二週間あまり缶詰状態でやっていた修士論文の締め切り日が今日で、無事提出を終えた。
正直、そんなに順調に進まないだろうと思っていたのだが、何とか規定枚数を成形できる程度にはちゃんと順調に進んだ。これは私のせいではなく、周りの人からいろいろ知恵をつけてもらったせいであろう。おかげで研究室の同級生の中では一番はじめに提出できた。ありがとうみなさん。
---- 自由の身になって初めてやったのは喪中ハガキの作成である。昨年に引き続き二年連続の喪中ハガキで、ちょうど前年のデータが残っていたので流用した。
今度行く予定の京都旅行のコンセプトを考えている。寺や神社が好きなので、寺や神社を回って身を清めまくるというのはどうだろうか。題して、「2001年ミソギの旅」。
たっぷり身を清めた後は京都の甘いものをぜひ堪能したい。ずっと前に、母と一緒に真夏の京都に行ったが、あのときは有名な和菓子店の喫茶に行ってあまりのおいしさに頭がおかしくなりそうだった。これと同じレベルのおいしさを味わったのは、他には長崎みやげの福砂屋のカステラを食べた時くらいだろうか。
八つ橋も大好きだし、干菓子も生菓子も洗練された色や形のものが多い。春のお菓子には決して青みの強い緑は使わないし、蛍光色に近い色を使って全体の調和が乱れているということもない。おもちゃではなく、美術品の美しさ。仙台で買う和菓子にはない美的感覚があって見てるだけで楽しめる。
京都の料理はどことなく山形の料理に似ていて(その昔、山形に京都の食文化が流入したらしい)、しかも甘いものもおいしい。さらに格子状の道で住所も交差点の名前なので決して道に迷わない。これを天国と言わずして何と言おう。
古都なのでどこか陰があるのもなじみやすい。不倫旅行にはぴったりなんだろうなあ。
---- と、書いたところで電話がかかって受話器を取った。誰かと思ったら、前の塾バイトで一緒だった、女性専任講師である。
うげ、なんだ一体、と思いながら話を聞いた。彼女は既に私の中でトラウマである。飲み会の後のカラオケで聖歌と唱歌(里の秋とか)とアニソンばかり、少しもマイクを離さずに歌いまくっていた恐ろしい人物。さらにそれは冗談でやっているのではない。真剣に、それしかレパートリーがないのだ。
しかも他人への発言がぶしつけで、周りの人はそれを毒舌と許容していたようだったが私は全く許容できなかった。飲み会になるとさらに拍車がかかる(というか、しゃべる機会が多くなるからだ)から嫌で嫌でたまらなかった。バイトを辞めた時何が嬉しかったって、今後彼女と飲まずに済むことが嬉しくて仕方なかったほどである。
嫌な予感を覚えながら話を聞いてみると、今度転勤するので前の上司と一緒に飲み会をやるという。前の上司とは、そう、やっぱり酒癖が悪くて酔うと記憶も残らないくせに目下に無理難題ばかり言う三十代半ばの女性である。これまた恐ろしい。そんな和田アキ子飲み会みたいなのに行ってたまるか。
---- とまあこの通り、私は本当に彼女たちとのつきあいが嫌なのだが、彼女たちは私が愛想よくしているからそんなこと少しも思っていない。だからこのような事態になるわけである。世渡りにはいい才能だけど、でも八方美人って少し考えるべきだ、と私は自分の生き様をしばし反省した。
電話をかけてきた先生が転勤する理由とは、仙台の教室がつぶれるかららしい。仙台の教室がなくなるので仕方なく、群馬に転勤するということのようだ。
私がその塾を辞めたのは今年の8月末なのでまだ4ヶ月弱しか経っていないのだが、その間に塾の中ではかなりの人の流出があったらしく、私がいた頃に働いていた人たちがもう2人も辞めちゃってるらしい。変な人しかいなくて職場の雰囲気がまったりしすぎだったから、そういうこともあるだろうと思ってはいたがそれにしても激しすぎる。
---- あの塾は本当に私にいろいろ教えてくれた場所である。特に例の酒癖が悪い女性上司の存在は、自分がこのまま三十半ばになったらどんなことになるかを頭の中でシミュレーションする上で大変参考になった。
三十代半ばを過ぎても結婚していない女性の人生というものが十分あり得るものだということを知ったし、そういう女性は年下の恋人を持つしか恋愛の選択肢がなく(同年代以上の異性がほとんど既婚者だから)、恋愛関係では物凄く弱い立場に立たされるということを知った。
30代の半ばになると、恋愛に求めるものが物凄く高濃度になってくるようだ。20代の私の友達と比べると、欲求の質感と密度が違う。12歳年下の彼氏が忙しくてなかなか会えないという時は、上司の職場での態度でほぼ正確にわかった。
同じ状況の時の私の友人たちの感じを擬態語で言うと「しょんぼり」なのだが、30半ばの彼女の場合は「カリカリ、キーキー」である。私にとってすら年下にあたる24歳の尻の青い若造に、36の管理職の女性が「キーキー」させられる様は不快を通り越して可哀想だった。ああ、あんな風にだけは絶対になりたくない。
(最近わかったことだが、年下若造の彼氏は近頃になって遠くへ転勤し、仙台へ帰ってくる目処が全く立っていないらしい。結婚を意識した関係であれば、彼女が失業中なんだからいい機会として結婚を考えそうなものだが、若造相手じゃそんなことは望めない。その上自分は日に日に年を取り、彼を手放せば後がないから、どんなに「都合のいい女」にされても別れることができない。女の立場が恐ろしく弱い関係である。)
そして、淋しい三十代女性はたいがい猫を飼っているのだ。
「淋しい女は猫を飼う」の法則は私の友人の職場にいる三十半ばの未婚女性にも言える。だから私は、犬をとても飼いたいけれどそれを実行に移すのが恐ろしくてしょうがないのだ。猫じゃなくて犬だから多少は望みも持てるが、それでも猫を飼うのと同じ状況になるわけだし、だとしたらあんな風になるのは淋しすぎる。子供が走り回り、二の腕に脂肪がついたにぎやかな暮らしを私だって手に入れたいのだ。そのためにもギリギリ踏みとどまって、やっぱり犬は……
---- そんなことはどうでも良い。幸い、飲み会に設定されている日は祖父の命日だったので、それを理由に円満に断ることができた。ありがとう、じいちゃん。
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