弟が大学受験に合格した。春から東京のとある国立大学に通うことになった。
私と弟は6歳離れている。6歳、というのがどういう間隔かというと、私が小学校を卒業したときに弟が小学校に入学し、私が大学に入るときに弟が中学校に入学し、もし私に1年のブランクがなかったら、私が大学院を出るときに弟が大学に入るという、そういう間隔である。
私は、努力してもあまり勝負に勝てない人間である。力が無いわけではないと思うけれど、神が私を見放している。おそらくおかしな背後霊でも後ろにいて邪魔をしているのかも知れないが、途中までいい線いくのにここぞという勝負に絶対勝てない。
自分を「負け組」だと自覚することくらい辛いことはない。ないのだが、私は自分の進路を決める大事な勝負事に負けてばかりだ。内面に何か蓄積していく収穫があっても、物質的・社会的なごほうびはもらえない。
そんな「負け」の苦しみをはじめに味わったのは、大学受験の時だった。当時の私は文系の受験勉強をフルコースを、3年間精一杯やったと自分でも思う。努力は途中では報われて、ずっと模試でいい成績を取って、センターもよかったのだが、一番大事な二次で失敗した。
前期の合格発表が不合格で、受からなかった私に対する周囲の反応は冷たいものだった。家族は特に最悪だった(妹と弟は別だが)。私の居場所はどこにもなくなった。その後の3週間あまり、私は地獄を体験した。
自分の希望が最後の最後でダメになってしまったという事実を受け止め、意味づけるという地獄。後期試験に合格し、第二志望に行くことになったが、合格してもさっぱり嬉しくない。むしろお通夜のようにブルーなのだ(いや、祖父の通夜の時の私の心境と比べてみると、あの時の心境はお通夜以上に後味の悪いものだった)。
全くひどいもんである。誰も「おめでとう!」と笑って言ってくれない。両親はどこかかげりを含んだ顔で「おめでとう」と言った。本当に腹が立った。何がそんなに悪いのか。合格する人がいるなら落ちる人もいる。でもそれを両親は心のどこかで許してくれていなかった。
もし、自分がこれから向かうのが、「希望から2番目」の道だったとき、他の人だったらどういう風に自分自身を意味づけるのかぜひ聞いてみたい。ちなみに私はものすごい敗北感から立ち直れなかった。自分がどうでもいい存在に思え、数ヶ月間自分を見失った。
---- だが何ヶ月か経つうちに、私はふと思った。私は何か悪いことをしたろうか。どうしてこんなに深い「負け感」とか、「居場所のなさ」を感じなければいけないんだろうか。私は一生懸命頑張った。受験のことで家族の手を煩わせたこともない。そのことを思いだし、非常に腹立たしくなった。
不合格になったときの家族の対応は、今になって考えると、当時私が物を投げて大暴れ・大憤怒してもいいくらい理不尽ではなかったか。私は何も親が悲しむようなことなんてしていないのだ。前期試験分の受験料が無駄になったが、それでも第二志望でしっかり国立大に入って、浪人もしていない。
大学受験の時だって、高校時代に塾に通ったこともなく、1人で学校の勉強の仕方を工夫して難関大の受験対策をしていた。受験問題の傾向が変わっている大学で、同じ所を受けたことのある先達すらいなかった。先生もそういう生徒を指導した経験がない。だから私は1人で、情報収集と状況分析をやって、学習計画と学習方法を考えて、自分で本屋に行って独自に教材を購入し、毎日真面目に勉強していたのだ。
どの先生にこの添削を頼もうとか、この勉強はこの先生に聞いた方が良さそうだとか、今の時期はこの問題集で○月までにマークを完璧にしようとか、ほんとうに独力で計画を立てて学習していたのだ。
17、8の女の子が、遊びもせず服も買わず、学校と家の往復だけで、部活も委員会も一生懸命やって、毎日毎日睡眠不足の頭で必死になって。まったく涙ぐましい。私は本当にえらかったではないか。
大体、私立に行かせてくれるというなら私は東京の私立大に推薦という手もあったのだ。金がないからそれだけはやめてくれと言い、落ちてもいいから受けていいと言ったのは両親である。私は私立にも行かなかったし浪人もしなかったんだから、親は私の甲斐性で数百万円分得してるじゃないか。
高校在学中だって真面目に勉学にいそしむ娘のおかげで、先生と面談したり誰かから娘の話題が出たりしても肩身が広かったはずである。第二志望ったって人に言えないような学校でもない(と、当時は思った。今は「言えるけど使えない」と思っている)。一体それ以上に何を望むというのか。あれは絶対、親の態度の方が間違っている。ひどい!ひどすぎる!
親が子供より子供で、何の助けにもなってくれないことがあると初めてわかったのであった。子供の状況に非常に無知で、時に鬼よりも残酷である。自分が経験したこともないのに、子供の気持ちを察しないで失敗をひどく責め立てることがあるということもわかった。
---- まあとにかく、「大学入試事件」は私の人生に深く暗い影を落とした。トラウマアンド怒り。そして私は誓った。これから大学入試をいずれすることになるであろう弟には、こういうひどい目に絶対にあって欲しくないと。
とりあえず私にはノウハウがあった。自分一人で自分の大学受験フルコースの学習カリキュラムを独自に作って、3月の受験シーズン最後の最後まで、数学理科含め文系で課される可能性のある科目すべての受験勉強をやり続けたノウハウ。反面教師の部分も含めて、弟が私の母校に入学してからはいろいろな「要領」を徹底的に教えこんた。
あの当時でも私のやり方は、最後の最後になるまで確実に効果を上げていた。私のやり方は間違っていないはずだと思ったから、それを証明したかったのである。弟は理系だったが、私の方法はそれでも通用すると思った。
「私のやり方」を徹底的に教え込んだ弟は、センター試験でも私とほぼ同じポイントを出して、2次を受けて先日第1志望に合格したというわけである。
一応胸がせいせいした。弟が私のおかげだとずっと言っていたそうだ。そのせいで両親は、私が大学受験をやったときどういう努力をしていたのか、自分たちがいかに無知で無神経だったか、やっとわかったようである。
私はやっぱり正しかった。
---- だが私は、再び思った。私のやり方は間違っていなかった。それなのにどうして、私はあの時勝てなかったんだろうと。
対策を間違わず、努力もした。それでもダメだったのは、もはや時の運としか言いようがない。私は永遠にそうなれないように運命づけられていたとしか思えない。神に見放されたか、あるいはそうさせないような神の意志でもあったんだろう。
大学に入ったあとの自分の足跡をふと振り返ってみると、結局私があの時目指していた方向性はあながち良くもなかった、という結論になる。結果的に私はこの分野の研究に向いていなかった。課題に対して解決策を考えて要領よくこなすことは得意だが、理屈を細かくこねくることはできないタイプだから(その証拠に、発表をすると先生に明解さと検証手順のよさばかりほめられる始末……)。
研究すること自体には向いていなかったが、自分の大好きな分野の専門の先生がちゃんと今の学校にいたから、学校で自分がやっていること自体は楽しい。もしあの時志望通りの大学に行ったとしても、そっちに専門の先生はいなかった。
進みたくて仕方なかった「1番目」の道に行っていても、O・ヘンリーの小説みたいに、今と同じような結論が待っていたかも知れない。学校が違ってもやっていることが同じである以上、結局同じになったと思う。だとしたら、なじみもあるし関東まで就職を考えられるこっちに住んでいた方がずっと良かったという結論になる。
もし私が「1番目」の道に行って、遠くに住んでいたら、去年祖父が癌になった時あんなに頻繁に会いには行けなかっただろう。そして私は、大学に落ちたときのあの地獄のような思いよりもずっとひどい後味の悪さと底なしの喪失感を、祖父の通夜で感じることになっただろうと思う。仮通夜の夜中、あんなすがすがしい気持ちで祖父の遺体の隣で居眠りする事はきっとできなかった。
やっぱりあれは神の意志か。
---- 私はさっき、ここぞという勝負にはあまり勝てない、と言った。その悪夢を繰り返すように、2年前今度は院試に落ちた。そしてまた大学受験のあの時と同じように、今度は学校に居場所がないという地獄を体験することになった。
「ああ! もうこんなの、嫌だったのに!! なんで二度も!!」
今度も私は勉強をさぼったわけではない。だが去年までと問題の傾向ががらりと変わってしまい、やってきたことが全くの水泡に帰してしまったのだ。天に唾でも吐きたい気分だった。
しかしその地獄は、今度は自分の方向性の見つめ直しにつながった。地獄からたくさん資格をもらって、ついでにアルバイトまでもらった。もしかしたら、就職ももらえるかもしれない。……いや、これも勝負だからまた負けるかも知れないけど。
---- だけど最終的に、今のところトータルで足し算引き算してみたら、これでよかったと思う。得も損もない。損失分はちゃんと補われて、最終的に丸く収まっているようだ。
「2番目」の道で自分の生きがいを見つけていくことは、前は妥協で堕落でしかないと思っていたけれど、そうでもないんじゃないか、と思う。こうして考えてみたら、自分の中のランクづけは、実はとても当てにならないものだったのだから。
6年ぶりに、苦しい重荷がひとつ下りて、私は今とてもうれしい。弟はといえば、高校1年生の頃からずっと私が勉強の仕方を教え続けたことに非常な恩義を感じて、今後私が東京に行く際はいつでも喜んで宿を提供してくれるらしい。持つべきものはきょうだいである。
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