学生生活最後の夏が、こんなにさびしいとは。

 

 

 

01/8/31(金) am

いつの間にか、8月も最後である。学生最後の夏が、ただ葬式をやっただけで終わってしまった。

葬式だけじゃないか。軽い怪奇現象もあったっけ。(なおさら良くない)

私は「見ないが、聞く」というタイプらしい。全然見えないのだが、音が聞こえることはあるのだ。

そう言えば、前に耳鼻科に行って聴力検査をされたとき、聴力が良すぎるって言われたなあ。本当に聞こえてるのかと思うくらい、私の耳はいいらしい。だから時々、聞こえるはずのない音が聞こえることもあるのかもしれない。

はじめに聞いたのは小学生の時で、小学校からの帰り道だった。道路から自宅に向かう細い私道で何気なく「あーそーぼ」と言ったら背後の山の方から「はーい」という返事が聞こえた。自分と同じくらいの女の子の声だった。

真っ青になって家の中に走って飛び込んで、祖父に「どうした!?」とびっくりされた。

2度目は大学2年生の時だ。教室の空き待ちで校舎の橋に友人たちと立っていた時、遠くの山の方から女の子の声が「○○(私の下の名前)ちゃん」と、私の名前を呼んだのだ。それから数ヶ月の間、忘れた頃に私の名前を呼ぶ声が聞こえ、その声がだんだん近くなっていった。トータルで、3回は呼ばれたんじゃないだろうか。最後はすぐそばから聞こえた。

その後交通事故でもう少しで死ぬという目に遭い、恐ろしくなった私は、そういうものについて占いをやる、地元では有名な坊さんの所に連れて行ってもらった。坊さんには、私の3代前の人に水子があり、その人だと言われた。

父方の祖母には2人水子があり、私は幼い頃にその話を聞いていた。片方は形がわかる段階で流産しており、女の子だったということだった。私の叔母にあたる人である。その水子が、私と一緒に生きることとなり、そのために聞こえたのだろうということだった。事故とは全く関係なく、すでに一緒に生き始めているから声を聞くことももう無いと言われた。ホントかウソか、その後声は聞こえなかった。

彼女と生き始めたせいなのかどうかわからないが、その年の冬に私はパソコンを使う楽しさに目覚めてしまい、それまでと大きく方向を転換して今に至る。

そして3度目がこないだである。あまりいい気分がしなかったので(当たり前である)、今は空き家になっている亡き祖母の家に両親が行くというのでついていき、一生懸命家の手入れをし、墓参りをした。

この世に不思議なことは案外多い。だが私に霊感などというものはないと思う。聞こえたのはたぶん、私が聴覚に関しては結構敏感だからだろう。

私は身近に知り合った人の人柄を見る時にも、声を聞いて判断する。声と話し方を聞けばその人の性格は大体わかる。そういう間隔の延長上にあるものだろうと思っているのだ。

 


日記才人投票ボタンです。
初めての人はちょっと手間かも。

1行メールボタンです。
内容は空でも結構です。



01/8/23(木) am 鬱状態

昨日、重たい植木鉢を持ったせいでまた腰を痛めた。鬱でしかたない。明日整体に行く予定。こんな状態で本当に仕事とかできるのか全く不安である。でも絶対治すと固く決意。

そんな状態でも部屋の掃除をしなくてはいけなくて、重たいものをたくさん持って、座りっぱなしのアルバイトをやらなきゃいけないのがこの私である。誰も助けてはくれない。実家に帰っても、かえって心配してくたびれるだけで。

ああ、何だか、生きているのに疲れた。生きるの、もうやめたいなあ。

----
誇り高く最後まで気丈に1人暮らしを続けていた母方の祖母が、今月の13日の深夜に亡くなった。モルヒネを打たれ、最期の表情は安らかだった。

葬儀でくたくたに疲れ果て、1日眠ってやっと疲れが癒えたおとといの晩のことである。いつものように夜更かしをした私は、夜中の2時半ごろに歯を磨くため階下に降りた。

洗面所の前の廊下の電気をつけようとスイッチをオンにしたら、一瞬パッとついてそのまま消えた。どうやら電球が切れてしまったようだ。気味が悪かったので私は周囲の明かりをいくつもつけて、洗面所で歯を磨き始めた。

すると間もなく、玄関の方から、

「○○(連打屋の下の名前)」

と、低い声で呼ばれた。低い声だが、男の声ではない。思わずそっちの方向を見て、「はい?」と返事をしてみたがしかし、よく考えたら誰もいるはずがない。

家族は全員寝静まり、洗面所から出て見てみた玄関には誰もおらず、家の中はしーんと静まりかえっている。

私はぞっとした。だが、もしかすると洗面所の廊下をはさんだ隣の仏間に寝ている祖母が、布団の中から私を呼んだのかも知れない。そう思った私は歯を磨きつつ、仏間に行って電気をぱちんとつけた。

眠っていたらしい祖母が、まぶしそうにしてこっちを見た。

「ばーちゃん、あたしを呼んだ?」
「ううん、呼んでないよ」

どうやら呼んだのは、この祖母でもないらしい。

とすると、あの声は誰だ?

私は寝ぼけ眼の祖母に今起こったことを話した。おそらく数日前に亡くなった母方の祖母が来て呼んだのだろう、と祖母は言った。

----
母方の祖母は1人暮らしであった。ひとりで、小さな家に30年近くも住んでいた。

80を過ぎても自分でご飯をきちんと作り、きちんと洗濯して洗濯物をたたみ、母が大怪我で入院した時は一番にバスタオルやタオルといった入院の道具をごっそり詰めた袋を持って病院にかけつけた。死ぬ寸前まで、庭の手入れをしてもらうことや味噌を作ってもらうことを指図していた。

そんなふうにして祖母が頑張って暮らして生涯を終えた母方の実家は、今は無人のまま放置されている。葬儀の時はたくさんの人が入ってにぎやかだったあの家も、今は空き家である。祖母の長男である伯父が、家の合い鍵をきょうだい4人と懇意にしている親戚3人に渡し、中でもつながりの濃い親戚の女性は毎日家の様子を見に行ってくれているはずだが、基本的には誰も住んでいない。

死んでから49日の間は、霊魂は家の棟を離れないという。祖母の例は今ごろ、誰もいない家の周りをぐるぐる漂っているのか…そう思うとやるせない気持ちになる。位牌は長男の伯父が連れて行ってくれたはずだが、うちになじみがあって祖母はうちを訪れたのかも知れない。

夜陰に乗じて母の所に会いに行こうとでもしたのかもしれないが、両親の部屋の途中にある洗面所で、私が電気をぱーっとつけて歯なんか磨いているものだから、行く手を阻まれてさぞ迷惑しただろう。

----
ただうちには、もうひとり死人がいたことを忘れてはならない。祖母が繰り返し幻を見ている、去年亡くなったうちの祖父である。

2時半という時間は、ちょうど祖父が生前毎晩トイレに起きていた時間なのだ。やっぱり私が夜更かししてそろそろ寝ようと歯を磨いていると、祖父が障子を開けて仏間の寝床から起きてきて、トイレに行くのだ。私の姿を認めると、「おう、○○(連打屋の下の名前)」と声をかけていったものだ。

この祖父だったかもしれないなあ、とも思う。でも祖父の声なら一発でわかるはずだから、たぶんあれはやっぱり母方の祖母だったに違いない。

----
死んだ人との思い出をたどると、どうにも悲しい気分になる。去年亡くなった父方の祖父の思い出ほど多くはないが、母方の祖母の思い出も少なからずある。

私の好物はほとんど母方の祖母の手料理ばかりである。朝ご飯の卵焼きと、お盆ににしんを昆布で巻いた昆布巻は、母方の祖母が作ったのが一番だった。絶対に他の人間では再現不可能なおいしさなのだ。お盆になるとたくさん昆布巻を作っておいて迎えてくれて、泊まった翌朝は必ずおいしい卵焼きが出た。手作りのプリンもおいしかった。

生姜を添えた甘めのあんをかけたくるみ豆腐もおいしかったし、水菜を使ったしゃきっとした郷土料理のひやしる、お正月のあんこ餅も手作りの伊達巻きもおいしかった。ゆずをたっぷり入れた自家製赤味噌のお味噌汁も大好きだった。胃袋の思い出というのは、全く強烈である。きっともう同じものを食べることができない分、絶対に忘れないだろう。

子供の頃、祖母の家にみんなで遊びに来ている時、両親や弟妹が買い物に行くと出不精な私はよく祖母と一緒に留守番をした。ふたりでがらんとした家の中で静かな時間を過ごした。祖母が入院していたときも、両親が出かけて私が祖母の個室でひとり留守番で付き添ったことがある。いつも主張の強い祖母があまりものを言わず、一緒に過ごした静かな時間の不思議なギャップを私はよくおぼえている。

母が入院していた今年の5月、補聴器を新調した祖母は耳のきこえがよくなっていたので、病院の待合室で私は数年ぶりに祖母とひそひそ話をした。本当に何年かぶりだったので、私はとても嬉しかった。

おととしの夏、祖母は頭にあせもができたせいでひどく髪が抜けて、一気に老け込んでしまったことがあった。ところが医者からもらった軟膏をつけていたら、一気に髪が生えてきて前よりもふさふさになり、しかも白髪がやや黒くなったので、祖母の生命力の強さに驚嘆した。

かなりの時期、祖母の頭ははげたままだったのだが、長男である伯父夫婦も伯父の長女であるいとこのお姉ちゃんも、誰もそのことを知らなかった。その人たちが、祖母の位牌と、祖母の家の仏壇を持っていく。

----
私の妹は、葬儀の間ずっと泣いていた。祖母は昔、うちの3人きょうだいのうち長女でも長男でもない妹を、養女に迎えて自分の家を継がせたいと言っていた時期があるという。

結局それはかなうことなく、妹は昨年旦那さんのケンちゃんと結婚したのだが、祖母はやっぱり私よりも地元に暮らす妹に親しみがあったようで、よく妹の家に電話をかけて手伝いを頼んでいたという。妹がやってくるといろんな雑事を頼むことができ、甘えられたようである。

私より妹夫婦の方が、母方の祖母との思い出が多いに違いない。母方の祖母は学歴が低く職業も不安定だという理由ではじめはケンちゃんを嫌っていたが、妹と一緒に祖母の家にやってきてはいろんなことを手まめにやってくれるので最期の方ではなかなか気に入っていたようだ。

ケンちゃんは盆栽が趣味なので、祖母によく鉢物や植木の手入れを頼まれていたそうだ。母方の祖父は30年前に亡くなっているが、その祖父の形見だというシャコバサボテンが枯れかけて、祖母に頼まれたケンちゃんが挿し木したものが見事に発芽して生き返った。

祖母はそれをよろこび、死んだらそのサボテンを持っていってくれるようにケンちゃんに言ったという。ケンちゃんはそのサボテンと、同じように祖母の家にずっとあった大きな藤の盆栽も形見分けでもらっていった。

----
祖母の家から帰る時、祖母はいつも家の庭に立ち私たちの車をいつまでも見送ってくれた。ここ数年は、毎回これが最後かも知れないと思いながらその姿に手を振ったが、今度こそ、本当に最後になってしまった。

人と過ごす時間には限りがあり、かけがえがない人で、かけがえがない時間だと思うのなら精一杯大事に過ごさなくてはならない。意識してそういう時間を作らなければ、時は駆け足に過ぎて、あっという間にその人は死んでしまい、2度と同じ価値の時間を持つことはできない。

その人が健康に生きている時に一緒に過ごす時間は本当に貴重で、その人が死病で伏す床のそばで得られる思い出の何倍もの価値がある。だから本当に大切な人との思い出は大切に作らなくてはならない。

家から2人死人を出し、母も1度死にかけるという経験をしたこの1年間で得た教訓である。

01/8/12(日) am 帰省前小ネタ

(その1)今日で塾の講義形式の授業が終わった。後は他の講師のピンチヒッターで1日だけ家庭教師形式の授業をするだけである。

気を遣って指導してきている生徒などにも、8月でやめるということは全く伝えていない。さすがにあと正味2日でやめるとなると今日の授業もだんだんモチベーションが下がってきそうになって、気を引き締めつつ何とか乗り切った。

塾の上司に「チャラ男(お)」というあだ名をつけられているコウジくんが最後の時間にやっと出てきて、なのに授業中に教室の入退室を繰り返すのに困った。真面目にキレようかと思ったが、やめた。以前マンツーマンの時に気付いたのだが、この子は子供の頃に他人の注意を引きつけたくてそういうことをしていたのが、習い性となって今も全身で「愛されたい!」という意思表示のために無意識でルールに反する行動をしているだけのことなのである。

彼は自分でも自分自身が教室の他の生徒たちから頭2つ分も浮き上がっていることをよくわかっていて、意外と冷静に周りを見ているのだ。つっぱってはいるものの居場所がないので、どこかさびしいようである。

確かにチャラチャラしていて、貧相な顔なのに眉毛を3分の1までスリム化しているのでさらに幸薄く見えるが、「チャラ男」などと呼んで上司が問題児扱いしているのはいけない気がする。

(その2)入院中の母方の祖母が、余命1ヶ月を告げられたのは6月16日のことであった。それがふた月も長らえて、もうすぐ盆を迎えようとしている。今年の盆は父方の祖父と母方の祖母と2人分の初盆を出すに違いないと思っていた私は、祖母の生命力の強さに驚くしかない。

しかしその祖母も、数日前からだんだん弱ってきて、今は鼻にチューブを入れて酸素を吸っている状態である。鎮痛剤の注射を打って、昼となく夜となく眠り続ける日々が始まりつつあるという。

(その3)祖母の長男である伯父夫婦はお盆に戻ってくるらしいが、なんと伯父夫婦といとこである息子と娘、さらに息子の嫁という5人フルハウスで帰って来るという。まるでお祭り騒ぎのようなやり方に、母は腹を立てていた。

伯父は、以前来た時より明らかに弱って眠り続けている祖母を見た後、「全然変わってなくて、元気だなぁ」と母に言っていたらしい。それを聞いた母は「前に来た時なんかあんなに元気だったのが今は眠り続けてるっていうのに、どうして変わってないなんて言えるんだろう」と腹を立てていた。

観察眼がないというのは、感受性がないというのとイコールである。母がいくら腹を立てても、伯父がその感覚、つまり「思いやり」を手に入れるのは今後永遠に無理だろう。

(その4)5月の終わりから手塩にかけて育ててきたナスタチュームが、やっと花をつけた。その反面、株数がとても多くてポットの底から根がはみ出してきている。これは本格的に植え替えを考えなければと思う。

株毎に十分な余裕を持たせるとなると、これは3つのポットにバラバラに植えなければいけないだろう。3つ! うちのベランダはたぶんパンクしてしまうに違いない。

今でさえナスタチュームだけでプランター1つとポット1つ、育苗用の小さな黒いポット3つあるのだ。ここにさらに2つのポットが加わるなんて、考えただけで恐ろしい。もし植え替えたら株が喜んでさらに生長し、どんどん大きくなるだろう。花の時期は初秋なので、9月になったらうちのベランダはオレンジと赤と黄色の花畑。景気はよくなりそうだが。

ナスタチュームは虫除けの効果があるということだが、ベランダにこれだけ置いているせいか、この夏私は全く蚊に刺されていない。私はもともと蚊に刺されやすく用心してもひと夏に10箇所は刺されるのに、全くそういう煩わしさがないので驚きである。ナスタチュームのおかげだとしたら嬉しい。

01/8/2(木) am 夏だというのに

今日は一日寝て過ごした。おかげで内側から来ていた例のひどい目の痛みも消えてきた。

1日中雨が降り、テレビを観たり、借りてきたビデオを観たりして過ごした。この目の痛みは内側からのものなので、目を使っても別に構わないのである。むしろ問題は疲労とストレスなのだ。

昨日の夜「チャーリーズ・エンジェル」を観て大興奮だったが、今日は「ボーン・コレクター」を観た。謎解きがやや消化不良な点もあったが、十分楽しめた。プロデューサーのような一緒に仕事ができる恋人を持つ、という願望が強い人にはウケる一作。

そういえばこの間、ジョニー・デップ主演の「ナインスゲート」というホラー・サスペンスも借りてきて観たけれど、全然面白くなかった。最後の方はもう大笑いしてしまって、エンディングで笑いが止まらないという事態に。ギャグのようにオチのついたサスペンスを観たい人にはおすすめ。

今のところ、私のレンタルビデオランキングベスト3は、同点2位で「チャーリーズ・エンジェル」と「オール・アバウト・マイ・マザー」、1位「ストレイト・ストーリー」。やっぱり「ストレイト・ストーリー」は何回観ても全く飽きなかったので最高得点である。

次にツタヤに行って狙うのは「マグノリア」。あの訳ありげな2本組が気になる。7泊に落ちてくるのを待っているのは「コヨーテ・アグリー」。

そしてやっぱり「ダンサー・イン・ザ・ダーク」。たぶん映画館より良さが8割落ちてしまうと思うが観ないよりマシだ。これは私にとっては因縁の作品で、塾にいる例の大嫌いな女性講師から「○○(連打屋の本名)先生って、ダンサー・イン・ザ・ダークの主人公みたい」と褒め言葉かけなし言葉かわからぬ台詞を皮肉っぽく言われ、いたく不愉快な思いをしたことがあるのだ。

あとでタウン誌の映画記事を担当している友人に「ダンサー・イン・ザ・ダークの主人公みたいって言われたんだけど、褒めてるんだろうかけなしてるんだろうか」と聞いて「うーん、それは良くない意味だと思うよ」と言われたのだった。

よく考えれば当たり前だ。救いようのない話の、しかも主人公に似てるなどと言われたらたとえ褒め言葉だろうといい気はしない。それと同時に高まる女性講師への腹立ち。どうせ私はあと2週間したらやめるからいいんだけど。

----
私には一回でいいからやってみたい夢がある。それは何かというと、

1:ドライブして、モスバーガーのドライブスルーに入ってたっぷり買い物し、車の中でたらふく食べる。1000円分は絶対に食べる。
2:プールで泳いで、カレーを食べて昼寝。カレーにはパイナップルが入っている。
3:夜に海まで行き、海に向かってロケット花火を乱射し、人に向かってネズミ花火やヘビ花火を放る。爆竹にやたら火をつけて楽しむ。ついでに水風船爆弾も人に向かって投げ、炸裂させる。
4:高原の温泉に行き、涼しい中で毎日風呂に入りながら4泊。うち1回は湯あたりする。

なんて小さな夢だろう。全部、自分が運転免許を取って車を持ち、金を貯めて計画さえ立てればできそうなことだ。普通の大学生ならみんなやっていそうなことなのに、いろんな事情でこんなことが難しい。疲れて疲れて、自分の体を休め、生きていくのに手一杯だなんて、ばかげてる。全くばかげてる、こんな人生は。

 

more diary

home