ライフの佳境はまだ終わらない。

 

 

 

00/12/30(土) am 祖父との別れ

一昨日、祖父は亡くなった。

今は祖父の祭壇の前にいる。祭壇の前に祖母のふとんがあって、祖母の寝息が聞こえてくる。

昼間はこまごました葬儀の雑用で働いているので、私はゆっくり別れを惜しめず、もっぱらあまり実働のない妹と祖母が祭壇の前で泣いている。

私は妹や祖母のように人前で悲しむということができない。私は夜型だし、家事がすっかり済んで家人が寝静まった夜に祭壇のところへやってくることにした。昨日はこれ幸いと祖父の遺体のそばで夜明かしした。

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祖父の死に目に、私は結局会えなかった。

急な病変で、危篤になるとは誰も思っていなかったらしい。危篤と聞いて実家に向かう電車の中で、携帯電話に弟から訃報が入った。その時、前に祖父と交わした、

「お前、仙台から来るのにどのくらい時間がかかる」
「家からは、早くて3時間くらいかな」
「じゃあだめだな」
「何が?」
「お前は俺の死に目には会えない」

というやりとりがやっぱり現実になってしまった、と悲しかった。

自発呼吸ができなくなっても、祖父の心臓は丈夫に動き続けていたのだという。「じいちゃん、がんばったんだよ。心臓だけ、がんばって動いてたんだよ」と、妹が泣きながら玄関で私を出迎えた。

あの時、死に目に会えないと言われたあとで私は、冗談めかして

「それは困るよ、何としても3時間はがんばってもらわないと」

というようなことを言ったと思う。

祖父は一生懸命私を待とうとしてくれていたのかもしれないが、やっぱり3時間は長すぎ、私は死に目に会えなかった。

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祖父と最後に会ったのは、亡くなる6日前の22日の午前中だった。朝に実家から仙台に帰る途中で見舞ったときである。

祖父はとても元気そうで、ごはんも全部食べられて、体力をつけなきゃいけないからパンを買い置きして夜中にお腹が空いたら食べていると言っていた。

体重も増えて、気力も出てきており、家に戻って家の仕事ができるようになるまでには慣れるのに10日はかかるな、と言うほどだった。

その日はちょうど、私のあとに祖母がやってくることになっていた。祖母がやってきたら散歩をする、祖母は難しい性格だから自分が手綱を取らなきゃ、と笑っていた。看護婦さんに「すっかり知り尽くしてるんですね」と言われ、連れ添った年数を数えたりしていた。

錠剤の抗癌剤を飲むと右肩が痛くなる、と痛そうにしていたので、肩をさすってあげていたら時間が来て、早く行けと祖父に促されて私は病室をあとにした。

30日の夜中に帰るからそれまで待っていてね、と私は言った。休みは祖父の年越しの退院に合わせていた。退院して数日は家にいられると思っていたのに、実際は2日ともたなかった。

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祖父の亡くなる直前、退院してきた様子を知っている妹の話では、もう以前の元気な祖父とは違い、本来の祖父らしい言葉を聞くことはもうできなかった、と言っていた。

私は死に目にあうよりも贅沢なお別れができたのかもしれない、と思うことにした。私がお見舞いに行くときの祖父はいつもにこにこしていて、たまたま体調も機嫌もいいときが多かった。

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祖父の遺影は、私が幼いとき、子供の私を抱いて撮った記念写真からとったものだという。

 


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00/12/27(水) am 難しい

「つまり、槇原敬之を好きになるかサザンを好きになるか二つにひとつしかなかったわけなんだけど、槇原を好きになったからそれはそういうことだったんだよね」

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意味不明のオープニングでこんばんは。今回は小ネタ。

(その1)NHKの「大地の子」の再放送に釘付けになってしまい、結局夜更かししている。ソ連軍による虐殺の話が出てきたが、そういえば私の祖父も虐殺の話をしていたことがある。

私の祖父は天涯孤独で、両親も死に兄弟もちりぢり、どうせ命を捨てるなら戦争にでも行くかという意気込みで兵隊に行ったらしい。しかしへんぺいそくのため甲種ではなく乙種合格、平たい小さな足で万里の長城を行軍して足が血だらけになったと言っていた。

戦闘中に迫撃砲の破片がささり、祖父の左足のすねにはまだその破片が埋まっている。そのせいで祖父は歩くときに少し足を引く。55年前に死に場所を探して戦場に行った祖父は、なぜか生き残って日本に帰ってきて、そして今は必死に生きようとしている。

人の人生って不思議だと思う。

(その2)遠くの友人と久しぶりに長電話をした。

生きていくということに真っ正面からぶつかるのはとても難しいことで、いろんな風よけを持つことをあえてやめにして、逃げずにぶつかることが自分にできるのかどうか本当に悩む。私はそういう器だろうか。

仕事が楽しいという事実だけがそこにあって、じゃあそれを今後どうしていったらいいのか、どうやってアピールしていけばいいのか、はたまたアピールするほどのことなのか、とも思う。

でも今までのことをよく考えてみたら、新しいことをはじめる前は必ず「そういう器だろうか」とはたと思ったりしていたけれど、成功も失敗もやってみて2年くらいしないと結果が出てこなかったから、だったらやってみるしかもう道はないんじゃないか、という気持ちも生まれてきたりする。

"そうそう、昔から「とりあえずやってみましょう」が口癖だったんだよ、お前は。"……という私の分身の声がどこからか聞こえてくる。

胃を壊してもとりあえずやってみていたんだから、だったらまた胃を壊すまでとりあえずやってみるしかないのかもしれない。

(その3)ただ、現金な話かも知れないが、私はお金にならない仕事は一切するつもりがないのだ。カネがもらえないなら、それをフォローするだけの社会的な保証が欲しい。その両方がない仕事だけは絶対にするつもりがない。

金が稼げるか、産休・育休がとれるか、二つにひとつだ。そのどちらかがなければ、私はおそらく実家への負い目と心の荒みのために死ぬだろう。

お金が稼げなくても、不安定でも、その職が好きだからやるという清らかな境涯には私はとても至れそうにない。私にとって仕事は、やっぱりカネを稼いで生活を落ち着けるための手段だからである。

好きだったらそれに越したことはないけれど、もし金が稼げないとしたら、大嫌いでない限り保証や安定のある仕事を取りたいというのが今のところの私の考えなのだ。

00/12/22(金) am オリーブ色のフリース・その後

今、普段なら祖父母の寝室になっている仏間の隣にある茶の間にいる。

昨日自分の妹のところから帰ってきた祖母はとても機嫌が良く、両親とのいさかいなど忘れてしまったようにけろりとしていた。私の作ったシチューもスープもサラダもおいしそうに全部食べて、いつものようにのろのろとお風呂に入っていた。

風呂上がりの祖母は、祖父母の寝室である仏間にたったひとつ敷かれたふとんの上に腰を下ろし、太った体にバスタオルをまいて子供のようにぼんやりしていた。

「掃除が全然できない」と悲しそうに祖母が言った。祖父母がきちんと家にいた頃に比べて、仏間も茶の間もかなり散らかっている。祖母は何もかもきちんと掃除しないと気が済まないたちだが、最近祖父のところへ通って疲れきるため全く掃除ができないらしいのだ。

私は掃除が大嫌いなので、自分の部屋なら散らかっていても全くかまわないが、実家が散らかっているのは気にかかる。今回は祖父母の部屋だけでなく、家中の掃除が行き届いていないように見えたので余計に。

どうせ明日は家中の掃除をして回ろうと思っていたから、祖母の部屋も掃除機をかけるよと言ったら、祖母はとても喜んだ。

そして今日、茶の間を掃除しているときに、私は思わぬものを見つけた。この間祖父にと思って買っていった、オリーブ色のフリースである。

昨日は紛れていてよくわからなかったが、オリーブ色のフリースはまだビニール袋に入ったまま、茶の間の座布団の上(祖父の定位置)にちょこんと置かれていた。

好みのうるさい祖母にしては珍しくフリースを大変気に入ったようで、祖母の妹の家に泊まりに行くときも、病院に行くときも、手放さずに持ち歩いているらしい。おそらくここに置いたのは祖母であろう。

病院に帰ってきた祖父がここに座るとき、フリースの袋を開けて着せてあげるつもりに違いない。

祖父は抗癌剤を錠剤で飲んでいるらしい。体調は一時期に比べればだいぶ良くなり、今ではちゃんと自分の足で歩いて散歩をしたりトイレに行ったりできると言う。食事も全部ではないがきちんととっており、顔色もいいらしい。寂しがりの祖父だから、祖母が毎日のように行っているのも回復の助けになっているに違いない。

きっと、年末は家に帰ってこられるだろう。よかった。これで、このフリースも持ち主に着てもらえるようだ。

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昨日の夜、コンビニに買い物に行った帰り道で母が、こちらの祖父と同じように癌を患いながらも一人暮らしをしている母方の祖母を、年末だけこっちの家へ連れてこようと思っていると言った。

本当はうちの父方の祖父よりも、母方の祖母の方が病の発見は早かった。3年前に患った胃癌が、リンパ腺で再発したのである。しかし、幸いうちの祖父よりも進行が遅く、入院しなければならないほどではない。第一、本人がまだ癌であるということを知らない。

母方の祖母はとても強い人である。さびしいとか辛いとか、決して弱音は吐かない。母方の祖父が亡くなり、4人の子供も次々と家を出て以来、もう30年もたったひとりで大晦日を迎える暮らしをしている。

祖母の癌は、医者が患部を触診するとしこりがわかる程度に進行しているという。余命半年の宣告を受けたのは夏である。祖母の体から少しずつ肉が落ちてきているのは私にもわかる。

気丈な祖母のことだから、おそらく痛みがあったとしてもぎりぎりまで絶対に口にしないだろうと母は言う。そして、もしかして痛みがあるのなら、自分で自分の病気に気づいているかも知れないとも母は言った。

最後の大晦日になるかも知れないのに、それをひとりで過ごさせるのは淋しすぎる。私も母の考えはとてもいいと思った。

こちらの祖父母とあちらの祖母は、価値観があまりにも違っているから本来は全く性格が合わない。普段ならあちらの祖母は絶対に来たがらないだろうが、幸か不幸か、あちら祖母はこちらの祖父の癌を知っているし、こちらの祖父はあちらの祖母の癌のことを知っている。

お互いに、相手に相見えるのが最後かもしれないと思ったら、こっちに来るかも知れないというのが両親の計算らしい。そういえばあちらの祖母は、こっちの祖父の癌の話を聞いて「残念だ、がっかりだ」と頻りに言っていた。

母方の祖母にも、ひとつきほど会っていない。母方の祖母は私に家事を絶対やらせてくれない。そのため私がたずねていくとかえって気を使わせてしまうから、私ひとりでふらりと行くわけにもいかないのだ。

一人暮らしが辛いなあと思うたび、私は今の母方の祖母の生活を考える。癌がそれほど進行しているのに、祖母は辛くないはずがない。

90近い祖母が、ひとりで食事を作って、ひとりで洗濯をして、ひとりで眠る。夜中の眠りの間に、癌のある胸が痛んだりしているかもしれない。その痛みにもひとりで耐えているのだろうか。

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今度こっちに帰ってくるのは大晦日だが、その時には祖父が帰ってきて、母方の祖母も一緒に年越しをできたらと思う。

 


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00/12/21(木) am はた迷惑な生

山形に帰ってきた。せっかく帰ってきたのに、祖母が祖父のところに付きっきりだから家にいて欲しいと言われて、ずっと家にいて掃除や洗濯や炊事や、そういう家事全般をやっていた。

祖母が分別なく言う突拍子もないわがままと、祖父が心細さから要求するわがままのふたつに両親は翻弄されて、可哀想なくらいくたびれきっていた。

祖父が入院している病院は車で往復2時間のところにある。そこへ、両親か祖母か、誰かが必ず毎日見舞いに行っている。最近は祖母が朝から夜までいるのだが、その送り迎えで両親は2往復しなくてはならず、その途上で祖母がいろいろと無分別で不愉快なことを口走ったりして、本当にくたびれているらしかった。

祖父は家族の疲労に気づかって遠慮するタイプではなく、家族は自分を毎日見舞ってくれるものと独り決めしている。病院にずっといつづけたり、往復したりするせいで祖母もぐったり疲れているのだが、毎日疲れて帰る祖母の背中に向かって必ず「明日も来い」と祖父は言うのだそうだ。

くたびれた祖母は判断力も他人に気を使おうとする余裕もなくなり、帰りの車の中で、運転している母に向かって普段以上にひどいことを言うらしい。パーソナリティに問題があり、もともとが時々とんでもないことを言い出す祖母なので、普段なら「また始まった」で終わる。だが、あまり仲の良い嫁姑ではないし、母自身も疲れているから、そういう祖母の言葉を受け止めきれずに母も憤る。

怒りをこらえながら帰宅した母は、同じようにぐったり疲れている父に車中での祖母の暴言について話す。母は、母方の祖母の癌の心配もあるのに、疲労をこらえながらこちらの祖父母の面倒を懸命に見ている。そんな母に対して感謝といたわりを感じている父は、母に暴言を吐いたという無分別な祖母に対して不愉快を感じる。

翌朝、父は祖母の暴言の原因となった問題を解決する方法について祖母に話す。しかしその解決策は祖母の価値観と合わず、また父も疲れているので言葉づかいがどうしてもとげとげしくなる。実の母親に対する言葉だから、なおさら感情がむき出しになる。祖母はそういう面倒なことでますます疲れきり、ますます判断力が低下する。

その悪循環の中でそれぞれの不愉快さがだんだん濃縮されていった結果、祖母はとうとう病院に近い場所に住んでいる自分の妹の家に行くと言い出し、私が帰省した日はそこに泊まっていて家にいなかった。

今日は祖母が帰る日で、両親と祖母の帰宅を待ちながら、学校から帰ってきた弟と二人で向かい合って夕飯を食べた。

私「全くどうなってるんだこの家は」
弟「誰が悪いんだか」
私「誰も悪くないんだよね…」
弟「…だよな」

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人が生きるということは、きっと罪深くて、はた迷惑なことなのだろう。

簡単に言ってしまうなら、ひとりで死と向かい合うのが心細い祖父のわがままが、今のわが家を引っかき回している、というのが客観的な事実である。

だがそれを、私たちは誰も責めることはできない。自分自身もそうやって、周囲に多大なる迷惑をかけ続けながら生きているのだから。

00/12/18(月) am オリーブ色のフリース

この間帰省したとき、ネットでユニクロのフリースを買っていった。

3枚のうち、ひとつは祖母、ひとつは祖父、最後のひとつは母の分のつもりで買った。その前に帰省したときに、祖母が私の来ているフリースを見て気に入ったようだったからである。

祖母に買っていったワインカラーのフリースはすぐに祖母が着た。母にもフリースをあげた。祖父は入院中なので病院に持っていこうと言ったのだが、祖母が、

「それは、家に帰ってきてから着るための物だから、こっちに置いておいていいの」

と言った。そしてビニールに入ったまま、フリースを大事そうに茶の間の隅に置いた。

祖父の病態はあまりよくない。一応今のところ平行線だが、私にはじりじりと悪くなっているように見える。車で1時間かかる県庁所在地の大きな病院に9月に入院して以来、退院できる目途は立っていない。祖父はもう車椅子なしでは歩けなくなっている。

祖父はもう病院を出られないかもしれないのだ。今入院している大きな病院を出ても、結局小さな近くの町の病院に入院して死を待つしかないだろうと母は言った。夏まで祖父は元気に畑で野菜を作って、私と一緒に草むしりもしたのに、そのことがもう今は信じられないほどに祖父は弱っている。

祖母は病院に行くたびにそういう祖父を見ているのに、祖父の癌は治るとかたく信じていて、死ぬなんて考えもしていない。体重が48キロになってしまった祖父が、また再び元気になって家に戻ってきて、畑仕事や雪かきをすると真面目に信じているのだ。その時のためにフリースを取っておこうと言うのだろう。

最近は、祖父には一時帰宅も許されなくなっている。今度帰省したときに、同じ場所にオリーブ色のフリースが置いてあるのを見るのは辛い。1日でも1回でもいいから、あのビニール袋をやぶって、祖父にフリースを着てもらいたいと思う。

今週のどこか1日で、祖父に会いに行こう。

00/12/18(月) am 今日は小ネタ

(その1)前からチェックしているとても面白い日記サイトがある。更新も早いので毎日チェックしないとすぐ追いつけなくなってしまう。

面白さ=アクセス数とすると、うちより百倍面白いことになる(確かに面白い)。一番最初に行ったときは面白くて過去ログまで一気に全部チェックしてしまった。

(その2)ところで、このHPの作者の方が、@niftyに提供している文章もまた面白い。全文読破の価値がある。写真を加えたミニ紀行文仕立てで、最初は会社側の人に評判がよくなかったらしいが、連載が終わらなくてよかったと思う。特に「いまどきの京建築」の神猿の像の話には爆笑してしまった。みなさんも読んでみてください。

(その3)面白いサイトといえば、怖い物見たさでついつい気が向くと行ってしまうのがこのサイト。味噌汁のサイトだけど、変な具を味噌汁に取り合わせていて面白い。特に面白いのは、とても合いそうにないのにおいしかった場合である(作る気にはあまりならないが)。

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あ、すっかり紹介になってしまいました。すいません、つまりはネタがないからです。

00/12/12(火) am 今年もバイトだクリスマス
土日山形に帰ってばかりいた分の仕事を取り戻すために、今日もバイトをしていた。

同僚の女性に、「せっかく彼氏がいるのに、クリスマス、彼氏と一緒じゃないんだよね」と愚痴られた。

はっきり言っておこう。そんなのはまだいい方だ。

先日、塾の冬期講習会の日程が発表になったが、私は12/23-25という20世紀最後のクリスマス期間、ばっちりバイトが入っているのだ。しかもがっちり、昼過ぎから夜まで。泣きたい。

しかも年末なんて、30日まで稼いでいる。これもバッチリ、夜まで。ああ、お母さん。娘は頑張っています。

そういえば、去年のイブだってろくなもんじゃない。やっぱり夜まで塾講で、しかも教室に男ばっかりで吐き気を覚えながら授業をしていたのだ(思い出しただけで吐き気が)。今年は少なくとも、女子生徒がいますように。

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この間、マサトシ君(高3、社長の息子、次男、強度のマザコン&甘えん坊)が私のマンツーマン授業に遅れた。どうやら、前日に友達の家に泊まりに行ったきり、起きられなかったものらしい。

30分オーバーしたあたりで塾に電話をかけてきて、こわめの女の先生である、T先生が出た。

T先生「あ、君は2時半に現れるはずだったマサトシ君じゃないですか」
T先生「どうしたの、何?」
T先生「とにかく、君は今何をやってるんですか。○○(連打屋の本名)先生は、もうずっと君を待ってるんだからね。今すぐ来なさい」

おそらく、マサトシ君はキャンセルしたいと言ったのだろうが、それだとうちの塾の利益にもならず、2時間早く来た私の給料もなく、ひいてはマサトシ君のセンターの成績に響く。T先生は厳しくマサトシ君を追いつめる。こりゃあ、遅れても来させられるなと思った頃だった。

T先生「え? ○○(連打屋の本名)先生にかわれ?」

そして受話器は私の方に差し出された。「先生に代わって欲しいと言ってます。言い訳したいみたいですが」

連打屋「…えっ」

こういう場合、普通はうちで一番えらい女性上司のところに受話器が行くものなので、私はたかをくくっていたのだが、上司はあいにく昼食中でデスクにいなかった。

すると、奥の方から私に上司の声が飛んだ。

上司「たぶんT先生が怖いから、○○先生に代わってもらってうまく断りたいっていう魂胆に決まってるのよ。先生、何が何でもとにかく来なさいって言ってください」

連打屋「あ、はい。…そうします」

連打屋「もしもし。マサトシ君?」
マサトシ君「先生あのう…」
連打屋「あのね、いくら遅れてもいいからとにかく来てみて」
マサトシ君「はあ、そうなんすけど…時間かかるんで」
連打屋「新幹線じゃないと来られないようなとこにいる?」
マサトシ君「それはないっすけど…」
連打屋「じゃあ、どのくらい遅れてもいいから、来て勉強した方がいいよ。せっかく今まで順調に進んできてるんだし」

「ちょっと貸して!!」

つかつかという足音。そして割り込む上司の影。

上司「○○先生、ダメよそんなんじゃ! 来た方がいいとかじゃなくて、来なくちゃダメなの!」
「あ…はい、すみません」

受話器を奪い取るようにして受け取り、上司が言った。

上司「もしもしマサトシ君? あのね、来た方がいいとかそういうことじゃなくて、これは君の勉強の問題だけじゃないんだよ。先生は君のために2時間早く来て待ってたんだからね! 人との約束事を守るっていうのは人として……!!(以下略)」

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私は決して物わかりのいい大人を演じたいわけではないのだが、何だかどうも生徒に甘く見られるらしい。だが、これには実は理由がある。

私は、上司や同じ国語の女性講師であるT先生のキャラとかぶらないように、意図的に物腰柔らかくしているのだ。他の先生とキャラが競合すると、守備範囲の生徒の棲み分けがうまくできないからである。

だから自然と手の掛かるタイプがわらわらと全員集合してしまうのかもしれないが、基礎の繰り返しと手間のかかる授業形式は、それはそれでアヒルの学校のようでなかなかよい。いったん「これは動く物だ。ついていっていいものだ。」と認識すると、アヒルちゃんはちゃんとついてくるのだ。

このアヒルの学校状態を維持するために何より大事なのが、私を「安心してあとをついていっていい、動く物」としてアヒルちゃんに認めさせ続けることである。そのためにはアヒルちゃんを怖がらせてはならないのだ。

私の求心力を保つためには、私とキャラが全く違う、厳しい上司やT先生はいいひきたて要素になる。上司やT先生に引きずり出され、びしびしやられたアヒルちゃんは、ふるえながら自ずと私の所に逃げ込まざるをえなくなるという仕組みである。

こっちに来たら最後、私だって止まっていることを許しはしない。上司やT先生ほど厳しくないから目立ちはしないものの、つきっきりでしっかり歩かせる。いいスキマ商売である。しかも、アヒルちゃんは絶えず上司やT先生の厳しさにさらされるから、この仕組みにさっぱり気づかないまま歩かされてしまう。

うーん、我ながら頑張って考えた作戦だと思う。市場で競合他社と競り合って何とかシェアを獲得しようとした根性技。これを、「北風と太陽方式」と名付けることにしよう。

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ちなみに、1時間半遅れでやってきたマサトシ君は「来ただけえらい」と私に励まされつつ、しっかり30分敬語の勉強をしたそうな。

ああ、間違ってる。こんな教育。

00/12/7(木) am 人間は変わる・最高の逃げ道

妹が結婚披露宴の入場で使った曲をとても気に入ったので、MIDIをダウンロードして聴いてひとしきり感動していた。

てっきり安室奈美恵の「CAN YOU CELEBLATE?」か何かで入場してくるかと思ったら、妹が選んだのはしっとりした器楽曲であった。妹の価値観が変わったことに、今さらながら驚かざるをえない。前に走り屋の彼氏と付き合っていた頃は、スーパーユーロビートばかり聴いていたものだ。

結婚式の直後は疲労がピークなのと翌日の早朝にすぐ帰らなければならないという切迫感から、妹の結婚という大きな出来事の余韻にゆっくり浸るヒマもなかった。が、今ごろになって、ようやくその実感がわいてしみじみしている。

この間帰省したときには、結婚祝いに追加で注文したという鯛のお菓子や鶴のお菓子のおなかや頭を切って母と山分けにしておいしく食べた。結婚式の鯛や鶴のお菓子は私と母の大好物なのだ。結婚式をやったんだなあと改めて思う。

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披露宴の新郎新婦のプロフィール紹介で初めて知ったのだが、妹の夫のケンちゃん(21)は思った以上に好感の持てる、ユニークな人物であった。

確かに、結婚前からその兆候はあった。家に来るとまず茶の間の祖父に正座して三つ指ついて挨拶していた(普通は祖父にそこまで気を遣わないものだろうが、妹がそうしろと教えたので素直に実行したらしい)。家族での食事に呼ばれたときは、さぞ気詰まりだったろうに終始楽しそうに飲んで食べて帰ってから吐いたと妹から聞かされた。

前々から「こりゃあ変だぞ、いい人過ぎる。普通のここらの21の男の子とは違う気がする」とは思っていたのだが、やっぱり大いに違っていたらしい。

披露宴の新郎紹介が非常に面白かった。趣味はマウンテンバイクやアウトドアで、キャンプで釣った魚は生きたまま家に持ち帰って飼育。21なのに盆栽に興味があるという。

うーむ。このケンちゃんと会う前の妹は、霊感が強くて借金を妹に払わせていておまけに浮気もしていた走り屋ジュンくんと4年ちかくもつきあっていた。

愛車は、ジュンくんがシルヴィアだったのに対しケンちゃんはマーチ。外見的にも、前のジュンくんはいかにも遊び人風で、ワイルドだったのに対し、ケンちゃんが小さくてカジュアルないい人風。人間の好みとは変われば変わるものである。

私はそんな新郎紹介を聞きながら、妹はいい人と結婚したと思った。公務員と教師以外は人間の職業ではないとかたく信じている母方の祖母などは、ケンちゃんの職業を聞いてけちのつけ通しであるが、人柄を見ればケンちゃんを下手な公務員などと比べてはいけないとわかるだろう。

披露宴では90度のおじぎでにこにこみんなに挨拶し、うちにくると酒に酔った父のくどくて説教臭い話を楽しそうに3時間以上も聞いている。しつこい祖母の話も、妹よりよく聞いている。何をされても必ず丁寧にお礼を言う。山形弁には独特の敬語表現が語尾の用法にあるのだが、それを流暢に使える。ということは使い慣れているということだ。

私は日常、本当に低姿勢な男というものを見たことがなかったのでこれは衝撃であった。低姿勢自体は見たことがあっても、その低姿勢とは将来の自分の進退を有利にするための計算高さが匂うものばかりであった。

そういうのは見てればすぐわかるが、ケンちゃんの場合はそれとは明らかに違う。なるほど、「実るほど頭をたれる稲穂かな」という小須田部長の格言は正しい。その姿勢だけでも、十分評価する価値がある。

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妹夫婦が新婚旅行先に選んだのは、能登と東京であった。兼六園に、五箇山に、上野浅草。どこのじいさんばあさんの旅行かと思うが、冬の兼六園や五箇山のかやぶき屋根の家の前で写真に写っているのはまぎれもなく、金髪に近い茶髪で厚底ブーツの妹と、山寺宏一のようなちりちりパーマでジーンズのケンちゃんの二人である。

兼六園の雪吊りを見たかったとケンちゃんが言った。なんとレトロな好みであろう。目の前にいるのはもしかしてうちの教授だったろうかと我が耳を疑った。プラス10000点である。

私はてっきり、妹夫婦はハワイかサイパンに行くだろうと思っていたのでまたまた衝撃だった。妹は、この旦那と一緒にいる限りはきっと地道な人生を歩んでくれることだろう。派手な虚飾を好みやすい傾向があった妹には、本当によい配偶者ができた。

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ということで、地道な女の幸せ部門は妹に任せ、私は縁のないのをいいことに、ハングリーロードを突き進む所存である。妹は友達に紹介されてケンちゃんと知り合い、気に入られて数日後にはデートの申し込みを受けたらしい。が、私にはそういう甲斐性はない。

いい人に出会う甲斐性もなければ、いい人に気に入られるほどの甲斐性もない。私の目の前に広がるのは果てしなきジコジツゲンの道である。ピアノ線一本の道をひとりで進むほかない。

妹が結婚するにしろしないにしろ私にはそういう道しかなかったのだろうが、妹がとりあえず片付いたのでいい逃げ道ができた。祖母やら母やらが「結婚」「孫の顔」とうるさくなってきたら、「妹に全部頼め、そっち方面は全部妹に任せてある」と言うつもりなのだ。こりゃ便利。

というか、すでに今から言っているんだけど。

00/12/2(土) am 死ぬなと私が私に言う

帰省前に書きかけていた日記を今ごろアップ。

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月の初めからものすごい夢を見てしまった。今日見た夢は、今まで見た中でも5本の指に入るくらい面白かったかも知れない。

中身は2本立てで、片方が「分身」、片方が「大地震」。なお、私の夢はフルカラー。

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「分身」

私はアパートに住んでいた。「めぞん一刻」のように、廊下に沿ってドアが並んでいる、壁の薄い古そうなアパート。私は一番奥の角部屋に住んでいる。隣の部屋には、安西ひろこのようなスタイリングで、私より少し年下のギャル系の女の子が住んでいる。

私は何かに意気消沈していて、ドアを開けて部屋の中に入る。すると、部屋の中に誰かがいた。ベッドの上に、同い年か少し年下くらいの20代の男の子がいたのだ。

すごくびっくりしたら、男の子が、自分は私の分身だと言う。どういうことかはわからないが、その男の子はいつもは私の中にいるのだが、夢なので実体化してベッドの上に現れたとかそういうことらしい。おかしな話だ。だが私はその言葉をすんなり受け入れてしまう。私はこれが夢だということを知っている。

その人は背があんまり高くなく、160センチ台後半から170センチくらいの感じである。髪は短く、服装は全身が黒に近い濃いカーキ色で、上は薄いシャツの上にニットを重ね、下はチノパンツ、先の丸いがっちりした黒い靴を履いていた。都合よく、私がさほど恐怖を感じないスタイリングである。

もしも、アメフトの選手みたいなのがユニフォームを着込んでベッドの上にいて「分身です」などと言ったところで「このヘンタイめ! 嘘が怖すぎる!」と私に殴る蹴るの暴行を受けるはずだ。

かといって、髪がぴっちり真ん中分けで、大人のくせに小学校の入学式のような格好をしている男だったら、「お前みたいなのは私の分身なんかじゃない! なんちゃって坊ちゃん野郎!」と私にムチでしたたかぶたれるはずだ。私は乱暴な人間である。そこの所はよく考えてスタイリングしてきたものか。

私はしばらくその男の子と話をしたのだが、何を話したか具体的なことは忘れた。とにかく私が落ち込んでいることがあって、そのことについて終始優しい感じで話し相手になってくれた気がする。

その人にはなぜか体温があった。妙に温かかった手のひらの感じをリアルに思い出せる。ちなみに、そいつの顔には見事なまでに覚えがなかった。見たことがない割にものすごくはっきり出てきて、こちらも似顔絵が描けるくらいには思い出せる。実際に見たことはないのに実際にいそうな感じの顔。まるで井上雄彦のマンガに出てくる人物の顔のような。

ひとしきり私をなぐさめて、その人は部屋を出ていこうとした。私は引き止めた。すると、私が息をすると手の中に自分がいる、と言い残して去っていった。

その後、私は自分の分身を無意識のうちに探しもとめる。その人と似た男の人が2人登場する。片方は青い目でクールで怖い感じ、もう片方は赤い目にグレーの髪で無鉄砲な感じという、極めてアニメチックなビジュアル。私はどちらも外見がさっきの自分の分身に似ていたので目を引かれるが、結局雰囲気などの一番大事なところが似ても似つかず、「どちらも違う」と思う。がっかりして部屋に帰る。

悲しい気持ちでドアを開けると、再びベッドの上に例の分身がすわって私を待っていた。私があまりに探したのでまた出てきてくれたのだろうか。私はとても驚く。

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「大地震」

さっきの「分身」の直後の夢である。場面変わって、私は自分より少し年下の女の子と二人で、その子の友達の男の子のトラックに乗っている。トラックが走っているのは、黄色い土がむき出しになった、崩れそうな崖沿いの道。

どうやら、私たちはどこかへ逃げているらしい。今、ここでは地震が起こっている。トラックに乗っている今も、この揺れがトラックの揺れなのか、地震の揺れなのか、よくわからないほどに。この道も地震で崩れそうになっている。

もう何ヶ月も地震が続いている、とトラックを運転している男の子が言った。こんなひどい事態なのに、私以外の二人はあまり不安げではなくて、私は少し安心させられる。男の子の話では、どこかの山が噴火して溶岩があふれたということだ。

場面が変わり、私は、どこかの山の避難村のような所にいる。ここも黄色っぽい土がむきだしの地面だが、林や野原など緑があって、さっきの移動中のような不安はない。しかし、災害時特有の不安は消えていない。

私は子供を2人連れている。どちらも、どうやらわが子らしい。片方を背中に背負い、片方の手を引いている。

背中に背負った子供はまだ乳幼児で、2歳ほどかと思われた。手をつないでいる方の子供は5〜7歳ほどである。両方とも男の子だった。私はこの二人を連れて歩くことに多少疲れている。

しかし私には、彼らを捨てようという気などは全くなく、何とかして二人を守っていこうと疲れた頭で思いながら土の道を歩いている。私の姿は、なぜか私の母とそっくりだった。

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という夢である。大きなストーリー二本立てで、それぞれ二つの場面を持っている。

夢解きが難しそうだが、「大地震」の子供連れの場面の方は、何となく意味が分かる。年齢差のある二人の幼い息子を連れているという子供の夢はにも見たことがあるから。

最近わかってきたのだが、たぶん大きな子供が学校の勉強で、小さな子供がウェブの勉強なのだ。大揺れに揺れている今の自分を取り巻く状況の中で、二人の子供を背負うこと(=二つを両立すること)に疲れているけれど、まだ捨てる気はないという、そういうことだろう。

それと、トラックに乗って移動する夢の意味も、この間実家に帰省して何となく分かった。トラックを運転している男の子と、私より少し年下の女の子は、妹の夫ケンちゃんと妹の象徴であろう。ケンちゃんはトラック整備の仕事をしている。

祖父の病や新しい生活など、彼らも私と同じ「大地震」の中にいる。しかし、帰省したときに会った彼らは新婚旅行帰りで楽しそうで、明るい姿を見ていたら私も少しほっとした。

解くのに困るのは「分身」夢である。あれは一体何なのだろうか。何しろ、私は夢の中でそれが夢だということを知っているのだ。夢だから自分の中のもうひとりの自分に会うことができるのだとすんなり納得している。

自分の中の自分が、自分ではない他の人間として自分と話をしてくれるのは夢の中以外ありえない。それが分かっていたから、私は夢の中で分身を探し、もう一度話をしようとしたのではないのか。私が夢の中でここまで「これが夢である」と自覚していることは滅多にない。

夢をそのまま信じるなら、自分の今の精神状態を危惧した自分が、自分自身で見させた自浄のための夢と解けるかもしれない。

分身が最後に言った言葉は、逆にすれば私が息をしなくなれば自分もいなくなることを意味しており、暗に私が死ぬことを禁じているのだ。

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意外と、あれは本当に私の中に住むもう一つの人格で、私が多重人格になったりした場合、交代人格として現れるもののひとつなのかもしれない。


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