疲労のあまり息切れして、胸が苦しい。私は薄幸の不美人。
---- それは、この前の金曜の夕方だった。
私は1つ目のバイトを終え、2つ目のバイト先であるK合塾に向かっていた。小論文の採点会議に参加するためである。1回5000円。重要な収入源だ。
地下鉄の駅を降り、慌ただしくK合塾の裏側の入り口に急ぐ金曜の午後6時過ぎ。私はある女の子の後ろを歩いていた。地下鉄の出口からK合塾まではわずか1分である。女の子も同じ方向に歩いている。K合塾に行くのでなければ、近くにあるショップのどれかに行くのだろうと思われた。K合塾の建物周辺には、ストリート系の若い世代をターゲットにした店が密かにいくつか存在しているのだ。
女の子の年齢は18〜20歳ほど。軽く色を抜いたセミロングの髪を後ろで結んで、背は156センチ程度と高くなく、丸顔のかわいい感じ。濃いパープルのジャケットに、カーキ色のひざ丈スカート、黒のソックスとスニーカーというカジュアルな服装。うーん、K合塾の予備校生でなければ専門学校生か。
素材としてはもっと洗練することでまだまだ良くなりそうなのだが、あかぬけすぎずに原石の魅力を残している様子で非常に好感度が高かった。きっとマクドナルドでバイトしたら「スマイルひとつ」とお客さんに頼まれるタイプだ。高校時代の部活はテニス部か、下手だったけどバスケ部でした、という感じではなかろうか。
お父さんは割と頑固で、娘に悪い虫がつかないか常に心配している。間違っても私のように、「お前は結婚しない可能性が高いからな」なんて実父から言われるなんてことはない。女の子の人生だよなあ。かわいいよなあ。こういう人生を送りたかったのになあ。どこをどう間違ったのかなあ。
と、いうようなことを、その女の子の後ろ姿を見て2秒の間に考えるというぶしつけな真似をしながら、ため息つきつつその子の後を同じ方向に歩いていた。
すると、曲がり角を曲がってK合塾の建物が見えたあたりで、女の子が歩みを止めて上を見上げた。そして、
「どうしたんですか?」
と、斜め上に向かって大きな声で言った。彼女の視線の先をふと見ると、K合塾の隣の隣のビルの3階、テナントの窓から若い男が彼女の方に身を乗り出している。そのビルは1階がストリート系ショップ、2階はヘアサロン、3階も古着か何かの店のようだった。とすると男は店員か。
男は22〜25歳。笑って彼女の方を見ている。おそらく知り合いなのだろう。女の子が敬語を使ってるということは、先輩か何かか。男が何か言った。スタイリングがわからず顔もよく見えなかったがああいうショップの店員だから悪くは無かろう。こいつもしや、「悪い虫」か? お父さん、まったく油断できませんな。
などということをその男の姿を認識して2秒の間に考えていたら、20メートル先を歩いていた彼女の姿が消えた。曲がり角を曲がったのだ。ちょうど、K合塾の方である。
私は時計を見た。会議開始20分前。予習をまだやっていない私には微妙な時刻だ。そうだ、こんなこと考えてる場合じゃなかった。私はその日の会議のことを考え始め、そして、角をさっきの女の子と同じ方向に曲がった。時間差にして、30秒ほどか。
しかし、曲がり角を曲がって目にした光景に、私の視線も思考も釘付けになってしまった。
目の前の路上に、一組の男女が向かい合って立っていた。さっきの女の子が私に背を向けて立っており、その正面に、さっき声をかけてきた人物であろう男性。こちらは女の子の方を見ているので私は真っ正面から姿を観察することができた。
背は高い。180センチ。色が白くて、やせ形だがひ弱な感じではなく、肩幅があって腕はある程度しっかりしている。肩ぐらいの長髪を後ろで結んでいるようだ。スタイリングは想像していたとおりストリート系だが、色遣いが落ち着いていてやや上品。顔は想像以上で、ほりが深く目が印象的。芸能人で言えば、窪塚洋介が少しがっちりした感じ。うーむ、私はうなった。
うなったといっても男が窪塚洋介似だったということに対してではない。よりにもよってその窪塚洋介似が、いかにも嬉しそうな、優しげな微笑を浮かべて両手を少し広げるようにしてさっきの女の子の前に立っていたのだ。
彼氏か?と思ったがそうではない。距離が違う。歩幅にして2歩分の距離が2人の間にあり、それをはさんで向かい合っている。この微妙な距離感、なのに男は満面の笑み。そしておそらく彼女の姿が私の視界から消えた今のわずか30秒の間に走って下に降り道路に出て彼女と向かい合った。これは…
(うーむ、とんでもない所に居合わせてしまったようだ)
と、瞬時に私は思った。
おそらく男は前からこの女の子が気になっていたのだ。ショップに来るのか、どこかで会ったことがあるのか、はたまた学校の先輩後輩かそれはわからないが、あまり頻繁に顔を合わせる関係ではあるまい。だがとにかく彼は彼女と知り合って好きになり、しかし付き合ってはいないという微妙な関係にちがいない。
建物の窓から身を乗り出す彼に答える彼女の声は嫌な様子ではなかったが、恋する相手に答えるような華やぎはなかった。ということは、仲の良い友人レベルまでは親しく、彼女の方は彼を友人か、いい先輩か、まあそんな風に思っている。彼は彼女のことが十分好きなのだが、思いを伝えられていない。
「どうしたんですか?」と彼女が言ったということは、つまりその日は会えるはずがなかった日であり、にもかかわらず偶然彼女と会うことができたのであろう。彼のはしゃいだ様子からすると、しばらく彼女に会えなかったか、それとも偶然の出会いを運命とまで思いこんだか。店を放り出して路上に出たところを見るとそのくらいのテンション上昇が考えられた。
そして彼は、今彼女に向き合っている。「オレは嬉しい!」と顔に書いてありそうなほど嬉しそうな、そして優しい微笑を浮かべて、今にも抱きしめんばかりに両手を広げがちに彼女と向き合っている、窪塚洋介似。
私はびびった。これはまずい。このテンションだと、今にも告白しそうな勢いだ。まるで少女マンガの1シーン、窪塚洋介似だからさしずめストロベリー・オン・ザ・ショートケーキか。普通っぽい、でもかわいい少女が歩いていると、少女に強く思いをかけていたかっこいい系の年上の青年と偶然出会い、そしてそいつはいきなり告白。少女マンガにありがちだ。
そうすると私の存在はやばい。普通はそういうシーンに通行人は存在しないものだ。まして私のように主人公の少女の真後ろに通行人なんて、コマ的におかしい。一気にギャグマンガになってかっこいい系年上青年は少女に告白しないだろう。それはまずい。
告白のタイミングを逃すというのは大変なことである。そんなことになったら連載がまた半年延びて、私は青年と読者に呪い殺されるかも知れない。ここは早く逃げなくては。
一瞬2人に釘付けになっていた視線を私はあわてて道路に戻し、何も見ていない様子で2人の横を通り過ぎた。そして2人の立っている場所から10歩のところにあるK合塾の入り口に急いで逃げ込んだのであった。
---- 人の恋路を邪魔する者は馬に蹴られて死ぬらしい。恋路の邪魔はよくないけれど恋する場所を選んで欲しい。
観察好きの私は、そういうのを目にしたらついつい好奇心にかられてじろじろ見そうになってしまうのだから。人の告白シーンなんぞ、滅多に見られるものではない。そして駆け引き。一大エンターテイメント、私にとっては十分アミューズメントである。
それにしても、あの窪塚洋介似の彼の首尾はどうだったろうか。彼女の様子からすると、完全成功率は20パーセント、お友達から始めましょうと言われる率が50パーセント、そんなこと考えたこともなかったからお断りが30パーセントだと思うのだが。
ぜひ成功していて欲しい。せっかく気を遣ったんだから。
|