私の中でここ数ヶ月ものすごく園芸が熱い。今年の春から熱かったが、最近はヒートアップ寸前である。自分を抑えられない。
今年は春にシソとオクラを作り、見事シソだけ成功。夏に白い花が咲き誇った。たくさんできたがもったいなくて食べられなかった。
ついでにハーブのナスタチウムも種をまいて作ったが、うちのベランダで育てきれず、10センチほどに育った苗を実家に送って地植えしたら見事に今花を咲かせているらしい。
今はベランダでハーブを育てることにすっかりはまりこんで、秋まきの時期に種まきして一生懸命育てているのだが、仙台は日照が少なくて困っている。もしハーブができたらワインにつけ込んで徹底的に飲むつもりである。健康になってやる。
私はインドアな趣味が多いのだが、園芸まで来ると本当に主婦のようである。縫い物も編み物も好きだし、料理もやれといわれればやるし、インターネットに園芸、レンタルビデオに音楽、今すぐ結婚して家に入ったら至福の生活を送れるのではないか。でもこういう人間に限って結婚とは全く縁がない。さようなら私の幸せ。
実家に帰って、妹夫婦が車でホームセンターに連れて行ってくれるとそのたびに目を輝かせながら園芸コーナーでひたすら苗を買う私に、妹はあきれたようにいつもこう言う。
「お姉ちゃんさあ、年寄りになってもそうやって一人で楽しくやってんだろうね。その姿が見えるようだよ」
今年はとうとう、農家のおばさんがかぶるような帽子をかぶって、ひと夏実家の手伝いのかたわら園芸にいそしんでいた。我ながら思い返すとあきれる。
で、今なぜハーブかと言えば、何より強いし、手触りとか香りとかフェティッシュな楽しみ方ができるからである。姿がきれいなだけではどうも物足りない。葉をさわってにおいをかぐと頭がシャキッとするような香りのものもあるし、「これが植物か?」と疑問に思うほどふわふわした質感の葉っぱもある。
派手すぎない、ストレスフリーな姿も魅力的だ。たぶんダイレクトにただ、「癒されたい」だけかもしれない。ハーブよ君は、植物界のビューネ君。
---- ハーブ好きというと、今年の夏印象的な出来事があった。
例によって実家に帰省中、庭にたっぷりハーブを植えたいという父の意向で、いつものホームセンターに買い物に行った。ちょうどハーブにはまりだした頃で、私は野外の苗売り場にハーブだけのコーナーを見つけ、良さそうなのをたくさんカートに積んでレジへ向かおうとした。すると、父が通りがかった女性に大きな声で挨拶をした。
「やあ、どうも! お買い物ですか?」 「あら、どうも。そうなんです」 「ご主人は?」 「ええ、あっちの方にいて何か見てるみたいです」 「こっちはうちの娘です。長女で」 「こんにちは。はじめまして」 「こんにちは。もうこんなに大きくなられて。頼もしいでしょう」
それは、40半ばほどの女性だった。私の方を見てまぶしそうにしていた。セミロングほどの髪をアップにまとめて、おとなしい色のツーピース。体型はやせ気味で、肌は年相応に多少の老いが見える。だが世間一般の40代の「おばさん」のような図々しさがなく、まるで少女のままのような繊細な雰囲気を持った奥さんであった。
「たくさん買うんですね」 「うちにハーブをたくさん植えようと思いまして」 「いいにおいだこと」 「ハーブ好きなんですか」 「ええ、この香りがよくて。何ともいえませんね」
彼女は私がカートに積み込んでいるハーブを見て目を細める。
ある意味、40代の「おばさん」の図々しさはあふれる生命力の結果だろうと私は思っているのだが、その女性にはそういう生命力が欠けているように思えた。高原のサナトリウムで白いワンピースを着た少女がそのまま年をとると、こうなるような感じ。
私の母も死ぬほどの大けがをしてからそういう弱さを持つようになったが、それでもここまでには到底なれないような雰囲気を彼女は持っていた。若々しさはないけれど、「おばさん」ではなく、「40代女性」という形容がよく似合う。
そうやって私が瞬時にいろいろ分析していたとき、遠くのレンガ売り場から元気のいい声がした。
「おう! こんにちは!」 「どうも!」
父がそちらに向かってまた大声で挨拶する。よほど親しいらしい。この女性の旦那さんのようだった。奥さんとは打ってかわってこちらはエネルギッシュなおじさんだ。父は旦那さんの方に行ってしまい、私は奥さんと二人で取り残された。
どうもこの奥さんと話をしていると、悲しい感じになる。私はその人につきまとう何ともいえない寂しさに疑問を感じながら、ハーブの苗がどこにあったかを教えてあげて、レジに行くために別れた。
買い物が終わり、帰る車中で父があの夫婦の説明をしてくれた。それは、私も話で聞いて知っている小さな印刷所のご夫婦だった。うちでよく年賀状印刷を頼んでいる。
「あの夫婦には、子供がいないんだよ」
父が言った。それで全部理解できた気がした。
「すごく欲しかったようなんだが、結局できなくてなあ。だからその分、夫婦で仲良くいろいろなことをしているんだ。今日みたいに買い物したり、旅行したり」
私は奥さんが私を見たときの、寂しそうな、まぶしそうな目を思い出した。私の姿を見て「頼もしい」と言ったあの台詞がずっしりと胸に響く。そう言えば奥さんはハーブの香りが好きだと言っていた。
ハーブの香りには、精神的な不安定さやストレスを取り除く働きがある。その証拠に、祖父が亡くなった直後悲しくてともすれば泣いてばかりいた祖母も、毎晩ラベンダーの香りのする線香をたけばリラックスしてよく眠っていた。私の祖母も性格的には起伏の激しい人だが、どこかもろい人とハーブはよく合うのかもしれない。
子供が欲しいのにできず、夫が亡くなってしまえば自分はたった一人。年老いても頼る子供は誰もいない。老いていく不安を補ってくれる人は誰もおらず、悲しさにつぶれそうなときにハーブの香りで自分を落ち着ける…というバックグラウンドが全部見えた気がして、とても寂しい気持ちになった。
子供を産んだことのない女性。だから奥さんはあんなにか弱い感じがしたのであろう。「おばさん」でなかったのもうなづける。
女の人は、ただ年老いて「おばさん」になるのではない。結婚し、出産し、大声を張り上げなければ聞こえないほどの騒々しさ、子供たちが走り回って作り出す家庭のにぎやかさの中で生命力を獲得し、その生命力で「おばさん」になるのだ。
か弱い少女が「おばさん」になってしまう…それはある意味悲惨でもあるが、この上なく幸せなことなのかもしれない、と私は思う。結婚した女性の胸元に脂肪がついてつやが出るのを「幸福な人妻にしかつかない脂肪の輝き」と形容したのは林真理子だが、言い得て妙。
もっと言うなら、出産と育児を経ていく幸せな中年時代が、女性の体にもっと脂肪を付け、頬につやを与える。あの奥さんには、その「照り焼きチキン」のような幸福さがなかった。その分容姿の崩れが少なく、決して不幸ではないが、奥さんのあの根の深い寂しさは消えることがないだろう。
子供がいない分、夫婦には結構な経済的余裕があるらしい。家も車もなかなかいいと父は言う。印刷所はさほど儲かっていないが、だからといって大きな支出が必要なわけでもない。夫婦は仲良く暮らしている。
そんな静かな生活と、裸の赤ん坊のおしりをバスタオルを持って追いかけ回し、大げんかをする息子たちを黙らせ、反抗期の娘に手を焼きながら、ごちゃごちゃした狭い家と走行距離10万キロの車を持つ騒々しい生活と、どちらがよいか私にはよくわからない。
ただ私は帰りの車中で、あの奥さんがハーブの香りで癒され、少しでも寂しさを紛らわせて欲しいと思わずにいられなかった。
---- 何かこんなに重い話を書いてしまうと、ハーブで癒されたい私の悩みなどとんでもなく小さなものに思える。超軽量的悩み。
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