妹が結婚した。
いろいろあったし考えたこともあったので細かく書いてもよかったのだが、その通りに細かく書いていたら軽く5日分の量を超えてしまったので、やめにした。
ひとことで言えば、楽しいようでいて、先が気がかりなような結婚式だった。
わが身の情けなさやみじめさを再認識し、やっぱり自分は結婚できないだろうということが嫌というほど思い知らされ、ひるがえって自分へのプレッシャーが少なくて済むから妹の結婚が早かったのはよかったとほっとした。
私のキャラを知り尽くしている母方の伯母が言った。「あんたは、自分のやりたいことをやってから結婚すればいいんだからね」
---- これでいいのだ、と思うのは、案外エネルギーの要ることだ。
周囲を巻き込んで取り返しのつかない事態を現出させてもなおひとりでなくなろうとするのと同じくらいには。
われとわが身をふるいたたせて、背すじをのばしてひとりで行こう。
これでいいのだ。何も残らなくても、誰もこっちを向かなくても。この世界にはひとかけらも、私の物はない。
---- バイト先(ちなみに塾ではない)で、上司が「先生」と私にあだ名をつけているらしいことを今日知った。「大先生」とか「先生」とか、私の苗字に付けて呼んで小馬鹿にしているようだ。
今日、その上司(社内ではただの平社員なんだけど)と親しそうな女性社員が一緒に打ち合わせをしているところに私が来合わせ、私の名前に「先生」を付けて呼んだのが偶然耳に入ってきて初めて知った。
前から粗悪だ粗悪だと思っていたがこれはまた本物の粗悪人間だったのね、と改めて思った。この間のバイトの時にお互いの出身校の話をしたからだろうかと思ったが、なぜいきなりこういう馬鹿のしかたになるのか。
理由はすぐにわかった。その後の女性社員の会話のはしばしのニュアンスから察するに、上司はもともとはうちの大学に入りたかったらしいのだ。入りたかったけど入れなかったという過去があるらしい。
この感覚は覚えがある。よくある、あれだ。男が女に能力的コンプレックスをぶつける時のあの感じ。
小学生くらいの頃から、私はよく男の子にこの手のコンプレックスをぶつけられた。同性からもあるにはあったが、こういう理由でぶつかってくるのは男性が多かったように記憶している。
だがそれも大学受験で終わったはずで、今さらになって男から能力学歴コンプレックスをぶつけられるとは思わなかった。
何だかよくわからないが、言葉の感じや上司の性格から積算すると、私の今までの仕事のやり方や大学名などいろいろな原因が複合されて、上司は私に能力や学歴面でのコンプレックスを持ってしまったらしい。侮蔑的あだ名はその表れのようだ。ああ、ますます粗悪な。
高校生の頃までは、能力的(主に学校の成績なんだけど)コンプレックスを抱いて私にぶつかってくる異性が時々いた。でもぶつかり方は様々で、そこにはその人の品性がよく現れる。
高校の頃、模試の成績がわたった直後に決まって私の成績表を奪っていって自分のと比べるクラスメートの男の子がいた。だが彼は自分の方が成績が悪くても私に向かって悪態をつくような真似は何一つなかった。黙って私に成績表を返してくれた。勝ったの負けたのという陳腐な騒ぎ方は一切しなかった。
心の底では「くそっこのブス女め。勉強しかできねぇくせに」と思ったことがあったかも知れないが、たとえ思っていても何一つ出さなかったという態度が彼のプライドを物語る。相手をおとしめるということは、自分の負けを認めることだ。自分を否定せず、自分を信じ、人をおとしめて自分の品位を落とすような行動をとるまいとする、彼の自尊心の高さがうかがい知れた。
(そういえば彼は女の子に対してむやみと愛想がいい軽薄なキャラクターだった。だが、恋愛対象になるような魅力的な女子生徒も、自分がコンプレックスを抱いている私のような魅力なき女子生徒も、明確に区別した扱いなどはしなかった。
男はよく床の間の花的女の子と台所のおたま的女の子の間にむきだしの残酷な区別をする(特に酒席)が、彼はそういう区別意識が表面上では全くわからず(これが重要である)、この点でもあれは希有な人だったと今でも時々思い出す。
私の目で簡単にわかってしまうような似非フェミニストではなく、かなり徹底したフェミニストだったからこそ、女に対するコンプレックスの対処もうまかったのかもしれない。)
話がそれたが、要するに、能力面での嫉妬処理の仕方は男性の品を反映するのである。特に、嫉妬の相手が女だった場合は。
最低なのは「ブス女」「あんな女一生結婚できない」とかセクハラ発言で相手をおとしめる場合。下の下である。
字面だけの褒め言葉で相手をおとしめるという今回のは、まあありがちなところだろう。だがそれにしても「大先生」などという安易な言葉であからさまに相手を小馬鹿にしている点で自分への誇りが全く感じられず、下の上か、中の下といったところだろうか。
もっと自分の今の立場と仕事に誇りを持って欲しい。仕事に誇りを持てば、仕事の障害となるようなコンプレックスをむき出しにして職場の人間関係をおかしくするような真似はできなくなるはずなのに。
せめて、完全に私のいないところで小馬鹿にするだけの分別はないのか。十分聞こえる場所で言っているあたりも粗悪さを感じる。
個人プレーの仕事(そんなのないだろうが)ならともかく、協力して仕事を進めなければいけないのに、こんな簡単なコンプレックスにもメタメタになる奴が相手だと効率が悪くて仕方ない。本当に自分の仕事に誇りを持っているなら大学名ごときでぐらぐらしないものだ。私も上司も、同じ仕事をしている点では同等なのだから。
こういうガキっぽい価値観を持った奴が同僚にごろごろいる危険性を少しでもなくすためにも、私はこの街にいてはいけないのかもしれないと思った。この街にはいそうだ、こんな奴がもっと。
---- 菫は薔薇にひけをとらない、という言葉が何かの小説にあった。自分に誇りを持ち、どんな相手とも対等に渡り合えるような人になりたい。経歴や年齢ではなく、純粋に自分の今の仕事に誇りを持つような生き方をしなければ。
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