母の病態は横ばいで、こないだ聞いた視力も矯正したときの数値だった。視野にも盲点の他に見えない部分があるらしくてそれはもう回復せず、車の運転も無理で復職も難しいことがわかってきた今日この頃、あまりに心臓がどきどきいうし、なんか顔もほてるし、息も苦しくなるので病院に行った。
この間研究室に行ったとき、うちの近所の病院に日本でも有数の心臓の名医がいると研究室の助手さんに聞いたのでそこへ行った。
ここは、おととし院試を受ける前に健康診断書を書いてもらうためにお世話になり、昨年秋に手足口病になったときに内科でお世話になった、おなじみの病院である。全体がピンクで、数年前に新築したばかりなのできれいかつかわいいのが特徴である。しかも、私立のせいか妙にサービスがよくて看護婦さんに美人が多い。
(今度こそ入院だろうな。心臓だしやばいよ。ああ、でもそうなったら就職活動は中止? いや、病院に入院しながら面接に行けば何とか……ああでもお風呂に入れなかったらまずいじゃないか…清潔感第一なのに。入院の準備はどうしよう? 両親共にだめだし、妹も忙しいし、弟? いや、弟は東京だからな…こうなったら友達に合い鍵を渡して……ああよかったこないだ部屋をきれいに掃除しといて……だけどろくなパジャマがない。タオルもない。恥かくな…きっと…)
などと、いろいろ考えながら受付へ。保険証は書き替え中で手元にないため、コピーを提出して何とか支払いを待ってもらえるように交渉する。
2階の、循環器科という所に行った。すごかった。待合室にいる人みんな、元気がない(当たり前だけど)。しかも、いる人はみんな中年以上の年齢の方たちばかりである。同年代は見あたらず、私の存在は一気に浮き上がった。どうやら私は、若いらしい。普通はこういう年齢にならなきゃ来ないのに、私はなんと情けないことだろう。
恥ずかしかったが私も一応病気なので、背を丸めて椅子に腰掛けている痩せたおじいちゃんの隣に座った。おじいちゃんはくすんだ緑色の、薄手のジャンパーを着ていた。そういえばうちの祖父も、似たようなのを持っていて、畑仕事に行くときによく着ていたことをふと思い出した。ああ、じいちゃん。私もうすぐそっちに行くかも。案外待たずに済んだね。
そして私の体は、調べに調べられた。もう学校の健康診断なんていらないと思うくらい調べまくりである。
早速別な部屋に行き、心電図をとった。上半身裸で、素足になり、手と足にクリップ、心臓のそばに吸盤をつけられて自分の心臓の音を聞く地獄のような時間。
そして今度は1階に移動してレントゲン。そういえば今度受けるつもりの学校の健康診断もレントゲンがあったはずだ。この写真が流用できれば楽なのに…と思いつつ、下着1枚で腰に手を置き、大きく息を吸って止める。
いったん循環器科に戻り、今度は血圧。ああ今度こそもう終わりだ、私の血圧は160はかたいんじゃないだろうか……と思ったら上が112、脈拍86。もしかして、血圧だけは普通なのか…?
そしてとうとう、診察室へ。どうやら噂の名医ではなかったようだが、気のよさそうなお医者さんだった。レントゲン写真が貼られ、心電図を見、血圧を見て、お医者さんは言った。
「うーん、この検査の結果だと、特に悪いところはないみたいだね。心臓が強く打つ感じがするんだよね?」 「はい。やっぱり、ストレスでしょうか」
私は軽く身の上話をしてみた。先の見えない就職活動と、母の大怪我。やっぱりストレスだろうという結果に落ち着いた。
「じゃあこれは、病気じゃないんですね。お薬は……?」 「高齢者の方だったら、『お疲れですね』っていうことで、安定剤を処方するけど…でもあなたは若いしねえ。いらないんじゃないかな」 「安定剤! そうなっちゃうんですか、やっぱり」 「とにかく、念のために貧血や心臓の超音波検査もしてもらって、それでもう一度お話ししますから」
そして私は、再び検査の旅に出た。
1階に行って採血。見習い研修中らしき若いナースのみなさんが採血室にわらわらといた。採血はこの間、耳鼻科の医院でアレルギー検査のためにやったばかりである。人なつっこい看護婦さんで、フレンドリーな会話が弾む。
「24には見えないですよ」 「あ、それより下に見えるって言うことですよね」 「はい!」 「…よく言われます」
複雑な思いに駆られつつ、ちくりと腕に走る痛み。
次は再び循環器科に戻って、心臓の超音波検査。要するに、妊娠した人がお腹にするあの検査の、心臓版であろう。見たことのある白い機械が心臓周辺に押し当てられる。機械の画面は私からは見えなかったので、自分の心臓との対面は果たせなかった。
ただ、真っ暗な部屋で、看護婦さんが左胸に繰り返し機械をあてて調べるその風景は、限りなく怪しかったと思う。
---- 二つの検査結果を持ってまた診察室に入った。最終的に、やっぱりストレスのせいだということになった。病名もつかない程度のものらしい。
「悪いところは何もないですよ。貧血もチェックしたけど、あなたの血、濃いくらいだからね。病名、ついたほうがよかった?」 「いえいえとんでもない!」 「就職が決まれば治りますよ。続いたりして気になるときはまた来てもらって考えましょう。私、木曜日には必ずいますから」
結局、私はまた入院しないで済んだ。入院どころか病気でもなかった。私の病院行きは、よくこういう結果に終わる。「今死ぬ今死ぬと言ってる奴ほど長生きする」という言葉がふと思い浮かんだ。ごめんじいちゃん、ヘビースモーカーで酒量の多い生活でも80まで生きたじいちゃんのDNAのせいか、私まだそっちに行けないみたい。
---- そういえば祖父は、祖母と結婚した時から、明日死ぬ、明日死ぬと毎日言っていたらしい。でも本当に亡くなったのは、それから54年後だった。
確かに、私の中にあるかもしれない。祖父のDNA(実際あるんだけど)。
会計では、さすがに検査のフルコースをやったせいか5600円もとられた。保険証のコピーだけでも照会してちゃんと保険を適用してくれたのに、5000円以上の出費。安心を得るための値段は高く付く。 |