから2センチあまりものびている。

数年前に学校の友達(みんな小さい)数人で「身長バトル」をやったときはまだ150センチ台(つまり、151センチに満たなかった)であった。バトルの方はミリ単位の争いであった。それが今や…涙涙。うれしい。この診断書はコピーを取って親兄弟に自慢しよう。「ウソつけ」と言われても大丈夫、用紙にはちゃんとお医者さんのはんこもついている。

この年末帰省したら親や祖父母に「大きくなったような気がする」と何度も言われたのだが、23にもなって帰省時の家族コメントが「大きくなった」だとは、全くばかげている。

(それはきみたちが縮んだんだって)

とばかり思っていて全然信じていなかった。

ほんとにのびてたんだ…

確かに高校の頃よりはるかに寝ているので、「寝る子は育つ」ということなんだろうか。田舎のじーちゃんは「ハタチのあさめしまえまでのびる」とは言っていたが、「ハタチ過ぎてものびる」とは言っていなかった気がする。

おかしい…私の中の何かがおかしい…

00/1/6(木) pm 自分の価値

人間は他人の承認がなければ、「自分は価値ある存在だ」なんて思えない生き物なのかも知れない。

ある40代の女の先生の話。

ある時「もっと経験を積みたい」と志願して異動した赴任校で担任したクラスが学級崩壊をおこし、そのせいで心身症になってしばらく精神科に入院することになってしまった。

3ヶ月ほど休んで病状は回復したのだが、一度精神に異状をきたした先生に対しては復帰の際厳しいチェックが入るのだそうで、圧迫面接が苛烈にパワーアップしたようなのに耐えないと復帰が認められないらしい。

彼女もそれにもれず面接を受けた。ところがあまりの苛烈さに1度目は落ちてしまい、また3ヶ月の休みを余儀なくされた。2度目に受けて合格し、彼女はやっと学校に復帰できた。

ところが復帰から半年以上経った最近になって、彼女は自分が乳ガンであることを告白した。本当は復帰してすぐの4月にもう乳ガンが見つかっていたのだが、今まで休んでいたことが申し訳なくてずっと言い出せなかったのだそうだ。ちなみに彼女は独身。

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私はこの話を母から聞いたのだが、あまりの痛ましさに何とも言えなかった。母は「ガンを黙ってるなんて、なんというバカげたことをしたんだろう」と言っていたが、私には彼女の気持ちが解るような気がする。

きっと、もともと何もかも自分ひとりで背負い込んでしまうタイプの人だったのだろう。少し内向的で、学生時代の友達もみんな結婚してしまって相談できず、ずっと休んでいたせいで何となく職場でも肩身が狭い。情熱をかけた教職なのに、自分は生徒からも嫌われる教師でしかなかった。

どこにも居場所がなくて、一人きりでいろんな物に押しつぶされて、自分の命の重さもわからなくなってしまったのに違いない。

私がダメだから、こんなふうになっちゃうんだ。こんなダメな自分の命なんてなくなっても大したことじゃないから…。彼女の呟きが聞こえてくる気がして、何とも言えない気分になってしまった。

甘ったれた話なんだろうけど、本当に誰ひとりとして自分をかえりみてくれなければ、自分で自分を大事になんてできなくなると思う。「結局誰にとっても自分は"どうでもいい奴"だから」と思う出来事ばかりなら、自分の価値がわからなくなって当然な気がする。他に一体どんなやり方で自分の価値を確かめればいいんだろう?

仮にも先生という立場の人が、渋谷で売りをやってる女子高生と同じように冷え冷えとした精神環境だったんだろうかと驚いたが、私みたいに冷え冷えした奴も塾講師なんだからそういうこともあるんだろうな。

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とりあえず私は母に相づちをうちながら「気をつけような。」と必死に自分に言い聞かせていた。

00/1/5(水) pm ぼーっとしたい
休暇が欲しい。

とりあえず、何も予定がなく一日中閉じこもって寝たり起きたりして過ごす時間がまる3日くらい欲しい。

確かに正月は実家に4日ほどいたが、移動も多かったし満足のいくような「何もしない日」は1日しか確保できなかった。

私は何もしない時間がなければ生きていけない。てきぱき動くのは好きだが、ずっとそれを続けるのはとても苦手。リフレッシュ休暇が必要なのだ。

休暇中何をするかというと、あったかい畳の部屋に寝転がってふとんにくるまりひたすら寝る。何もしない怠惰な休日。ああ幸せ。

とか何とか言ってみたところで、そういう時間がとれない。1日中暇な日が連続することなど全くない。限界は近い。2月になれば少しは楽になる気もするけどそれまで走りっぱなし。

でも「きっと○○になれば楽になる」と考えたところで、その通りに楽になったためしがない。「終わったら○○に行こう」と思ってその通りに行ったためしもない。…私の人生って。

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新春初笑いはもちろん「西遊記」だったのだが、まさか朝日新聞にも笑わしてもらえるとは思わなかった。

確か1月3日の朝刊だったと思うが、ニューヨークタイムズの号数が間違っていたという記事があって、これが面白くて大笑いしてしまった。

毎日の号数を打つ役目の24歳編集助手が号数を数え直し、100年あまりの間500も号数が違っていたことが判明したらしい。これに対し「数学に弱かった」というニューヨークタイムズのコメントも面白かったが、間違いが判明するきっかけがまた面白かった。

この助手が数え直した動機というのが「人間には間違いがあるのではないか」と思ったせいなのだそうだ。この助手のカンが見事に当たったというわけである。

普段ミスをやっては上司から「このバカ!!」とどやしつけられている24歳の彼か彼女。編集助手で記事も満足に書かせてもらえない。ある晩残業で号数を打ちながら「代々俺(私)みたいな奴がこの仕事をやってたんだろうなあ…」と呟く。そこで突如「そっか、俺(私)だってこんなに間違うんだし、絶対前の奴もどっかで間違ってる!!」と思いついて徹夜で調べはじめる。

…という風景がありありと浮かんできて楽しくて仕方なかった。もし私の想像通りのストーリーだったとしたら、間違いを発見したときの彼か彼女の気持ちはいかばかりだったろう。

きっと「ざまぁみやがれニューヨークタイムズ!」とばかり、いつもふんぞり返っている小憎らしい上司の顔を次々思い浮かべては心の中で思い切り蹴飛ばしたに違いない。

「遠いお空に飛んでゆけ!」

うーん、痛快。

00/1/3(月) pm SATO-GOKORO
こう書くとかっこいいもののように見えるが、実はかっこわるいことこの上ない。

里心がつくと何もかもが鈍ってしまう。ものを見る目も、何かに賭けようとする衝動も鈍ってしまう。こうして日記を書く筆先すら鈍っている気がするんですけどいかがなもんでしょうか。

たぶん、さまざまな飢渇と上昇しようとする衝動とが反比例するのだろう、私の場合。飢渇がある点で満たされるときがやって来たら「一方が満足なら他方はどうなってもいい」とかそんなことを口走って、ある日突然他の全てをぽいと放り出すんじゃないかと不安だ。

転がる石はとりあえず家族のとこにおさまって丸くなったら終わりなんじゃないかと、今のところは思う。

たぶんこの強迫観念は、ある友人と2人で考えた「女性における結婚仕事二者択一のジンクス」のせいだ。簡単に言うと「女は結婚すると仕事がダメになる」という身も蓋もない、しかし的を射ているような気もするジンクスである。

さらに、「職業がクリエイター系だと特にダメになる」という付記もくっつく。経験やキャリアや技術などよりまず感性が必要になる仕事の場合、結婚によって肝心の感性が著しく鈍って所帯じみてしまうので全然仕事ができなくなる。だからいい仕事したいなら結婚はしないに限る。

…という、自分たちの首を絞めているのか絞まった自分たちの首を緩めているのかよくわからないジンクスなのである。

確かにうなづけるところがあるから怖ろしい。例えばホームページにしたって、管理者に家族があって自分の子供がいた場合、サイト全てが子供の話題に染まっていることも珍しくない。

そういうのを見てしまうと、子供や家族を持つと「自分=子供・家族」になってしまって「自分」ってものがなくなっちゃうのか?という恐怖を感じる。

もちろん他の人がそうなることにどうこう言うつもりはない。が、自分がそうなったらどうなんだろう。「目を醒ませ、このボケ!」とちゃんと自分に言えるだろうか。

愛情というのはその人の中の何かを浸食するのに違いない。しかし浸食されてその人の内部が見る影もなく食い荒らされても、それに比例して多幸感が増幅するから始末が悪い。毒が全身に回り脳が麻痺し手足を順繰りに切り落とされても、心臓が止まるまでノンストップで「幸せ…」。そして仕事なんかどうでもよくなる。

ちょっとしたサイコホラーだ!

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前に「笑う犬」のコントでナンちゃんがこう言っていたっけ。

「人間は器用ではないんだよ。ひとつのことしかできないんだ。」

それは本当のことなのかなあ。

00/1/2(日) pm 気づきを促すために
本日のお題に迷い、とりあえず新年の抱負でも書こうかなと思った。が、大晦日の日記に言い尽くされていて、しばし悩む。

くそっ、どうしてあんなあせって10分で書いた日記に言い尽くされなきゃならないんだ。案外中身が薄いぞ私の人生。

いやそれとも、与えられた貴重な時間がほんの短い間だった場合、人はその分密度濃く大事なことをしゃべくるものなのであろうか。そしてだらだら続く日常では思いつきもしなかった、重要なことに気づいたりなんかしちゃって?

そうかもしんない…

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ということは、その人間にとって何が大事なのかを思い知らせるには、人を頼んでその人の首元に暗い夜道で後ろからナイフを突きつけてもらい、出てきた言葉に注意すればいいんだ。

いや、そんな生ぬるいことではダメか。死ぬような思いをさせながら同時に考える時間を与える。そうすれば大事なことに気づくはずなのだ。

ナイフを突きつけたままラチ・カンキンし、ぐるぐる巻きにして廃工場に放り出しておく。いや、廃工場じゃまだダメだな。冷凍倉庫がいいかな。だんだん弱るし青白い世界だし、夢を思い出すには絶好のロケーション。

そして遠のく意識の中で最後に思ったことをすかさずドラえもんの「夢レコーダー」で録画しておく。

その時点で冷凍倉庫から引きずり出し蘇生させる。生き返ったところでさっきのビデオテープをわたす。きっとそこには間違いなく、その人の「夢」が映りこんでいるはずなのだ。

でも案外、家のビデオデッキで再生しながら、

「げげぇ〜!! 何でこんなことが夢なんだよぉ、自分!」

と叫ぶ声が聞こえてきそうなんですけど。

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死ぬ間際に思う本当の夢なんて、きっと現実性も何もないはずだから、そんなものかもしれない。

でもその「現実性」というタガが全くないからこそ、「本当の」夢なんだろうけど。

00/1/1(土) pm 書き初め
恐怖の大魔王は来なかった。

カッシーニも落ちなかった。

2000年問題で核爆弾が落ちるということもなかった。

何にも起きず、私は平和にお茶と和菓子で西遊記など見ている。

宇宙ではグランドクロスが起こっているというのに、そしてグランドクロスとは何だか大変なものだと占星術者達がずいぶん強調していたというのに、世界には未だ特に何も起こらず、私はあんこと堺正章である。

…一体あの騒ぎは何だったんだろう。そしてあの大予言を心のどこかで心配し続けた私の心労は! 賠償金払ってくれノストラダムス。時給1000円ね。

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「超常現象大百科」によく載っていた聖母マリアとの遭遇譚では、マリアは大抵こう言う。

「人類が心を改めない限り、大いなる災いが起きるでしょう」

災いは起きてない。ということは人類は心を改めたんですかマリア様?

トヨタのエコカー発売が効いたかな。

 

 

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