ただのハズレで終わらせない。
| 00/2/21(月) am | ナナフシといい人 |
| 今日スクールの帰りに本屋に立ち寄り、「娘の結婚運は父親で決まる[家庭内ストックホルムシンドロームの自縛]」という衝撃的なタイトルの本を見つけ購入。
はじめの20ページを読んだだけで全身の血の気がさーっとひいていった。 「そう考えたらすべてのつじつまが合う!」 私はカウンセリングを受けた方がいいかもしれない。隣のフジタさんとミカちゃんのことばかり言ってられない。一緒に連れだって行くべきだ。やばい。絶対やばい。 立ち直れない。とりあえず全部読んでから考えよう。読み終えるのが先か、私のアイデンティティーがバラバラになるのが先か。 ---- ビルの中に入っている中規模の本屋なのだが、レジに見習いらしき若い女の子と、それを指導しているらしい40代くらいの男性がいた。 ところが、レジに並んでいるときに見ていてひとめでわかったのだが、その中年オヤジというのは、彼女に指導しているのではなく、難癖を付けてイヤミ言っていじめているだけだったのだ。 近くに寄って顔を見てわかったのだが、顔の中のパーツがいかにも性格悪そうにゆがんでいる。人柄はやっぱり顔に出るものなのかもしれない。客に見られていると意識さえしていないようないらだたしげな目つきを見ただけでも、彼のねじくれた性格を読みとるのに十分だった。 そのオヤジと見習いの女の子は、カウンターのすみに置かれたノートパソコンで何かのデータを見ているようだった。しかし、なかなか目的のデータが見つからないらしく、彼のいらだちは頂点に達していた。 「ちょっと、前の画面出して前の画面!」 とげとげしい言い方でバイトの子に命令していた。きっと自分ではパソコンを操作できないのだろうが、女の子の方も見習いなので操作に戸惑っている。そのことでさらにオヤジの目つきが悪くなる。 「あの、これって…」「とにかく前の画面出して!」……彼女の質問も遮ってオヤジは何度も何度も同じ台詞を繰り返す。ヒステリーを起こしたナナフシのようだ。あまりの見苦しさに見ていられなかった。見習いの女の子に心から同情した。 私はたまたま彼女の担当するレジに並んでしまったらしかった。「1260円です」と言われた気がして、私は1560円を出した。端数を合わせて出したつもりだった。するとその瞬間、例のイヤミオヤジがカウンター側でレジの画面をのぞき込んだ。 オヤジの目つきが鋭くなる。オヤジは彼女を叱りつける口調でいらだたしげに言った。 「ちょっと、1206円だろ、何で1560円受けとってんだよ」 えっ、と驚いたのは私の方だった。私は金額を聞き間違えていたらしい。端数に合わせて出したつもりが実は間違っていたのだ。 でも別に金額より少なく出しているわけではない。だから見習いの彼女もそれをとがめずに普通にレジに打ち込んでお釣りを渡そうとしていた。しかしそれを、オヤジが「そらきた」とばかりに攻撃してきたのだ。 確かに、彼女は金額を確認して「お客様、1206円なので…」と一言私に教えた方が良かったのかも知れない。でもだからって、こんなに目くじらたてることだろうか。客の前で、はっきりわかるような険悪な表情で。しかもまだ見習いの女の子をいじめている。接客業失格であると同時に人間失格である。 このナナフシめ。バイトの女の子が悪いんじゃないだろう。悪かったね金額間違って。私が悪いんだよ。あんたより私の方がよっぽどいらだたしいわ。そんなに客にケンカ売りたいんか。 私はよっぽど一言もの申そうかと思った。「私が悪いんですから彼女を責めないで下さい。あなたの態度は見てて不愉快ですよ」とでも(さすがに「黙れナナフシ!」とは言えない。きっとこの人には「ナナフシ」と昆虫が結びつかない。暴言失敗!) でもこの本屋、これからも足を運ぶ可能性があるので、私は一生懸命怒りを飲み込んだ。変な印象で顔を覚えられたくなかった。ナナフシはイヤミなうえ執念深そうだった。今後関わり合いたくない。 こんな性格のオヤジなんだし、きっと死に様が良くないだろう。子供の心も妻の心もとうの昔に離れ、老後は誰からもかえりみられず病に倒れるに違いない。そう、いつか自滅するのを待てばよいだけのこと…と思うことにした。 さすがに客の私にまでキレるとは思えないから言えばよかったのかも知れない。おそらく私が何か言っていれば、「あんな小娘に! キー!」って後でナナフシにハンカチ咬みきらせることもできたんだろうけど。 それにしても不愉快なオヤジだった。バイトの女の子はどうなっただろう。陰でセクハラなどされていないだろうか。あんなナナフシに給湯室でおしりなんてさわられた日には、1:ナナフシの妻に匿名電話(とりあえず「レイプされたんで損害賠償1000万」とねつ造)or2:守り刀で袈裟懸けにばっさりだよね。 彼女の身が気にかかる。明日も近くに行くのでちょっと見てきてみよう。 ---- おととい、ラオックスでプリンタケーブルとUSBハブ(両方ともMac用)を購入した。店員さんが持ってきてくれたプリンタケーブルがなぜか8000円もしたのだが、「USB変換用のケーブルなんでちょっと高いんです」と言われて「ふーん」と納得していた。 そしたら今日、一本の電話が来て、取ってみたらラオックスの人だった。「実は、お客様がお買いあげになったのよりももっと安いケーブルがあったんです。おすすめしたこちらのミスですので、もしよろしければ交換の上、差額を返金させていただきたいのですが…」と言う。聞くと、3000円も安いのがあるという。 めんどくさがりが幸いし、たまたま私はまだケーブルの包みを開けておらず、ついでにレシートもしっかり残っていた。3000円が戻ってくるなんて素晴らしい。ああ、なんていい人! 私は感動した。明日スキップしながら交換に行かせていただきます。 それにしても、何でうちの電話番号がわかったんだろう? 打ち込んだレシートにあるポイントカードのデータから調べたのだろうが、それにしてもご苦労なことである。えらいぞラオックス。 以前、無償で私のノートパソコン(ウインドウズが死んでいた)を生き返らせてくれたヨドバシカメラのホソカワさんにも感動したものだが、ラオックスのフクヤマさんにも感動した。 接客って、やっぱりこうでなくちゃいけないよなあ。 |
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1行メールボタンです。今度つけました。 |
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| 00/2/20(日) am | 蒔絵入りまーす |
| この間、「ひきこもり」の特集をTVでやっていた。
精神科医が言った。 「直接の会話以外のコミュニケーションは、コミュニケーションではありません」 なら私はさしずめひきこもり予備軍だろう。 人に接するバイトをしているからって「会話」しているわけではない。ビジネスはビジネス。そこでの人間関係もビジネス。だから会話なんてないのだ。 ---- 私の隣にはフジタさんという男性(たぶん20代半ば)が住んでいるのだが、そこにはフジタさんの彼女のミカちゃん(って呼んでるのが壁越しにガンガン聞こえてくる)が、現在は週2度程度のペースで通ってきている。 いろいろ(っていうか種類はひとつだけど)な「騒音」が聞こえてきたのは私がここに越してきた3日目からだから、もうかれこれ5年以上彼らの存在および「騒音」と付き合っている。 今日も前半は例の騒音をフルボリュームで(byモーニング娘。)聞かされそうになったので、マキハラのCDで何とかしのいでいた。というかこの手の音はもう私に目覚まし時計ほどの衝撃も与えない。すっかり慣れきってどうでもいい「音」と化している。 しかし、それが終了した30分後から別の意味の騒音に切り替わった。口論。そして壁(しかもうちのほうの壁!)を思いっきり蹴る音。たぶん、フジタさんが彼女のミカちゃんに暴力を振るっているのだ。 「ぅおりゃー!」……どかんがすん! ミカちゃんの悲鳴は聞こえない。たぶん何も言えずに押し黙って床を見つめ涙を流しているのだろう。可哀想なミカちゃん。男は女より体がでかいし力も強い。それが暴れるとは何たる振る舞い。女相手に暴れる男なんて大嫌い。カウンセリングに行け。 すると今度はなぜか、しきりにカーテンを開け閉めする音が聞こえる。あっ今窓開けた。 「×◎△□☆(聞き取れない)ってこい!!!」 再びフジタさん叫ぶ。まさか、窓開けてこっから飛び降りろとかってミカちゃんに言っているんじゃ!? ここ4階です。しかも崖っぷち。下はコンクリート。 そこまで聞こえたら、あとはシーン……。つまり、力でミカちゃんを黙らせたってこと? ドアが開いた音もしなかったからミカちゃんは帰っていない。ということは今夜もまたなしくずし!! ---- 最近になってケンカが派手になってきてるし、さすがに暴力音らしきものが聞こえるともう私はベランダ越しに仲裁したい気持ちになることがままある。 「くぉらぁフジタぁあ! オマエは高野山に行って10年修行してこい!」 ダメだ…フジタさんは女に暴力を振るうバカ男だから高野山って言っても絶対通じない。高野山と金剛峰寺と空海が結びつかない! 仲裁失敗! それにしてもわけがわからないのは、そんな男なのになぜミカちゃんが毎週フジタさんちに通ってくるかだ。恋をするとバカになるのだろうか。 昔、私が家庭教師をしていた教え子(当時16)もそうだった。彼氏(当時17)にカラオケボックスで鼻血が出るほど殴る蹴るの暴行を受けたのに、それでも別れる気はない、好きだ、と言っていた。 そういうもんなんだろうか。何かが狂っている。 ---- 「うるし10度塗り上がりましたぁ、次、金蒔絵入りまーす!」 くらいのもんだ。一体どうしてくれる! |
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| 00/2/19(土) am | トラブルの女神様 |
| 私はたぶん、トラブルの女神に愛されている。
かなり深く愛されているらしい。女神め、上腕二頭筋をかなり鍛えているようで、がっちり私の体をおさえこんで離さない。ここかと思えばまたあちら、トラブルは波のように絶え間なく押し寄せる。私には永遠に心の平安はないのか。 私はレズビアンじゃないんで。だから女神様、少しその腕をゆるめて欲しい。そうまでして、私に一体何をさせたいというんだい。 ---- 私は意外と友達が多かったのかも知れない。……いや、それだけはた迷惑な奴なんだろう、きっと。 ---- もしかするとここ3日くらいは調子悪いかも知れないから、じゃあ明日からはウソ日記キャンペーンで行こう。 決断要素が常識からちょっと外れた適齢期逃し気味OLと、ちょっと怪しいネットストーキング純情青年の、結婚の行方やいかに!……って書くとドラマチック…。 |
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| 00/2/18(金) am | 珍しく日常描写日記 |
| そろそろ風邪も治ってきただろうと思い、河合塾に添削用の答案を取りに外へ出る。そのついでに、駅のそばの電気屋(ラオックス)に行く。
雪がちらつく天気だったので大事をとってバスで行ったのだが、帰り道で寒気がしはじめ、ついでに咳も断続的に出るようになってしまった。やばい。まだ治っていなかったのだ。というかこれってもしかして悪化っていうこと? 仙台に戻ってからは市販の風邪薬でしのごうと思ってとびきり良く効くのを飲んでみたのだが、その直後猛烈な胃の痛みとめまいに襲われ飲み続けるのを断念した。胃が焼けるようだったよ、全く。 胃の方は相変わらずよくない。日常的なものだからどうでもいいかと思ってたけど、そういえば重いものが一切食べられないんだった。油ものや肉類、ボリュームのある料理は見るだけで吐き気がする。バイトで授業をやっていると何だかめまいがすることがある。 あれ、もしかしてしっかり風邪だったの?…と焦った私は明日が飲み会だったことに気づく。 これまで飲み会のたびに体調を崩して欠席していたのでもういい加減出なくちゃと思っていたのだが、これは休んだ方が良いだろうか。思い悩み後輩に電話で相談などしてみる。 電話の結果、とりあえず明日の様子を見てから決めることにする。そういえば明日院試の合格発表だったっけ。落ちてたらなんかいたたまれない飲み会になりそうだね、自分よ。 ---- 周期的に衝動的に古いものを捨てたくなる習性があって、今回は他社からさらに便利なサービスが出てきているし乗り換えることにした。その時に前の番号を捨てる。今日は書類不足で契約できなかったから、明日にでも捨てる。昨日までは捨てたくなかったのだが、今日になって気が変わった。 それにしても、捨てる瞬間のあの何とも言えないわくわくは一体何なんだろう。捨てるために過去を積み上げているような気分がしてくる。ああ、破滅的な性格。 |
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| 00/2/17(木) am | 寂しがり屋 |
| 実家にはちっちゃいハムスターが一匹いるのだが、ちょっとおかしい。
ハムスターは夜行性である。私と同じである。ということは、暗いところでもよく活動する…いやむしろ、暗いところの方が活発に活動するに違いない…と私はかねてからずっと思っていた。しかし、うちのハムは違うのだ。 活動時間である夜になっても、私が彼の居場所である弟の部屋の蛍光灯をこうこうとつけてやらないと、絶対に起き出してこない。そう、うちのハムは人の気配がないとほとんど活動しないのだ。 若い頃はそうでもなかった。若い頃は朝の4時まで真っ暗なところで回し車を高速回転させ爆走していた。BGMにB'zの「RUN」がよく似合う走りっぷりだった。 が、飼って1年も経った今はすっかり、夜でもすやすや寝ている。人気もなくかごに寒さよけの毛布をかぶせられて暗くなっていると、母が入れてやったちぎったティッシュペーパーを自分の口でさらに細かく裂き、巣箱とは全然違う地べたにこんもり積み上げた変な寝床に埋まってぐうすか寝ている。 時刻は夜中の12時。活動時間ど真ん中である。BGMは岩崎宏美の「マドンナたちのララバイ」で決まり。弟も眠り込んでいるため部屋は真っ暗だ。 ここへ、帰省中でヒマを持て余した私が入室し蛍光灯をぱちんとつける。「何ぃ! 勉強もしないで寝てるぞこいつ」とばかりに家主(弟)を横目で見つつ、本棚を物色(ちなみに私の辞書には「プライバシー」という文字はない。それに弟の部屋は12畳もあるので私が半分の6畳で何をやっても大丈夫なのだ)。 「彼氏彼女の事情」やCLAMP「X」などを見つけ、「えっ?」と言いながらもヒーターをつけて読み始める。とりあえず弟の録りたて邦楽ヒットチャートなMDもコンポで再生してみる。そして一応かぶせてある毛布をずらしてハムのかごをのぞいてみる。 このタイミングなのだ。彼が起き出すのは。私のたてた足音および生活雑音および蛍光灯の光を確認するや、古代の墓のようになっているうずたかきティッシュの中から這い出してくる。そして私の顔を見るやいなやかごの側面に向かって突進、針金のかごにとりついてあれよあれよと天井にのぼる。 さらにかごの天井にぶら下がって、小学校でやったうんていのように軽やかに天井を移動する。手がすべってころんと落ちると今度は回し車にのってくるくる回り出す。 呆気にとられながらも、誰もハム餌をやってないことに気づいた私がえさばこを出して補給しようとかごのふたを開ける。そして手を入れた途端、ハムは回し車から側面に猛進。再び側面から天井にぶら下がりうんていでふたに向かい、あいた空間からかごの上部へと今度はけんすいするのだ。 細い針金のかごによって内臓が二つ折りになるのではないかと思えるような体勢だ。水の入ったビニール袋をテーブルの端っこに置くと二つ折りになってぶら下がるがあんな感じである。 (痛くないのか、お前!) そんな叫びはよそに懸命にのぼってかごから出ようとする。出ると今度は私の腕によじ登る。セーターをかじる。 (ああ、ひとけがないと活動しないハムスターよ。明るいのに大丈夫か。夜行性だろ!?) 私は呆れる。でもそういえば、母がやってきて毛布を開けてもここまでの反応は示さないという。寝ぼけて薄目で母を見上げるだけらしい。手にとって外に出そうとしても逃げるのだそうだ。それが自発的にけんすいまでやるとはよっぽど私を気に入っているのだろうか。 好かれる覚えはない。恨まれるほうが自然だ。ほとんど実家にいないし、幼いこいつが太りすぎだった頃は動きが鈍いのを面白がり、外に出してはハムが苦しがらない程度に軽く手で握り「太い太い!」と笑う。そしていつも脂肪たっぷりのピーナツ(そのころは体に悪いとは思ってなかった)をやっていた。思えばひどい人間だった。 走馬燈のようによみがえる数々の悪事。必死で私のセーターにしがみつくハムにどうしようもない罪悪感をおぼえた私は、しょうがないからえさ箱をあきらめてハムを手のひらに乗せる。寂しがり屋(そしてちょっとマゾ)ハムスターめ。 ---- 「何だ、お前も意気地なしか。絵に描いた偽物の龍は好きなのに、本物の龍は怖いの?」 |
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| 00/2/16(水) pm | 愛しても何もない |
| 仙台に帰ってきた。
今回の帰省で、ひとつ気づいたことがある。それは、実家を「自分の家」とは思わなくなっていることだった。 前からうすうす感じてはいたが、実家は真に落ち着く場所ではなくなっている。むしろあまり落ち着かない。家族といるのが嫌なわけではなく、むしろ面白いが、それでも自分が「帰ってくる」場所ではないような気がして仕方ない。 自分の居場所がないからかもしれない。実家に自分の部屋がそのままにしてあるという話を友人から聞くこともあるが、うちの場合、私が引っ越したら私の部屋は見事物置きになって足の踏み場もなくなっている。 だから私は帰省すると必ず客間を一時の宿にする。あとはジプシー生活でいろんな部屋を渡り歩く。ビデオ鑑賞とゲームなら弟の部屋、テレビを見るなら台所、夜に間食するときは両親の部屋、夜中のネットは茶の間、という具合である。自分の部屋なら移動しなくても済んでしまう機能が分散しているため、落ち着かないのも仕方ないかも知れない。 しかし実家の中での違和感だけでなく、今回は町に対する違和感もあった。確かに「故郷」ではあるけれど「生活する場所」ではないという感覚。 もう私は仙台の人間になってしまったのだろう。前は実家から戻ってくるときに緊張感があったものだが、今回は乾いた仙台の道路を見たら何だか安心した。 いつの間にか仙台がとても好きになってしまったのかもしれない。家族もないし家もないし、確かな自分の所有物もないのに街だけ好きになってどうする。 「報酬は入社後並行線で 東京は愛せど何にもない」 という椎名林檎の詞がふと浮かんだ。 |
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| 00/2/14(月) am | 病床の読書 |
| ずっと寝ていたのだが、ヒマなので本を読んでみた。
「はじめての構造主義」(結局読んだんかい)と「少年A この子を生んで…」をかわるがわる読んで気持ち悪くなってしまった。 いや、「はじめての構造主義」の方は文章がなかなか歯切れ良くとても読みやすかったのだが「少年A」の方はちょっと重すぎたらしい。 内容は神戸小学生殺人犯の両親による手記なのだが、これが何とも言えない違和感に満ちていて途中から気分が悪くなった。特に父親が逮捕の日からつけている日記には違和感を覚えた。 見た目は、それまでずっと愛し信じていた息子が犯人として逮捕され、それを受け入れられない動揺や混乱、その後の騒動による疲労などがうかがわれる文章だといえる。だが、はたと考えてみるとおかしな感じがする。 日記に書いてあるのは、自分がその日やったこと、自分の家族がどんな様子だったか、息子との思い出や、自分が息子をどう思っているか、が中心。逮捕直後から日記の最後の日付までそれは一貫している。でも何か大切なことが欠落している。普通の日記ならそれでよいかもしれないが、息子が殺人犯だとわかった時の日記にしてはおかしい。 もし自分なら、どんな日記を書くだろう…と考えてみて、その違和感の正体がわかった。被害者やその遺族に対する記述が少なすぎるのだ。全く出てこないわけではないが、ほとんどは刑事や弁護士との間で被害者の家族への対応の話になった、という記事の中で「申し訳ない」と書いてあるだけだ。 日記は記録だけでなく自省の場でもあるはずだから、自分が深く思い悩んだことは一応書くだろう。犯人が息子だと信じられずにいる動揺のせいであまり書いていないのだろうか、とも思ったが、それにしても少なすぎる。まる1日分くらいは、被害者に対する思いが何行も連ねられていても良さそうだと思ったのだが…どうなんだろう。 私の主観だが、被害者の立場に対する想像力が欠如しているような印象を受けた。お詫びの言葉はあるけれど、相手の立場を細やかに、真にリアルには想像できていないような印象。本にするとき意図的にその部分を削って載せるということもあり得るが、そういう部分を削るとも思えない。 怖くて被害者宅に出向けなかった、と書いてあった。この日記の期間中、遂に一度も両親は被害者宅を訪れていない。その割に、自分の息子のことや自分たちの疲労、受けた嫌がらせについては多くの紙数を割いている。そういうものなのだろうか。うちの両親だったらどうしただろう。うーん、と考えてしまった。 紙数=気持ちの大きさと一概にとることもできないのだが、やっぱり違和感は拭いようがなかった。親の立場だとそうなってしまうものなのかもしれない。責める気持ちはわかず、ただ違和感だけが残った。 ---- 私の母がしきりに映画「ライフ・イズ・ビューティフル」がいいと力説するので、どんないい話かと思って友達に聞いてみたら、ビューティフルどころかテリブル以外の何ものでもなかった。 息子に虚構の世界を与えて恐怖から救う、でも自分は苦痛の末無惨に殺される。どこがビューティフルなんだ!!と思ったのだが、どうやらこれは、親の立場になってみなければ美しさがわからない話であるらしい。 息子は確かに虚構の世界を与えられて幸せだったけれど、親が直面している苦しみを教えて欲しかった、と大きくなってから思ったかも知れない。悲しいけれど美しいとまでは思えないのだ。 自分が親になってこれを見れば「ああ、美しい…」と思えるのだろうか。 ---- やっぱり親の気持ちはよくわからない。 |
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| 00/2/13(日) am | ケーブルテレビの謎 |
| 私は流行に敏感なのか、さっそく母親のインフルエンザがうつってしまったらしい。明日実家から帰ってくるつもりだったが、様子見でもう1日滞在せざるを得なくなった。
初期症状はめまいと寒気、そして吐き気。ここからすると、母が言うには消化器系に来るタイプのインフルエンザらしい。 でも私はもともと胃が弱いので、吐き気がしても「おお懐かしい、この感じ」と思うくらいでさほどショックがない。母の薬を飲み、おいしいものを食べて少し寝ていよう。 ---- せっかくゆっくりするんだからと思ってケーブルテレビを見てみたりする。が、テレビをつけたら、なぜか胸の谷間くっきり衣装の外国人のお姉さんが次から次へと出てきてキスを投げまくる番組でショックを受ける。 やっぱり夜の11時台という時間がまずかったのだろうか。体裁はクイズ番組だがほとんど中身がない。とりあえずお姉さんのプロポーションがすごすぎて言葉を失う。顔も濃いが日本人とは肉の付き方が全然違うのだ。 今度は女の人がお立ち台で脱ぎはじめる。どうやら、クイズをちりばめながらお立ち台でいろんな人が脱ぐのがメインの番組らしい。何だか「うる星やつら」のあたるくんが毎晩見ている夢のようだ。こういう番組が存在しているとは。 確かにこういう番組は普通の民放ではまず見られないけど…ケーブルテレビ、謎だ。 |
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| 00/2/12(土) am | やっぱり向かない |
| 父の本棚を見た。敗北感にさいなまれる。
階段を上ったら、見慣れた近代文学全集と歴史小説のシリーズが積み上げられていたのだ。一体これはどういうことだと思い、父の蔵書を入れる本棚のエリアに行ったら、今までそれが入っていたはずの棚には、新書や専門書の類がずらりと…… もちろん「学校教育とはなにか」とか「日本の教師」とか、教育関係の本が多いのは言うまでもない。しかしそれだけではない。本棚を追われた近代文学全集も歴史小説のシリーズも読んだのだろう。 そして私の目線のあたりにはさりげなく「はじめての構造主義」。 一体父は、何をしているのだろうか。中間管理職には構造主義が必須の教養なのだろうか。 父は私が思っている以上に、典型的な「何事にもまず書物から入る人間」なのだろう。そういえば少し前、毎朝午前3時に起き出して本を読んでいる、と母親が言っていたっけ。 「負けた…」 私は心の中で呟いた。私なんて大学などやめた方がいいかもしれない。父の方がよっぽど勉強が向いてる気がする。だっているもん、こんな人。話もくどいし、向いてるよ。改めて、学問に向かない自分を認識した。 ---- 高校の時だって、参考書をじっくり読んで自分で勉強するより、授業で先生が言ったことを盗み盗み問題集を解きまくって自分のものにする方が好きだった。学問(特に文系)なんて初めから向かなかったのであろう。あはれ。 そんなだったら無意味ながんばりで不必要な学歴を手に入れる必要なんかなかった。思えば今まで私が頑張ったことというのは現在ことごとく何の意味もなしていない。引くもの引くものはずれくじよ。何やってんだろあたし。 がんばりゃいいってもんじゃなかったのだ。頑張って何が手に入るかを考えて努力する、という要領の良さを身につけなくてはいけなかった。 自らの努力に対する自己満足では生きていけない。誰かに踏みつけられてのたれ死ぬのがオチであろう。どうしようもない壁にぶつかるまで、誰も私にそれを教えてくれなかった。 今教育現場でしきりに「生きる力を育む」って言ってるけど、はっきり言ってそんなこと、先生方が振りかざすきれい事の中じゃ教えられない。 誰かに踏みつけられることがあるのだと、努力して真面目に生きた方が損をこうむる時があるのだと、生徒に覚悟させてあげなくちゃいけない。踏みにじられて大損して、だけどそこで何かをつかんで立ち上がらなきゃダメなんだと。 道徳の教科書だっていい話なんて載せないで、救いようのない、暗い話ばかり載せちゃえばいい。努力する人が報われない話。そうやって疑似挫折を何度も経験させれば、一度の挫折のダメージで罪のない小学生を殺したりする人間は生まれなくなるだろう。 サバイバル道徳もいいかもしれない。中学生たちを、限られた食料を持たせ無人島に放り込む。他人への共感や同情を持っていたら自分が餓死するという、今の世間に限りなく近い状況。そんな中なら、真に実践的に「モラルとは何か」について考えることができるはず。 ---- 本が読めないくらいで自分の価値を否定するのはやめよう。父は緊急事態にはものすごく弱い。いざというとき全く使えない。試験に落ちたこともない。 本棚を見つめる生活にはもう少しでけりをつけて、早く社会に出よう。私の良さを認めてくれる場所はきっと、本棚の間にはない。 ---- |
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