戻ったら一体どうなるんだろう。

 

 

 

01/11/25(日) am NHKにやられた

こう見えても二日分更新しています。スクロールして下もご覧下さい。

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ご飯を食べながらテレビをつけたら、松坂慶子がドラマに出ていた。

設定を簡単に言うと、夫が大杉漣で、息子が加藤晴彦、おまけに愛人が筒井道隆である。重ねて言う。愛人が筒井道隆である。

筒井道隆が愛人。その設定のあまりのうらやましさに箸を持つ手が5分ばかり止まり、画面に釘付け。演技といい、衣装髪型そのほかのスタイリングといい、「行きずりで関係ができてしまった若い愛人」っていうのがはまりすぎて何とも言えない色気が漂うのである。

「ラマン」の中国人富豪役も真っ青だ。だって何しろ、ああいうベタベタな陰りが一切ないんだから。

筒井道隆があんな色気を出すとは世の中恐ろしい。どういうことなんだ一体。ただの演技力で、あんな水のような透明感のある色気が出るんだろうか。

道から外れた危ない関係のまっただ中に何でもないかのようにスッと入ってきて、とんでもないことをさりげなくやってしまうので全然憎めない。実際にいたらこういう奴が一番タチが悪いんだけどねぇ…というツッコミも忘れてしまうほど魅力的。本当に釘付けになっていて、コンビニ弁当の味を全く覚えていない。

松坂慶子と行きずりで関係ができるシーンの表情とか電話の声とか口説く台詞とか、妙に雰囲気があって、確かにこれなら倫理観をごまかされながらうまいこと不倫させられてしまうぞ、と心より納得してしまうのである。

同じ不倫でも今民放でやってる「恋を何年休んでますか」というドラマより数倍、不倫の恋のロマンチックさが伝わってきて参ってしまった。今日の松坂慶子のは恋愛ドラマでもないし、不倫よりむしろ夫婦愛が主筋なのに、愛人役の筒井道隆の演技のみが頭に残って離れないという奇妙さ。

なんだこれ。何が原因だったのかよくわからない。シンプルに、実はもしかするとああいうのが私の好みだったんだろうか? いや、そうではないはずだ…とにかくいいドラマ作るなあ、NHK。

筒井道隆を単なるだらしないダメ男にしかできなかった「私の青空」とは大違いだし、いつも善良なお坊ちゃん系の青年役しか振り当てられない民放とも大違い。ビデオにとっとけば良かった…。

待てよ。確か筒井道隆は、江国香織原作「きらきらひかる」という映画でホモセクシュアルの青年の役をやっていたはずである。だとすると、結構「普通に見えるけど実はエキセントリック」な役がお家芸…なのかもしれない。

NHKは公共放送の力を存分に生かして時々、大胆かつ非常にいいキャスティングをするので全く驚かされる。過去、「あぐり」で吉行エイスケ役に野村萬斎を起用したりしているのである。あのときも、あんな洒脱で清冽な雰囲気を持った色男が日本にまだいたのかと目を疑ったものだった。

「総理と呼ばないで」でただ心優しいだけの青年官房長官役をやっていた筒井道隆が、あんなに水気たっぷりなのにそれでいてくどくなく、あっさりさっぱりしっかりはまった愛人役。しかもそれに釘付けでコンビニ弁当の味をやっぱり覚えてない。うち倒された気分である。NHKにやられた。

あの愛人役、あまりに印象が強すぎて夢に見そうだ。しっかりするんだ、自分。

 


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01/11/19(月) am 蹴倒して手に入れるもの

この前の夏に亡くなった母方の祖母が、私にこんな話をしてくれたことがある。

それは、祖母が祖父と結婚した時のこと。祖母が、嫁入り道具と一緒に祖父の家に引っ越す日の出来事だった。

おそらく戦時下のことであったろう。祖母は嫁入り道具を積んだ車に乗って、祖父の家に向かっていた。すると向こうから、同じく嫁入り道具と花嫁を連れて行く車がやってきたのだという。

狭い田舎道である。大きな車が二台行き違えるほどの広さはない。どちらかの車が後ずさりして道をゆずらなければ通り抜けられなかった。そこで、相手方の車が後退して、道をゆずってくれたのだそうである。

祖母は言った。昔から、嫁入り道具の行列は決して後ろに下がってはならないと言われているのだ、と。嫁入りの行列が後ろに下がると、花嫁が不幸になるのだそうである。

そのとき道をゆずってくれた女性は、嫁ぎ先であまり良いことに恵まれず、短命で亡くなってしまった、と最後に祖母は付け加えた。

公務員か教員と結婚しなければ女は不幸になると思っているような偏狭な祖母だったから、女性が不幸になったというのをどこまで信じて良いのかわからない。しかし、短命でなくなったということは、やはり哀しいことである。

私はまだ中学生くらいだったと思うが、この話を聞いて背筋が寒くなった。なんて恐ろしい迷信なのだろうか。

花嫁が、他の花嫁に道をゆずったら幸せになれないのだ。自分は親切のつもりだし、一般的に見ても人にゆずってあげるのは感心なことである。でもそれが、結局自分を不幸にする。

つまりこれは、「幸せになりたかったら、相手を蹴倒してでも後ろへ下がるな」という迷信なのである。

だがこの迷信が、本質的に案外正しいことは確かだ。世の中、他の者を蹴倒さなくては幸せになれないことが何と多いことだろう。ゆずってあげたことが取り返しのつかない不幸を自分に運んでくることが何と多いことだろう。

控えめであることや、欲しいものを欲しいと言って奪い取りに行くようなことをしないありかたは、決して良くないのだ。

貧乏くじを引いたと嘆かないように、割り込んでくる人を突き飛ばさなければならない。自分の利益を守ろうとしなければ、いつまでたっても幸せになれるはずはない。この、哀しい事実。

 


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01/11/16(金) am お金が欲しい

先日真冬に向けてあったかいコートを買ったら、真冬になるまでの中途半端な寒さをしのぐための少し薄目の上着まで買う余裕がなくなってしまった。

この季節、冬のコートを着ているとちょうどいいのは朝晩で、昼間は暑くなることが多い。だから薄いコートを買う必要もあったのに、そのお金がなくなったので厚いコートを着て外出している。ああ、お金って必要だなあ。

お金ってどうやったら手に入れられるんだろう、と考えていたら、いつも私に小論文添削の仕事をくれるK合塾のKさんから電話が来て、受講生個別の小論文の過去問添削の仕事を頼んでくれた。ありがとう、Kさん。あなたは私のお金の女神です。

小論文の添削には実際に採点する前に採点会議というものがあって、2週間に1度その会議に出席して先生の解説を聞いている。受講生の数というのは授業が進むにしたがって減っていくものらしいが、なかなか減らないと採点者ひとり当たりの採点枚数が20枚を超えることがある。

20枚という数は先生の側では「多い」という認識があるらしく、いつもなるべく枚数を減らすように調整してくれる。しかし、私にしてみれば1枚でも多い方がいい。何と言ってもこの答案は千円札1枚に化けるのだ。先日、答案の配分の都合で人より2枚も少なくてひどくがっかりした。

今はこのバイト一本なのでこれで少しでも稼ぐために私は必死である。本当は、そんなことをしている場合じゃないのかもしれないが、でも来年引っ越しもあるし卒業前に旅行にも行きたいので猛烈に稼ぐしか仕方ない。

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何をやっているのかなあ、一体。

01/11/15(木) am 久しぶりのウソ日記

ものすごく犬を飼いたい。小さくて賢くて私を裏切らない、一日の恩を決して忘れない、白地に八つのブチがあるか、足先が白いか、どっちかの犬を。

犬を飼いたいなどと強く思うようになっているのは、今やっている勉強のせいである。

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すごく久しぶりですが、ウソ日記です。もう二年近く書いてるんで、テンションが…

というか、だんだん主人公の年齢と境遇に自分が近づいていきそうで恐ろしい。今までの分はこちらで。

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その晩は、その後みんなでうちの冷蔵庫にあったワインを開けて夜通し飲んだ。

ちょうど、前にTが来た時のおみやげで白と赤が一本ずつ入っていて、3人で全部あけた。ほとんど、ミトとサヤが飲んだようなものだったけど。

結局ミトは翌朝二日酔いにふらふらしながらも、「ヘビ」ことだんなさんのミズモトさんのもとへ帰っていった。あれだけ「嫌だ」「逃げる」と言ってたのに不思議だったけど、何だかそういう風に二人の関係ができている気がしたから、私は何も言わなかった。サヤは、

「この男女関係の割り切れなさに、あたしは気持ち悪くなるんだよね。嫌なら離れりゃいいのに離れない。最低だとか嫌いだとか非難しながら本当は誰よりそいつに執着しているという事実!! おお事実! その粘着質な言うに言えない何か、本能がたっぷり配合されて理屈なしに練り上げられた何かが、ものすごく気持ち悪い……うっ」

と、ミトが帰った後こぼしていた。でも気持ち悪いのは半分以上、昨夜サヤがひとりでまるごと1本近くあけたワインのせいじゃないかと私は思ったけど。

その日は私もサヤもさすがに二日酔いで、とても出かける気にならなかった。丸一日寝たり起きたりごろごろして過ごしたが、次の日からは普通に楽しく出かけて遊んで、予定通り3日目にサヤは帰っていった。

帰りがけに、サヤは言った。

「T君、確かにちょっとシャイな優しい人って感じの外見はしてるけど、でも腑に落ちないとこがあるっていうのは忘れちゃダメだからね。何であんたを選んだのか、しっかり見極めて納得いく答えを見つけるんだよ。美しいウミヘビには毒がある。で、わかったらあたしにも是非教えて」

「なんで?」

「あんたのサンプルケースは、この上なく参考になる、面白いケースのような気がするんだもん。あんたの今までの恋愛話だってどれもこれも興味が尽きないから、今回はその集大成だろうなと思って。毎回、何で相手があんたを選んだか、っていうのはホントにアミューズメント。あははは」

ひどすぎる言葉。でもサヤは、今までも私に彼氏ができると同じ質問…「どこを相手に気に入られたか?」を知りたがり、その問いに対する相手の答えを話すと例外なく大笑いしていた。「マニアだマニアだ」って、お腹を抱えて。

確かに過去、私自身もそりゃないなって思うようなことを言われたこともあるけど。

01/11/13(火) am 目標の変化球

今朝から風邪を引いてのどが痛い。

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良かろうが悪かろうがどうでも良くなったころに、以前良くなって欲しいとどれだけ願っても良くならなかった人間関係が、急に良くなってきて驚くことがある。

これがあのときこうだったら私もこういう道は選ばなかったろうに、と思ってもそれがタイミングというものだから致し方ない。むしろ、私がどうでもいいと思うようになったからこそ、相手の行動や心理がうまく読めるようになっているのだろう。

いやもしかすれば、私がどうでもいいと思っているが故に、本当はまだ悪いのにいいと勘違いしているのかもしれない。

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私は自分が他人に興味を持てないようだというのが近頃の大きな悩みだったのだが、キャラ分析をしてみるとそんなことは毛頭無く、むしろ他人に踏み込みすぎらしい。

でも以前、私の人に対する興味のなさを、結構強い口調で非難気味に指摘されたことがあるのは確かなのだ。それ以来他人に対する興味のなさをどうしようか悩んでいたのに、実はむしろおせっかいな方だったとは。私が悩んだ日々は一体何なんだ。

そんなことを言う人の方がおかしかったということか。

ますます悩んだ日々がむなしくなってくる。

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最近の私の目標は、「人間関係で変化球を投げること」である。どうもこの能力がないと、これからの社会生活が辛い予感がするのだ。

でも変化球とは、具体的にどうすることなのだろうか。全然わからない。誰かに教えてもらわなければ……

 


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01/11/12(月) am 運命的に情熱がない

最近情熱がない。全然ない。

今日テレビをつけたら宮崎駿が、仕事仲間の女性との関係を、仲良しごっこをしているのではなく、時に憎しみあい、ゴミ扱いしながらそれでも一緒にひとつの物を作る関係だと言っていた。

何だか聞いていてうらやましくなった。いいなあ。「時に憎しみあい、ゴミ扱い」。それだけ、宮崎駿もその女性も、作品を作ることに対する情熱が強いのだろう。趣味と実益、生きていく目的そのものに仕事が一致している時のみに起こる関係である。

私もこういう仕事をして胃が溶けるような強烈な刺激を受けたい。本当に好きなことをしている時にしか生まれない苦しみとスピード感の心地よさ。何が犠牲になるのか怖いけど。

私は面白い仕事をチームでするのが大好きなのだが、今はそういう機会に全く恵まれない。社交として集団行動をする旅行とかイベントごとに参加するという方法もあるのかもしれないが、私はそういう生き死にのかかっていないぬるいチームワークは大嫌いなのである。

やるなら締め切りとレベルがきちんと設定されていて、楽しみつつもみんな必死になれるようなことをやりたい。別に仕切り屋をやりたいわけではなく、単なる一員でかまわないのだが、それでもそういう機会は今のところ本当にない。自分の時間をもてあましている感じがする。

やるべきことがないわけではなく、勉強だのバイトだの、むしろ盛りだくさんに私が片づけるのを待っている。でも全く情熱を感じられず、単に通過儀礼としてのろのろ手をつけている感じである。一生懸命やっている仲間達を見て感心しているくらいに。こんなことではいけないと思うけれど、この「興味のなさ」だけはどうにもならない。

興味がなくなったのは運命のなせる業だから、仕方がない。一度違う方向に向かった運命はもう戻すことはできない。でもこうやって興味のないことに時間と労力を取られていることがとんでもなく苦痛だ。これなら毎日瞑想とかウソ日記の執筆でもしていた方がよっぽど有意義だろう。

私は興味が無くなると妙に冷たいと自分でも思うが、興味が無くなると本当にやる気が出ない。0か1しかないかのように、スイッチが切れてしまう。

人生の無駄遣いはくれぐれもしたくない。今足止めを食っていることが終わったら、おおっぴらに命の洗濯でもしようかと思う。卒業までに資格のひとつもとってみたりして。

01/11/11(日) am すでに「立つ鳥」気分

ああ、やっぱり7日に見た夢が忘れられない。

衝撃的すぎるのと、わざわざ舞台を日本以外の場所に変え、人種すら変えているという手の込みようが。

今までは、せいぜい飛躍しても動物物だったし。ありそうな内容だから、案外過去のどれかの前世だったりするかも、と真面目に思ったりして。

こういうのを書くと、たいていの人が「ああ、とうとうそっちに」という顔をするだろうからあまり書きたくないけど、でも過去生でなかったとしてもヒントはたっぷりちりばめられている。問題はそれを私がどの程度の深さで受け止めるかということだ。

受け止めたところでどうにもならない点もあることだし。

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来年の引っ越しを見越して、いらなくなるであろう家具と、新しく買いそろえたい家具のことをぼんやりと考えている。

棚に収まりきらずにあふれかえっている本とCDをどうにかしたいということで、壁面いっぱいの本棚を買いたいし、どうにもならないG4と17インチCRTモニタを少しでも快適に置けるデスクと座って腰に負担が少ない椅子が欲しいということで、SOHO御用達のオフィス家具のカタログを取り寄せたりしている。

とりあえず、確実にパソコンデスク用の椅子は購入する予定なのだが、それだけで25000円する。この椅子は私が通っていたスクールに採用されていた椅子で、DTPとかCGの課題のために座り続けても、腰に痛みが来なかった。座り心地は太鼓判で、2年前からずっと欲しかったのだ。

ここのメーカーならいいだろうと思ってカタログを取り寄せたら、OAデスクもいいのがそろっている。種類も形も豊富だった。是非欲しい。でもまともに買おうとすると、デスクで3万はかかってしまう。

私は貧乏である。奨学金の支払いも来年から始まって、いよいよ借金に首を絞められる生活がやってくるのだ。そんな中、デスクだけでそんなにお金をかけたくはない。でもだからといって買わずにいると部屋が大変なことになるであろうことは予想がつく。G4とモニタはでかすぎる。

私は他の運がかなり目減りしている分(恋愛運などもはやマイナスの域である)、すべてが仕事運にまわっていると自分では思っている。仕事運が強いので何らかの仕事は必ず来るはずだから働いていれば金は手に入る。だが、問題は「たくさん手に入れたい!」と思っているところなのである。

いっそ、引っ越しをやめたらいいのかもしれない。配属の希望を「仙台」にすれば間違いなく仙台に送ってもらえるはずだ。希望に仙台と書かないにしろ、仙台に配属される確率は高いらしい。そうすれば、引っ越す必要がないではないか。

おお、何という名案。そしたら冷蔵庫や洗濯機も捨てずに使えば良い。引っ越すなら引っ越し代がめんどくさいので捨てるつもりでいたが、引っ越さないならいましばし使っておけばいいのだ。そうするとその分で徐々に家具を買い換えられる。

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などと、まだ先の見えないことでいろいろ考えている。東京になる可能性もあると自分ではまだ希望を捨てていない。何しろ他の運がない分、仕事運に全部回っているんだから、私の人生は。希望通り東京に配属される可能性がなきにしもあらず、である。

もし東京に引っ越すとしたら、ここにいる間に買いためて育ててきた大量の観葉植物は大半を処分するつもりである。かさばるしとても持っていけない。東京だったらでかいガーデンセンターがたくさんあるからこっちよりはずっと安価で苗を購入できるので、私が今所有している苗は親切な友人に引き取ってもらいたいという心づもりである。

…もしご希望の方は、鉢付きで差し上げます。

01/11/9(金) am どうしてラブアゲインなのか

「波乗りジョニー」も「白い恋人達」も、どうして両方ともラブアゲインがテーマの詞なんだろう。何かあるのかなあ…個人的には、すごく好きだけど。

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ヘアサロンを変えてみた。

理由は、今まで髪を切りに行っていたところがとんでもなく劣悪になってしまって、スタッフのコスプレとシーズンごとの派手な模様替え(飾り付けともいう)とイベントでお客のつなぎとめをやろうとし始めたからである。

気持ちはわかるのだが、だったらせめてサービスをしっかりさせてからにして欲しかった。カウンセリングもなく、美容師からの提案もなく、隠されたニーズをつかめずに言われるまま切って、めったやたらにパーマを勧めたり物を売りつけようとしたりするのはどうかと思う。

経費削減のためなのか、はたまた美容師の感覚に合わせているのか、店内が広いわりに暖房が弱くて、シャンプーして髪を乾かさないでいると寒くてふるえがくるし。

もともと、インテリアそのものは統一感があって悪くないのだ。しかしながら趣味の悪い飾り付けのせいでそれは台無しだし、サービスがそういったものではどう考えてもお金を出す価値が見いだせなかった。

スタッフの服装もずっと黒一色のものばっかりである。黒一色で統一するっていうのは実は一番センスがない人のすることだと思う。色が全部黒なら何を合わせても一応色が統一されていて合うんだから簡単なのだ。だったら変わった素材をもってくるとかすればいいのに、そういうこともないし……って、私が言う事じゃないけど。でもプロなんだから。

それでもずっと通っていて、話しやすい美容師さんがいるし、そのうち店も気づくだろうと思って多少様子見で通っていた。しかし、この間ちょうど髪を切りに行こうと思って通りがかりに店内を見て、やっぱり変える決心をしたのだ。

店内はハロウィンが近いということでまたも趣味悪くごてごてと飾り付けられ、しかもスタッフはみんなコスプレまがいの格好をして働いていた。最近入った若い男の子は、何と耳付き全身タイツタイプのサルの着ぐるみ姿。

(……うっ)

いくらなんでもサルの着ぐるみはないだろうと思ったので、速やかにサロンを変える決心をした。

だめだ。ここまで来ると店に入ってもどう反応していいのかわからない。「あのう、そんなことしないで接客の方法を磨いた方が…」という表情をもろに出しそうでどうにもならなかった。

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で、私は新しいところを探すことにしたのだが、これがなかなか難しい。前よりひどいところに当たる可能性も大だ。友達から良さそうなところは何軒か聞いているが、敷居が高くてなかなか踏み切れない。これは困った。

ということで、いつも通り私は賭けに出ることにした。いいサロンなら、金があって、時代に対応する余裕があるはずである。金と余裕があれば、ホームページを開設しているはずだ。

さらに、経営者にセンスがあれば、中途半端なデザインやバランスのおかしいロゴは採用しないはずである。

これらの予想を足し算すると、よいサロンは、情報がある程度充実し、デザイン的にもおかしなところのないホームページを外注で作っているはずである。ひどい論理だが、以前ホームページの制作をバイトでやっていた私に言わせればそうなる。ナイスデザインなホームページを作るには金がかかるのだ。サロンが儲かってないと作れない。サロンの儲けは客の数、それはつまり腕とサービスの確かさ。客ってそんなにバカではない。

さらに、ロゴも趣味が良いはず。パソコンに入っているフォントの縦横比率を変えただけというのではなく、いっぱしのデザイナーの手を借りるだけの金と、そうしようと思うだけの感覚がなければ嫌だ。

もちろん、儲かって儲かって困る!というサロンはもともとホームページなんて開設しないかもしれない。テレビや雑誌の宣伝効果があって呼ばなくても客が来るんだから、金をかけてホームページを作っているとは限らない。

東京の超有名サロンなどはたぶんそうで、私の考え方で行くと東京ではトップ集団の上の方を逃す可能性が大だが、仙台ならこれが十分通用するはずである(東京でも、かなり金のかかっていそうなホームページのサロンを探せれば「当たり」の可能性は高いが)。とりあえず「はずれ率」が下がればそれでいいのだ。電話帳から探すのでは途方もなさ過ぎる。

ということで、私は自己流の探し方で探してサロンを変えた。結果は当たり。前行っていたコスプレ美容室よりずっといい。行ってみてなるほどと思った。

置いてある雑誌の種類が違ってるし、スタッフとの会話の中身が違う。会話をすれば日常生活や趣味など持っている世界の広さがどういうものか大体つかめて、知っている知識でどういう友人とつきあっているかもよくわかるものだが、それも前とは違う。

海外旅行で韓国・香港など安くてお手軽な外国に行って買い物と食事のみを楽しんだ話などは出ない。ありがちな女性週刊誌(アンアン、ノンノ、週刊女性、クロワッサン、saitaなど)を置いていない。スタッフの服装は黒一色ではなく(当たり前か)、私が漏らす髪の悩みには敏感に反応して対策を教えてくれる。毛布のような膝掛けで先回りして寒さ対策をしてくれる。こんなに違うのね…と絶句。

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私が一番気に入ったのは、担当した美容師さんがいわゆる「モトのいい顔立ち」ではなかったことである。

こんなこと私が言う事ではないが、「もともと持っていない」のに「手に入れたい」と強く思う人ほど、それを手に入れるための努力と知識をたくさん持っていて、感覚も敏感になる。そう、私が「炎の恋愛質問人」であるのと同じ理屈だ。持っていない人間ほど敏感で、問題に対して的確なのである。

もともとあまり苦労せずに問題に向かえた人は、自分の中にノウハウを作り出してきた歴史がない。そういう人に、苦手な自分がいろいろ言われるのは腹が立つ。もともと努力しなくても勉強に適応できた先生に教わる落第生みたいな気分である。

たとえば、恋愛を苦労せずに次々と手に入れて楽しめてきた人には、奥の深い恋愛小説は書けないと思う。問題の本質は無意識にしかつかめていないから、分析なんてできないと思うのだ。数学の天才は決していい数学の先生にはなれない。

林真理子とか、見るからに恋愛に苦労した人の書く小説の方が好きだ。作詞にしたって槇原敬之とか古内東子とか、「苦労してそうだなあ」っていう人の詞の方が好きである。私が竹内まりやの詞をあまり好きになれないのは、彼女は結局成功者で、悲劇的なテーマの詞でも愛される自信満々さが満面ににじみ出ていて眉唾に思えるからである。

主人公にはなれないキャラクターだと自分でわかっていながらも、それでもロマンチストでしかいられなかった人の方が、内部世界はコンプレックスの陰影があって豊かで、魅力的。そんな、素材いまいち、センスピカイチの人と一生をともにさせていただいたらそりゃあ楽しいことだろう。是非そうしたいものだ。

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って、何の話だったっけ…

01/11/8(木) am アフリカ悲恋の続き

こう見えても高頻度で更新しました。念のため下の方にスクロールしてチェックしてみてください。

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今日はずっと、今朝見た夢が頭から離れなかった。なんだあのアフリカ悲恋。

じっと考えて、ひとつ気づいたことがある。自分自身は登場しないと思っていたのだが、実は自分自身はあの夢の中にいたらしいのである。

私はあの夢の中で、どうやら少年だったようだ。だが、視点が少年の中だけにあったのかどうかは定かではない。なぜなら、少女が他の少女達をかばって自ら敵の首領に身体を投げ出すところも見ていたから(このシーンは本当に寒気がする)。

私は少女の顔ははっきり覚えているのだが、少年の顔を見た覚えがない。ということは、私の視点が少年に一致していたため、少年の顔を見ることができなかったということなのではないか。

少女の顔も、少し斜め上から見たところを覚えているのだから、ちょうど少女より少し背の高い少年の目線で少女を見ていると考えればつじつまが合う。

それにしても、あまりにも強烈すぎる夢で、「置き去りにされた」という感じがまだ消えない。運命が呪わしいような気分がまだ残っている。これだから、リアルな夢は見るものではない。

01/11/7(水) pm ひどい悪夢

妙な夢を見てしまった。

荒れ果てた土地に、褐色の肌と黒い髪をした民族が村を作って住んでいる。そこに、16〜17歳ほどの少年と少女がいた。ほこりっぽい、砂漠のような土と岩だらけの土地で、風が強い。アフリカのどこかのような気がした。

少女は村の長の娘で、オリーブがかった黒髪は肩より少し下までかかる長さで、ゆるいウェーブがかかっている。細い体に薄汚れたような厚い布の服を着ている。少年も同じような布でできた衣服を着ている。少女と少年とは仲が良く、将来結婚することが予期されていた。

ところがどういう経緯からか、村とは敵対する勢力に何人か村の少女が差し出されることになった。そこに、その少女も加えられてしまったのである。白い分厚い服を着せられて差し出された少女は、敵対勢力の首領の持ち物になってしまった。少女は泣き叫んで抵抗したが、どうにもならなかった。

村では、少女を失った少年がひどく悲しんでいたが、敵対勢力の、しかもその首領の持ち物になってしまった少女にはどうにも手を出せなかった。

少女は少年のことは好きだったが、一旦その首領の持ち物になってしまったせいで心のありようが以前とは大きく変わってしまい、もう少年の元には戻れないことを覚悟する。

少女は何かのきっかけで一時的に村に戻ってくるのだが、少女を慕う少年とは異なり、敵対勢力の人間として少年に接する。もう少女は、自分を所有する首領のものであると覚悟しているから、少年への思いを断ち切ろうとしていた。それに少年はひどく傷つき、彼女を何とか取り戻そうとするのだがうまくいかない。

少年は必死に少女を呼び戻そうとするが、彼女は村に戻る期間を終えると、首領の元へ向かおうと背を向けて走り出そうとする。

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という夢を、どちらの人物にも視点が一致しない状態で見ていた。つまりその夢の中には、私という人物が出てこず、まるで映画を見ているように見たのであった。

少女が差し出されるシーンなんてもうトラウマ。「将軍の娘 エリザベス・キャンベル」を見て以来のショック。今も寒気がする。

夢のくせに、不思議とどちらの人物の心理もよく伝わってくるので、少年の悔しさだとか、少女の悲しみと覚悟だとか、そういうものがリアルに体験できて全くの悪夢だった。

自分と人種の違う人が主演の夢は初めてだった。個人的にはすごく興味深い。もしかして、昨日前世療法関係の本を読んだのが原因だろうか…

01/11/6(火) pm 危ないかもと思うけど

私は本屋が大嫌いである。本屋も図書館も大嫌い。あのお高くとまった雰囲気とか、威圧感が嫌いだ。

本屋と図書館が大嫌いな私は、最近もっぱらネットで本を買う。本そのものが嫌いなわけではない。本屋に行く機会があればいつもつい本を買ってしまう。つまりは本屋とか図書館という「場所」の持つオーラが嫌いなのである。

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この間、ネットで「魂の伴侶」という本を買った。ブライアン・L・ワイスという精神科医の本で、「前世療法」物である。

たぶん今ここまでを読んだ段階で、「うさんくさい…」と思った人がいるかもしれない。確かにうさんくさいかもしれない。退行催眠で前世までさかのぼってトラウマの原因を探り、現在の心的な障害を癒すというのだから、前世なんて信じない人にはまったくうさんくさい話であろう。

でも私はこの著者の穏やかな語り口が結構気に入っていて、宗教すれすれの危うさは感じつつも読んでしまう。実にドラマチックなのである。

この人は「前世療法」という単語がタイトルにつく本を既に二冊出しているが、私はこれも読んでいる。こっちもまた面白くて、引き込まれるように読んだ。

前世を信じる信じないは別としてただの読み物としても、十分楽しめる本である。「魂の伴侶」はよくできたラブ・ストーリーでもある。幾度も転生して運命の出会いをするという、映画にしたらさぞ面白そうな話で一気に読んでしまった。

自分の人生が無意味ではないかもしれない、と信じられるだけでも良いように思う。自分を待つ、または自分が待っている何者かがまだいるかもしれないと信じられるだけでも、何となく毎日生活していくのが楽しみになる。

私のような空想癖のある人間は特に、世間をファンタジーの塊のように思えるだけで「お得感」があっていい本である。

とりあえず生活するのが辛い時は、達観して日常から浮かび上がらないとやっていけない。この本は私でさえも癒されるんだから、心がかさつく人におすすめの一冊。

01/11/5(月) pm Don't cry, my friend

自分の身に起こったことが一体何なのか、人に話さなければ認識できないこともあるらしい。

生きていくときにドラマのない人なんていないのだろうか? だとしたら今後ますます、人の話から目が離せない。

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(その1)先日友人の結婚式に出席した。そこで私は、自分の才能をまたひとつ発見してしまった。

二次会で、なれそめなど新郎新婦に質問するゲームがあった。前もって出席者一人一人が、聞きたいことを紙に書いて司会に渡しておく。

そのうち、実際に出された質問のうち半分までも私が紙に書いて出したものだった(出席者は25〜30人)。日頃自分に手持ちがない分、他人の恋愛話を聞く経験が積み重なっているせいか、私が出したのは良問ばかりだったらしい。

今日から私は、「炎の恋愛質問人」を名乗ろう。

(その2)ウェブ日記の中には「非モテ系」と呼ばれるジャンルがあるらしい。さしずめうちも「非モテ系」だろう。

書いていないだけの話で、気合いを入れて書いたら模範的な「非モテ系」サイトになる自信がある(……って、そんなものに自信を持ってどうする)。

(その3)こういう年齢になるというのはおおごとなのだなあと考えることが最近時々ある。

以下は、先週の土曜の昼にうちの留守電に入っていた、故郷の祖母からのメッセージである。

「あ、もしもし? おばあさんですけど。元気にしてますか? 今日はお友達の結婚式なんだってね。あの、あなたも自分のことを考えてね。いい人がいたら結婚するんですよ…(以下略。最後は話し終わらない内に録音の限界を超えて強制的に切られていた)」

祖母は、本当は何の話をしにかけてきたのだろうか。何か他の用事があったはずであるが、それには全く触れず、結婚式の話から私の結婚の話にそれていってしまってそのまま切れたので全くわからなかった。いまだに不明である。

ちなみに、祖母は私の花嫁姿を見るまで死なないのだそうである。気の毒に、かなりの確率で私が死んでも死ねないという羽目になるのだなあと思うと心から同情する。

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人に話して考えると、何か重大な間違いをしてきてしまったような、大切なものを取り落としてきたような、そんな気がすることがある。

でも、間違いだったかもと思ってももういい加減戻れないところまで来てしまっていたりして、これをもし間違いと認定した場合、私の魂に刻まれて来世のカルマになりそうで、いやこれ自体もともとカルマかと思ったりして、ってことはここで解消できなくて来世でも解消するために同じ奴と同じ事になるのかと思ったりして、もう何というか吐き気がまた蘇り、夜のふかーい時間に混乱状態に陥ったりして、

…過去を客観的につかまえるのは、後悔のもとである。

 

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