難しい。前を向くことが。

 

 

 

01/5/30(水) pm 悩み、悩む
自分の人生を、ホットな方向に持っていくか、地道な方向に持っていくか、それは重要な、私にとっては究極の選択である。

ちょうど浮舟が、匂宮か、それとも薫か、悩むのと同じである。一長一短の、大博打なのだ。大博打なのだが、ある意味贅沢な選択なのだ。でも大博打なのだ。でも贅沢な選択なのだ。でも大博……(エンドレス)

博打が打てるだけ楽しいと思わなければならない。そうだ、賭けるものが2つ以上あること自体が贅沢なのだ。だけど今はそう思えないんだけど。

最近の、心に残った言葉。

「がんばりやさんだから、大丈夫だって」
「絶対向かない」
「お前の子供のような好奇心が……」
「かっこよくありたいっていうのもモチベーションだから困るんだよね」
「体を壊したら元も子もないんだから」

どれもこれもごもっとも。

 


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01/5/28(月) pm マックが祝うバースデイ

昨日マックを立ち上げたら、「Happy Birthday!」のメッセージ。ありがとう、マック。

そして、私にネットでバースデーカードを下さった皆様、ありがとうございました。就職決まり次第、私の方から折り返しメールを差し上げます。

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先日実家に帰省し、祖母に「ウサギ肉事件」について聞いてみた。うちで飼っていた白ウサギをじーちゃんがしめてなべにした(というか、じーちゃんは当初から食べる目的で白ウサギを飼っていた)、あの事件である(詳しくは5月20日の日記で)。

私「…で、あたし、確かその肉食べたよね?」
祖母「食べた食べた。食べて、手のひらの上に出して、もう一回食べて、やわらかくておいしいねって言ってた」
私「………………」

思い出した。私がいただきますと言って食べたら、それは飼っていたウサギの肉だと言われて、私はびっくりして手の平の上に口の中の肉を出したのだ。だが、私は「まさか飼ってたウサギを食べるはずないよね。冗談冗談」と思い、もう一度食べたのである。確か、白っぽいピンクがかった肉だったと思う。

あれはホントに、飼っていたウサギだったわけだ。味はあまり覚えていないが、特に抵抗なく食べた記憶はある。ということは、なかなかおいしかったということだろう。やわらかくておいしいねって言ったそうだし。祖母はよくそんな20年も前のことを覚えていたものだと思う。

それを聞いていると、何だか無性にウサギ肉を再び食べたいような気がしてくる。ああ、でもなあ。私、うさちゃんうさちゃんってかわいがってクローバーをあげたのに。あれを食べたとは…

01/5/21(月) am 女性の幸福

ビデオ「アナライズ・ミー」を借りてきて、2回も見た。ロバート・デ・ニーロのマフィア役がすごくいい。

ものすごいお金と力を持っていて、高級スーツがバッチリきまるくせに、ストレスにやられて子どものように泣き出すなんて、何と魅力的な!と思いながらもらい泣きしそうだった。そしてデ・ニーロの泣き方にどうにも引きつけられて、ついつい繰り返し見てしまう。泣きじゃくるデ・ニーロが妙にかわいらしくてついつい。

だがこれは危ない。あれだけ年のいった人が泣くのを見てかわいいとは…これがかの恐ろしき母性本能ってやつだろうか。危ない危ない。私はたぶんこういう、「母性本能がくすぐられた」という理由で男にだまされるタイプだ。間違いなく。

って、思い出したらまたデ・ニーロが泣きじゃくるシーンを見たくなってきた。

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私がバイトをしている塾は仙台市内に2つ教室を持っている。仙台中心部と、はずれの方と。私ははずれの方にある教室へ毎週行っているのだが、それが今度、中心部にある教室と合併されることになった。おととい塾に行ったときに、上司から急に言われた。急に決まったことらしい。

事実上の規模縮小である。当然、2つあった教室が1つになるのだから、1教室あたり1人ずついた管理職と事務職が1セット多くなる。そのためそれらは中心部の教室の人たちが引き継ぎ、こっちの管理職と事務は遠隔地転勤を余儀なくされたらしい。

こっちの上司も事務の方も、両方とも30代後半の未婚女性である。二人とも地元がこっちで、こっちに彼氏もいる。今さら遠隔地への転勤をしてまでキャリアを積んでもなあと思ったから退職することにした、と上司は私に言った。どうやら、事務の女性もやめてしまうらしい。

私は、何と言っていいのかわからなくて、とにかく平静な様子でそれを聞いた。でも彼女たちの今後がどうなるのか、想像すると恐ろしかった。管理職経験者の女性。しかも30代後半。あってはならないことだが、再就職では敬遠されがちな人材ではなかろうか。

彼女たちは、ポリシーがしっかりしていて、有能な人たちだと思う。だけどそういう有能さを再就職の面接などで客観的に言える業績があるだろうか。逆に「自分のやり方」を持っている人だからこそ敬遠されるということがありそうだ。何とも痛ましくて、「今後どうするんですか」なんて言えるはずもなかった。

結婚という選択肢もあるのだろうが、彼女たちの彼氏は両方とも若すぎる。上司の彼氏は9つ年下、事務の女性の彼氏はなんと12歳も年下である。どちらも20代のひとと付き合っているわけで、結婚の話が具体化しているとも思えない。

経済力があって適当に甘えられるからという理由で、相手から都合のいい女として捉えられている可能性もある。それが経済力がなくなり、再就職も決まらず、相手との結婚にできればぶらさがりたいというそぶりなんて見せ始めたら、あっという間に捨てられてしまうのではなかろうか。

結婚して出産するにしても彼女たちの年齢では完全な高齢出産でリスクも高いし、結婚後の妻の老いも早い、それなら若い女と結婚したいという男の側の身勝手な思考はありえない話でもない。

自分が彼女たちと同じ境遇だったらどうだろう、と思ったら、なんだかやりきれなかった。入る会社は選ばなければ、こういう憂き目を見かねない。私だって彼女たちと同じになる可能性は十分ある。30代後半のときまでにひとりで分譲マンションを購入している自信はあっても、結婚している自信は私にはない。

結局、女がトータルな幸せを手に入れたかったら、30までに何らかの形で、自分自身の家庭をどうにかしておかなければいけないということなんだろう。仕事一筋でいたところで家庭がない場合、解雇されれば自分の持ち物はゼロになる。不倫でも何でもいいから優秀な遺伝子を手に入れ、子供ひとりくらいは持っておくべきかもしれない。

01/5/20(日) am 狩られても健康になりたい

昨日ストレス対策の話を書いたら、親切な読者の方から、DHCのセントジョーンズワートというサプリメントの情報をいただいた。大変嬉しいです。ありがとうございます。

もろストレス対策の薬だというから何の成分かなと思ったら、弟切草! 私にとてもなじみのある草である。私が物心ついたときから、ばーちゃんが庭で栽培し、夏に花が咲いたらつみ取って陰干しして乾燥させ、焼酎の中に入れてエキスを抽出、「オトギリ酒」なるものを製造して常備薬にしていた。

私は虫さされをはじめ、切り傷すり傷は必ずオトギリ酒をつけられて育ったのである。黄色い花がなかなかきれいで、オトギリ酒は結構いい匂いがする。ああそうか、私は自分にとって重要なお薬とすでに幼年期に出会っていたわけか。そういえばじーちゃんが調子悪いとき、よくオトギリ酒を晩酌していたっけ。あれで脳内物質セロトニンが分泌されて鬱を防いでいたのね。

そういえば「人体」でやってたなぁ。何度も自殺未遂を繰り返す人はセロトニンの分泌が少ないって。私もストレスに弱いからぜひ飲もう、セントジョーンズワート。わざわざ買わなくても、ばーちゃんに瓶詰めのオトギリ酒を送ってもらおうかな。晩酌したら気持ちが上向きになるのかも知れない。

というか、うちで作っちゃおうかな、弟切草。どうせ植物を育てるのが趣味なら、薬効を調べて薬になるハーブを育てる方が一石二鳥だ。うちのベランダは日当たりがとてもいいし、ハーブを植えたらさぞぐんぐん育つだろう。道楽ハーブ道ではなく、実益ハーブ道を目指し、薬効重視で栽培してハーブティーを飲みまくることにしたい。

どうせ今年は、「体にいい野菜」ということで、青じそ・にら・ねぎを育てようかなと思っていたところだったのだ。よく調べたわけではないが、体にいいような気がする。なぜなら私が大好きな野菜だから。

薬になりそうな物を育てる。健康オタクも、ここまで来れば立派なものである。ハーブばっかり育てていたら、そのうち魔女狩りにあうかもしれない。

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うちのじーちゃんは昔、赤い目の白ウサギを2匹木箱で買っていた。私はよく網ごしにシロツメクサの葉っぱをあげた。そんなある日の夕食になべが出た。「これはウサギだ」と言われたが幼い私は冗談だろうと思って食べた。

つい先日ばーちゃんに聞いて知ったのだが、あれは本当にうちで飼っていたウサギのなべだったのだそうだ。

じーちゃんは最初から「ウサギ肉がやわらかくてうまい」との理由からウサギを飼い始めたそうで、いい具合に成長したところで人に頼んでしめてもらい、なべにしたらしい。まさに実益ペット道を突き進んだ人である。孫の私が、実益ハーブ道を突き進むのも無理はない。

01/5/19(土) am 小ネタ

(その1)ものすごい勢いで、雑事に追われている。

昨日は学校で健康診断を受けてきた。体重が2キロ減り、身長が2年前に比べ5ミリも伸びていた。ちなみに私は24歳である。

(その2)身長が伸びたのが嬉しくて、花屋で花の苗を3つ買った。土も買って家のプランターに植え替え、ベランダに飾った。オレンジ色の花をつけたとびきり明るいやつである。そういえばこっちに引っ越してから観葉植物を多く買っているが、今まで一度も花ものを育てたことはなかった。

最近気分が沈み込んだり、ストレスがたまったりすることばかりだから、ストレス対策に買ってみた。見ると何となくストレスが消える。余っている植木鉢がいくつもあるから、試しに育てやすそうな花を買いまくって植えまくろうかと思っている。

(その3)ちなみに、あまりにも鉢植えの植物を買って育てまくると、「根付く」でその場所にいついてしまうことになるそうだ。そういえば私は仙台に来てからこのかた、ずっとこのマンションに住んでいる。その間に観葉植物を買ってはぐんぐん伸ばし、今や窓際はすべて観葉植物のものになっている。道理で、仙台を出たくないわけだ。

(その4)最近面接が立て込んでいるが、面接の前の日、部屋の掃除をするのが習性になってしまった。部屋をできるだけきれいに掃除し、アロマバーナーでエッセンシャルオイルを揮発させる。その後シャツのアイロンがけと靴磨きをして寝て、翌朝は新聞を読んだ後エントリーシートと会社資料の復習をするのだ。

風水だと、掃除をして部屋によい香りを持たせるのが一番運を良くするポイントらしいと聞いたからなのだが、何となくすっきりしていい調子だ。

(その5)病院の母あてに昨日手紙を書いた。母は大部屋に移ったという。少しずつではあるが、状況判断力のようなものが戻っているらしい。ただ、問題への対応力やこみ入った思考などはまだまだ難しいようだ。母の打った前頭葉とは、それだけ大切な働きをする部位だったということだろう。

先日テレビで「前頭葉を鍛えるためには単純な計算(一ケタの加減乗除など)や音読がいい」とどこかの教授が言っていたので父に伝えたら、父は早速それを実行したらしい。母に計算ドリルを渡して訓練させているようだ。

母の目は、中心部がよく見えず、周縁部になるほどよく見えるという不思議な目になってしまった。中心部の視覚情報を伝える神経が傷つき、機能しなくなっているものらしい。そのために近くの物が見にくく、読書などは1時間やると疲れてしまうそうだ。

「視神経を目を治す方法はないのか」と父に聞かれたが、視神経の損傷だけは私もどうしたらいいのかわからない。確かこれもテレビで、神経細胞培養が実用化できたら視神経のせいで失明した人に光を取り戻せるかも、というのをやっていた気がするのだが、そんな先進的なことを山形のど田舎でやろうと考える人すらいないような気がする。

(その6)アロマの成果か風水か、私の精神状態はようやっと落ち着いてきている。心臓のどきどきは完全に消えたし、先のことを考えても仕方ないというセルフコントロールができるようになった。私の心の壊れやすさは私が一番よく知っている。とにかく今は自分の心が壊れないようにしなければいけない。

就職活動が一段落するまで、母のことは父に任せて、私が母の問題と真っ正面から向き合うのは先延ばしにしておこうと思う。もうあんな激しい胸の鼓動を体験するのはたくさんである。

01/5/16(水) pm グレープフルーツで眠い

小論文の添削を模試の方だけ休むことにしたり、なるべくぐったり寝ているように心がけたり、部屋をきれいに掃除してランチマットやアロマグッズを購入したり、「就職なんてどーでもいいや」と考えたりするようになったら、やっとあの恐ろしく強い心臓の鼓動は聞こえなくなった。顔や手のほてりも消えた。寝汗もかかなくなった。

代わりに、背中や腰が痛い。しょうがないので明日は整体に行くつもりである。24にして整体通い。情けないが、これが人生の真実。重大な疾患になる前にきちんと手入れをしないと、背骨は大変なことになるし。また医療費にお金が出ていく。

とにかく自分を癒さないとひどいので、今度はカーテンなどのファブリックを買い換えようかと思う。前からそうだが、部屋の中をとにかくみどりいろで統一し、落ち着くのだ。観葉植物も山ほどあるし、みどりいろにすると全体的にまとまる。

アロマグッズの一環として、アロマバーナーを買ってきた。ロウソクで熱してオイルを揮発させる極めて危険な代物であるが、弟の部屋に行ったとき弟が使っていてよく香りが広がっていたので欲しくなってしまったのだ。

早速ストレス解消と食欲不振に効くというグレープフルーツの香りを部屋に充満させてみた。最近心臓がおかしかったせいでろくに食欲がなく、友達と飲んだとき以外まともな食事をとったためしがなかったからである。

効果のせいかお腹がすいてきてごはんが食べられたのは良かったのだが、その次には妙に眠くなって困った。ロウソクを燃やしたまま寝ては大変である。くれぐれも気をつけねばなるまい。

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私の実家では、父の生活に変化が起きつつあるようだ。父は母の今度の大怪我を目の当たりにし、取り返しのつかない事態が起こってしまったと最近になってひしひし感じているらしい。

疲労は時として命を飲み込むくらいの勢いで襲ってくる恐ろしいものだと、やっとわかったようだ。実際、母の疲労は母に大きな怪我を負わせ、視力の一部や判断力の一部を奪った。失われた視力の一部はもう治療できないし、判断力も完全に戻ってくるという確かな見込みはない。頭脳労働をしていた母が、今は問題に対処するための基本的な判断力すら危うい。

父はやっと、こんな深刻な事態にいたって初めて、真面目と言えば聞こえはいいが、自分たちの命を危うくしてしまうくらい手の抜き方を知らなかった今までの自分たち夫婦の生活を心から反省したのだろう。近頃は昼になると自宅に戻って昼食をとり、一休みすることが多くなったと祖母が言っていた。もっと早くからそうしてもらいたくて私は何ヶ月も前から口を酸っぱくして言っていたのに、今ごろになってそれがなされるのが悲しい。

こういう両親の姿を見ていると、他人の意見や忠告を聞かずに自分で全部背負って突っ走るタイプの人間の危うさを思い知る。自分を酷使するとろくなことがない。

倒れた日、「私が行かなければできない仕事がある。だから学校に行かなきゃいけない」と言って家を出たという母。だが母がいなきゃ成り立たないはずの仕事はちゃんと誰かに取って代わられ、学校がつぶれたりもしていない。なんて、馬鹿馬鹿しい話だろう。

その人がいなければ成り立たないのは、その人の人生と家族だけだ。どんな仕事を持っていても、死んだら何も始まらない。仕事や世間体よりもっとずっと大事なものがあるということを知るためだけに母がああいうことになったのだとしたら、何と大きな代償なんだろう。言いたくはないが、人生は理不尽だ。

01/5/11(金) pm 心臓フルコース

母の病態は横ばいで、こないだ聞いた視力も矯正したときの数値だった。視野にも盲点の他に見えない部分があるらしくてそれはもう回復せず、車の運転も無理で復職も難しいことがわかってきた今日この頃、あまりに心臓がどきどきいうし、なんか顔もほてるし、息も苦しくなるので病院に行った。

この間研究室に行ったとき、うちの近所の病院に日本でも有数の心臓の名医がいると研究室の助手さんに聞いたのでそこへ行った。

ここは、おととし院試を受ける前に健康診断書を書いてもらうためにお世話になり、昨年秋に手足口病になったときに内科でお世話になった、おなじみの病院である。全体がピンクで、数年前に新築したばかりなのできれいかつかわいいのが特徴である。しかも、私立のせいか妙にサービスがよくて看護婦さんに美人が多い。

(今度こそ入院だろうな。心臓だしやばいよ。ああ、でもそうなったら就職活動は中止? いや、病院に入院しながら面接に行けば何とか……ああでもお風呂に入れなかったらまずいじゃないか…清潔感第一なのに。入院の準備はどうしよう? 両親共にだめだし、妹も忙しいし、弟? いや、弟は東京だからな…こうなったら友達に合い鍵を渡して……ああよかったこないだ部屋をきれいに掃除しといて……だけどろくなパジャマがない。タオルもない。恥かくな…きっと…)

などと、いろいろ考えながら受付へ。保険証は書き替え中で手元にないため、コピーを提出して何とか支払いを待ってもらえるように交渉する。

2階の、循環器科という所に行った。すごかった。待合室にいる人みんな、元気がない(当たり前だけど)。しかも、いる人はみんな中年以上の年齢の方たちばかりである。同年代は見あたらず、私の存在は一気に浮き上がった。どうやら私は、若いらしい。普通はこういう年齢にならなきゃ来ないのに、私はなんと情けないことだろう。

恥ずかしかったが私も一応病気なので、背を丸めて椅子に腰掛けている痩せたおじいちゃんの隣に座った。おじいちゃんはくすんだ緑色の、薄手のジャンパーを着ていた。そういえばうちの祖父も、似たようなのを持っていて、畑仕事に行くときによく着ていたことをふと思い出した。ああ、じいちゃん。私もうすぐそっちに行くかも。案外待たずに済んだね。

そして私の体は、調べに調べられた。もう学校の健康診断なんていらないと思うくらい調べまくりである。

早速別な部屋に行き、心電図をとった。上半身裸で、素足になり、手と足にクリップ、心臓のそばに吸盤をつけられて自分の心臓の音を聞く地獄のような時間。

そして今度は1階に移動してレントゲン。そういえば今度受けるつもりの学校の健康診断もレントゲンがあったはずだ。この写真が流用できれば楽なのに…と思いつつ、下着1枚で腰に手を置き、大きく息を吸って止める。

いったん循環器科に戻り、今度は血圧。ああ今度こそもう終わりだ、私の血圧は160はかたいんじゃないだろうか……と思ったら上が112、脈拍86。もしかして、血圧だけは普通なのか…?

そしてとうとう、診察室へ。どうやら噂の名医ではなかったようだが、気のよさそうなお医者さんだった。レントゲン写真が貼られ、心電図を見、血圧を見て、お医者さんは言った。

「うーん、この検査の結果だと、特に悪いところはないみたいだね。心臓が強く打つ感じがするんだよね?」
「はい。やっぱり、ストレスでしょうか」

私は軽く身の上話をしてみた。先の見えない就職活動と、母の大怪我。やっぱりストレスだろうという結果に落ち着いた。

「じゃあこれは、病気じゃないんですね。お薬は……?」
「高齢者の方だったら、『お疲れですね』っていうことで、安定剤を処方するけど…でもあなたは若いしねえ。いらないんじゃないかな」
「安定剤! そうなっちゃうんですか、やっぱり」
「とにかく、念のために貧血や心臓の超音波検査もしてもらって、それでもう一度お話ししますから」

そして私は、再び検査の旅に出た。

1階に行って採血。見習い研修中らしき若いナースのみなさんが採血室にわらわらといた。採血はこの間、耳鼻科の医院でアレルギー検査のためにやったばかりである。人なつっこい看護婦さんで、フレンドリーな会話が弾む。

「24には見えないですよ」
「あ、それより下に見えるって言うことですよね」
「はい!」
「…よく言われます」

複雑な思いに駆られつつ、ちくりと腕に走る痛み。

次は再び循環器科に戻って、心臓の超音波検査。要するに、妊娠した人がお腹にするあの検査の、心臓版であろう。見たことのある白い機械が心臓周辺に押し当てられる。機械の画面は私からは見えなかったので、自分の心臓との対面は果たせなかった。

ただ、真っ暗な部屋で、看護婦さんが左胸に繰り返し機械をあてて調べるその風景は、限りなく怪しかったと思う。

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二つの検査結果を持ってまた診察室に入った。最終的に、やっぱりストレスのせいだということになった。病名もつかない程度のものらしい。

「悪いところは何もないですよ。貧血もチェックしたけど、あなたの血、濃いくらいだからね。病名、ついたほうがよかった?」
「いえいえとんでもない!」
「就職が決まれば治りますよ。続いたりして気になるときはまた来てもらって考えましょう。私、木曜日には必ずいますから」

結局、私はまた入院しないで済んだ。入院どころか病気でもなかった。私の病院行きは、よくこういう結果に終わる。「今死ぬ今死ぬと言ってる奴ほど長生きする」という言葉がふと思い浮かんだ。ごめんじいちゃん、ヘビースモーカーで酒量の多い生活でも80まで生きたじいちゃんのDNAのせいか、私まだそっちに行けないみたい。

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そういえば祖父は、祖母と結婚した時から、明日死ぬ、明日死ぬと毎日言っていたらしい。でも本当に亡くなったのは、それから54年後だった。

確かに、私の中にあるかもしれない。祖父のDNA(実際あるんだけど)。

会計では、さすがに検査のフルコースをやったせいか5600円もとられた。保険証のコピーだけでも照会してちゃんと保険を適用してくれたのに、5000円以上の出費。安心を得るための値段は高く付く。

01/5/8(火) am 希望と絶望に遊ばれて

昨日母の見舞いに行って、その夜涙が止まらなくなった。

おとといは短い時間しか滞在していなかったので、母の状態の危うさにさほど気づいていなかった。しかし、昨日長く一緒にいて話や行動を見ていて、事態は思ったより甘くないということを思い知らされたのだ。

母は話はできるのだが、話の流れや相手を見て物を話すということができなくなっているようなのだ。状況判断力に鈍化が見られる。おととい、私と売店に行ったら売店が閉まっていたので、ふらふらとパジャマのままで外に出ていこうとした。おとといはそれだけだったのでよくわからなかったが、昨日他人と話をする母を見てその能力が鈍っているという違和感がとても強くなった。

薬剤師さんが来て薬の話をしなければならない場面なのに、質問のいくつかに答えた後いきなり自分の髪の毛の話を始める。担当医の先生がやってきて趣味でやっている写真の話をしていたのに、いきなり自分の勤務する学校の生徒の問題行動と病院の連携の話を始める。話題に対する話はとてもきちんとしている分、一生懸命話している分、とても悲しい気持ちになった。今の母は、やっぱりおかしい。

嗅覚がないせいか、自分が食べている和え物がごま和えか白和えかわからない。私は百合の香りに気づいたが、「その百合はさっぱり匂いがしないね」と言った。両目ともにぼんやりしていると言う。そういう小さなことがいちいちショックで、沈丁花や金木犀が好きな母が、もうあの香りをかげないのかと思うと悲しくなる。

それよりなにより、あのままだったら仕事には復帰できないし、家にひとりでおいておくのも心配だ。考えても仕方ない先のことまで考えてしまってたまらなくなり、夜、祖母も父も寝てしまった後ひとりになったら涙が出てきて止まらなくなった。

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実家に帰ってからも、心臓のどきどきは起こり、昨日はお昼を食べた後2時間ふとんで休んだ。やっぱり体に変調が起こっているらしい。何と弱いことだろう。祖母から「救心」をもらって飲んだ。

今日もしばらく心臓がどきどきしていて、本当はひとつ説明会に出るはずだったのにさっさと仙台に帰ってきてしまった。ナースの妹に言ったら「疲労とストレスだ」と言われた。

帰りに本屋で細木数子の「○○星人の運命」シリーズを見る。今年は私はついてるらしい。恋愛運が最高で、試験はばんばん受かりカネもどんどん入ると書いてあった。5月なんて絶好調。

……ウソばっかり。

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今日は夜勤明けの妹と電話で話し、昨日の様子を伝えた。妹は、「覚悟しなくちゃいけないかもね」と言った。私もそう思った。今の母の状態は初期の痴呆とよく似ている。そのままになってしまうことを覚悟しなければならないというのである。

「ひとりで家に置いておけないよね。どうしたらいいんだろう」
「とにかくお姉ちゃんは、今は自分のことだよ。どうせ仕事に行って昼間留守になるなら、結局一緒だから」
「そうだよね…。お父さん、どうするんだろう。仕事、続けるつもりだよ」
「うん」

妹と二人で、途方に暮れた。

しかし、さっき母から電話がかかってきたのだが(病院の公衆電話から)、その声を聞いたら、声だけは例の舌足らずな調子が消えて、元に戻っているように思えた。視力の検査をやったら、右が1.0、左が0.4あったという。メガネで矯正できるかはわからないが今のところ私の100倍は視力がいい。

もしかするといい知らせが聞けるかも知れないから、あとで父に電話をしてみよう。

01/5/7(月) am 子供のような

4日ぶりに、母の見舞いに行った。

母の体はだいぶ調子が良さそうだった。頭の覆いはとれていて、前頭部の髪を剃り、開頭手術をしたあとの縫い目があらわになっており、痛々しかった。大きくて目立つ縫い目だった。

剃られた髪の毛は多少伸びてきていたが、ほとんど白い色をした髪だった。残された黒い髪との対比で、今まで隠されてきた母の「老い」がさらに際立って見えた。

衛生上の配慮なのかも知れないが、母の頭や傷口ををこんな風に曝しておかれることは何だかあんまりな気がした。娘の私でも正視した時に驚きを表情に出さないようにするのが精一杯だった。赤の他人がこの母の頭を見たら、無惨さに驚いて逃げ出してしまうのではないだろうか。せめて包帯くらい巻いてあげて欲しい。

母は、まだ完全に戻ってはいないようだった。受け答えや行動で、どうもまだ今ひとつねじが締まりきっていないような感じを受けた。口調もどこか舌足らずで、小さな子供のようだ。

突然、母の思い出の町の話を始めたり、買い物に行こうとして売店が閉まっていたので、外の店に行こうとパジャマ姿のままで病院の外にふらふら出ていこうとしたりする。父は、頭を打った箇所が判断力・思考力・理性をつかさどる部分だったのと、現在処方されている薬などのせいで戻りきっていないのではないかと言う。

霞んでいた左目は、今日になってまた少し良くなったという。以前は人の顔が判別できないくらいぼやけていたのが、ちゃんと顔が見分けられるようになったそうだ。

怪我のせいで母の性格が変わってしまう可能性はまだあって、そのことがとても不安ではあるが、子供のような母を見るのは初めてで新鮮でもある。

母の中で、以前までと同じように動く部分と、それまでとは違ったふうに動く部分と、二つが混在している。一体どこがつながっていないのか、何に異常があるのか、探りながら話をする。それはまるでMacに機能拡張の相性の悪さで異常が起きて、一体どこがまずいのかを探ったり、一見正常な中でちょっとしたバグを体験するのとよく似ている。

もし、このまま母が戻らなかったらどうしよう。3ヶ月休養を取ったらしいが、その後母は仕事に復帰するらしいのだ。戻らないでこのままなら、復帰はとても無理だ。復帰どころか日常生活も多少危ぶまれる。

もしこのままなら、軽い痴呆と変わりない。まだ2週間も経っていないんだし、まさかこのままとも思えないが、母には1日でも早く戻って欲しいと思う。人一倍、しっかりしていた母なのだから。早く戻って、自分の意志でやりたいことを思う存分やれるようにならなければ、母の本当の幸せはやってこないように思う。

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祖父に癌が見つかったときから母の怪我まで、去年から今年は本当によく病院に行く年だと、父と二人でため息をついた。

去年の7月に祖父に癌が見つかり、9月から去年いっぱい入院して祖父は亡くなった。今度の母の入院は今年の6月ぐらいまでだから、大体丸1年病院のお世話になるというわけだ。これで終わればいいと思うが、さらに私や妹が入院することになったら嫌だ。

昨日の朝、胸苦しくて目覚めてしまったことが、何だかとても気になる。まさかこの年で心臓発作や心筋梗塞や不整脈や動脈硬化や、その他諸々の循環器系の病だったらどうしよう。

01/5/6(日) am 人を呪わば穴二つ

昨夜、勢いに任せて実はウソ日記の更新をしようと思い、書いたのだが、それが恐ろしい自己暗示効果をもたらしてしまったので消すことにした。

内容としては、サヤが藤崎奈々子のポスターを貼り、その心臓部分にダーツを打ちまくるというハードなものだったのだが、そのせいか今朝胸がどうしようもなく苦しくなって目が覚めた。胸がどきどきし、息が苦しくて起きてしまったのだ。人を呪わば穴二つ、とはこのことである。

おかげで夢も悪夢だった。妹が心臓を悪くして病院に担ぎ込まれ、肩からふくろを下げるための手術(心臓なのに肩から袋、というのがおかしい)をしなければならなくなり、私たち家族がその診断やら通院やらに付き合う……という夢を、続き物で見てしまった。ショックを受けている妹と一緒に父の運転する車に乗ったり、診断後、病院の食堂で家族みんなで味噌ラーメンを食べたりしていた。怖い夢だった。

私は思いこみが激しい。そのためにこんな夢まで見てしまったに違いない。ああおっかない。こんなことだと、真面目にやったら髪の毛に芥子粒の匂いをつけて目覚めることくらいやりかねない。

ちなみに私自身は、藤崎奈々子は結構好きなのに。ウソ日記中の登場人物が恨みを晴らす「形代」として藤崎奈々子ポスターを用いただけで、私個人はとても好きです。

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ああそれにしても、恐ろしい朝だった。

01/5/4(金) am 休めない

心身共に疲労している。

せめてこんな時はゆっくり休みたい。折しもゴールデン・ウィークなんだから……と思っていたら、河合塾のKさんからもらった偶然の電話で今日もアルバイトがあったことを思い出させられてしまい、休めなくなった。論文添削の採点会議があったのだ。そういえば。忘れていたので、もし電話がなかったらすっぽかすところだった。危ない危ない。

じゃあ明日は休めるかというと、明日は今度は塾のアルバイトが夕方5時から夜9時までつまっている。最近は、多少学習障害のあるひろやくんに一対一で教えている。「昨日」とか「曜日」とか、そういう簡単な漢字すら書けないひろやくんだが、向上心は人一倍で、一生懸命漢字の練習をしている。教えていてやりがいを感じるので、休むわけにもいかない。

じゃあ明日の夜くらいゆっくりできるのかというと、そうでもない。先月初めに一時解雇されたはずのウェブバイトの仕事だったのに、なぜか先月末になって社長から電話が来て、新しい案件が入ったので来てくれと言われてしまった。それ以外にも個人の仕事をひとつ持っているので、二つのサイトのデザインをしなければならない。この連休中にがんばらねば。

かといって6日空いているのかと言えばそうではなく、6日には実家に帰省しなければならない。2日に仙台に帰ってきて以来、母の見舞いに行っていないからだ。ただ、家族の問題処理には妹が結構幅を利かせ始めていて、私が出てくることを快く思っていない。

気弱になった母は、妹が自分の家の近くに、実家の敷地内に家でも建てて暮らしてくれることを口にするようになっていた。以前は妹の夫であるケンちゃんのご両親への気兼ねから(一応妹は嫁入りしたことになっているのだ)間違ってもそんなことは言わなかったのだが、私がいる間は、妹夫婦が来るたびそう言っていた。

妹はすっかりその気で、実家の隣に家でも建てて住むか、できれば両親と同居したいらしい。そこで私の存在が非常に鬱陶しくなってきたらしかった。

私は、実家の近くに就職が決まりもしも収入がとても少なかったら、実家に住んで通いたいと思っていた。ところが妹は、もし別の家を建てて住むのだとしても、実家には私に居て欲しくないと言った。たとえ手取り13万でも1人暮らしなんかできるじゃん、とあっさり言ってのけた。どんな状況だろうが家にいて欲しくないということらしい。

結局私の存在自体が嫌だ、ということなんだろうなぁと思ったら急に力が抜けた。病院に行けば、母が妹の姿を見つけるたびにそのことを口にする。母が倒れる前、妹は普段全く実家に来なかったし、電話をかけることもなかった。その間両親の体調を気遣い、時々帰省して家事を手伝っていたのは私なのに、一転してそうなってしまうとむなしさだけがこみ上げる。

そんな時に宮尾登美子の「櫂」なんか読んでしまうものだからますます悲しい気持ちになって、ああやっぱり私って宮尾登美子系?なんて考えてしまう。女は男によっては救われないということは言うまでもなく、一生懸命頑張っているのに結局不幸を引き寄せ、困難の中でベストを尽くしてもいつも裏目に出て、最後はすべてを奪われるという主人公の恐ろしい宿命がみぞおちに食い込む。頑張りすぎの不幸ということを考えて何だかとても悲しくなってしまうのだ。

いろいろなものが虚しくて、いっそすべてを捨ててしまおうかと思う。頑張ったって何も報われない。その証拠をちかごろ嫌というほど見せられて、本当に疲れている。こんな状態だし、6日の帰省もいっそのことやめてしまおうか。頭が痛み、息が苦しい。

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でも、こんなのくだらない悩みかも知れない。要するに、「実家にさえ帰って来なきゃ好きなことやっていいよ」と妹は言ったわけだし、そこまで強硬に私の存在を拒んだのだから私は実家について何も関与しなくていいであろう。だとしたらこれほど楽なことはない。

とにかく本当に疲れている。これ以上のストレスには耐えられそうにない。妹によって最悪の場合の退路をふさがれた形になった。

私が父に妹から圧力をかけられたことをそれとなく言ったので、父は母に諭して妹の住まいのことをどうこう言うのをやめさせたらしい。どちらにしろ、妹の夫のご両親にそんな話をした時点で、到底実現できなくなるはずなのだ。婿に入ってもいないのに、妻の実家で生活する夫がどこにいよう。いくらケンちゃんが次男でも、そんなマスオさん生活をご両親が許すとは思えないのだ。

とはいえ、妹の底意にそういうものがあるとわかったことは、私にとってひどいショックには変わりない。いくら何でも、血族に疎んじられるようになるとは思わなかった。実家になど住んでいたら、両親がいなくなったり病に倒れたりした場合、私はきっといつか妹に駆逐されるのだろう。もともと性格の合わない妹だから、やりかねないと思う。人は結局ひとりなのだ。

01/5/2(水) am 疲労

母の容態はやっと落ち着いた。

怪我をして2日あまりはわけの分からないことを口走っていたそうだが、おとといから正気に戻って普通の病棟に入った。今のところ、左目がかすんでいるものの失明はしておらず、特に性格に異常があるようにも見えない。記憶障害もない。ひとりでごはんも食べられるし、トイレにも行ける。医者は、怪我をする前に近い状態に戻れるんじゃないかと言っているらしい。

とはいうものの診断では全治3ヶ月であり、今後どういう障害が出てくるかは経過を見ないとよくわからない部分も多いらしい。今は嗅覚が全くない。嗅覚の神経は切れやすいらしく、もしかすると嗅覚は戻ってこないかもしれないようだ。頭が布で大きく包まれており、両目の目蓋や顔全体がまだ腫れている。

家の中がガタつくときというのは思いも寄らぬ問題噴出で自分の足元がすくわれるんだなあ、と思わざるを得ない。今回のことで私はかなり足を引っ張られているような気がする。何だかとても疲れてしまって、様々な物に対するモチベーションが下がってしまった。

もう本当に疲れた。くたくただ。誰にも私の邪魔をして欲しくない。心からそう思う。

最近私はつくづく思うのだ。一番大事なものは自分。親なんて、私がどんなに心配したところで好き勝手やるつもりなのである。だったら心配などせず、うち捨てておくのが一番。

……って、何だかどっちが親なんだか、わからなくなってきた。よく考えたら、私が親を心配する割合の方が、彼らが私を心配する割合より格段に大きい気がする。何とアホらしい。だったらはじめから、心配なぞするのはやめてしまおう。生きようが死のうが、当人たちの勝手なのだ。

 

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