トラウマ蘇る大嫌いな季節の始まり始まり。

 

 

 

01/7/31(火) am テーブル叩いてビデオ鑑賞

こう見えて、実は4日分の日記が更新されています。たっぷりお楽しみ下さい。

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ストレス解消のため、念願の「チャーリーズ・エンジェル」のビデオを借りてきて観た(やっとツタヤで7泊可能になったため)。おかげで興奮して眠れない。最高に面白かった。

私は昔から強くて美人な女性が殴ったり蹴ったりする映画が大好きだ。自分の好きなものが2時間ずっと繰り広げられ、目がきらきらしっぱなしだった。始終テーブルをびしびし叩き、キャーキャーいいながら観ていたので、たぶん隣の部屋の人は深夜に何やってるんだと思ったことだろう。ごめんなさい、「チャーリーズ・エンジェル」を観ていただけだったのです。

こんなことなら、映画館で観たかった。フルスクリーンでルーシー・リューの蹴りを観られるなんて、素晴らしい。蹴られて飛んでいく悪漢もフルスクリーン。お空の彼方へ飛んでいけ。

私はやっぱり、ストレスがたまっているんだろうなあ。

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入院中の祖母の状態が、いよいよ悪くなってきた。昨日呼吸が苦しくなり、一時酸素吸入器をつけていたりしたそうだ。今は落ち着いているものの、目がきかなくなってきたり耳がきかなくなってきたりしているらしい。

付き添いにはおとといから母のすぐ上の姉である伯母が来てくれていたのだが、母も伯母も仕事の関係で明日には引き上げるので、入れ替わりで次男伯父のお嫁さんにあたる伯母さんが来てくれるらしい。例の、神経の細やかな優しい伯母さんである。

本当なら、来春から就職の決まっている会社の東京本社で、内々定者対象のグループワークと懇親会が開かれる予定なのだが、うち続くストレス性の体調不良と予断を許さない祖母の状態を考えて、行かずに家で休んでいようかと思っている。

今までの例だと、たいてい私がごく珍しく友達の家に宿泊したり、就職試験を受けるなどの直前に急なことが起こっている。祖父が死んだのは、本当に珍しく友達の家に宿泊していた時だし、母が階段から転落したという知らせが来たのは東京での就職試験の直前、弟のアパートで身支度をしているときだった。

ああいう風に自分のなかでも非日常事態の中にさらに気持ちが動揺させられる出来事が来ると、本当にストレスがかかって心臓がおかしくなりそうなので、今回は家でおとなしくしていようと思っている。

 


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01/7/30(月) am 無党派層に受けない

先日学校に行って、私が塾をやめるにあたり後任者になってくれる人をめでたく見つけた。あとは、あと正味5日となった勤務日をこなしてやめるだけである。

今日は、塾でしげよしくんという男子生徒を担当した。他の生徒たちと同じように受講記録のファイルをチェックしていた時、しげよしくんが以前I先生の担当だったことを知った。

I先生は国語の先生であったが、5月いっぱいでやめていた。慶応卒でうちの塾には珍しく見るからに頭の良さそうな、知的でクールなタイプの先生で、話しぶりも落ち着いていた。骨柄卑しからず、容貌白皙の美青年…とまで言うと言い過ぎだが、雰囲気に上品さがあって育ちの良さがうかがえた。教え方もなかなかだったので短期間の勤務ではあったが生徒から人気を得ていた。

(ちなみに私の大嫌いなT先生(例の、カラオケで聖歌と唱歌と戦隊アニソンしか歌わなかった女性講師である)に気に入られて飲み会でよく絡まれかわいそうだった。彼女は飲み会で気に入った年下の男性講師に絡むのが悪い癖である。)

「あ、しげよしくんは前はI先生に教わってたんだね」と言ったら、しげよしくんが「そうなんだけど、最近I先生いないですよね」と言った。

「あれ、しげよしくん知らなかったんだ。I先生、もうここをやめられたんだよ」
「えっ、そうなんですか?」
「そう。勉強の関係で、5月いっぱいでね」
「うそー、イケメンだったのになぁ、I先生」

しげよしくんはいかにも今風の高校生といった感じの生徒である。茶色の髪は立て気味にスタイリングして、決して勉強が好きなタイプではない、普通の生徒。そういうしげよしくんがこれだけ惜しんでいるということは、きっとI先生はしげよしくんにとってよほど魅力的な先生だったにちがいない。

雰囲気の良さに加えて、教え方もよかったからここまで言われているのだろう。しげよしくんは「イケメンだったのに」というのを理由のようにしているが、結局教え方がよくなければ惜しまれることはないはずだから。私は、I先生は成績が中から上の生徒たちに受けるキャラクターだと思っていたので、しげよしくんのような中の下の成績の生徒に受けていたというのを目にしてちょっと驚いた。

私はこんな風に、「ごく普通の生徒」に受けることはまずない。教え方がまずいのか雰囲気がダメなのかよくわからないが、私がこういう感じに普通の生徒に惜しまれるっていうことはあり得ないだろう。自分のせいでそうなんだろうけど、純粋にI先生をうらやましく思った。

(いいよなあ。私、ああいう「にじみ出る知性」とか、無いもんねぇ…)

私は全く正反対で、どちらかというと体でぶつかっていくような教え方しかできないので本当にうらやましいのだ。無党派層に広く支持される講師ってさぞいいものだろうと思う。

私はといえば、手のかかる生徒に極端に気に入られる傾向があって本当に難儀だった。二年半の塾講師生活を思い返してつくづくそう思う。疲れ果てた。癖のない普通の生徒に受けないというのは辛いことだった。ほんの半年で「普通層」の心を確実に掴んでいたI先生の事例を目の前に見せつけられ、本当にショックを受けた。

たぶん私があと二週間そこらでやめても、それに気付くのはごく限られた、今なら担当している学習障害児のひろやくんくらいのものだろう。そう考えたら、私が一生懸命やってもやらなくても結局同じという気がしてきて、その後の授業で著しくモチベーションが下がって困った。

まあでも、稼ぎの面だけならI先生に勝っていた自信はある。この塾はマンツーマン授業に持ち込むと時給が跳ね上がるのだ。特定の生徒に気に入られるとそのまま指名されてマンツーマン、というパターンが私には多かった。労働の面ではI先生より疲労が激しかったとは思うが、稼ぎの面でも二倍はもらっていたにちがいない。

結局仕事なんて、最後は割り切りなのだろうか。

 


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01/7/29(日) am また、ストレス

最近、目をやられるほどストレスがたまっているので、ますます趣味の園芸に拍車がかかっている。

ハーブ屋に行くと必ず種を買って帰ってきてしまい、すぐさま植えてしまう。この間植えたカモミールが、長期帰省の時の暑さで死んでしまったため、今度は見るからに丈夫そうなポットマリーゴールドの種を買ってきて植えた。そうしたところ植えて2日目にはもうどんどん発芽し、すばらしい生命力を見せてくれている。

バイトや学校を終えて部屋に帰り、窓を開けて、ベランダに置いてあるサンダルを履いて腰を下ろし、たくさん並んだ鉢と成長している植物を見るのが、最近は何よりのストレス解消。

それにしてもどうにかならないだろうか、うち続くストレス性の体の不調。

どうして眼科で「最近ストレスや疲労はどうでしょうか」とか「難しいことだと思いますが、なるべくストレスや疲労を少なくして生活なさるように…」などと言われなければならないのか。

別にいいか。前に循環器科で「私は毎週木曜ならいますから」と先生に人生相談を買って出られたときよりはマシだ。真面目に相談に行こうかなあと思うこともある(でももし行ったら今度こそ精神安定剤を処方されそうだから行かない。私はもう少し、薬なしで頑張ってみたい)。

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久しぶりに連続して学校に行き、講義を聴いたりテストを受けたりした。あまりの懐かしさに涙が出そうだった。こういう暮らしをしているだけでよい時間が、かつて私にもあったのだ。

昔はきちんとはまっていられた空間で今は大きな違和感を感じる。それはつまり、過ぎた年月が、もうずっと前に私をどこか遠いところへ連れてきてしまったからなのだろう。

やっぱりなあ。あの当時の同級生で、正規の学生の身分として今学校に残っているのは一人しかいない。見知った顔は遠くへ離れ、みんなバラバラになってしまった。私はそれだけ年を取り、遠くへ来て当然なのだ。

次に私が居場所を見つけるのがどこなのかはよくわからない。たぶんどこか別の場所を見つけても、またあまり長続きしないような気がする。大学にいる間にわかったことだが、同じ空間でも自分が何年か年を取ると、本当に、全く別の違った顔に見えてくるということはあるのだ。

ちびちび小出しに情報を吸収しながら過ごすなら何十年という単位で居られるだろうが、私はごく短期間のうちにあらゆる角度の情報をできる限り吸収しようとするタイプなので、そういうことはできない。人の何倍もの速さで所属集団の情報をプラスからマイナスまでたっぷり吸い込むから、何年かすれば吸い込むものが無くなって全く好奇心を刺激されなくなってしまう。

ある空間、集団というものは不思議なもので、メンバーが入れ替わって全く新しくなったとしても、集団そのものが持つ雰囲気や行動パターンは全く同じだったりするから。入ってくる人間のキャラクターも、昔見た誰かと似通っていたりしてパターンは同じ。私は何年も何年も同じようなことが繰り返されているのを、そのたびに驚いたり笑ったり楽しんだりできない。謎は全部解けてしまっているのだから。

時々、何か大事な謎を、解かないままで遠くに置いてきてしまったような気がすることがある。そういうのは、私の勘が無意識のうちに答えを弾き出していて、はっきり知らない方がいいと思ってわざと残しているだけのように思う。真偽のほどはわからないんだけど。

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思えばストレス性の身体的不調は、私がやりたいことを体の方が先回りしてくれているだけなのかもしれない。あんまり生きていたい気がしないから心臓がストを起こして息が苦しくなり、いろんなものを見たくないから眼がストを起こしてひどい炎症になり、痛くて眼をあけていられない……そういうことなのかもしれない。生きるのがすごく面倒くさくて、最近よく投げ出したい気分になる。

 


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01/7/28(土) am また、ストレス

今週の月曜から、右目が痛かった。いつもの疲れ目だと思って放っておいたのだが、どうにも痛くなって、ずきずきして仕方ない。しょうがないから、行きつけの病院に行った。前に、耳の聞こえがおかしいということでフルに聴力検査してもらった耳鼻科のある総合病院である。

国家公務員御用達の総合病院だから、受付もスムーズで建物もきれいでなかなか気に入っている。ここの病院の先生は、みんなえらく頭が良さそうで理知的なのも好感が持てる。内科で調子が悪くなったらこの間心臓を診てもらったピンク色の病院、それ以外の科に行かなきゃいけないようなときはこの病院と決めている。かなりの病院をはしごして出した私なりの結論である。

さほど待たされることもなく診断された。女性の医師で、ひとしきり眼を診た後こんなやりとりをした。

「アレルギーはありますか?」
「いえ、ありません」
「最近、疲労やストレスはたまっていますか?」
「はぁ。それはもういろいろ」

あれ? どうして眼科でストレスの話になるんだろうか。確かこういうの、前に、心臓がどきどきして病院に行った時も言われたような……

「これは、結膜炎が眼の表面から外側の強膜というところにまで炎症が広がって痛みが出ているんですよ」
「はい」
「ストレスや疲労でひどくなっているんだと思います」
「えっ、ストレスで眼に来るんですか?」
「はい。ストレスや疲労のせいで結膜炎になるということがあるんです。少し長引くかも知れません」

私は、がっくりと肩を落とした。だが聞いてみたら、私の場合は1週間から2週間で治る程度のものらしい。この結膜炎は外側の要因からではなく、あくまでも疲労やストレスといった内側からの要因で炎症がおこっているので、眼帯などはしなくてもいいということだった。

「内側からの炎症……」
「なかなか難しいことだとは思うのですが、なるべく疲労やストレスをためないようにして生活をなさってください。また一週間後に来て下さいね」

ということで、私は今コンタクトレンズができず、メガネ生活を送っている。眼は痛い。激痛ではないが、重たい感じでずきずきうずく。病院に行った時は右目だけだったが、だんだん左目も痛くなってきてしまった。ああ、両目ともに結膜炎か。これのせいで、右目の視力が少し落ちているような気がする。

きっと、体の方も生きてるのがめんどくさくて、ストライキを起こしているんだろうなあ。ストレスで眼にくるとは。独特の痛みで、眼を開いているのがつらい。

ちょっとだけ、『源氏物語』の朱雀院の眼病を思い出した。彼もきっと、ストレスで結膜炎になったにちがいない。

 


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01/7/23(月) am 衰え、苦しく

年齢のせいだろうか、あちこちにはっきりと衰えが見えてきて、ショックでひどくおちこんでいる。

化粧品屋のお姉さんに「ストレスも原因になりますから」と言われ、泣きたい気持ちで店を出た。そうだよなあ。思い当たるところはたくさんある。私は一体全体、ストレスをために生まれてきたんだろうか。私が生きてる意味って何?

去年からトラブル続きの実家は、ほとんど間をあけることなく、今もまだ大変な状況だ。母方の祖母のところには、病み上がりで体調の良くない母が泊まり込みで看病し、その病院まで車で往復2時間の距離をほぼ毎日、仕事帰りの父が車で通っている。

実家の父方の祖母は、家でぽつんと一人で置かれる状況からか、昔からの情緒不安定に輪がかかり、訳のわからないことで泣き出したり、急に機嫌を悪くして引きこもったりする。栄養バランスのとれた食事を自分で作らないので、いつもスタミナ不足に陥ってはふらふらすると泣き言をこぼす。あることないこと近所に言い散らす癖があって、そのために父に注意されては大喧嘩を繰り返している。

そんなトラブルの数を数えている私が一番情緒不安定なのかも知れない。バイトと学校と実家への帰省が息つく暇なくみっちりつまっていて、気の休まる時間がない。心臓はまた苦しくなるし、誰かに頼りたくても頼るあてはなく、やることばかりたまってきて、生きているのをやめたくなる。

この先生きていて「ああよかった!」と心から思えるほどいいことに出会うのもあまりないことだろうと思う。知らなきゃ良かったと思うことが盛りだくさんだろう。だから別にやめちゃってもいいのだが、今までただ生きていくためにいろいろ頑張ってきた自分のむなしい努力の数々が思い出されて悔しいから、仕方なく死なずにいるだけのことなのだ。

でも反面、これだけのことに遭遇すると、この先これ以上生き続けていくのが、本当に怖くなる。想像を絶する恐怖が私を襲うんだろうけど、でもたぶん、それを振り払うのも乗り越えるのも、きっと自分一人きりでやることになるのだろう。なんて恐ろしい。

あー、なんだろうなぁ、生きてる意味。

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単に生きるだけなら、どうにでも生きられるし、身を守って楽に生きたらいいのに、どうして、「もっとよく生きたい」などと思ってしまうんだろう。ああ、何でだ!

とにかく、本当に体調が悪い。こんなに心臓が苦しかったりして大丈夫なんだろうか。本当は明日は学校に行く日だが、倒れずにいられる自信があまり無い。明日一日は学校を休み、家で休養しようと思っている。

01/7/15(日) pm 思いやりではなく、ただのケチ

私がいま塾で担当している生徒に、ひろやくんという高3生がいる。

小さい頃に多動(学校などで静かに落ち着いていることができず、始終動き回っている)で、小学校から今まで宿題をやったことがない。小学校で習うような漢字を書けず、話し方がゆっくりで舌足らずな感じである。上司も言っていたが、小学校教師をしている母に話したら、学習障害児だろうということだった。

学習障害というのは一種の脳の障害として考えることができるそうで、知的障害とは違い、全く勉強ができないのではなく、能力に大きなムラがあるらしい。すごくできる分野と、すごくできない分野という波があるということだ。例えば漢字の書き取りは全くできなくても、数学が飛び抜けてよくできるとか、そういう風に。

私はひろやくんの担当で、国語と英語を教えている。得意分野は発見していないが、漢字の書き取りはできなくても、現代文の読解は人並みにこなしているらしいから、確かに能力のムラはあるようだ。書き取りは、何度やってもなかなか覚えない。でもやる気はあって、漢字検定のテキストを毎回頑張ってやっている。

ひろやくんは要領よくやるというのが苦手だ。例えば効率よい学習の仕方を自分で考え、工夫するというようなことはできないのだ。こちら側である程度効率よく勉強のできる方法を工夫してあげた方がうまく行く。私は漢字検定のテキストを一回分ずつコピーをとってコピーに書き込ませ、テキストを何度も使えて、しかも問題と答えがすぐに参照して見られるようにしていた。

先週、私は実家に帰るため、バイトを別な先生に代わってもらった。例の、カラオケに行って聖歌と唱歌と戦隊ものアニソンしか歌わない、極めて自己中な女性専任講師である。それで、ひろやくんもその先生に担当してもらったのだが、帰ってきてひろやくんの勉強を見直して、私は愕然とした。

なんとひろやくんは、テキストの答えを、今までコピーを取って書き込んできたプリントの裏に別に書かされていたのだ。これでは問題と答えが照応できず、しかもひろやくんは順番良く見やすく書くという工夫を自力ではできないから、何がどこに書いてあるのか極めてわかりづらくなっていた。なぜ私のやり方を同じように踏襲してくれないのだろうと私は思った。

私はピンと来た。女性講師は、コピーの経費を浮かすため、ひろやくんにテキストをコピーしてくれなかったのだ。その授業の前の時間、私は夏期講習のためにテキストをコピーしようとした。するとその講師は

「無駄なコピーを取らないように、これを使ってよ」

と、自分が予習済みのプリントを手渡した。全く使っていないまっさらなプリントなら話もわかるが、その人が予習した書き込みがあった。そのプリントは後々その先生に返さなければいけないし、これでは私が書き込めず、予習ができなくて全く意味がない。これを持ち帰って自腹でコピーを取れとでも? 塾でコピーを取っても、たかだか10枚程度。100円分のコピー代がもったいないとでもいうのか。「思いやりがあるようでいて、ただのけちな女!」と思ったばかりである。

私のコピー代がケチられるのは我慢するにしても、ひろやくんのことは話が別だ。私がひろやくんにコピーを取ったテキストを渡していたのは、無駄なコピーではない。それを自分のやり方を通して、ずっとひろやくんを担当している私のやり方を尊重してくれなかったのはあんまりだ。

お金をかけなくても勉強はできるという論理はわかるが、場合による。ある程度お金をかけた方が効率よく勉強できる環境が整うということはあって、ひろやくんの場合は、持っている学習障害の都合上それが必要なのだ。でもたぶん、私がそう言ったところで専任講師の彼女の主張の方が尊重されるはずであり、私の話は耳を貸してもらえないだろう。たったテキスト1回分、コピー5枚の節約がそんなに大切か。

何だか体中の力が抜けて、がっかりしてしまった。こんなケチ女が幅をきかす塾なんぞで働くのはまっぴらごめんである。こういう、無意味にケチな奴って大嫌いなのだ。

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実はこの日、授業が始まる前にも塾で不愉快な思いをしている。

塾には講師ごとにファイルがあるのだが、塾の上司や事務処理のシステムが変わって生徒の通時的な状況が把握できなくなってしまったので、自分なりに生徒の状況を書いた紙をはさんでおいていたのだ。ところがその日、塾に行ってファイルを見てみたら、その紙がそっくりなくなっていた。

なぜかはわからないが、誰か…おそらく塾の誰かが勝手に抜き取ったと思われた。その中には、別な生徒が残してしまった問題の予習用コピーも入っていたのだが、そっくりなくなっている。何のためかはわからないが非常に不愉快だった。

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塾の講師をやっていて、私が教えたやり方を気に入り私に教わるのを望んでくれる生徒がいたり、生徒の学力が向上するのを見る喜びというのも今まで確かにあったけれど、今度のことで何だか一気にやる気がなくなってしまった。

教室の合併に伴い移動してきた講師の中に、生徒に常に高圧的な態度で接している明らかに性格の変な人がいる。その人が大きな顔をしてのさばっていたり、先に書いたケチ講師が力を持っているような職場で働くのは嫌になってしまったのだ。

この先の成長を見たい生徒はひろやくんを含めて何人もいるが、私の私的な事情(実家のこととか)や、この先予想される塾での気苦労を考えると、何だか頑張り続ける気持ちがなくなってしまった。ちょうど秋に入れば修士論文に取り組むことになるし、ウェブバイトも順調だし、この夏いっぱいでやめさせてもらえないか話そうと思い始めている。

01/7/15(日) pm 感受性

帰省してきた。

母方の祖母の死期は着々と近づいていた。ここ3週間、病室(個室)に入ると独特の異臭がするようになっているし、ずっと黄疸で便の色が黒いらしい。ご飯はほとんど食べず、毎日栄養補給の点滴と、毎晩痛み止めの坐薬をしている。

祖母のところになどほとんど来たことの無かった祖母の長男である伯父は、祖母が入院してから3回ほどやってきた。しかし、数日前に来た時などほとんどピクニック気分で、クーラーボックスなどを抱えてやってきたそうだ。伯父の長女(つまり私のいとこ)のお姉ちゃん(30前半)など京都旅行のおみやげの花瓶を持ってきて、あとで祖母から大いに不興を買っていたらしい。二人とも一泊してすぐに帰っていったそうだが。

いとこのお姉ちゃんと伯父が帰った後、祖母は「今死ぬっていう病人に、花瓶なんか買ってくるもんではない!」と大激怒したらしい。祖母は自分の死期が近いということに気付いている。

伯父もいとこも、祖母に死病であることを気付かせないための気遣いとして、いかにも遊びに来たらしく演出をしている部分があるのかもしれないが、それが全く無意味であることに気づいていない。なぜなら祖母は、伯父が頻繁に来ている段階ですでに死期を悟ってしまっているからだ。ここ何十年の間、そんなことしたこともなかったんだから。

以前祖母が胃癌で胃を切った時も、伯父はこんなに頻繁にはやってこなかった。あの時だって、母が毎日毎日うちから祖母の病院まで往復2時間の距離を車で通って看病したのだ。それが今度は何度も来るのだから、祖母に気付くなと言う方が無理だ。

今回は母が病み上がりで本調子ではないから、この伯父の奥さんである伯母がしばらく祖母の病院に泊まり込んで看病をしていた。なんでも祖母の甥にあたるおじさん(県議をやっているらしく、態度はでかい)から「ばあちゃんの葬式は、今度だけは○○(伯父)にすべて采配を取らせ、お前たちは絶対に手を出すな」と、母も、母のすぐ上の姉である伯母も厳しく言われたのだそうだ。

だから、今回ばかりは最後の看病を長男の嫁である伯母にまかせ、自分たちは手出しせずにいようということだったらしい。ところが伯母は、例の如くふわふわした人なので祖母とも合わず、途中で嫌になって1週間ほどで帰ってしまったらしいのだ。

仕方がないから、母のすぐ上の姉である伯母が仕事を1週間も休んで祖母のところにいて看病をしてくれた。この伯母は人の3倍も働く有能な人で、日に3度も祖母の家と病院を自転車で往復し、祖母の付き添いと家の掃除とをパーフェクトにこなしたらしい。

そして先週の木曜から、とうとう母がこの伯母と入れ替わりで祖母の付き添いをすることになった。怪我から完全に体力が回復しているわけではないのに、大丈夫なのかどうか私たち家族も本当に心配している。だが唯一仕事をしていない長男伯父夫婦は全く当てにならないので、仕方ないらしい。

祖母にしても、長男の嫁である例の伯母について「体ばかり大きくて動作がのろく、病室のベッドにぶつかってばかりいる」とぼやくらしい。つまりは伯母のことが好きではないので、付き添われてもあまり頼りにできなくて不満が多いらしい。祖母には息子が二人いるが、同じお嫁さんでも次男の嫁である伯母は神経が細やかで、自身入院の経験が何度かあるので行き届いたことをしてくれると褒めていたそうだ。

以前、妹の結婚式の時に、車いすで途中から参加する祖父のことを気にしながら、カメラを持って写真を撮ったり親戚に挨拶をして回ったりしてテーブルに着く間もない私のことを気遣って、食べ物をとっておいてくれたりしたのがこの次男の嫁である伯母だった。何年か前、夏に珍しく親戚がそろい、子供っぽくはしゃぎ回るいとこ連中についていけずに浮き上がっていた私のことを気遣ってくれたのもこの伯母だったと思う。人の気持ちがよくわかって、弱い者に優しい伯母なので、祖母がそう言うのもわかる気がした。

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人の気持ちに対する細やかな感受性が欠けた人は、こういう生死の絡んだ重たい場面で、本当に無頓着に、無神経なことをしでかす。相手の心情がわかればそんなことしないだろうに、ということを、平気でやってしまうのだ。

祖母の死が近づいているこの数ヶ月、何かとトラブルを起こす長男伯父は、この感受性が欠けているとしか思えない。自らの世界で、自分がやりたいようにだけ行動していて、他人の視点や立場や、心情といったものを考える回路がない。もしかするとそんなものを入れながら生きていたら四人兄妹の長男という立場で自分の人生が押しつぶされるから、ずっと昔に意図的に排除したのかも知れない。

以前母が階段転落による頭蓋骨陥没骨折で病院に運ばれ、2日ちかく生死の境をさまよった時も、この伯父の無神経さを目にしたことがある。

母が病院に入院した翌朝、ほとんど眠らずに病院にいっぱなしの父と、朝いちで父の車で病院に来たばかりだった私が、病院の待合室に不安なまま詰めていた。そこへ、前の晩から山形に来ていた母の兄姉たちがやってきた。そして待合室の椅子に座って、この伯父が発した第一声は母の病状をたずねるものではなく、泊まっていた宿から病院に来る間の道で見た風景は、秋になったらもっと見ごたえがあるだろうなあという観光客気分の一言だった。

一体何を考えているのか、お気楽なこの言葉に私は心底腹が立った。こっちはお客さんを迎えているわけではないのだ。そんな言葉に応対できるほど心の余裕はないのだ。何かもっと他に言うことがあっただろう。このあと伯父の弟である次男伯父が母の病状をたずね、母の姉である伯母はやってくるとすぐに母の病状を父に確かめ、今の状態を確認していた。

確かに、他人のことを思いやって行動するのは、まず自分の世界や楽しみを持ってからだと私も思う。だが、ここまで自分の世界ばかりの伯父には私も呆れたのである。こういう人が父親なんだから、いとこのお姉ちゃんが祖母の不興を買うような行動をとってしまうのも仕方ないのだろう。

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逆に私や両親などは、もっと自分の暮らしを大事にしなければいけないのだが。他人の都合に振り回されすぎて自分の健康を押しつぶしてしまった母のことなどを考えると、どちらに偏るのも良くない。

01/7/7(土) am 身震いしながらレンタルビデオ

最近、レンタルビデオを時々借りている。

こないだ観たのは「将軍の娘 エリザベス・キャンベル」。公開当初から観たい観たいと思い続けてやっと観た。

音楽のチョイスとか、蒸し暑そうな亜熱帯の描写とか、全体的に黄色や茶色っぽい画面とか、とにかく雰囲気があって、クールな映画だった。謎解きはやや平凡で、始まって15分、役者が出そろった時点で大体の結末は読めてしまったのだが、それでもあまりあるほど雰囲気のある映画だった。日曜の夜、ぼんやり観るのにおすすめ。

だがしかし、本場アメリカ、しかも軍ならではのハンパじゃないレイプシーンには観ながら心底ぞっとした。視覚の暴力。あまりの恐ろしさに声も出なかった。体が震えた。これほどひどい犯罪はこの世にない。そんなことするくらいなら、いっそ殺してもらった方がどれほど楽か。私だったらたぶん気が狂う。とにかく凄惨でリアルすぎて、そのあと1日中気持ち悪く、吐きそうだった。映画でトラウマなんてやってられない。

ってことで、いろんな意味でおすすめです。ああ、音楽とか画面の感じはすごくいいのになあ。これさえなければ。

角川映画の「里見八犬伝」で、真田広之と薬師丸ひろ子のラブシーンさえなければいいのになあ、と思うのと同じだ(まったく、何であんなシーンをいれたんだ。全くつまらないため、毎回あの部分だけ早送りして見なければならない)。あれさえなければ、「里見八犬伝」が私の邦画ランキングNO1なのに(ちなみに、NO1は伊丹十三の「スウィートホーム」。ハリウッド映画の「ホーンティング」とテーマも舞台もそっくりだが、もっとセットに金をかけたら「ホーンティング」よりずっとこっちの方がいいのに)。

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で、今日は「エリザベス」を観た。これも公開当初から観たい観たいと思っていて、やっと実現。

周りからはケッコンしろケッコンしろとせっつかれる。だのに寄ってくる男はみなろくでもないか変態で、唯一信じた男には「オレじゃなくて別な奴と結婚しろ」と言われ、しまいには裏切られ。しょうがないから泣く泣く女としての人生を諦め、仕事とケッコンし、ヴァージン・クイーン。イギリスは最強の国に。もう、何て言うか、あまりの孤独にぞっとして、あまりに可哀想で泣きそうだった。

自分の将来の姿に身震い。すごく後味が悪かった。

私の希望としては、「私には男妾が一人! 夫は持たぬ!」とか言って男妾とやりたい放題、という胸のすかっとするような話だといいなぁと思っていたのに……

女がきちんと社会で自立し、自分の力を最大限に生かして一流の仕事をするには、女としての人生は邪魔なだけなのかも、という重たい問題を突きつけられたような気がして恐ろしかった。どんどん石のような表情になっていくエリザベスが無惨でしょうがなかった。

ああ、どうして400円近い金を払ってこんな苦しい思いばかりしなければならないのだろう。「エリザベス」はかなりみぞおちに食い込む1本だった。歯の2、3本、あばらの4、5本はやられた。当分ダメージから立ち直れそうにない。次は絶対、「親指タイタニック」か「裸の銃を持つ男」か「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」を借りよう。

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ああそれにしても、似てるなあ。私もこの分じゃ、仕事と結婚する運命か……それはそれでいいのかな……でもな……これほど金と権力とカリスマがあるなら孤独に耐えてもいいけど、ただのオールドミスと蔑まれ、癌で苦しみ抜いて死んでも葬式に来るのは近所のひと数人で香典もわずかな人生だろうし、孤独に耐えるだけの価値は何もないような…

01/7/1(日) pm 目の前でストロベリー・オン・ザ・ショートケーキ

疲労のあまり息切れして、胸が苦しい。私は薄幸の不美人。

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それは、この前の金曜の夕方だった。

私は1つ目のバイトを終え、2つ目のバイト先であるK合塾に向かっていた。小論文の採点会議に参加するためである。1回5000円。重要な収入源だ。

地下鉄の駅を降り、慌ただしくK合塾の裏側の入り口に急ぐ金曜の午後6時過ぎ。私はある女の子の後ろを歩いていた。地下鉄の出口からK合塾まではわずか1分である。女の子も同じ方向に歩いている。K合塾に行くのでなければ、近くにあるショップのどれかに行くのだろうと思われた。K合塾の建物周辺には、ストリート系の若い世代をターゲットにした店が密かにいくつか存在しているのだ。

女の子の年齢は18〜20歳ほど。軽く色を抜いたセミロングの髪を後ろで結んで、背は156センチ程度と高くなく、丸顔のかわいい感じ。濃いパープルのジャケットに、カーキ色のひざ丈スカート、黒のソックスとスニーカーというカジュアルな服装。うーん、K合塾の予備校生でなければ専門学校生か。

素材としてはもっと洗練することでまだまだ良くなりそうなのだが、あかぬけすぎずに原石の魅力を残している様子で非常に好感度が高かった。きっとマクドナルドでバイトしたら「スマイルひとつ」とお客さんに頼まれるタイプだ。高校時代の部活はテニス部か、下手だったけどバスケ部でした、という感じではなかろうか。

お父さんは割と頑固で、娘に悪い虫がつかないか常に心配している。間違っても私のように、「お前は結婚しない可能性が高いからな」なんて実父から言われるなんてことはない。女の子の人生だよなあ。かわいいよなあ。こういう人生を送りたかったのになあ。どこをどう間違ったのかなあ。

と、いうようなことを、その女の子の後ろ姿を見て2秒の間に考えるというぶしつけな真似をしながら、ため息つきつつその子の後を同じ方向に歩いていた。

すると、曲がり角を曲がってK合塾の建物が見えたあたりで、女の子が歩みを止めて上を見上げた。そして、

「どうしたんですか?」

と、斜め上に向かって大きな声で言った。彼女の視線の先をふと見ると、K合塾の隣の隣のビルの3階、テナントの窓から若い男が彼女の方に身を乗り出している。そのビルは1階がストリート系ショップ、2階はヘアサロン、3階も古着か何かの店のようだった。とすると男は店員か。

男は22〜25歳。笑って彼女の方を見ている。おそらく知り合いなのだろう。女の子が敬語を使ってるということは、先輩か何かか。男が何か言った。スタイリングがわからず顔もよく見えなかったがああいうショップの店員だから悪くは無かろう。こいつもしや、「悪い虫」か? お父さん、まったく油断できませんな。

などということをその男の姿を認識して2秒の間に考えていたら、20メートル先を歩いていた彼女の姿が消えた。曲がり角を曲がったのだ。ちょうど、K合塾の方である。

私は時計を見た。会議開始20分前。予習をまだやっていない私には微妙な時刻だ。そうだ、こんなこと考えてる場合じゃなかった。私はその日の会議のことを考え始め、そして、角をさっきの女の子と同じ方向に曲がった。時間差にして、30秒ほどか。

しかし、曲がり角を曲がって目にした光景に、私の視線も思考も釘付けになってしまった。

目の前の路上に、一組の男女が向かい合って立っていた。さっきの女の子が私に背を向けて立っており、その正面に、さっき声をかけてきた人物であろう男性。こちらは女の子の方を見ているので私は真っ正面から姿を観察することができた。

背は高い。180センチ。色が白くて、やせ形だがひ弱な感じではなく、肩幅があって腕はある程度しっかりしている。肩ぐらいの長髪を後ろで結んでいるようだ。スタイリングは想像していたとおりストリート系だが、色遣いが落ち着いていてやや上品。顔は想像以上で、ほりが深く目が印象的。芸能人で言えば、窪塚洋介が少しがっちりした感じ。うーむ、私はうなった。

うなったといっても男が窪塚洋介似だったということに対してではない。よりにもよってその窪塚洋介似が、いかにも嬉しそうな、優しげな微笑を浮かべて両手を少し広げるようにしてさっきの女の子の前に立っていたのだ。

彼氏か?と思ったがそうではない。距離が違う。歩幅にして2歩分の距離が2人の間にあり、それをはさんで向かい合っている。この微妙な距離感、なのに男は満面の笑み。そしておそらく彼女の姿が私の視界から消えた今のわずか30秒の間に走って下に降り道路に出て彼女と向かい合った。これは…

(うーむ、とんでもない所に居合わせてしまったようだ)

と、瞬時に私は思った。

おそらく男は前からこの女の子が気になっていたのだ。ショップに来るのか、どこかで会ったことがあるのか、はたまた学校の先輩後輩かそれはわからないが、あまり頻繁に顔を合わせる関係ではあるまい。だがとにかく彼は彼女と知り合って好きになり、しかし付き合ってはいないという微妙な関係にちがいない。

建物の窓から身を乗り出す彼に答える彼女の声は嫌な様子ではなかったが、恋する相手に答えるような華やぎはなかった。ということは、仲の良い友人レベルまでは親しく、彼女の方は彼を友人か、いい先輩か、まあそんな風に思っている。彼は彼女のことが十分好きなのだが、思いを伝えられていない。

「どうしたんですか?」と彼女が言ったということは、つまりその日は会えるはずがなかった日であり、にもかかわらず偶然彼女と会うことができたのであろう。彼のはしゃいだ様子からすると、しばらく彼女に会えなかったか、それとも偶然の出会いを運命とまで思いこんだか。店を放り出して路上に出たところを見るとそのくらいのテンション上昇が考えられた。

そして彼は、今彼女に向き合っている。「オレは嬉しい!」と顔に書いてありそうなほど嬉しそうな、そして優しい微笑を浮かべて、今にも抱きしめんばかりに両手を広げがちに彼女と向き合っている、窪塚洋介似。

私はびびった。これはまずい。このテンションだと、今にも告白しそうな勢いだ。まるで少女マンガの1シーン、窪塚洋介似だからさしずめストロベリー・オン・ザ・ショートケーキか。普通っぽい、でもかわいい少女が歩いていると、少女に強く思いをかけていたかっこいい系の年上の青年と偶然出会い、そしてそいつはいきなり告白。少女マンガにありがちだ。

そうすると私の存在はやばい。普通はそういうシーンに通行人は存在しないものだ。まして私のように主人公の少女の真後ろに通行人なんて、コマ的におかしい。一気にギャグマンガになってかっこいい系年上青年は少女に告白しないだろう。それはまずい。

告白のタイミングを逃すというのは大変なことである。そんなことになったら連載がまた半年延びて、私は青年と読者に呪い殺されるかも知れない。ここは早く逃げなくては。

一瞬2人に釘付けになっていた視線を私はあわてて道路に戻し、何も見ていない様子で2人の横を通り過ぎた。そして2人の立っている場所から10歩のところにあるK合塾の入り口に急いで逃げ込んだのであった。

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人の恋路を邪魔する者は馬に蹴られて死ぬらしい。恋路の邪魔はよくないけれど恋する場所を選んで欲しい。

観察好きの私は、そういうのを目にしたらついつい好奇心にかられてじろじろ見そうになってしまうのだから。人の告白シーンなんぞ、滅多に見られるものではない。そして駆け引き。一大エンターテイメント、私にとっては十分アミューズメントである。

それにしても、あの窪塚洋介似の彼の首尾はどうだったろうか。彼女の様子からすると、完全成功率は20パーセント、お友達から始めましょうと言われる率が50パーセント、そんなこと考えたこともなかったからお断りが30パーセントだと思うのだが。

ぜひ成功していて欲しい。せっかく気を遣ったんだから。

 

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