| 私のアパートの部屋では猛烈な勢いで植物とCDの数が増殖し続けている。
植物はともかく、CDは増殖しすぎなので、少し新しくCD専用の棚でもしつらえようかと思うが、そういうスペースがもううちにはない。仕方ないので、CD君たちにはコンポの上に平積みになっていただくほかないのだ。現在、平積みの高さ40センチのCD塔が3本。棚は一段全部使っているのにあふれた分だ。それでもその平積み塔すら入れなかったのが無印のアクリルCDケースに一箱(25枚程度)。
そんなに音楽の趣味がいいわけでもなく、かっこよく洋楽を聴いてるわけでもないので、並べたところで人に自慢できずかえって浅薄な趣味で恥をさらすだけだろう。でもやっぱりコンポの上に平積みはどうかと思う。
そういえば、念願の小沢健二の曲を手に入れた。「それはちょっと」が聴きたくて聴きたくて仕方なかったのだが、なかなかCDが売っていないのだ。さすが、本人が現在日本の音楽シーンから消えているだけのことはある。
---- 実家にいる間、妹夫婦をみんなでお祝いするため、夕食に呼んだ。
妹は恐ろしくわがままで気むずかしくなっており、もともとわがままで気まぐれだがそれに二重に輪がかかったようになっていた。どこか不機嫌そうだし、食べ物にもうるさい。夫のケンちゃんへの扱いもかなりぞんざいである。
あまりにも夫を夫と思わないかのような言動に私たち家族はみんな呆れ果て、はれ物をさわるように扱って帰した。後片付けの台所では私と母と祖母が三人で話をしながら、ケンちゃんへの同情という点でみんな一致した。今はケンちゃんが我慢しているから何とかなっているが、あれでケンちゃんが我慢しなくなったら夫婦は壊れるだろう、という危惧をみんな抱いていた。
妹は子供である。精神的に未熟で、本当に親になれるのかどうか、私たち家族はみんな心の底では心配しているのだ。これでもし、収入の点で余裕が持てる旦那さんならまだ危うさも減るが、妹夫婦の場合ケンちゃんより妹の方が収入が多く、経済的に二人で暮らすのがちょうどいいレベルにとどまっている。だから子供が生まれて経済的にはどうなのか、そういう心配もある。
もう少ししっかりしてくれたら…と母も父も言うが、結局の所、妹の周囲には妹よりしっかりしていない友人ばかりがいるらしく、子持ちで出戻りも出来ちゃった結婚も普通にする人たちがほとんどなのである。だからそういう観念自体、妹にあるわけがないのである。
妹は、中年男のアパートの管理人を「気持ち悪い」と思うくせに、水道工事の立ち会いで留守宅に平気で入れ、あとになって「寝室や洗濯物まで全て見られたらしい」と私に泣きながら訴えてきたことがある。「ペットショップのおじさんが気持ち悪いから」という理由で、かわいがっていたウサギを引き取ってもらう時自分の代わりに私とケンちゃんを行かせたこともある。自分の生理的嫌悪や欲求を世渡りのために隠すことができない。そういう子供っぽい、いささか無分別で非常識な妹なのだ。
妹が家を出て自活してくれただけでもありがたいと思わねばならない。ケンちゃんは収入面はともかく、性格は優しくてまめなので、妹のフォローをしてくれる人としてはもったいないくらいである。あとは妹がもう少しケンちゃんを立てる術を学んで長続きしそうな雰囲気を出してくれれば、と思うのだが。現在、将来離縁されて実家に戻ってくる確率50パーセント。
---- 私のルーツについて、恐ろしい事実が判明した。どうやら、両親の結婚は、母の方から言い出したことだったらしい。
以前から、父に、「お母さんと結婚する気は全くなかった。考えてもみなかった」などということを聞かされていただけに、経緯が気になってしょうがなかったのだ。自分の製造理由。これぞこの世で最も面白い謎である。
それが祖母に聞いてみたら、母と赴任先の僻地で知り合った父は、「お父さんを亡くしてえらくしょげかえっている人がいる」と祖母に言っていたらしい。その時交際していたかどうかは不明である。
母がしょげかえっていたのも無理はない。祖父が定年になったら、20年くらいは祖父母で暮らしてくれるだろうと期待していたのに、いきなり祖父が亡くなって祖母がひとり取り残され、4人兄弟では唯一地元に残っていた自分に祖母の世話の問題がのしかかることとなったのだ。この時祖母は、まだ50代。
父の証言によれば、母方の祖父の入院中(つまり亡くなる直前である)に母と見舞いに行ったことがあるらしいから、たぶんその時には交際していたのではと思う。でなければ、瀕死の病床にある相手の父親に会いに行くだろうか? いや、行かない。
父方の祖母の証言は重要である。祖母が言うには、母と結婚する話が持ち上がった時、父は決意のため上京したという。
私「何で東京行ったの?」 祖母「そりゃあ、決意のためだろうねえ」 私「決意? 何で決意することがあるの?」 祖母「それは誰でも、心に秘めた人っていうのはいるんだよ」 私「えっ」 祖母「お父さんは、おじいちゃん(母方の祖父)を亡くして、向こうのおばあちゃんと二人きりになって、しょげかえってたお母さんを見るに見かねて、引き受けるつもりになったんだよ」 私「!(絶句)」
そっか、やっぱり結婚する気はなかったわけだ、うちの父は。大学時代かその前か、どこぞに気になる人がいて、彼女が上京していたので結婚など考えていない状態だったのだろう。そうなると、母と交際していたかどうかは怪しい。もしかすると、何かのついでに母方の祖父の見舞いに行っただけかもしれない。
そうすると、である。祖母と父の証言の後ろに見えてくるのは、母方の祖父を亡くしてしょげかえり、母方の祖母と自分の二人きりという状態の中自分の幸せとは何かという難問に追いつめられ、父との結婚を申し出ていったというせっぱ詰まった母の姿ではないか。
私は母に聞いてみた。
「もしかしてさぁお母さん、結婚ってお母さんの方から言い出したの? でもそれって、結構すごいことだよね。せっぱ詰まっていたとか……ってそりゃあせっぱ詰まりもすると思ったんだけどね。ほらあの、おじいちゃんが亡くなって、おばあちゃんは、ひとりだけ手元に残ってるお母さんにかなりプレッシャーかけただろうし、二人だけの生活は息苦しかったろうし。気持ちはよくわかるよ」
そう、私も全く気持ちはよくわかる。何しろ今年、うちも母が死ねば父と祖母が二人残ることになっていたのだ。母の生死がはっきりせず、またどれくらい回復するかもわからない間は、私は真面目に自分の就職や今後の進路を考えて、追いつめられた。私の場合、妹がケンちゃんと結婚して地元にいてくれるからまだ重圧も少ないが、母はたったひとり、祖母のそばにいたのだ。
たまたま母と二人で人もいない電車に乗り込むというタイミングの良さが幸いして、私は母からいろいろな情報を聞き出すことが出来た。
私の予想通り、祖父を失った母方の祖母は、ひとりだけ自分の元に残っている母に自分の家を継がせようとしたらしい。嫁には行かせず婿を取らせるか、そうでなければ次男など身軽な境遇の男に母を嫁がせるか。祖母は教員と公務員以外は人間の職業じゃないと思っているような人だったので、結婚相手の職業も教員か公務員に限定された。ひどい話である。
母は何件も見合いの話を持ってこられたらしい。全員見事に教員だったそうだ。高校の教師ばかり何人もの写真が来たらしい。ところがそこは狭い教員のコミュニティ、母はあらかじめ全ての人物の名前と顔を知っていた。
「どれも気に入らなくてね。こんな奴!と思うようなのも混じっていたし。大抵は写真を見て断って、実際にお見合いしたのは3回かな。でも2回はもう断ってて、3回目も変な人で、本当に嫌だと思った」
3回目の見合いにも渋い顔の母。このままでは母も結婚できず、家も絶える……そう思い悩んだ母方の祖母は、隣町のよく当たると評判のワカ(地元の言葉で、占い師・巫女のこと)の所にまで行って、母の結婚のことをみてもらったらしい。
ワカは、祖母に、母の婿取りや次男への嫁入りなどは期待してはいけない、と言ったらしい。そして、母にはすでに心に思っている人物がいる、と告げた。
祖母は、見合いした相手と結婚した場合をワカにみてもらった。ワカは、見合い相手のことを母はあまり好きではなく、嫌がっているかも知れないが、結婚すれば必ず幸せになれる、と言った。さらに、母がもし今思っている人物と結婚したら、幸せになれるかどうかはわからない、たぶん苦労するだろう、とも言った。
その後、両親が結婚に至るまでの経緯は、ちょっと怖くて聞くことができなかったが、たぶん私の推測に大きな間違いは無いように思う。
おそらく、以上のようなワカの言葉を聞いたせいで、祖母はおそらく母が婿取りをしたり、次男と結婚したりすることを強要しなくなったのだろう。そんな中、母は(交際中だったか、単なる友達だったかわからないが)父に結婚して欲しいと切り出した。
母の境遇に同情はしていたが、まさか結婚するなんて考えてもみなかった父は大いに戸惑い、決意するため東京に行って、自分の思い人なる人物と会ったかどうか知らないが、とにかく結婚することを決めた。そして「見るに見かねて結婚」をしたわけである。小沢健二の曲の如く「それはちょっと」とは言わなかったらしい。
父は前、こう言っていた。
「覚悟が必要だったからなあ。何しろ、母娘二人きりの所から嫁にもらうんだし、こっちはこっちであのじいさんとばあさんで(父方の祖父母は偏屈で気むずかしく、きつい人たちだったからである。ちなみに孫には優しい)、あれと同居してもらわなきゃいけなかったから。こっちに来てもらう代わりに、あっちのおばあちゃんには出来る限りのことをしようと決めたんだ」
そんなこんなで、父はその後母方の祖母が亡くなるまで、祖母の家に月に数度行って様々な雑用をまめまめしくこなしたのである。障子貼りから、柿の実の収穫まで。数年前など、柿の実の収穫のときはしごから落ちて、腰の骨を折っている。そこまでして、母の兄(長男)が全てを放棄して何もしない分、正月もお盆も彼岸も、ずっと母の実家で過ごすことになった。結局葬式や四十九日の法要まで、何だかんだと実働にかりだされてしまった。
何というか、年がら年中ノンストップで「生きるのに手一杯」という様子で生きてきた父の姿がよく見えて、かわいそうになってくる。母だって、父と結婚したことが幸せだったと言えるかどうか、子供の私から見ても怪しい。何十年と性格に問題のある祖母にびくつき、向こうの祖母のことも心配し、たくさん背負いすぎて疲労のあまり今年はとうとう階段から転落、生死の境をさまよった。
「思っている人と結婚しても幸せになれるかどうかはわからない。たぶん苦労するだろう」というワカの言葉は正しかったわけである。母はこの話を、結婚後何年もしてから、10歳年上の親しいいとこに聞いたという。
必ず幸せになれる、と断言された見合い相手と結婚していたら、確かに母はもっと楽だったのかも知れない。少なくとも、父方の祖父母と同居しないだけでかなり幸せだったはずだ。だが母がこっちの道を選んだ結果生まれてきた私の立場からすれば、それを言うことはできない。
「必ず幸せになれる」結婚から自分が生まれたわけではないことを知ったのは重い。でも事実だ。もっと楽な生き方がいくらもあるのに、苦労しながら一緒にいてきた両親が幸せかどうかは私にはわからない。
自分とは合わない姑に苦労し、ひとり暮らしの祖母の心配をする母。自分の母と妻の仲を何とか丸く収めようと気を遣いながら、母方の祖母の面倒を見る父。
二人の幸福うんぬんはわからぬものの、生きることの厳しさというか、生きるための底冷えするような寒さの中に自分が生まれたというのは、妙に納得がいった。やっぱな。そんなこったろうと思ったんだ。
それにしても、「幸せになれるかどうかわからない」。こんなことを言ったワカって人は、なかなかのものだと思う。苦労するからって、不幸とは言わない。みんなそうなんじゃないだろうか。自分が幸せかどうかなんて、誰にもわからないのだ。妙に真理を言い当てていて、面白い。
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