好きだと言おうマイライフ。

 

 

 

00/11/30(木) pm 刺激が欲しい
いろんなことがあるくせに、それでも「刺激が足りない」と真面目に思うのは、病気なのだろうか。

見慣れた物ばかりで、本当に、退屈。欲しいのは胃壁を焦がすような刺激。

 


日記猿人投票ボタンです。
初めての人はちょっと手間かも。

1行メールボタンです。
内容は空でも結構です。



00/11/29(水) pm これでいいのだと思うこと

妹が結婚した。

いろいろあったし考えたこともあったので細かく書いてもよかったのだが、その通りに細かく書いていたら軽く5日分の量を超えてしまったので、やめにした。

ひとことで言えば、楽しいようでいて、先が気がかりなような結婚式だった。

わが身の情けなさやみじめさを再認識し、やっぱり自分は結婚できないだろうということが嫌というほど思い知らされ、ひるがえって自分へのプレッシャーが少なくて済むから妹の結婚が早かったのはよかったとほっとした。

私のキャラを知り尽くしている母方の伯母が言った。「あんたは、自分のやりたいことをやってから結婚すればいいんだからね」

----
これでいいのだ、と思うのは、案外エネルギーの要ることだ。

周囲を巻き込んで取り返しのつかない事態を現出させてもなおひとりでなくなろうとするのと同じくらいには。

われとわが身をふるいたたせて、背すじをのばしてひとりで行こう。

これでいいのだ。何も残らなくても、誰もこっちを向かなくても。この世界にはひとかけらも、私の物はない。

----
バイト先(ちなみに塾ではない)で、上司が「先生」と私にあだ名をつけているらしいことを今日知った。「大先生」とか「先生」とか、私の苗字に付けて呼んで小馬鹿にしているようだ。

今日、その上司(社内ではただの平社員なんだけど)と親しそうな女性社員が一緒に打ち合わせをしているところに私が来合わせ、私の名前に「先生」を付けて呼んだのが偶然耳に入ってきて初めて知った。

前から粗悪だ粗悪だと思っていたがこれはまた本物の粗悪人間だったのね、と改めて思った。この間のバイトの時にお互いの出身校の話をしたからだろうかと思ったが、なぜいきなりこういう馬鹿のしかたになるのか。

理由はすぐにわかった。その後の女性社員の会話のはしばしのニュアンスから察するに、上司はもともとはうちの大学に入りたかったらしいのだ。入りたかったけど入れなかったという過去があるらしい。

この感覚は覚えがある。よくある、あれだ。男が女に能力的コンプレックスをぶつける時のあの感じ。

小学生くらいの頃から、私はよく男の子にこの手のコンプレックスをぶつけられた。同性からもあるにはあったが、こういう理由でぶつかってくるのは男性が多かったように記憶している。

だがそれも大学受験で終わったはずで、今さらになって男から能力学歴コンプレックスをぶつけられるとは思わなかった。

何だかよくわからないが、言葉の感じや上司の性格から積算すると、私の今までの仕事のやり方や大学名などいろいろな原因が複合されて、上司は私に能力や学歴面でのコンプレックスを持ってしまったらしい。侮蔑的あだ名はその表れのようだ。ああ、ますます粗悪な。

高校生の頃までは、能力的(主に学校の成績なんだけど)コンプレックスを抱いて私にぶつかってくる異性が時々いた。でもぶつかり方は様々で、そこにはその人の品性がよく現れる。

高校の頃、模試の成績がわたった直後に決まって私の成績表を奪っていって自分のと比べるクラスメートの男の子がいた。だが彼は自分の方が成績が悪くても私に向かって悪態をつくような真似は何一つなかった。黙って私に成績表を返してくれた。勝ったの負けたのという陳腐な騒ぎ方は一切しなかった。

心の底では「くそっこのブス女め。勉強しかできねぇくせに」と思ったことがあったかも知れないが、たとえ思っていても何一つ出さなかったという態度が彼のプライドを物語る。相手をおとしめるということは、自分の負けを認めることだ。自分を否定せず、自分を信じ、人をおとしめて自分の品位を落とすような行動をとるまいとする、彼の自尊心の高さがうかがい知れた。

(そういえば彼は女の子に対してむやみと愛想がいい軽薄なキャラクターだった。だが、恋愛対象になるような魅力的な女子生徒も、自分がコンプレックスを抱いている私のような魅力なき女子生徒も、明確に区別した扱いなどはしなかった。

男はよく床の間の花的女の子と台所のおたま的女の子の間にむきだしの残酷な区別をする(特に酒席)が、彼はそういう区別意識が表面上では全くわからず(これが重要である)、この点でもあれは希有な人だったと今でも時々思い出す。

私の目で簡単にわかってしまうような似非フェミニストではなく、かなり徹底したフェミニストだったからこそ、女に対するコンプレックスの対処もうまかったのかもしれない。)

話がそれたが、要するに、能力面での嫉妬処理の仕方は男性の品を反映するのである。特に、嫉妬の相手が女だった場合は。

最低なのは「ブス女」「あんな女一生結婚できない」とかセクハラ発言で相手をおとしめる場合。下の下である。

字面だけの褒め言葉で相手をおとしめるという今回のは、まあありがちなところだろう。だがそれにしても「大先生」などという安易な言葉であからさまに相手を小馬鹿にしている点で自分への誇りが全く感じられず、下の上か、中の下といったところだろうか。

もっと自分の今の立場と仕事に誇りを持って欲しい。仕事に誇りを持てば、仕事の障害となるようなコンプレックスをむき出しにして職場の人間関係をおかしくするような真似はできなくなるはずなのに。

せめて、完全に私のいないところで小馬鹿にするだけの分別はないのか。十分聞こえる場所で言っているあたりも粗悪さを感じる。

個人プレーの仕事(そんなのないだろうが)ならともかく、協力して仕事を進めなければいけないのに、こんな簡単なコンプレックスにもメタメタになる奴が相手だと効率が悪くて仕方ない。本当に自分の仕事に誇りを持っているなら大学名ごときでぐらぐらしないものだ。私も上司も、同じ仕事をしている点では同等なのだから。

こういうガキっぽい価値観を持った奴が同僚にごろごろいる危険性を少しでもなくすためにも、私はこの街にいてはいけないのかもしれないと思った。この街にはいそうだ、こんな奴がもっと。

----
菫は薔薇にひけをとらない、という言葉が何かの小説にあった。自分に誇りを持ち、どんな相手とも対等に渡り合えるような人になりたい。経歴や年齢ではなく、純粋に自分の今の仕事に誇りを持つような生き方をしなければ。

00/11/24(金) am バーチャル小ネタ

勤労感謝の日にバイトしてました。

----
友人の同僚が、オフ会で知り合った人と結婚することになったらしい。

私は見知らぬ人とのオフ会は怖いから、あまり行く気はしない。そんな私から見ると、いきなりオフ会に飛び込んでいけるその感覚は信じられないというか、まったく尊敬する。

たぶんサイトの性格にもよるのだろう。研究サイトとか趣味サイトとか、個人的な問題に踏み込まない、あくまで表面上の明るいおつきあいが保証された場なら行ってもいいかなあと思う。しかし私が見ているのはプライベートな日記サイトばかりだし、何だか実際の姿を見るのは互いのためにならないような気がする。

第一、会話が怖いだろう。初対面なのに個人情報をよく知っている(というか知りすぎている)という薄気味の悪さ。そういう状況は、バーチャルな世界では平気でも、リアルの中に持ち込まれると生々しすぎてダメだろう。それとも、案外以前から知っている友達のような親近感がわいてその気味悪さを踏み越えることができるのだろうか。

----
最近、せっかくのiモード端末をもっと有効に楽しく使う手だてはないものかと思い、情報誌を買った。そこで知ったあるゲームのサイトが大好きになってしまい、毎日iモードに接続している。電話代を見るのが怖い。

ゲームの内容は、まめつぶに言葉を教えるという「どこでもいっしょ」のようなものなのだが、育っていくと聞くと育てずにはいられずについつい毎日言葉を教えに行ってしまう。

「まめた」という名前をつけて育てているのだが、今のところ「藤井隆」「どうでしょう」(テレビ番組)「チュニジア」などおかしな言葉しか覚えさせていない。最初は大豆のようだったまめたも、1日6回のおしゃべりを続けていたら昨日そら豆のような形に成長した。言葉遣いも、赤ちゃん言葉から優等生タイプの小学生のような話しぶりになった。こうなるともうやめられない。

まめたに「ねえ○○(連打屋の本名)」と話しかけられるのが嬉しい。最近本当に誰とも話らしき話をしていないということに気づいて愕然とする。それを埋めるためにバーチャルなまめつぶと話しているのは危ないんじゃないのか、などと思いつつも毎日話をしに行ってしまう。

ああ、こんな遊びに使うはずじゃなかったのに……

00/11/23(木) am だめだこりゃ

久しぶりに、学校に長く残っていた。

授業後、祖父の容態がもうさすがに悪くなってきたので、家の今の状況も含めて教授に話しに行った。2人教授がいて、両方に話しに行った。授業を欠席する可能性があることを言うとすぐに理解してもらえた。これからは平日でも実家にいられる日を増やせる。

こういう感情的な問題について理解してもらえたことに安心した。家族に対する情とかそういうことに理解が早いのはこういう専攻ならではなのかもしれない。理系だったらこうすんなりは行かなかったかもと考えたら、初めて理系でなくてよかったと思った。

それにしても、話しながら涙が出てきて困った。真面目に話すのはよくないらしい。事務的に話すなら別として、真剣に静かなトーンでこの話をするとどうもいけない。父を亡くすのと同じことなのだと冷静に考える余裕ができるからだろう。

でも、今時祖父のことを話して泣き出す20代なんて普通いないから、涙なんて流したらナルシストだと思われると思って必死にこらえた。祖父母と同居するという状態がなくなっている現代にあって、父や母ならともかく、祖父の死が本当に悲しいというこの心境は理解されにくそうだ。特に「寿命だよね」発言が出る人からは絶対変な人扱いされるから言わないようにしよう。

今はとても不安定だと自分でも思う。いったん祖父本人のところへ行ってしまえば決して涙など出てこないのだが、本人に何も出来ない状態で祖父のことを思い出すと悲しくなって仕方ない。そのせいか、老人が主人公の小説を読むと泣けていけない。

今日も、学校の机の上にあった芥川全集(私のものではない)の中の「戯作三昧」を何気なく読み返したら涙が出てきてどうしようもなかった。こないだは実家で森鴎外の「じいさんばあさん」を読んで涙が出てきてしょうがなかった。浅田次郎の「うらぼんえ」もただひたすら涙。だめだこりゃ。しばらくじいさんネタの小説は読まないことにしよう。

00/11/22(水) am もうすこしだけ

今日は本当に疲れた。さすがに、授業後にゼミを4時間やると目も赤くなってくる。私より年上の人がひとりもいなかったのでしゃべりまくったせいだろうか。私なんぞがしゃべりまくってよかったんだろうか。疑問が去らない。

部屋についた時には10時を回っていた。しばらく休んで、11時頃実家に電話をかける。

「じいちゃん、もうあんまり長くないよ」

母が言った。祖父はもう歩けない。私が帰郷した日に歩けなくなって以来、もう車椅子に乗らなければ移動できなくなってしまったという。祖父は秋口に声がつぶれて以来、ひそひそ話のような声しか出せない。祖父が元気に立って歩き、大声で笑うところを見ることは二度とないのだと思うとひどく悲しい。

ひとりでごはんも食べられないという。私が仙台に帰ってきた翌日から、手がふるえて食器やスプーンを持てなくなってしまったのだ。ここひと月でがっくりと落ちた祖父の体力に、私はただ呆然とする。

この間の祖父の具合の悪さは、実は抗癌剤の副作用ではなかったのである。病院に帰ってきた直後の検査でそれがわかった。長く一時帰宅していた2週間の間に、祖父の癌は入院前の大きさよりもさらに大きくなっていたらしいのだ。つまり、今までの治療の結果が全くの無に戻り、さらに悪くなったという状態だったらしい。歩けなくなったこと、辛そうにしていたことは、すべて病巣の拡大に伴うものだったようなのだ。

「ひとりで病院に置いてくるのがかわいそうで……」

歩けなくなり、食器も持てなくなった祖父の姿を目にして、母の口から初めて感傷的な言葉がもれた。

動き回って働くのが大好きな祖父にとって、思うように歩けなくなるというのはどんなに辛いことだろう。それでも妹の結婚式に出たいという一心で、祖父は抗癌剤の点滴を受けたらしい。

私は本当ならこの前の日曜にも実家に帰るつもりだったのだが、雑用に手こずって帰れなくなってしまった。祖父の病院にだけでも、せめて見舞いに行けばよかった。

「昨日はだいぶ顔が腫れていたんだけど、今日は少しよくなったみたい。お父さんに言わせると、それがこないだの抗癌剤の効果なんじゃないかっていうんだけど……でも、もう抗癌剤は打てないから、今度顔が腫れたらもう駄目なんだよ」

----
2週間で前以上に悪化したような病気なのである。これ以上何の治療の手だてもなく放っておいたら、もしかすると年内もたないのではないだろうかという危惧が頭をよぎる。喪服を買っておきなさいという母の言葉が現実感を伴ってずしりと重たい。

数日前に見た祖父の夢では、私は祖父に「会えてうれしかった」と、まるで関係を総括するような感謝の言葉を口にしていた。母の言葉で、その夢を思い出した。

祖父がはじめに病気だとわかる前、私は今年に入って何度も祖父が亡くなる夢を見た。夢を見るたびに両親に電話をかけたが、きまって私の危惧は一笑に付されていた。思い返せばあの時から、祖父の病は見えないところで進行していたのだ。そこから考えると信じたくないが、祖父に関する私の夢は暗示的で、極めて正確なのである。

夢などという曖昧なもので未来が測れるとは思いたくないが、もしかすると私が思う以上のスピードで別れが迫っているのかもしれない。この間の夢の内容を、私はとうとう母に話さなかった。

00/11/19(日) am 目にしみる
ああ、目にしみるほどひとりだ。

----
何だか殺人的に忙しい。休みが全然ない。休みがあっても実家に帰って働くから結局疲労は普段の2割増しだ。

その上、部屋のエアコンが壊れた。とても寒い(暖かさ稼ぎ頭のエアコンが壊れて動かないんだから当然なんだけど)。電気屋さんに見てもらったら、モーターがいかれてもうダメらしい。

このエアコンはもともと部屋の備え付けなので、大家に聞かないとこの先の処理はわからないそうだ。だが大家は全く見知らぬ東京の人でこっちにはいないから、連絡ひとつにもマンションの会社を通さないといけないのである。

連絡したところで、大家の判断とエアコンの新規購入かあるいは修理かどちらかわからないがとにかくまた時間がかかるだろう。この先一体何日この状態が続くのだろうか。山沿いはもう雪が降る季節なのに。勘弁してよ。

とりあえずうちにはホットカーペットがあるので、1日のほとんどはバイトで家を空け、家にいる間はカーペットの上にいることにした。でもパソコンに向かうときは結局離れなければいけないし、部屋の空気そのものが暖まらなければ洗濯物も乾かないし、やっぱり寒い。

寒くて寒くて、どこかに逃げ出すか泊まりに行きたい気分なのだが、適当な場所が全くない。甲斐性のある人の場合はこういうとき付き合っている異性の元へ行くのだろうが、私にはそういう甲斐性はない。他人の恋路も邪魔したくないのでやっぱり友人の部屋には行ってはならないだろう。実家に帰ればいいのだろうが、寒さはしのげても精神的体力的に摩耗するからどうしようもない。そうなるともう学校くらいしか思い当たらない……ってここも摩耗するか。

こういうときに思うけど、女にとっちゃ異性を引っかける能力ってのは本当にサバイバルな能力に違いない。体力からカネや名声にいたるまで、力のあるやつに寄生すれば思いのままだ。なんて甲斐性のあることであろう。しかもそれが、「かわいい」という名の下にすべて許されてしまうんだから。男だったら「ヒモ」と呼ばれ罵倒されるにもかかわらず。

それにひきかえ、自分、ほんとこの甲斐性なし。いや、これじゃあんまりだから「甲斐性なし」ではなく「依存心なし」と罵倒しておこう。この依存心なし!

まあだけど、エントリーシートに「異性に関しては運も縁も夢も幻も、これっぽっちも持ち合わせていません」と書いたところで特にマイナスポイントにはならないんだから良しとしよう。社会の中では表向きはこの能力を正当な能力とは認めていないんだから。

----
私に甲斐性が認められるのはバイトにおいてのみである。これだけは外見フェロモン関係無しなので全くもってやりやすい。拘束具で体を縛ってATフィールド&戦闘能力全開で、スケジュールつめこんで内部電源ギリギリまでがんばればよい。

人間関係はあくまで表面的に。人との感情的な関係など信じたら終わりである。職場で信頼があるとすれば、それはあくまで相手の仕事能力に対する信頼、人間関係があるとすればあくまで仕事がうまく進むための関係、それだけでいい。私はカネを稼ぐ場で仲良しごっこをやりたいわけではないし、そういう面倒くささを背負っても平気なほどの若さはもう持っていない。

なんて、そんなことをやっていたら、いつか電源が切れたとき拘束具をぶち破って相手を食べそうで怖いな…。

----
ウェブのアルバイトはとうとう私ひとりになった。こないだの無断欠勤バイトの人がリストラされたようである。一週間も無断欠勤したら無理もないだろうが。

ひとりで仕事をすることには不安があって、不安要素を何とか埋めていかなければならない。言語系がもっとわかるようになって、flashとかアニメgifとか動く画像に強くならなければ。

それ以上に、きちんと手順を踏んで仕事ができなければいけない。自分なりのワークフローとかラフとか、コミュニケーション能力に乏しい上司との溝を埋めるためにもヘタでもいいからきちんとしたのを作るようにしようと思っている。仕事は出来る限り前倒しで。

本当にできるようになるだろうか。とりあえず、今は特にウェブの仕事がないので、会社の好意でflashの練習をさせてもらっているのがありがたい。

----
こういうことを毎日考えたりしていると、ちまたのファッション的ないわゆる「シューカツ」がアホらしく思えてきてならない。会社に「とにかく働かせてくれ!」と頼んで、死ぬ気で働いて、給料を勝ち取るのが仕事なんじゃないのか。会社の方が、能力がなきゃすぱすぱ切ればいいんじゃないのか。その方がずっと納得がいく。

やれ効果的な自己PRだの、アパレル・マスコミはかっこいい系のスーツだの、果ては写真もいいのを撮れだの、そんなの仕事とどういう関係があるのか。なんだそりゃ。実際企業に入って、自己PRする仕事なんてあるのか。そういう仕事がないのに、そんな能力をはかってどうするんだろうか。ヘタしたら、自己PRは下手だけど仕事はすごいっていう人を平気で見落とすんじゃないのか。

表面的な愛想がよくて何でもそつなくこなすタイプばかりが内定をとっていくという風景を見ると心からそう思う。面接での受け答えが重要なんて、あんたらは口先のうまい詐欺師でも雇いたいのか。以前見た、男のゴキゲンとりをして恋愛イベントが発生するネオロマンスゲームと同じような滑稽さを感じる。

自分の生死を賭けて必死にカネを勝ち取るのが仕事なんだし、私はもっと違うやり方で自分の仕事を決めたいのに。

00/11/15(水) am 手一杯

あーホント真面目に出家でもしようか。

----
帰省する日の前夜、祖父の夢を見た。

私は両親や祖父と一緒に車に乗っていた。後部座席の、運転席の後ろの席である。祖父は、助手席の後ろの席に座っていて、前には両親。交差点で右折を待つ私たちの車の車体右側に、いきなり車が突っ込んできた。ぶつかってきた車は運転席後ろの私の上にのしかかり、私は手の指を失う。

場面が変わって、私は祖父と一緒に実家の畑に立っている。祖父が私の隣にいて、私が祖父の手を引いて歩く。「だけど、じいちゃんに会えてうれしかったよ」……私はそう言って、祖父の手を握りしめる。そして目が覚めた。

何だかいやな後味の残る夢で(何しろ自分が事故に遭って指をなくしたのがショックで)、私は泣きながら目を覚ました。

----
帰省して、駅から母の車に乗り込んで祖父の様子を聞いた。せっかく病院から一時帰宅しているというのに、「さびしい」「帰ってこなければよかった」と言って、ごはんも食べられないという。抗癌剤の副作用もまだ残っているようで、今までにない具合の悪さらしかった。

翌朝顔を合わせた祖父は元気が全くなく、こたつにすわってもそばの枕に寄りかかっている。頭すら重たそうに、気持ち悪そうにしてうつむき、額をこたつの台の上にのせたりしていた。病院のことを話してなぜか両目からぼろぼろ涙をこぼしていた。

結局、祖父は予定より1日早く病院に戻ることになった。送っていって、病院に入るとき、ひとりで歩くこともできなかった。

癌だということは、祖父本人も、妻である祖母もみんな知っている。はっきり「肺癌」「抗癌剤」という言葉が使われるようになっている。だがふたりとも、癌という病気や手術ができないということの意味を全くわかっていない。

母や父が「これ以上の抗癌剤治療は辛いだけだからしばらくやめたら」と言っても、祖父は全く首をたてに振らない。自分の体がここまで弱っているのはすべて薬のせいなのに、この治療を受けさえすれば癌が完治すると思っているのだ。祖母も同じで、二人ともこれが単なる延命治療に過ぎないことを全くわかっていない。

自分のQOLを著しく損ねても抗癌剤の副作用に耐え続けようとする祖父の姿が痛々しい。

----

少し前、大学の先輩に祖父が癌だと言ったら祖父の年齢をたずねられた。「80です」と答えたら「寿命でしょ」とあっさり言われた。ショックだった。

確かにそうだ。80なのだ。今さらあがいたって寿命で、死ぬのは間違いないのだ。完治して生き続けたいと思うことが、他人から見たらさぞ滑稽に違いない。母でさえ言う、「治るつもりでいるんだから」と。

寿命だし、死ぬのはしょうがないし、本人が生き続けようと思っていることや、周囲が悲しむということすら、他人から理解されないのかもしれない。無駄なあがきでさぞばかげて見えるに違いない。

息子である父や、妻である祖母はそれこそ気が違ったように必死に祖父を生きつづけさせようとしている。孫だから、父や祖母よりはクールな私も、泣くほど辛い状態を経てもなお必死に生にしがみつこうとする祖父の姿を見ると、そこまでしたいならできることなら生き続けさせてあげたいと思う。

80の癌の老人を、それでも生き続けさせたいと必死になることは、端から見たらばかげたことだ。周囲も本人も疲れるだけの、無駄なあがきである。だけど家族が死に瀕するっていうことはそういうことなんだと最近気がついた。見苦しく、愚かで、外側の人は決して理解できないのだろう。

----
4つのバイトをこなして、一応学業もやって、時々帰省して家を手伝って、何だか生きていくのに手一杯である。私の両親も、平日は仕事と祖父の見舞い、休日は祖父の介護をし、母方の祖母宅へ行って家事をし、生きていくのに手一杯だ。

私は私自身の問題を誰に相談することもなくひとりで処理することと、長女としての役割の両方を無言のうちに求められていて、ますます、生きていくのに手一杯になる。そんなことしなくていいといくら両親が言ったところで、本心は違うことを私は見抜いている。

そんな生活を送っていたら、学校のぬるい感じにすっかりなじめなくなってしまった。他人の心証を気にしたり、恋愛沙汰に浮かれていたり、そういうものが下らなくて不愉快で、今は話すら聞きたくない。結局そういうことは、生きていくのに余裕のある人、つまり「ヒマな人」にしかできない芸当なのだろう。

00/11/10(金) am 腹立たしい1日

久しぶりに日記を書いた。一応毎日パソコンには向かっていたのだが、気力体力減退気味の日はネタも不完全燃焼なので消してしまい、今までまともなものが書けなかった。

----
それにしても今日は腹立たしい1日だった。

調子がイマイチの体でバイトに行くと、同僚のバイトがえらく顔色の悪い様子で30分遅刻してきた。どうも普通の顔色ではない。もともと性格が合わないので全く興味はないが、怖いのはその人から私にウイルス性の病とかが伝染することである。

私以上に不摂生な生活をしていることは見ればわかるし、煙草で肺は弱ってるはずである。しかも数ヶ月も前から咳をし続けている。

農学部の知人の研究室で結核患者が出たという話を聞いてから、理系の不摂生そうな輩がいたらくれぐれも結核に気をつけようと思っている(ちなみに、うちの研究室の場合は結核になるほど時間の拘束はないので理系よりは大丈夫そうと勝手に思っている。就職情報サイトで「その他」扱いの専攻なんだからそのぐらいの恩恵はあっていい)。

もろもろのことで私は普段からこの同僚にはあまりいい感情を持っておらず、風邪をひこうが咳をしようが相手は普段から他人への思いやり的言動はひとかけらもない輩なので私も注ぐ思いやりなぞはない。人間関係はやはりギブアンドテイクであろう。自分が優しくしなかったものは、他人から優しくされるわけはない。自分からコミュニケートしないで相手からの働きかけのみで人間関係が成立するなんて真面目に思っている奴は万死に値する。

しかし今は事態が事態だ。大体こんなやつである。友人関係もさぞかし嫌な奴満載で、不摂生生活野郎が徒党を組んでいるであろう。農学部の人でさえ結核にかかるんだから、浮世離れで名高き理学部はさぞあぶなそうである。

それにこの間、NHKの中高年自殺者の遺書を読む番組でえらいコメンテーターが言っていたじゃないか。「相手への無関心、それが自殺の一因になるのです。過労が続いて自殺した方の上司は、あとでこう言ったそうです。『そんなに仕事をしているとは知らなかった』……もう少し、上司が部下の勤務に関心を持っていたら」って。浮き世をはるか飛び立ってあの世に行く可能性だってなきにしもあらず。嫌な奴でも隣でバイトしていた奴が次の日死んだら寝覚めが悪いじゃないか。死んだらみんないい人化するし、「やな奴だったんで関心ありませんでした」なんて言ったらすっかり私が悪者だ。

と思っていたら、その同僚がトイレに立った。トイレは当然のことながら廊下にあるが、普通はトイレの物音なんて聞こえない。しかしその直後、パソコンに向かう私の耳にものすごい音が聞こえてきた。

「ぐぇほーっ、げほっげほっげほっ、げほーっ、げほっ、ごほっ…ごふごほげほーっ……!!(以下略)」

という音が、5分くらい。

(やばい、やばいよ)

私は焦った。まるで死にそうな咳だ。気管に癌がある祖父の咳も時々死にそうに苦しそうだが、あれとも全く違う咳。よく時代劇で結核にかかった吉原の女郎がすさまじい咳をして喀血するときのやつによく似ている。いや、時代劇の咳より数倍激しい。私は真面目に心配になってきた。もしかして今ごろ血を吐いているのかもしれない。これはやばい。

「結核は恥ずかしいことじゃないです、むしろうちの研究室じゃステイタスですよ。かかりたがっている人やかかってる女の子を草の根分けても捜したいと思ってる人の方が多いんだし、さっさと病院に入院してください。たとえ咳するふたりでも、恋の花咲くこともある……いいよーサナトリウム」とでも何でも言って病院に行かせた方がいい。

そう思っているうちに、同僚が何食わぬ顔をして帰ってきた。私はこう言った。

「あのう、○○さん、大丈夫ですか? 顔色も悪いですし、咳もなさっていますし、風邪だいぶひどいんじゃ…」

私はこれでも精一杯気を遣ったのだ。

だが同僚は素っ気なく一言だけこう答えた。

「いえ、気にしないでください」
「いや、でも何かさっきから咳が…、うちの大学で結核の人も出てたりしますし」
「こんなの1年くらい続いてますよ」

この言動はあんまりではなかろうか。どうやらこいつは、病気は自分一人のことで、周囲に迷惑をかけるなんてひとかけらも思っていないらしい。確かに死のうと生きようと君自身は勝手だと思っているだろうが、こっちは君が死んだ後に仕事を全部引き受けるわけだし、あまつさえ病がうつる可能性にさらされているのだ。

「すいません、うつしちゃうといけないんで気をつけてください」くらいの気遣いはないのか。社交辞令でも「今度病院に行こうと思っていますので」くらい言えないか。こういう奴には、「私にうつすな」とはっきり言ってやった方がわかりやすかったらしい。これでもはや、この同僚が死のうが生きようが私はどうでもよくなってしまった。勝手に死ぬなら死ぬがいいさ。

同僚はこの間ウェブ・ユーザビリティについての本を読んでさも得意そうにしていたが、こんな風に他人の立場になれない奴にユーザビリティを考えることができるとは到底思えない。あれってつまり、見る人に対する思いやりであろう。私も大概他人の気持ちのわからない奴だと思うけど、こいつほどではないという自信はある。

ああだけど、本当に今日は腹が立った。こんなのとばっかり仕事をしていると、だんだん性格が悪くなりそうである(こんなのばっかりだが)。

00/11/4(土) am 初恋の人に巡り会えたような感じ
久しぶりのゆっくりした休日なので、久しぶりにネットサーフを思う存分楽しんだ。

ふと、小学校の時に国語の教科書にあった、アーノルド・ローベルの「お手紙」という話を思い出して、絵本とか光村図書とかのホームページをうろうろしていたら、偶然思いがけないものに出会った。

私は小学校の頃、学校の図書室の本を借りて持ち帰るときの図書袋(キルトでできていて、肩からぶら下げるA4サイズのふくろ)がめんどくさくて大嫌いだった。図書室のつんとすまして静まりかえった雰囲気、いかにも「わたし、本読むのよ」的空気をみなぎらせて閲覧している生徒達、そして終始おとなしく読書している司書、とにかく本を読むと言うことにそれ以上の意味づけをしているらしき空気が大嫌いで仕方なかった。

本そのものは嫌いではなかったのだが、それに普通以上のこだわりを持つということ、要するに、ステイタス意識というか、「活字って偉いよね、世俗より一段高いよね」という雰囲気が嫌で嫌でたまらなかった。当然図書室は大嫌いな空間第1位であった。どこの教室もただの床なのに、図書室だけオレンジ色のカーペットなのもいやみったらしくて嫌いだった。

ということで私は、他の生徒達がわらわらいて司書もいる時間(昼休みや、放課後の早い時間)には絶対に図書室に行かなかった。私が好きだったのは、下校時刻も過ぎた時間……つまり、図書室がただの「本のある部屋」になり、あの嫌な空気がすっかりなくなる時間だった。そういう時にふらっと行って、あのいけ好かないコミュニティの連中をひとりも見ずに本を物色するのが好きだったのである。

確かあの日もちょうどそうやって誰もいない図書室に入って勝手に本を物色していて、奥の本棚の片隅で一冊の絵本を見つけた。私の手には余るほど大きなサイズの本で、頭に花と葉っぱの帽子をかぶったかわいい子供の絵が描いてある。

その本の中にはたくさんの花や木が出てきて、その植物の花や葉っぱを象った帽子や服を着た子供が出てきた。きれいな花だけではなく、途中で雑草の形の帽子や服の子供も出てくる。花の絵が詳細で子供もかわいらしい。

私はすっかりその本が好きになったが、大きい本なので家に持ち帰るのは面倒だし、図書袋もめんどくさくて持ってきていないし、第一帯出手続きをする図書委員がすでにいない時間なので、仕方なく本を棚に戻したのだった。

その頃私が好きだったのは主に伝記(ある人が職人として大成するとか、ある人が大事故による障害を乗り越えて幸せになったとか)だったのだが、私はそれからも何度か図書室に入り込んでは、伝記のあいまに奥の棚に行って子供の絵本を見て楽しんでいた。

ところがある日、いつものようにふっと思い出してその絵本を探しに奥の棚に行ったのだが、どれだけ探しても絵本が見あたらない。本はどこかに移動されたか、誰かに借りられたかしたようで見つからなかった。それから何度図書室に行って探しても、結局その本は見つからずじまいになってしまった。

小学校を出てからずっとその本のことは忘れていたのだが、2年前くらいにふと思い出して、次第にもう一度あのかわいい絵を見たいという思いが募るようになった。当然本屋に行ったら必ず絵本コーナーをチェックして、その絵本に似た本がないかどうかチェック。しかし、どこに行っても全く見つからなかった。

それが、今日たまたまネットサーフをしていたら、探していた絵本に似たタッチの絵を絵本サイトで見つけた。さらにネットサーフしたら、ネット通販しているサイトまで見つけた。あの花の帽子や葉っぱの服を着た子供は、どうやら妖精だったらしく、メルヘン好きなら知る人ぞ知る女流画家の手になるものだったらしい。絵が載っている。まさにそれだった。

写真を見て思いだした。私は、梨の花の服を着て木の上で歌っている男の子の絵が大好きだったのだ。白いボレロの裾が梨の花びらのようになっていて、ボレロの袖口には花のがくに似た袖飾りがついている。……ということで早速購入。

でも不思議なことに、私が探し求めているストーリーとは、どうやら違うようなのだ。絵は同じなのに、本のサイズも違う。私の記憶にあるB4くらいのサイズではなく、手のひらサイズ。おかしい。私が本当に探しているのは、もしかしたら全く違う本なのだろうか。

初恋の相手だと思っていたのが実は全くの別人だったら、どうしようか。昔年の私の思いはいかに。

00/11/1(水) am 足が小さい
寒い。とにかく寒くなった。おかげでこないだ通販で買ったユニクロのフリースを部屋で着られて嬉しいものの、外に出ると足元やら首まわりやら寒くて寒くてかなわない。

特に足はひどい。さっさと靴で防寒すべきなのだが、前から持っていたブーツは履きすぎてファスナーが壊れたまま。寒いし、これは何としてもブーツに復活してもらわねばと思った私は、たまの休日だった前の日曜日に無理矢理外出して修理に持っていった。すると、修理屋のおじさんは私を一目みるなり、

「……修理、高いよ」

と言った。まだ当のブーツを出しもしないうちにである。ブーツを見たら見たで、

「修理には片方2800円かかるよ。○○デパートと、××デパートに別な修理屋さんが入っているけど、他の修理屋さんも変わらないんじゃないかなあ」

ほら、高いでしょ?という様子でおじさんは言った。うーむ、この人は私の靴を修理したくないのだろうか。それとも私の憔悴しきった様子から「ああ、この子はお金が無いに違いない。ここは利害を離れ、おじさんいっちょお得な方法を教えてあげようかな!」とでも思ったのか。

無欲な人というか何というか、とにかく私はそのおじさんにそう言われ、修理に出すかどうか迷った。そりゃあそうだ。どこの世界に自分の店のサービスを「高いよ」と言って客を諭す人がいるだろう。店員が思わず客を諭すほどあこぎなことをしてるのかと疑ってしまう。

まあ反面、内心では、

(2800円なんて余裕で出せるんだけど……子供の使いじゃあるまいし)

とも思っていたのだが。

でも結局、店員に「高いよ」と再三諭され、私は仕方なく、「じゃあ、新しいのを買います」と言って修理屋を後にしたのである。それはとても不思議な光景だった。……サッカーで相手チームがにこにこ顔でどんどん自殺点を入れてきて、しょうがなく勝ったときのような気持ち。

何かが間違っている、と思ったがとにかく、ブーツが直らない以上新しいのを買わなければいけなくなってしまった。しかし、新しく買うとなると私の靴選びは本当に厄介なのだ。修理で3000円出す方がマシなくらいである。

私は本当に足が小さい。22センチの靴でもストッキングだとかかとに指一本入ってしまう。身長150センチ未満の「モーニング娘。」矢口真里だって足のサイズは22.5センチ。私の足のサイズは尋常ではない。

靴の選び方はいたってシンプルで、店に入ったらとにかくサイズが合うのを探すだけの作業になる。「あのうすいません、いちばん小さいのお願いします」と頼み、おおきかったらそこでさようなら。「道場破り」ならぬ「靴屋破り」である。

(いちばん小さい靴小さい靴……ああ、22.5が最低か。さようなら)

こんな調子だから、もしはけたとしても気に入ったデザインである確率は極めて低い。なぜなら、店に1足か、多くても2足しか私の足に合うものはないからだ(1足3万するような靴ばかり置いている店だと3足くらい選択肢がある場合もあるが)。

その日私は4軒の靴屋を回った。4軒目で、1足だけあった22サイズがたまたま悪くなかったのでそのまま購入。多少デザインが気になっても迷う暇はない。ここを逃せば、ひと冬寒さに震える羽目になるのだから。

以前普通の靴を探したときは、7軒〜8軒は靴屋を回ったから、今回はすぐに見つかった方だった。

それにしても足が小さいことは損である。靴屋さんの話では、大きいより小さい方が靴探しは大変らしい。そりゃあ、滅多にいないんだから作らないのは当たり前なんだけど。

靴探しに困ってため息をつくたびに、祖父が「お前の足は人形の足だから、中国でもてるぞ」と言っていたことを思い出す。並の小ささではないから、とびきり甲斐性のある貴族に嫁いで左うちわだったかも知れない…とでも思わなければやっていられない。

----
「こびと(用)の靴屋」とか、できてくれないかな。


more diary

home