一応、序章の終わりのような気がする。

 

 

 

01/6/25(月) am キャラ作りして飲み会へ

今日はバイト先である塾の人たちとの義理の飲み会だった。先週退職した元上司の送別会をしたのである。

正直言って本当に最悪だった。はー。どっと疲れた。

上司は女性(30代後半)だが、彼女とは気が合わないし、彼女以上に、一緒に飲んだメンバーの中にいた女性講師(30弱)がもっと私と気が合わないのだ。こっちはかなりわがままな上、人のあげ足取りが趣味でものの言い方というものを知らない。一応専任講師なのに、塾の講師には時々こんな風に教師に全くふさわしくないようなキャラクターの人物が紛れ込むことがあるらしい。

とにかくこういう風に合わない人たちと飲むとどうなるかというと、メンバーの中でこの2人が最も好き勝手なことを言ったりやったりするので、そのとばっちりを食うことになる。いわれのないことでからかわれたり、くだを巻かれて無理難題を言われてみたり、こっちは全く安心して飲むことができない。同じ女ながら、ああはなりたくないとしみじみ思った。

講師の女性の言動については2回ほど切れそうになったが、やめた。どうせ今後の人生で全く関わりのない人である。怒る価値もない。人にひどい言葉を平気で投げつけて内省する雰囲気もなく、カラオケでは聖歌と唱歌とアニメ主題歌(しかも戦隊もの)ばかり歌って、リモコンもマイクも放そうとしない。そんな自分勝手な彼女の家は教会で、彼女自身熱心なカトリックだというから笑わせる。何かおかしい。ちゃんと聖書を読んで下さい。

そういえば、彼女に宗教(キリスト教関係)の話を少しでもすると、ノリノリの好戦的な態度で攻撃してくるらしい。やっぱり何かおかしい。何をそんなに怯えているんだろうか。

それにしても本当に疲れた。上司が退職したおかげでもう2度とそのメンバーで飲まずに済むのでとても嬉しい。女にねちねち絡まれるよりセクハラされた方がよっぽどマシだなと思った夜だった。

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今週は、金曜の夜にウェブ制作のバイト先の方でも無理矢理飲みに連れて行かれたのだ。一緒にアルバイトをしている契約社員の女性(この人とは仲がよい)がしきりに飲みとカラオケに行きたがったので、社長や上司も巻き添えになり、みんなで午前2時までカラオケ屋にいた。

こっちはたぶん、金曜にみんなの調子がいまいちだったからだと思うのだが。夜6時からサイト制作の依頼で打ち合わせに来た男性が見積もりを見ただけで「法外な値段だ! しかもお前は客をにらむのか! 訴えるぞ!」と上司(23)に対して意味不明の激怒(何しろ見積もりだけで契約してもないのに訴える必要はない。ただ、上司が愛想悪いというのは私も認めるが。仕方ないのだ、人間嫌いな人だから)。

このクライアントの男性は、よりによって、「犯罪の温床」なんて言われてイメージがた落ちの出会い系サイトを作りたいという変わった人だった。全身黒い服かつ長髪で、内向的な感じの30代。

普通打ち合わせは上司しか出ていかないが、この男性が「あなたの上司を呼んで下さい!」といきまいたので社長が出ていってなだめるのに2時間。おかげで私たちバイトも遅くまで残業(本来6時終業が9時すぎ)することになってしまった。

それで食事がてら飲むことになり、そのままカラオケである(でもこっちは塾と違ってみんな普通の人たちなのでずっと楽だった)。

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塾の方は、地を出すと彼女たちにますます攻撃されそうなので、私はキャラ作りに余念がない。必殺・食いしん坊キャラである。飲み会で攻撃されるのが嫌なら、自分の発言や私生活に話題が行かないだけの行動を自分が取っていればよい。つまり、ひたすら食べているというキャラクターを作り、彼女たちの目を全部「食べ物ネタ」に持っていかせればいいのである。

そんな思慮の結果、私は普段から食べ物の話をされると目を輝かせる演技をし、飲み会ではひたすら食べていることにした。何も大量に食べなくてもいいのだ。コンスタントに少しずつ続けて、食べるのをやめなければOK。「おとなしくて食いしん坊の連打屋先生」というキャラ作りである。

はたしてこれが大成功。私は食べるのが大好きな人間ということになった。私がまさか数年前に胃を壊して以来ずっと胃が弱くてあまりたくさんは食べられないだなんて事実、みんな思いつきもしない。

飲み会では食べ物の話を多くふられるから、彼氏の有無だとか性格がどうこうとかいうことでつつかれて切れそうになっているより、100倍楽である。食べてればいいから、身を切って話題提供をする必要もない。どうせ量はそんなに食べないから、さほど太る心配もない。私って頭がいい。

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疲れた。今度飲む時は、気兼ねなく振る舞える友達と一緒に飲むことにしよう。演技をしながら飲むのなんてただ疲れるだけで、本当にたまらなかった。

 


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01/6/19(火) am 喪服を持って会いに行く

帰省してきた。一泊二日。実家滞在時間わずか12時間。

想像していたより、母方の祖母の様子はひどくなかった。でもやっぱり、癌患者特有の痩せ方をしていたが。

今回の帰省では、喪服一式と珠数を持って帰った。リクルートでも使った黒のスーツと、黒の七分袖のブラウスと、この間祖父の埋葬の時に買ってもらった水晶の切り子の珠数である。実家の祖母(父方)に頼んで、スーツをクリーニングに出してもらって、そのまま実家に置いてもらう予定だ。

私は今まで、自分の部屋で急な知らせを受けたことがない。祖父が亡くなる時も、珍しく友人の家に泊まりがけで遊びに行っている時だったし、母が大怪我をしたという知らせが来たのも、就職試験のために滞在していた東京の弟のアパート(しかも1時間後に就職試験を控えていた)だった。もし母が死んでいたら、私はやっぱり喪服無しで通夜をしなければならないところだった。

以上のような体験をふまえ、母方の祖母が亡くなる時もたぶん外で連絡を受けるだろうから、早々と喪服を持って行っておくことにしたのだ。

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病院に行き、祖母の前に座って、体を見て、この先どのくらい生きられそうかを測った。祖母はだいぶ痩せていた。顔や体の皮膚に張りやつやがなくなり、水をためたビニール袋から水が抜けた時のように肉が落ち、皮があまって顔も腕もしわしわになっていた。祖父の時も、こんな痩せ方だった。

癌があるのはリンパ腺ということだが、祖母は肝機能に障害を起こし、黄疸になっている。食欲はあるが、食べ物をとることができない。まだ口は達者で、日頃から仲の悪いうちの父方の祖母の悪口などを大声で言っていたが、あまり長くはなさそうに見えた。

でも私もさすがに祖父の時の経験で慣れてきたのか、死が目前の病人を前にしてもあまり動じなくなった。人間やっぱり場数を踏むことが重要なようである。

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祖母は明日から個室に移ることになり、ひとりになりたくないと今日になってだだをこね始めたので、母は明日の夕方まで祖母のそばについていることになった。母だってまだ退院してから3日しか経っていない。

父は車で往復2時間の道のりを行ったり来たりして、祖母の家に通っている。今日は祖母の家に泊まって障子貼りをしたらしい。余計なことを、と思う。母にしても父にしても、余計なことをやりすぎる。今度は父が倒れるんじゃないかと私は気が気でない。

とにかくうちはいろいろ続いている。友達に話したら、「お祓いしたらいいんじゃないか」というアドバイスを受けた。確かにそうだ。うちはぜひお祓いを受けるべきだ。ちょうど水無月だから、水無月祓ということで。友達に紹介してもらいたい。

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今度こそ、私に対して母から帰省要望が出た。どうせ就職も決まったし、無理にバイトをしている必要もない。いっそのことすっぱりやめようかとも思うが、そうしたい気はないので、とりあえず2週間だけお休みをもらおうかと思う。

退院したばかりの母が日常生活に慣れるまでの間だけでも、私がいて家事の手伝いをすべきだろう。ということで、きっとまた間もなく帰省だ。できれば明日には。……今日、河合塾から添削の答案をもらってきてしまったので、今夜中に片づけて明日提出して、そのまま帰省できたらと思っている。

ひとつだけ安心できることがあるとすれば、母の状態がだんだん前に近づいてきて、視力に障害はあるものの、頭がはっきりしてきているということである。もう前のような、ピントのずれたやりとりはなくなった。

ああ、でもなあ。週に1度は帰ってこないと、ベランダにたくさん置いてあるハーブやオクラが枯れてしまう。ナスタチュームは調子よく伸びているし、オクラもやっと本葉が出てきたところなのだ。こうなったら、塾講のバイトだけは残して、週1帰ってくることにしようか…うーん。

01/6/17(日) am 帰省、そしてまた帰省
今週の火曜から金曜まで帰省していて、金曜の午前中にやっとこっちに帰ってきたのに、また明日帰省しなければならない。

なぜなら、今度は母方の祖母が入院したからだ。この祖母は去年も余命半年の宣告を受けていたが、今度も宣告を受けた。2度目の余命宣告は、「あと1ヶ月」。

母が大怪我をして入院が2ヶ月目に入ったこの6月はじめから1ヶ月ばかりで、急速に体調が悪化していったようだ。最近2週間ほどは、何も食べ物をとることができず、家を閉めきってただ寝ているだけの生活をしていたらしい。90近い祖母が、たったひとりで、何も食べることもできずにひとりでベッドで眠り続けていた日々を想像すると、胸が痛くなる。

祖母の痩せ方は尋常ではなかったらしい。定期的に医者に診てもらっているのだが、10日ほど前、診てもらってそのまま点滴を打つことになった。点滴は4日続いた。そのあたりで、見かねた知人が、祖母の長男であり母の兄にあたる伯父に電話をかけたらしい。母の所は母を入れて四人兄弟で、この伯父は長男である。上に男二人、その下に女二人の四人兄弟だ。

私に言わせれば、祖母を嫌い、何十年もずっと長男としての責務や祖母への責任を全くほったらかしにしてきた伯父である。昔から全く実家に寄りつかなかった。神奈川に住んで家も持っており、経済的にそんなに苦しいはずはないのに何年も祖母に会いに来ない。祖母が癌の手術をした時とか、ごくたまにお盆に来るくらいである。だいたい何年かに一度のペースだ。

母の話では、伯父は祖母のようなタイプの女性(要するに、しっかりした意志強き、言い換えれば頑固で我の強い女性ってことだが)が嫌いだとかで、結婚相手も祖母のようなタイプでない女性を選んだという徹底ぶり。その証拠に、確かに伯父が伴侶として選んだ伯母は全くのんびりしていて、何をするにもあまり気が利かず、動作が遅いという、全く祖母の性格を裏返したような人である。

その伯父に、今度ばかりは連絡が来た。それも、いつものような弟妹たちからの連絡ではなく、いくら自分も知っているとはいえずっと連絡すら取っていなかった祖母の知人からである。祖母の状態があまりにひどいから、長男である伯父から、病状を医者に確かめて欲しいという電話だったらしい。

いつものごとく、伯父は渋っていたのだろう。すると今度は、すぐ下の伯父が伯父に電話をかけてきたらしい。

祖母が点滴を受けるような状態になる前に、母のすぐ上の伯母が心配して祖母の様子を見に来て、家の散らかった様子や祖母の憔悴した感じを下の伯父に話していた。その内容を受けて、伯父に苦言を呈するための電話だった。

今まではずっと近くにいた私たちの家が祖母の面倒を見ていたが、母が入院している今そっちを頼るわけには行かない、いい加減長男である伯父が出ていくべきだろう、というような内容のことを下の伯父は電話で言ったようだ。

伯父はさすがに出て行かざるを得なくなった。ところが、あろうことか伯父は祖母宅に1時間ほどしか滞在せず、近くの宿泊施設に一泊し、「元気だったから」という理由で医者から話も聞かずに帰ってきてしまった。

それで祖母の病状はよくわからなかったのだが、昨日うちの母が退院するのと入れ替わるように、今度は祖母が医者に診てもらってそのまま入院することとなってしまった。いったん家に戻っていた伯母も、上の伯父も祖母の家に集まった。もちろん、退院したばかりの母も父と一緒に祖母の家に行き、入院した祖母を見舞った。

「顔がしわしわになって、別人のように痩せて、骨と皮ばかり」というのが、両親が私に伝えた今日の祖母の姿である。何だか本当に、たまらない。そんなに痩せてしまうまで、ひとりで家の中にいて、耐えていたんだなと思うとたまらない。

まだ若い私でも、ひとりで体調が悪くて寝ている時はひどく寂しい。祖母は賢い人だから、きっと自分の体調の悪さが普通でないことに気付いたはずだ。そんな予感と一緒にベッドに横たわって、2週間も寝ていることは私にはきっとできない。まして今回は、母が入院していたから、うちの方に助けを求めることもできなかったのだ。どんなに辛かっただろう。

上の伯父がたった一時間しか祖母の家に滞在せずに、たった一泊で、医者に話も聞かずに帰ってきてしまったということを私に伝えたのは父だった。そう伝えたあと、父はこう言った。

「『元気だったから』っていうけど、『元気』っていうのは何だろうな。点滴打ってるのが『元気』なんだろうか。じゃあ『元気』じゃなくなるときっていうのはいつかっていうと、本当にへたり込んで寝てるしかなくなる時だよなあ。あのおばあちゃんの場合、そうなったらもう死ぬ間際だよ。せっかくの親孝行のチャンスだっていうのに」

全く、その通りだと思った。要するに伯父はそういう当たり前な気遣いもできないくらい、祖母との間に溝があるのだろう。関わり合いたくないのかもしれない。結局、父が言っていた「本当にへたり込んで寝てるしかなくなる時」がこうしてやってきて、伯父は帰ってこざるを得なくなったわけだが。

そして、こうしてぎりぎりの命の期限を切られた時になって、やっと、祖母はひとりではなくなった。そういうのを見ていると、本当にたまらない。

ひとりで暮らすということは、半分以上、祖母の意志でやっていることだった。上の伯父は自分の持ち家に、ちゃんと祖母を迎え入れるための部屋を用意したらしい。それに祖母は応じず、頑固に山形に住み続けていたのだ。ある意味、祖母のわがままである。

確かに祖母は頑固で、他人の好意にうまく甘えることができない。心配して行っても、「どうして連絡してから来ない」と怒ることが多いし、扱いにくい。だけど、何も死ぬ1ヶ月前までひとり暮らしをさせておく必要はなかったんじゃないか。

長男である伯父夫婦は、二人とももう退職して、働いていない。子供だってもちろん自立している。そんな状況だったのは、伯父夫婦だけだったのだ。せめてこの2ヶ月だけ、母が入院して来られない間だけでも祖母のそばにいることはできなかったんだろうか。ついそんなことを考えてしまう。

でもそんなことを考えても、私だって、今からもう過剰に子供たちに依存しようとしている父の気持ちなどには、とても応じきれそうにないが。親の世話の問題は、本当に難しい。

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とにかく明日は、祖母に会ってくる。祖母はいつ昏睡に陥るかわからないくらいやせ細っているのだそうである。話ができるうちに話をしておかなければいけないと父が言った。

去年の祖父の例で知っているが、癌にかかっている人の痩せ方というのは本当に無惨である。どんな姿でも、動揺してはいけない。私が最後に祖母に会ったのは5月のはじめで、全く変わった様子はなかったのだが、あの時の姿のつもりで行ってはいけないだろう。

ああもういやだ、こんなのばっかり。去年の祖父の癌と死。今年の春の母の大怪我。そして今度の母方の祖母の入院。どうしてこうも不幸が立て続けに起こるのか。我が家はお祓いでも受けるべきであろう。

01/6/5(火) pm リフレッシュ休暇中

ここ数日で、ここ数年の総括のようなことが一気に起きているので、そのペースの速さに少しついていけない。

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今は実家に帰省している。5月の一番大変な時期に全く母の見舞いに行けなかった分を取り戻すつもりである。

今日は祖母に代わって昼食の支度をし、その後自転車とバスを乗り継いで母の病院に見舞いに行き、帰りにまた自転車とバスを乗り継いで、買い物をして家に帰ってきた。その後は祖母の畑仕事を1時間ほど手伝い、買ってきた物で夕飯を作った。

畑では今、いちごがどんどん実っていて、キウイの木にはきれいな白い花が咲いている。私はいちごとキウイの花がとても気に入ってしまった。

今までうちの畑でいちごを作っていた記憶が私にはない。どうやら、去年になって祖父がいちごを作ろうと言いだし、今年初めていちごを作ったらしい。自分が食べたくて作ろうと言いだしたいちごだというのに、食べないうちに祖父は亡くなってしまったというわけである。

2列になって植えられているいちごは、白い花が咲いて赤い実がたくさん実り、その姿だけでとても美しい。実にラブリーな植物である。

キウイの花はフリルのような花びらがたくさんついて、おしべがものすごく多くて、がくの部分が黄色がかったくすんだ緑色で、キウイの実の皮の色を薄くしたような色をしている。がくや茎には小さな白い毛がたくさん生えている。毒蜘蛛の背中や足のようながくと茎である。そのくせフォルムは全体的に丸みを帯びていてかわいらしい雰囲気だ。何だかとても変わっていて、非常に気に入った。

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私は高校の頃、隣の市にある学校にずっとバスで通っていた。2つのバスを乗り継いで、片道1時間半かかるという面倒なものだった。

ほとんどの人が自転車と電車を乗り継いで行くにも関わらず、私は自転車に乗りたくなかったので3年の間ずっとバス通を通した。ちなみに、1年中ずっとバス通学をしていたのは私が1年の時に校内で2人、2年生以降は校内で私1人だったように記憶している。

通学でバスに乗っている時間が、私は大好きだった。最短距離を車で行けばたった30分の距離を、バスはぐるぐるの遠回りでのろのろ進んでいく。しかし、バスから見える景色は最高だった。そのバスに、今日は母の見舞いに行くために乗った。

どこを見ても田んぼばかり、視線が突き当たるとそこは山、田舎の盆地のど真ん中をバスは走っていく。がらがらに空いているバスには、時々思い出したように農作業帰りのおばあちゃんが乗り込み、バス停を3つかそこら過ぎると降りていく。

日に日に大きくなる稲と、山の木々のこぼれるような緑色。田んぼの水は太陽の光を反射し、空は晴れて青く眩しい。端の方が茶色に腐食し始めている赤いバス停にはつた植物のつるが絡まり、白い花を盛大に咲かせている。民家の庭には、家人によって無計画にばらまかれたらしき真っ赤なポピーが一面に咲いてふわふわと風に揺れる。そんな風景が窓から見える。

まるで「となりのトトロ」の世界である。そこらの山にトトロの1匹や2匹はいそうな雰囲気だ。

この風景を見ると、私のストレスはすっ飛んでしまう。高校の頃もそうで、私はこの風景をバスに乗っている間じっと眺めながら、ぼーっと考え事をするのが何より好きだった。

あの時からもう6年も過ぎて、やっぱりバスに乗って考え事をしているその内容は、高校生の時よりも少し重たい。ここ数日猛烈な勢いで次々決着がついているいろいろなことを思い返しながら、この時期にこの豊かな時間を持てていることがうれしかった。

01/6/4(月) am 円満な別れ話などあり得ない

たった今、新聞社の方に内定辞退の連絡を入れた。

何だかものすごく暗い気分である。人事の方は明らかに落胆した様子で、しかも軽ーく内定した会社の悪い評判等も匂わされ、非常に辛い電話となった。こっちとしても本当に内定をもらったのが嬉しかったということを何とか伝えたいとは思うのだが、うまい言葉も出てこず、言葉が途絶えがち。あんな辛い電話はもうたくさんだ。

大体、恋愛等の修羅場体験何一つなく身辺まっさらきれいなこの私が、企業相手の別れ話なんてすんなりできるはずがないのだ!!

生まれてから一度も、何かを断る申し入れなどしたことがない。それ以前に相手から好かれない。あるいはこちらの意思表示もしてないうちに相手からさりげなく遠ざけられるというパターン。就職活動で言えばエントリーシート落ちみたいなもの。

それが就職活動だけトントン拍子にうまくいったから、心から困ったのだ。

もしそこに入社した場合私が記者を経験した後配属されるはずのメディア系の部署が、今度できるらしい。そこの立ち上げにはその人事の方も関わっているという話で、それゆえになおさら辛かった。一緒に働きたいと思ってもらったことがありがたいし、この人みたいな人たちがいるなら一緒に仕事をするのも面白いかな、と思っていただけに。

あー。どうしてこんなブルーな気分なんだ? ここの人と電話で話をすると、たいていひどく動揺させられて冷静な判断がしばらくできなくなる。全然関係ないがたぶんあの人事の方が40代半ばくらいで私が一番弱い年代だからということも大きいような気がする。思った通り私の不倫危険度は高いな。この流されやすさはヤバイので気をつけなければならない。要注意。

ということで、書いていたらだんだん気持ちが落ち着いてきた。しょうがないのだ、ハードな記者の生活に私は耐えられそうにないと思ったのだから。選択肢のある中でじっくり考えられたことは何よりだったと思う。でも本当に疲れた。

就職活動は結婚相手を探すようなもの、とよくたとえられるが、企業の人事担当相手の駆け引きがこんなに辛いなら私は恋愛の修羅場にはとても耐えられない。ましてや有力な候補が2名いたら超懊悩で引き延ばした揚げ句そのまま入水もあり得ない話ではない。

もうすぐ内定辞退書が送られてくるだろうが、それとともにお詫びの手紙を同封して出そうと思う。

01/6/3(日) am 就職活動、終了

先日相次いで2社から内定をもらい、私の就職活動は終了した。

一社は地元地方紙(志望度第2位、一応、マルチメディア系もできる記者職という枠)、一社は印刷会社(志望度第1位)で、両方とも僅差の志望度。その他、東京の印刷会社や山形のテレビ局も2次面接で残っていたけれど、この2社から内定をもらったら十分なので、辞退させてもらった。

だいぶ揺れたが、当初の志望度通り、印刷会社に行くつもりである。しかしここまでが大変だった。

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印刷会社より一足先に地元地方紙の方から内定をもらっていた。それが5月26日のことだったのだが、印刷会社の最終面接が3日後にあり、その結果を待ってよく考えてから決めたいと態度保留を希望した。すると人事の方から、新たにできるメディア関連の部署をこの混沌状態から作り上げていく人としてぜひ来て欲しいという、熱心なプレゼンを受けてしまった。

「まさか内定をいただけるとは思わなかったので」と言うと「あなたは評価が良かったですよ。Aの○だし」と今度は褒められてしまい、気持ちが大揺れに揺れて参った(選考の時にランク付けがあったことも初めて知った)。

新聞社のしかも編集だなんて難関でまさか受かると思っていなかった。

人事の方もありがちな若い社員さんではなくてベテラン記者だった人(これは最終面接の直前に知った)だから、そういう人にいろいろ言ってもらえたこと自体が光栄すぎて、態度保留にするのがつらかった(ちなみに、ここの人事の方が私が就職活動で回った中で最も眼光鋭かった。今思えば元は記者だった人だかららしい)。すでに内定承諾書の書類が届いており、期限が6月9日。

まだ休日なので辞退の電話はかけていないが、週明けすぐに連絡するつもりである。でももしまたその人事の方に熱く語られたら弱ってしまいそうなので、何と言うかはよく練らなければならない。もともと半端な気持ちで受けたわけでもなく(過程は割と楽しんでいたが、志望理由は真剣だった)、結果が出てからは1週間悩み尽くしたわけで、半端な気持ちから出した答えでもない。正直なところを誠意を尽くして伝えればそれでよいだろう。

結局は「記者」が主、「マルチメディア」は従というとらえ方の人が最適な仕事になるのだが、私の中でそれほどまでに「記者」への指向は強くない。好奇心の強さには自信があるし自分の書く能力やものの見方も鍛えて試してみたいから、腹を決めれば記者でもやっていけると思う。

だがこうやって他の選択肢(しかも第一志望)がある時に、ずっと記者を主とした生き方を選ぶことはできないと思うのだ。記者になれば、生きている時間のほとんどを記者の仕事に取られる。休みもほとんどない。それでも記者の仕事をして、幸せだと思えなければこの仕事はすべきじゃない。そういうことを、新聞社からの内定をもらってから3日ばかり思い悩んで結論を出した。

そして印刷会社の最終面接を受け、内定が来た。もしこっちで内定が出なければ、私は編集の点からメディアに関わるという方向性に自分を定め、腹を決めて記者の仕事を受けるつもりだったが、こっちで出たらもう決まりであった。

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この二つの選択肢の前に、私の知人の反応はさまざまだ。「記者の方が向いているのでは」と言う人、「記者は違うんじゃない」と言う人。

印刷の方でも、もしかしたら私の望むマルチメディア系の業務につけるとは限らない。だが、自分の中の仕事のイメージは、記者の姿ではなく、やっぱり、企画会議で様々な人とぶつかり合い、

「ああくそっ、システム屋のくせにマーケティングにまで口を出しやがって! 一体何がわかるっていうんだこのおたんこなす!」

などの悪態をつきながらトイレでゴミ箱を蹴飛ばす。それでもくじけず企画書を作り、クライアントの前でプレゼンして今度は無理難題をふっかけられ、「ああもう、どうしてあんな分からず屋がクライアントなのだ!」などと言いながら今度はオフィスのゴミ箱蹴飛ばしつつ一生懸命方法を考える。そういうイメージなのだ。(記者やってるイメージもわくにはわくんだけど、こっちの方がやっぱり強い)

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とにかく今は、どうやってうまく辞退するかである。今後私の後輩にあたる人たちがここを受ける可能性が高い。私の印象が悪いと、私と同じ研究室の後輩などがいわれなき偏見を持たれてしまうから、それだけは避けなくては。

 

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