「とりあえずやってみる」という口癖に戻る。

 

 

 

01/3/30(金) am 三月末の雪景色

大雪が降った。

まさかこの時期になって降るとは思わなかった。15センチから20センチくらい積もっている。

青空雪景色

写真二枚のうち、左は21日に、右は今日の午後に、同じ私の家のベランダから撮ったものである。とても同じ月の、しかも同じ山の写真とは思えない。

首が辛くて気が滅入り、どうしようと思っていたら、ちょうど弟がヒマだということに思い当たって、弟を仙台に呼び寄せた。どうしようもない状態になっていた部屋の掃除を手伝ってもらった。

身内とは不思議なもので、長年同じリズムの家に暮らしていたせいか、あまりいろんなことに気を使う必要がない。弟には冷蔵庫の掃除をしてもらった。うちの冷蔵庫はどうしてだかひどく霜がたまりやすくて、がちがちの氷のかたまりができることがある。弟は驚愕しながら冷蔵庫の霜取りをしていた。

そういえば妹も以前、2年くらい前に私の家に来てくれて掃除を手伝ってくれたとき、大笑いしながら冷蔵庫の霜取りをしていたことを思い出した。

いつもきょうだいに霜取りを頼む私も私だが。

 


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01/3/28(水) am 就職課希望
ベンジャミン(その1)ベンジャミンの実、といっても誰もわからないと思ったので、デジカメで写真を撮ってみた。同じような写真は初めて画像を添付したメールで友人に送った。

赤丸で囲んだ部分が実(まだ花の段階かも知れないが)。これがだんだん赤くなるらしい。

(その2)東京の説明会に行った。こないだ行ったときは足が冷え込んで帰りの新幹線の中で発熱、そのまま寝込んでしまったが、今回は弟のアパートに泊めてもらえるので割と安心して行けた。

説明会会場では跡見学園女子大学の女の子と仲良くなった。大学の校風などはよく知らないが、ここの紀要は演習の準備の時によく借りてコピーするので覚えていた。こないだの説明会では、お茶の水女子大と、大妻女子大の女の子と仲良くなった。どうも女子大の女の子に縁があるらしい。

それにしても他大学の人の話を聞いてつくづく思うのは、就職課があるっていいなぁ、ということである。就職課が無いからOBがいるかどうかもよく調べられず、実質的に教務課でやっている内定調査は学生にとって何の恩恵ももたらさない。あれは単なる教務課の自己満足か。

 


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01/3/25(日) am 「頼れない」という不安

これの他に、下にためておいた2日分を更新しています。

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私は落ち込むと日記の更新をやめる性質がある。これは最近始まったことである。

落ち込んだときは、考えがたいていいい方には向かわない。当然読む人に不快感を与えるであろう。実際、あんまり落ち込んで書いたときの日記に、読者の人から不快感を露わにした感想メールをもらったこともある。

私にとって落ち込みという心理状態は一時的なもので、激しく落ち込んだらすぐに元の状態に戻るのだということは一部の知り合いにはわかってもらえるが、確かにここにはじめてきた人が不愉快になるのは間違いない。その日の日記の論理を、私が明日も正しいと思って主張するとは限らないのであるが、そういうことをわかってくれる人はやっぱり少ないはずである。だからなるべく落ち込んだ日は日記を書かないことにした。

でも最近はアレルギー発症やら耳鼻科で採血やら眼科で目薬やら迫り来るエントリーシート締め切りやら本格的な選考開始やら喘息のくせに病院にさっぱり行ってくれない父やらで何だか毎日のように落ち込んでいる。そのため日記が書ける日が少なくなってしまった。

他の日記書きの人々は、自分が落ち込んで暴走しそうなときはどうやって日記を書いているんだろう。感情のさざ波がほとんど見られず、毎日同じペースで書き続けられている日記もあるし、私のような人ばかりではないのだろう。ちゃんと「ネタモード」になれるに違いない。

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でもやっぱり、私にはここしか吐き出す場所がないし、ここに書くとかなり気持ちも整理されるので、書かざるを得ない。書いて内省する行為がいかに人間にとって大事かということに気づく。

外に出て、走り回っている時はいいのだが、家に帰ってパソコンにすわり、ふと考えると、何だか不安なことばかり胸に去来している自分に気づく。不安で不安でたまらないときがある。

不安を振り払うためにポジティブに動いているつもりなのだが、何だかどうも払いきれなくて、いつもぽつんと1人ぼっちになっているような感じが襲う。

「誰も頼れない」という感じが、私の不安に輪をかけているように思う。実際そんなことはないのかも知れないが、でも私が夜中にふとんの中で本当に不安になったとき、咄嗟に電話をかけられる相手が誰も思いつかないのだ。親やきょうだいにすら、頼ってはいけないように感じる。

ナースの妹は毎日仕事で忙しいし、新婚家庭の邪魔はできない。妹の旦那のケンちゃんに煙たいねーちゃんだと思われるのも悲しい。弟が今のところ一番ヒマだが、何しろ東京だって郵便番号が7ケタになったんだということを知らなかった(つまり今でも東京は郵便番号が3ケタだと思っていた)弟である。頼りにならない。

両親は毎日体をぼろぼろにして働いている。基本的に、仕事の方が大事な人たちである。朝早いから夜中に電話なんて絶対にできないし、朝の忙しい時間に電話しても行けないし、学校に出勤したあとはましてダメなのだ。大体において体がぼろぼろの両親だから、たとえ私がパニック症になって精神科に入院しても付き添いなんてしてくれるわけがない。いや、その前にむしろ彼ら自身が入院しそうだ。頼りにできないし、ならない。

友人たちもそれぞれ仕事を持っているし、夜中に電話なんてとてもできない。それこそ煙たい友人だと思われたくない。世の中には甘えキャラと甘えないキャラがいて、私は甘えないキャラだからそういうことはできないのだ。頼りにできない。

で、誰もいなくなって、結局夜中のふとんの中には不安な気持ちを抱えて眠れない自分がぽつんとひとりで横になっている。

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私はいい加減、誰かに頼りたい。そしてもっと楽に生きたい。そう思うのだが、同時にそれは非常に悪いことに感じる。それは私自身にとって本当にプラスになるのだろうか、なんて考えたら頼ったりできるわけない。

今の状況が本当に自分にとって辛いのかどうかすらよくわからなくなってくる。ただの甘えでつらがっているだけでは?などと考えると逃げることもできなくなるのである。うーむ。このシリアスな感じ。親に相談してもダメだな、こりゃ。

NHKの番組で言ってたっけ。今の女性は、自分の欲望と、楽な方に流れたいという気持ちと、二つの狭間で絶え間なく揺れ動かなければならなくなってるって。数日前の日経にも書いてあった。キャリアウーマンが陥りがちな鬱。私はキャリアウーマンじゃないけど、きっと彼女たちはこんな感じを味わっているんだろう。

ふとんに入り、頭の中で電話をかける相手をぐるぐる考え、頼れない人と頼りない人を全部削っていくと、最後には今この状況で一番頼りになるのは結局自分であるという結論に落ち着いてしまう。うぬぼれっぽいが、自分って本当に頼りになるなぁと時々思うのだ。自分の親の3倍はしっかりしてると思う。

困難に陥ればちゃんとどうしようか考えるし、いろんな情報を収集してベストな方法を考えるし、方法を決めたらきちんと動けるし、ああなんて頼りになるんだ!と思う。私は私みたいなおねえちゃんが欲しかった(←ひどいうぬぼれ)。

人に比べて少しだけしっかりしていることが、私の首を絞めている。不安なとき誰にも頼る気になれないっていうのは辛すぎる。頼っても無駄だと思ってしまうのだ。何でも自分でやる方がうまいソリューションを考えられるんじゃないかという気がするし、実際そうなのかも知れない。

でもどうなんだろうか。こんなの。誰かに頼りたくても頼れないっていうのは。

何となく、頼ってもいいけど私が頼ったら相手から急激に離れられてしまうんだろうなあと思うような人間関係もいくつかあり、この辺のかねあいも難しい。仲の良いふりしてたのに、頼ったら突然「君はつかず離れずの人ということになってるんだから、これ以上は近づいてこないでね」という無言の圧力をかけられたりなんかしちゃったり。「いやいや、自分なんかよりあっちの人に頼りなよ」とたらい回しにされちゃったり。

たとえば、風に吹かれる女郎花と、太い茎でずどんとがんばってるヒマワリ。ほんのちょっとの風でも「今日も私折れそうで」なんて悲鳴を上げる女郎花に頼られることは無制限に許しても、いつもはぴくりともしない、そして愛嬌もないヒマワリに頼られるのははじめの一言からパスしたい、と思ってる人が存外多い。言わないけど、そう思ってる人は多いし、そう思ってる人がわかってしまうから始末が悪い。

思っているより、私は表面的な人付き合いしかしていないのかもしれない。それとも人の中身がよく見えるだけか? あー、シリアスだ。私が誰にも言えないのは、私ほどの考え過ぎが他に見つからないというのもきっとある。誰かに言っても、私のこの感じを実感としてわかってくれる人っていないと思う。

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今後自分が未来永劫1人だったらどうしようと思う不安も、最近もろもろの不安の中に加わってきている。前からあったが、ここ数年大きくなりつづけている。就職が決まるまで、この不安はピークに向かって高まっていきそうだ。

家族か、職業&カネか。どちらかが手に入れば私はきっと安心できる。今のままでは家族ができる可能性はない。絶対に政府は国民を守ってくれない。特に独り身の女なんてなおさら。そのためさしあたり老後が心配だったので、3日前に個人年金保険と医療保険に入った。1人で病気になって、みみっちく闘病するなんて絶対嫌だし、1人で老後に貧乏暮らしするのも絶対嫌だからである。保険証書を握りしめ、私は大丈夫と言い聞かせる。

私はもうすぐ20代後半にさしかかる。

01/3/22(木) am 使用前、使用後
食べる前
食べたあと

初めてデジカメを持って外出。友人と一緒にドーナツ屋へ。

あんまり幸せな図なので、思わず撮ってしまった。

ドーナツは、私はやっぱりドーナツ屋でないとおいしく感じない。ちなみにこのシナモンロール、はじめ半分はいいがあとの半分からはこめかみに突き上げるような甘さで、最高だった。

01/3/19(月) am 仙台スカイ

とうとう念願のデジカメを買った。
これは今日私の部屋の中から窓ごしに見た仙台の空。

3月19日の仙台の空

子どもは生まれるときの記憶、あるいは生まれる前の記憶を持っているらしい。確かに、妊娠3ヶ月で体の大体の部分ができあがっているんだから、覚えていてもおかしくない。

ちなみに、私が持っている一番古い記憶は、赤ん坊の時にベビーベッドに寝かされている記憶である。

あの時目が見えていたのか見えていなかったのか、定かではない。あんまりはっきりは見えていなかったような気がする。そこはもうおぼろげで、よくわからない。

私が覚えているのは、ただ自分がベビーベッドに寝かされている感じ。そしてベッドのある場所は、おそらくうちの仏間。うちは茶の間の隣に仏間があって、そこにベビーベッドが置かれていたのだ。私はそのベッドに寝かされ、両親は隣の茶の間で祖父母と一緒にお茶を飲みながら何か話をしている。

私は薄暗い部屋の中で、天井を見上げているのだ。茶色くて、薄暗くて、心細い。隣の茶の間では、両親と祖父母がお茶を飲みながら楽しそうに何やら話をしている。私も仲間に入りたい。さびしい。

私は、昔自分のベビーベッドがどこに置かれていたのか、両親や祖父母に聞いたこともない。それに本来なら仏間は祖父母が毎日ふとんを敷いて寝ているのだ。まさか私のベッドが普段から仏間のど真ん中に置かれているわけはない。

この記憶を私は両親や祖父母に確認したことがないが、たぶんあれは、母が病院で出産した私を父と一緒に初めて家に連れて帰ってきた時の記憶だろうと思う。待っている祖父母は初孫の到着が嬉しくて嬉しくて、前から買っていたベッドを、自分たちの床をあげて部屋のど真ん中に置いてくれていたのだろうと思う。

私が覚えているのは、あの時の心細さと、部屋の薄暗さと、祖父母と両親の話す声である。不思議なことには、祖父母の声も両親の声も聞こえているのに、何の話をしていたのか、内容をさっぱり覚えていないのだ。

もしかすると、言葉を覚えていない赤ん坊の私の頭では理解できなくて、和やかな雰囲気がわかって声が聞こえていても内容がわからなかったのかもしれない。

01/3/14(水) am こういうときだけつく花実

私の部屋には観葉植物が5鉢ある。中でもベンジャミンは大物で、もう6年目。その間、3回植え替えをし、2回挿し木した。この春もまた伸びすぎた枝を切って挿し木する予定である。

ベンジャミンは6年前の初冬に偶然花屋で衝動買いしたものである。よほど私と相性がいいのか、冬場によく葉が落ちるとか、エアコンでよく葉が落ちるとかいう話であるが、エアコンをがんがんつけても冬に私が帰省してもさっぱり弱らず、私よりよっぽど元気がいい。ところがこのベンジャミン、最近になって様子がおかしい。

1週間くらい前から、枝の先に小さな丸い粒状のものができてきたのである。直径1センチほどの黄緑色の丸い粒。

これは実は、ベンジャミンの花兼実である。ベンジャミンはイチジクの仲間だそうで、実のような花が咲いて、そのまま実になる。このみどりいろの粒はそのうち赤くなるらしい。

以前ネットでベンジャミンについて調べたときに偶然知ったのだが、それ以来いつ咲くかいつ咲くかと楽しみにしていたので嬉しい。

スパティフィルムも花を咲かせている。1年にいっぺんくらい忘れた頃に咲くのだが、今まで多くても2つしか咲かせたことがなかったのに、今回は3つ。うちに来て以来の快挙である。

何も花が咲いているのはうちの観葉植物ばかりではない。私の周囲の妙齢の人々も花盛りである。結婚が決定している人が少なくとも2人おり、結婚が十分射程内に入ってきているような人も何人かいるらしい。そろそろ「ご祝儀積み立て」を始めなければなるまい。

私の周りの人々はどんどん先へと進んで、自分はどんどん取り残されていくような気がする。全く進んでいないような気がして、不安でならない。植物にも花の咲く時期である。私もがんばって、何とか先に進みたい。

01/3/13(火) am 「二番目」の道の答え

弟が大学受験に合格した。春から東京のとある国立大学に通うことになった。

私と弟は6歳離れている。6歳、というのがどういう間隔かというと、私が小学校を卒業したときに弟が小学校に入学し、私が大学に入るときに弟が中学校に入学し、もし私に1年のブランクがなかったら、私が大学院を出るときに弟が大学に入るという、そういう間隔である。

私は、努力してもあまり勝負に勝てない人間である。力が無いわけではないと思うけれど、神が私を見放している。おそらくおかしな背後霊でも後ろにいて邪魔をしているのかも知れないが、途中までいい線いくのにここぞという勝負に絶対勝てない。

自分を「負け組」だと自覚することくらい辛いことはない。ないのだが、私は自分の進路を決める大事な勝負事に負けてばかりだ。内面に何か蓄積していく収穫があっても、物質的・社会的なごほうびはもらえない。

そんな「負け」の苦しみをはじめに味わったのは、大学受験の時だった。当時の私は文系の受験勉強をフルコースを、3年間精一杯やったと自分でも思う。努力は途中では報われて、ずっと模試でいい成績を取って、センターもよかったのだが、一番大事な二次で失敗した。

前期の合格発表が不合格で、受からなかった私に対する周囲の反応は冷たいものだった。家族は特に最悪だった(妹と弟は別だが)。私の居場所はどこにもなくなった。その後の3週間あまり、私は地獄を体験した。

自分の希望が最後の最後でダメになってしまったという事実を受け止め、意味づけるという地獄。後期試験に合格し、第二志望に行くことになったが、合格してもさっぱり嬉しくない。むしろお通夜のようにブルーなのだ(いや、祖父の通夜の時の私の心境と比べてみると、あの時の心境はお通夜以上に後味の悪いものだった)。

全くひどいもんである。誰も「おめでとう!」と笑って言ってくれない。両親はどこかかげりを含んだ顔で「おめでとう」と言った。本当に腹が立った。何がそんなに悪いのか。合格する人がいるなら落ちる人もいる。でもそれを両親は心のどこかで許してくれていなかった。

もし、自分がこれから向かうのが、「希望から2番目」の道だったとき、他の人だったらどういう風に自分自身を意味づけるのかぜひ聞いてみたい。ちなみに私はものすごい敗北感から立ち直れなかった。自分がどうでもいい存在に思え、数ヶ月間自分を見失った。

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だが何ヶ月か経つうちに、私はふと思った。私は何か悪いことをしたろうか。どうしてこんなに深い「負け感」とか、「居場所のなさ」を感じなければいけないんだろうか。私は一生懸命頑張った。受験のことで家族の手を煩わせたこともない。そのことを思いだし、非常に腹立たしくなった。

不合格になったときの家族の対応は、今になって考えると、当時私が物を投げて大暴れ・大憤怒してもいいくらい理不尽ではなかったか。私は何も親が悲しむようなことなんてしていないのだ。前期試験分の受験料が無駄になったが、それでも第二志望でしっかり国立大に入って、浪人もしていない。

大学受験の時だって、高校時代に塾に通ったこともなく、1人で学校の勉強の仕方を工夫して難関大の受験対策をしていた。受験問題の傾向が変わっている大学で、同じ所を受けたことのある先達すらいなかった。先生もそういう生徒を指導した経験がない。だから私は1人で、情報収集と状況分析をやって、学習計画と学習方法を考えて、自分で本屋に行って独自に教材を購入し、毎日真面目に勉強していたのだ。

どの先生にこの添削を頼もうとか、この勉強はこの先生に聞いた方が良さそうだとか、今の時期はこの問題集で○月までにマークを完璧にしようとか、ほんとうに独力で計画を立てて学習していたのだ。

17、8の女の子が、遊びもせず服も買わず、学校と家の往復だけで、部活も委員会も一生懸命やって、毎日毎日睡眠不足の頭で必死になって。まったく涙ぐましい。私は本当にえらかったではないか。

大体、私立に行かせてくれるというなら私は東京の私立大に推薦という手もあったのだ。金がないからそれだけはやめてくれと言い、落ちてもいいから受けていいと言ったのは両親である。私は私立にも行かなかったし浪人もしなかったんだから、親は私の甲斐性で数百万円分得してるじゃないか。

高校在学中だって真面目に勉学にいそしむ娘のおかげで、先生と面談したり誰かから娘の話題が出たりしても肩身が広かったはずである。第二志望ったって人に言えないような学校でもない(と、当時は思った。今は「言えるけど使えない」と思っている)。一体それ以上に何を望むというのか。あれは絶対、親の態度の方が間違っている。ひどい!ひどすぎる!

親が子供より子供で、何の助けにもなってくれないことがあると初めてわかったのであった。子供の状況に非常に無知で、時に鬼よりも残酷である。自分が経験したこともないのに、子供の気持ちを察しないで失敗をひどく責め立てることがあるということもわかった。

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まあとにかく、「大学入試事件」は私の人生に深く暗い影を落とした。トラウマアンド怒り。そして私は誓った。これから大学入試をいずれすることになるであろう弟には、こういうひどい目に絶対にあって欲しくないと。

とりあえず私にはノウハウがあった。自分一人で自分の大学受験フルコースの学習カリキュラムを独自に作って、3月の受験シーズン最後の最後まで、数学理科含め文系で課される可能性のある科目すべての受験勉強をやり続けたノウハウ。反面教師の部分も含めて、弟が私の母校に入学してからはいろいろな「要領」を徹底的に教えこんた。

あの当時でも私のやり方は、最後の最後になるまで確実に効果を上げていた。私のやり方は間違っていないはずだと思ったから、それを証明したかったのである。弟は理系だったが、私の方法はそれでも通用すると思った。

「私のやり方」を徹底的に教え込んだ弟は、センター試験でも私とほぼ同じポイントを出して、2次を受けて先日第1志望に合格したというわけである。

一応胸がせいせいした。弟が私のおかげだとずっと言っていたそうだ。そのせいで両親は、私が大学受験をやったときどういう努力をしていたのか、自分たちがいかに無知で無神経だったか、やっとわかったようである。

私はやっぱり正しかった。

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だが私は、再び思った。私のやり方は間違っていなかった。それなのにどうして、私はあの時勝てなかったんだろうと。

対策を間違わず、努力もした。それでもダメだったのは、もはや時の運としか言いようがない。私は永遠にそうなれないように運命づけられていたとしか思えない。神に見放されたか、あるいはそうさせないような神の意志でもあったんだろう。

大学に入ったあとの自分の足跡をふと振り返ってみると、結局私があの時目指していた方向性はあながち良くもなかった、という結論になる。結果的に私はこの分野の研究に向いていなかった。課題に対して解決策を考えて要領よくこなすことは得意だが、理屈を細かくこねくることはできないタイプだから(その証拠に、発表をすると先生に明解さと検証手順のよさばかりほめられる始末……)。

研究すること自体には向いていなかったが、自分の大好きな分野の専門の先生がちゃんと今の学校にいたから、学校で自分がやっていること自体は楽しい。もしあの時志望通りの大学に行ったとしても、そっちに専門の先生はいなかった。

進みたくて仕方なかった「1番目」の道に行っていても、O・ヘンリーの小説みたいに、今と同じような結論が待っていたかも知れない。学校が違ってもやっていることが同じである以上、結局同じになったと思う。だとしたら、なじみもあるし関東まで就職を考えられるこっちに住んでいた方がずっと良かったという結論になる。

もし私が「1番目」の道に行って、遠くに住んでいたら、去年祖父が癌になった時あんなに頻繁に会いには行けなかっただろう。そして私は、大学に落ちたときのあの地獄のような思いよりもずっとひどい後味の悪さと底なしの喪失感を、祖父の通夜で感じることになっただろうと思う。仮通夜の夜中、あんなすがすがしい気持ちで祖父の遺体の隣で居眠りする事はきっとできなかった。

やっぱりあれは神の意志か。

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私はさっき、ここぞという勝負にはあまり勝てない、と言った。その悪夢を繰り返すように、2年前今度は院試に落ちた。そしてまた大学受験のあの時と同じように、今度は学校に居場所がないという地獄を体験することになった。

「ああ! もうこんなの、嫌だったのに!! なんで二度も!!」

今度も私は勉強をさぼったわけではない。だが去年までと問題の傾向ががらりと変わってしまい、やってきたことが全くの水泡に帰してしまったのだ。天に唾でも吐きたい気分だった。

しかしその地獄は、今度は自分の方向性の見つめ直しにつながった。地獄からたくさん資格をもらって、ついでにアルバイトまでもらった。もしかしたら、就職ももらえるかもしれない。……いや、これも勝負だからまた負けるかも知れないけど。

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だけど最終的に、今のところトータルで足し算引き算してみたら、これでよかったと思う。得も損もない。損失分はちゃんと補われて、最終的に丸く収まっているようだ。

「2番目」の道で自分の生きがいを見つけていくことは、前は妥協で堕落でしかないと思っていたけれど、そうでもないんじゃないか、と思う。こうして考えてみたら、自分の中のランクづけは、実はとても当てにならないものだったのだから。

6年ぶりに、苦しい重荷がひとつ下りて、私は今とてもうれしい。弟はといえば、高校1年生の頃からずっと私が勉強の仕方を教え続けたことに非常な恩義を感じて、今後私が東京に行く際はいつでも喜んで宿を提供してくれるらしい。持つべきものはきょうだいである。

01/3/7(水) am それでも生きてくしなやかさ

私は最近、「老・病・死」の問題にとても興味がある。

「それとどう向き合うか」ということである。どれもこれも目をそらしたい。年を取って衰えたくないし、病にかかって苦しみたくない。苦しい死に方は嫌だ。

そういうふうに思っても、いつか向き合わざるを得なくなる。今でさえ、病気とは日常的に向き合わなければならない。私はこれがとても弱くて、どこかが痛かったりかゆかったりすると、過度に心配になって息苦しくなるほどだ。

昨年亡くなった祖父はそういうところがとても強かったことを思いだす。最後の最後まで生きようとするのをやめなかったし、闘病中の半年間、老いと病と死と、全部といっぺんに向き合っていたのに、生きることに前向きだった。あのしなやかさは、一体どこから生まれてきたのだろう。

私だったら、たぶん、病のせいでひとつのことができなくなったら軽く1週間は落ち込む。その落ち込みで周りにひどい迷惑をかけ、しかも自分でかけたストレスで病状まで悪化しそうだ。

例えば、病気のために大好きなパソコンができなくなったら、たぶん大荒れして見舞客をすべて追い払い、あげくの果てには病院の屋上にのぼるだろう。そうしてひととおり暴れて、リンゴむき用の果物ナイフを投げて壁に突き刺すなどし、拘束されて1週間落ち込んで、8日目の朝からパソコンに変わる代替手段を猛然と考え始めるだろう。

祖父はそういう時間の無駄遣いをしなかったと思う。入院です、ということになったら入院して、文句も言わずにベッドに寝ていた。受け入れるまでの無駄な抵抗がなかった。

祖母が「アガリクスがいいんだよ」と言えば文句も言わず服用し、「鯨の軟骨がいいんだよ」と言って服用をすすめれば文句も言わず服用していた。「これ持ってると治るから」と祖母が言ううさんくさい水晶のお守りをあげると大事に持っていた。私だったら何だか自分が重病人扱いされているようで、非常に抵抗しそうだ。

でも祖父にはそれがなかった。病気である自分を比較的すんなりと受容し、時間を無駄に消費しない。あれは一体何なんだろう。

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今思えば、祖父の持っていたあの強さはまさしく「生きる力」だった。無駄に抵抗せず、自分の状況を受け入れ、黙ってベストと思われることを続ける。私はそういう強さをまだ持ち得ていない。今私が一番欲しいと思ってやまない強さである。

私は弱い。自分が病気かも知れないと思っただけで(多くは思いこみだったりするのだが)そのたび崩れ落ちそうになる。でもよく考えたら、もし病気だったとしてもそこで動揺して過度なストレスをかけるのは逆効果である。それがわかっているのに未だにできない私はやっぱり弱い。

祖父が強かったのは、やっぱり20代の若い時期に戦争があったからだろうか。若い頃の祖父の周りには悲惨な死がたくさんあっただろう。それに比べ自分自身の直面した老・病・死が大したものではないと感じたのかも知れない。

たくさん苦労して、自分を鍛えて、もっと強くならなければ。

明日から体力作りでもしようか。

01/3/6(火) am ビデオでインプット

いつのまにか3月も6日過ぎていた。

この期間何をやっていたかというと、ツタヤに通ってビデオを借りたり、有名企業の就職セミナーのため東京に行って風邪をひいて熱を出したりしていた。

ビデオだが、レンタルした数は3本かそこらでも念願の作品が見られて幸せである。毎回よく考えて1本だけ借りるのが幸せでいい。2本以上借りると、何だか重荷になってしまうからダメなのだ。

借りた中で特に良かったのは「ストレイト・ストーリー」である。映画に詳しい友人が「じいさんが好きならこれがおすすめ」と紹介してくれて、それ以来半年くらい見たくて仕方なかった。結果期待通りで3回くらい繰り返し見た。おじいさんの表情がいい。最近知ったが「エレファント・マン」と同じ監督だそうだ。

ビデオを借りよう、と思ったのは、インプットのためである。ウェブバイトの時に私に企画・デザインが回ってくる比率がほぼ9割になってしまっているのだが、そろそろ企画の時にイメージとして出せる持ちネタが少なくなってきたからである。私は素人だし、視覚的イメージの引き出しをたくさん持っておかないと大変な事態になることは予想がつく。

こないだ夜中のテレビで、ファッションデザイナー志望の卵が街を行き交う人たちの服装をばちばちデジカメに撮って、それを切り取りながらデザインしているのを見た。卵でさえそういうことをやってデザインしているんだから、私も何かネタのインプットをしながら作らなきゃダメだなと思ったのである。そうだ、水滸伝を真似て30年近く小説書き続けた人も世の中にはいたじゃないか。

視覚プラスストーリーだから勉強になること請け合いである(ただしエディ・マーフィの場合はインプットではなく精神安定剤なので、あくまで労働意欲向上用。エディの大きな口を見ていると心が和む)。

最近は、テレビの「金曜ロードショー」「日曜洋画劇場」も事前に注意深くチェックするようになった(とはいってもCMだけだが)。昨日は「コレクター」を観た。

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ところで、レンタルビデオを借りて洋画を観るようになって気がついたのだが、映画とはどうしてあんなに尻切れトンボなのだろうか。もっと後日談などすみずみまで見たいのにいいところでブツッと切れてしまうような感じがするのは私だけか。

たぶん、大団円後も主人公たちが仙人になって消え、さらには小説の基盤自体が消え果てるところまで後日談をこまごま書いているような小説を読みすぎた影響だろう。

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