咳をしてもひとり

 

 

 

01/12/31(月) pm 今年も1年お世話になりました

《親愛なる読者のみなさま》

こんばんは、連打屋です。今年も1年お付き合いいただき、誠にありがとうございました。今年はあと数時間で終わります。よかった、終わってくれ早く。

今年は我ながら、いろいろなことがあった激動の一年だったと思っております。よく今年を生き延びたもんだと自分ではちょっと感動してます。読者のみなさんは、どう思われましたか?

大好きだった祖父の葬儀で明けた2001年でした。祖父の遺影を前にまだ祖父が生きているような気がしていた1月はじめ。

2月からは就職活動に突入し、N○Kの面接などを受けて落ちてへこんでいた4月末。

母が昏倒して階段から転落したという知らせを受けたのはちょうどそのころで、上京して就職試験を受けに出かける1時間前の弟の東京のアパートでのことした。母は頭蓋骨陥没骨折、脳挫傷、視覚障害といった重い怪我をして2ヶ月入院。脳挫傷のためしばらくは意識も正気の状態に戻らず、初期の痴呆のようになっていたこともありました。

母の入院中にちょうど就職活動は面接と説明会のラッシュを迎え、連日の面接と、母の容態がどう変化するか解らず、不安に揺れる中、ストレスで心臓の動悸と顔のほてりが続いたこともありました。今内定している就職先の最初のグループ面接での帰り、頬が熱く胸が痛くてたまらなかったことは今後決して忘れないでしょう。

病院に行ったら「処方するなら安定剤」と言われ、そしてお医者さんにはこう言われましたっけ、「また困ったことや心配なことがありましたらいつでも来てください、私は木曜日に必ずいますから」……そう、あれは新手のナンパのような優しさでした。涙が出ました。

大学の先生方にも心配をかけました。泣きそうな勢いで近況報告をすると先生方はいつも親身に聞いてくれて、家族第一の考え方が自然にまかり通る専攻を選んだことを心から感謝したものです。

体調が最悪の中、その後の就職活動は何とかうまくすすみ、ひとつめの内定をもらったのは5月の末のことでした。その後もう一つ内定をもらい、今の就職先に決めて安心したのは6月のはじめのことだったのですが…。

その次の週に、母がやっと退院したと思ったら今度は母方の祖母が癌で入院し、退院したてで体調が完全でない母が病院に泊まりこみで看病をし始めました。祖母は余命1ヶ月の宣告を受け、私は母の体調が心配で気が気でなく、ストレスから内側からの目の炎症が起こりコンタクトレンズがまったくできなくなった7月。

祖母が2ヶ月の闘病の末亡くなり、母が体力の限界に達して錯乱状態に陥ったのを目の当たりにして衝撃を受けたのは、祖父の初盆にもあたっていた8月14日。葬儀の準備の合間に、妹夫婦や弟とともに、ふたたび初期の痴呆のような状態に陥った母を連れだして温泉の休憩室で眠らせたことを強烈に覚えています。夜中に玄関の方から自分の名前を呼ばれるという怪奇現象が起こったり、腰を痛めたりもしました。

祖母の葬儀が終わったと思ったら、今度は修士論文に突入。アルバイトを小論文添削以外全て辞め、勉強に専念しようとしたものの、実家と仙台を行ったり来たりの生活だった9月。修論のネタが行き詰まり困っていた10月。

とうとう腰を据えてパソコンを打ちまくる11月。締め切りに追われながらも、おおむねぼーっと過ぎていく日々。さびしくて頭がおかしくなりそうでした。

とうとう修士論文を提出し終えて、体調が悪くなったり飲みに行ったりした12月の半ば。クリスマスを一人で過ごす焦燥感から発作的に企画したクリスマスイブ出発の京都旅行「2001年禊の旅」はとても面白くて、ひとり旅ながら今までにない充実感を得て大晦日。

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本当に、いろんなことがありました。ほとんど朝の連続テレビ小説のノリでした。リンクをはってくださっている方の紹介文には、不幸続きとかそういうことがよく書かれておりました(別に悪いということではありません、むしろ応援いただいてありがたいと思ってました)。

重ね重ね、よく生き延びたものだと自分をほめてあげたいと思います。「転がる石」が理想とする生き方の私ですが、あんまり転がると自分がどこにいるのかわかんなくなってくるものです。ストレスがたまって体調を崩したりするんですが、それでもやめられない、いや、神様がやめさせてくれないのが私という人間なんでしょうか。

来年はどんな年になるのでしょうか。来年はとうとう学生生活も終了し、就職して社会人としての生活がスタートいたします。環境が変わり、今後もますますお楽しみいただけるのか、それとも急にオバサン化して一気に読者のみなさんの購読意欲を喪失させるのか、乞うご期待。

(オバサンといえば、来年5月には妹に子供が生まれますから、名実共に伯母さんとなりますね……うう…)

今年は泥のようなものに足を捉えられて、そこから浮かび上がるのに一生懸命エネルギーを使った一年だったように思います。果たして本当にそこから浮かび上がれたのか、それともむしろ更に深い泥の中に入っていくことになるのか、それはわかりません。でも来年も、ベストを尽くしたいと思っています。

ほんとに1年、ありがとうございました。みなさん良いお年を。

 


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01/12/27(火) pm

京都四日目である。

庭園や風景や神社の古めかしさに感動しまくる夢のような毎日を送りながら、私がひそかに縁結びの神や縁切りの神に祈りまくっているのは周知の事実である。地主神社でひとがたを水に流したところから始まり、安井金比羅宮で宇治朝霧橋の上でのアメリカ人によるナンパを忘れるためひたすら祈ったり、今宮神社のおもかる石に「どうか何卒!」と念じてみたり、とにかく熱心に祈っているのだ。

そして私は本日、由緒正しい下鴨神社にて、「連理の榊」がそばに生えたこれぞ縁結びの相生社で「お願いします!」と願った後におみくじ引きを決行した。

おみくじ好きの私だが、この京都旅行中どこの神社でもおみくじを引いていない。なぜなら結果が悪かったら嫌だから。

以前京都を旅行した三年前は、三ヶ所ほどでおみくじを引いたがどれも良くなかった。これが当たるようにして、その2週間後いきなり院試落ちで人生の岐路に立たされてしまったという苦い経験がある。もうこういうのを繰り返したくなかったので、この旅行ではおみくじを引くのはやめにしようと思っていたのである。京都の神様のおみくじは当たりそうで怖い。何と言っても私がいつも引いている仙台の神社の神様とは年季が違う。

ところが、下鴨神社の縁結びおみくじは源氏物語になぞらえて籤が作ってあり、男性用女性用にわかれていてユニークだったのでついついひいてしまったのだ。当然、籤を引く前にちゃんと社に祈った。「どうかよろしく!」

そう、私は籤をひいた。三十六番。これはどうやら、『源氏』の巻の番号らしい。

「はい、三十六番です」

巫女さんに手渡された本のしおり風おみくじの上部に書かれた文字を見てぎょっとする。

柏木   源氏物語 巻ノ三十六  

「柏木」。おみくじはほとんどがカバーで隠れているので内容はまだ見えないが、思いっきり嫌な予感だ。『源氏』の巻の中でも最大級の嫌な予感がする。柏木。頭の中に除夜の鐘のようにリピートする。柏木……

おそるおそるくじを開けてみる。そこには歌が一首記してあった。

  いまはとて燃えむけぶりもむすぼほれ
    絶えぬ思ひのなほや残らむ  柏木

「……!!!!!!!!!!」

神様、あんまりではないですか。内容は「波瀾の兆─中吉─、出会い:あなたの心を乱す出会いがありそうです。じっくり検討してみましょう。」とのことですが、この歌は中吉どころの話ではないと思います。むしろある意味大凶です。柏木という時点で大凶ではないんでしょうか。「検討」っていうか、人生において恋愛を引退すべきなくらいの勢いのくじではないでしょうか。

確かこの歌は、確か光源氏に女三宮との不倫がばれて大ショック、恋愛ストレスのあまり病気になって今日明日の命になった柏木が、恋死にしても残る思いを詠んだ歌だったような気がする…。持病も無いのに恋愛ストレスで死んだのは長編『源氏』と言えども彼一人だ。ひどすぎる。

まさに、「恋って、死ぬことだったんじゃのう……」という深養父の恋歌の世界。清原深養父の恋歌が好きだとか言っていたのはこれの前兆だったんだろうか。「恋は命のやりとりだ! お前にその覚悟はあるのか!」と言わんばかりのおみくじであった。

不吉すぎる。しかも柏木の場合、相手の女三宮の感情もはっきりしない。一方的に思い続けただけで、相手から何ももらえなかったのにそのストレスで死ぬなんて、ただのアホじゃないか。嫌だそんなのは。

考えれば考えるほど、立ち直れない。

(神様……それほどに私の縁薄さと運悪さは深刻なんでしょうか。いや気持ちはわかりますよ、確かにそうかも知れません、確かにこの籤の通りの不吉さですよ。ですがこれはいくらなんでもあんまりなのでは…)

「心を乱す出会い」っていうのはたぶん、例の垣間見のシーンのことを念頭に置いているのだろうが……そのせいで柏木はほとんどストーカーみたいになって終いには実力行使、一気に転がり落ちていく。確かに「じっくり検討」する必要はある。

普通、これだけ悪いおみくじを引いたら神社の所定の場所に結んで来るものなのだが、これは特殊な形なので結んでくることができない。ご丁寧に籤の裏に「このおみくじは、いまのあなたの運です。次にお詣りになる時までお持ち下さい。」との注意書き。

ある意味ドラマチックで、非常に刺激的なおみくじではある。解る人にはこの日記も抱腹絶倒ものだろう。神様、これだけは勘弁して欲しかった…嘘でもいいから、「少女」とか「藤裏葉」とかが良かったのに。

だがしかし、神様は全部お見通しなのだ。

 


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01/12/24(月) pm

本日朝より旅に出て京都にいる。

たったひとりでしかもクリスマス・イブに見知らぬ人ばかりの中で過ごすというのは恐ろしく孤独なんじゃないか、と思ったのだが、実際はそんなこともなかった。むしろ楽しくて楽しくて、今までにない充実感を味わっている。

ひとりで全然知らない場所にいて、全然知らない人の横顔を盗み見て観察してドキドキしたりするのだ。ぞっとするほどサラサラヘアでしかも陶器のような頬をしたサラリーマンとか、その隣の隣の席で痛みきった茶色の長髪と不摂生でくすみまくった肌をした自由業風の男の人とか。

新神戸の駅でどの階段を下りたらいいのかきょろきょろした。三宮でカップルのみなさんの列についていったら危うく異人館を巡りそうになって目的地と反対方向だったことを知った。クリスマスイルミネーションを見ようとするカップルが仙台の光のページェントの10倍くらい詰めかけていて、パニックになりそうな危うさの中を大きな荷物を持って逆行し、神戸脱出。

とにかく未知の場所にいるのが楽しくてしょうがなくて、意外にひとりで旅をすることをめいっぱい楽しんでいる。

それにしても本当に、神戸ではカップルの大河(本当に大河のようだった)の流れに逆行して帰ってきたので、カップルが洪水のように押し寄せてきて怖かった。どうも、一年で一番人が詰めかける日に神戸に行ってしまったらしい。あんなにたくさん人がいるのは仙台では考えられない。仙台七夕の混雑を超えている。とても面白かった。

リクルートの適職診断という一種の心理テストで「未知のものが好き」という度合いが異常に高いと出て、6年以上も同じ場所に澱んでいる私は「嘘だろ」と思っていたのだが、嘘ではなかったらしい。よくわからないものの中身や原理を手探りと体当たりで考えるのが好きなのだ。

…ということで、陳腐だけど「自分の発見」みたいなものをしているらしい。

陳腐だけど、これが面白い。普通の日常生活では自分の立場やキャラクターが相対的にきちんと決まっているから、こういうふうにぐちゃぐちゃしたものの中で自分そのものの行動原理や心理を観察することはなかなかできない。たぶん、誰か同行する仲間がいてもそういう体験はできないだろう。いい機会を作れたと思う。

自分が実際に行ったこと全てを「自分らしい行動」であると思うことができるから、そこからひるがえって自分を措定し直せる。しかも自分が目撃して自分が判断しているのでそこから紡ぎ出された像からは逃げられない。この自分が意外にパワフルで前向きだという信じがたい事実に突き当たっても、否定はできないのである。

そういえばずっと昔、そんな自分に出会ったことがあるけれど、久しぶりにまた会えたようで嬉しい。白い龍を助けるために宙に浮いたブリキ管の上を渡れるだけの勇気ぐらいならまだ残っているかも知れない。

 


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01/12/19(水) am 愛の才能

今頃になって「千と千尋の神隠し」を見に行った。

「愛」にあてられたせいか、家に帰ってきてからずっと寒気がする。どうも熱が出てきたらしい。てきめんな効果で嘘かと思ったが、寒気がして頬が熱いから間違いないだろう。

たぶん映画館が寒かったせいで風邪を引いたのだろう。本当に熱が出てきたかも知れない。

こんな時に限って、体温計が全然見つからない。どちらにしろ、熱があるのは確かだから、明日は一日寝ているべきかもしれない。

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何となくブルーなので、また「古今和歌集」をぱらぱらめくる。ああ、これがこんなに気晴らしになるとは思わなんだ。

今回は、恋歌に限らず気に入ったのを……(さすがに、愛にあてられて熱が出た晩に恋歌ばかり見るのもどうかと思う)

「ひかりなき谷には春もよそなればさきてとくちる物思ひもなし」……いやほんと、いつも人の恋愛相談に乗っている時の私の胸の内そのままの歌だ。って、また清少納言のおじいちゃん。おじいちゃん、ここに入るの何首目だっけ? 3日連続? 私と気が合うね。

「冬ながら空より花のちりくるは雲のあなたは春にやあるらむ」……すっきりした後味でいい和歌。おや、またおじいちゃん?

「恋ひ死なばたが名は立たじ世の中のつねなきものといひはなすとも」……まったくだ。人を命の危機にさらした責任は重い。こっちは命がかかっちゃったんだ。生命の危機なんだ。逃げるな、責任は取ってもらわねば……おお、これはまたおじいちゃん。

おじいちゃん……わかったよ、ちゃんとおじいちゃんオンリーの歌集を読むから。

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久しぶりに純粋な読書目的で大学の図書館から本を借りるかもしれない。まさか清原深養父がこんなに面白いとは思わなかった。清少納言はこのじいちゃんと交流はあったんだろうか。

好きになったら命がけ。本気の指標は「拒食で激ヤセ」。苦しさに痩せ細り、

「恋って、死ぬってことだったんじゃのう…」

と、今日もあまり食べられない夕食の膳を前に、ため息。

じいちゃんのあまりの激ヤセぶりに恋する相手はすっかり引いてしまう。別れの言葉は「病院へ行け」。

「そんな……会えなくなったらわしの命は風前の灯火」

じいちゃんの叫びも虚しく、激ヤセに怖くなった相手はすっかりじいちゃんとの関係をなかったことにしてしまった。潮が引くように相手からのコンタクトが遠ざかっていく。そのうち、恋なんてそんなもん、とばかりに、相手が別な人間と付き合っているとの噂がじいちゃんの耳に入る。

痩せた体で怒るじいちゃん。実はじいちゃん、こう見えて結構名のあるややこしい相手と交際していた。そのための心労と苦しい恋心ゆえに激ヤセしたにも関わらず、責任も取らず逃げるとは何事か。

「恋愛沙汰なんてそんなもんだ、なんてリングを下りてもらっちゃ困るね。こちとらお前のせいで死にそうなんだ。スキャンダルのひとつも立って、思い切り巻き込まれてもらわなきゃこっちの気がおさまらない……見ておれ」

などと呟くじいちゃん。

時が経ち、じいちゃんも最終的にはあきらめた。だけど次の恋をして本気になったら、また「命のやりとりモード」に入ることは自明。それだけは避けたい。

じいちゃんは、いいこともなければ悪いこともない、恋愛から無縁の何もない穏やかな生活を手に入れることを決意。また痩せて死の危険が来るのは困る。

他人の恋愛話を聞きながら、ぼんやり思うじいちゃん。

「わしなぞはもう何もないから、辛い思いもないわ」

気分はまさに「ひかりなき谷」。しょんぼり歩くじいちゃんの上に、真っ白なぼたん雪が降ってくる。

「ああ、この白い花びらが舞い降りる冬空の向こうに、春が待っているんだろうか……」

白く染まっていく道を、とぼとぼ歩くじいちゃんの後ろ姿が段々小さくなる。BGMはじいちゃんだけに、フランク・シナトラの「FLY ME TO THE MOON」で「スペース・カウボーイ」風に。

がんばれじいちゃん! 深養父の明日はどっちだ。

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我ながら、こういう空想だけはよくふくらむもんだと感心する。

01/12/18(火) am まだ読んでました

やっぱりヒマなので、まだ古今和歌集を読んでいる。しかも「恋歌」ばっかり。……ひどい拒食症で、食べようったってもう食べる能力がないのに、グルメ本とか読んでる気分。

面白い歌が多くて泣けてくる。私は鹿がどうの、紫草がどうの、ホトトギスがどうのという歌は全然ダメで、感情丸出しのストレートな味わいのものが気に入っている。5首に1首はバカウケ。紀貫之には脱帽。

でも紀貫之がもしいたら、「古今和歌集読みました、バカウケでした!」と言われても、困るばかりだろう。貫行は何もウケるために編纂したわけではないだろうし。

いや、もしも貫行が「これ、ウケそう……そうそう、ここで軽くつかんどいてここでバーンと笑いを…」などと、爆笑オンエアバトル収録前夜のお笑い芸人のように余念無くネタ作りをしていたのだとしたらそれはそれですごいけど。

私の「ストレート指向」(要するに、言わなければ思っていなかったのと同じ、という受け取り方)というのは本来の文学的味わい方には程遠い。だけどこうやってストレートに書かれていることでウケるというのがやっぱり凡人が手に届くぎりぎりなのである。

私の友人に、和歌や俳句の受け取り方に優れた感受性を持った人がいて、ある歌を見て私がぼんやり「ふーん」と思った横で、その人が視覚的イメージ付きで同じものを味わっているのを見たことがある。そういう感受性は私にはやっぱり持つことが不可能なのである。

ヒマだから、今日気に入ったものをご紹介して本日の日記を閉じたい。

「身をうしと思ふに消えぬものなればかくてもへぬる世にこそありけれ」……命ある限りずるずる続く苦しい思い、壮絶ですね。いっそ殺して欲しいってことですか。そういえば、X JAPANの曲に同じような感じのがありましたよ。「悲しみに乱れ」て「キルミー、ラブ」って叫ぶやつ……「Silent Jealousy」だったかな。パタとヒデの芸術的なツインのギターソロをバックに、芥子粒の香りで身もだえするあなたの姿が目に浮かびます。

「あはれともうしともものを思ふ時などか涙のいとながるらむ」……少女マンガのようで…「あれ? どうしてうれしいはずなのに、悲しい時のように涙が流れるのかしら?」…それともターミネーター2のシュワルツェネッガーの台詞だろうか…「人間がなぜ涙を流すか解った」……このー、感激屋さん。

「人しれぬ思ひのみこそ侘しけれわが嘆きをば我のみぞしる」……古内東子「心にしまいましょう」の世界…始まらないまま終わっていくのはやっぱり一番耐えられませんか。

「かずかずに思ひおもはずとひがたみ身をしる雨はふりぞまされる」……ツボにはまりすぎてコメントできない。思えばそんな日もありました。

「今ははや恋ひ死なましをあひ見むとたのめしことぞ命なりける」……これも清少納言のおじいちゃんか。大胆だなあ、おじいちゃん。全く、恋したら命がけなんだから。でも若い娘に手を出したら確かに、物理的に命がすり減るからやめましょう。まるで、ドラキュラと人間の恋のように。

01/12/17(月) am ヒマすぎて恋歌斬り

することがなくて、ぼーっとしてしまう。まして大雪が降り、周りが真っ白な雪に固められてしまったような道路の状態なので、外に出る気もしなくなってしまった。

修論が書き上がり、提出するとまもなく雪が降り出して、遊ぼうと思ったら一気に大雪なんだから、参ってしまう。さすがに大雪だと、友達を誘うのも悪い気がする。

ヒマすぎて、ずっと前に買ったきり本棚でホコリをかぶっていた『古今和歌集』をぱらぱらめくったりしていた。恋歌が結構面白い。

「冬川のうへはこほれる我なれやしたにながれて恋ひわたるらむ」…なるほどいい和歌だ、恋ひわたったらよいではないか。同級生にはクール無表情冷血人間と思われながら、家に帰れば夜ふとんの中で恋しさにむせび泣いているのだろう、可哀想に。

「あまのはら踏みとどろかし鳴る神も思ふなかをばさくるものかは」……そんな君には、槇原敬之「雷が鳴る前に」をぜひ聴いて欲しい。そしてコンビニ前公衆電話に走れ!

「恋しとは誰が名付けけむ言ならむ死ぬとぞただに言ふべかりける」……何と大胆な。金賞。さすがあなたは清少納言のじいちゃんだ。でも、そんな死ぬほど好きになれるくらい興味深い人間がどこかにいるんですか? 教えておじいちゃん。

面白くなってきたのでインターネットでも和歌を調べてみる(とても面白いサイトでした。こちら)。

「わが恋はゆくへも知らずはてもなし逢ふを限りとおもふばかりぞ」……わかりますよそれ。そういう悩みに苦しんでいる知人を何人か知ってます。そのうちひとりはえらく酒癖の悪い元上司の女性でしてね、これがまた年下男にいいように振りまわされちゃってなんていうか六条の御息所?っていうか……

ほとんど、「ケイゾク」の柴田みたいである。

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前々から決まっていた約束がひとつあって、旧友と飲みに行った。そして前回の日記で書いたようなことを話したらやっぱり、

「絶対ダメだからね、犬を飼っちゃ!」

と、反対された。当たり前か。

でも、「大雪のこんな日に人を誘うのは悪いなぁ」と思ったあとで、「こんな時に犬がいれば大喜びで一緒にはしゃぎ回ってくれるのか…。もしかしたら、寒さに震えながらでも散歩にはつきあってくれるもんね…」とぼんやり考える癖がついてしまった自分をどうにかしたい。

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修士論文を書いたところで、卒業後の私には何の役にも立たない。通過儀礼のようなもので、特に私の将来に実際的な恵みをもたらしてはくれないのである。だからこれが終わったら、次は将来の役に立つものを残った時間で精一杯やらなければいけないと思う。

英語とか、マーケティングについての事前学習用テキストとか、そのほかこの間メールが来たバイト再開とか、いろんなものが待っている。時間はない。

でも、こんな風に雪に閉じこめられてどこにも行けず、途方に暮れたようにやるべきことだけやっているなんて、それで人生を楽しんでいるって言うんだろうか?(あ、でもさっき和歌を斬って楽しんだ)

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最近、山本文緒のエッセイを本屋で見かけて、どれもこれも自分がいつも抱えているものがストレートに表現されたタイトルの本ばかりでぎょっとした。一冊だけ買って読んだら、共感できることがずいぶん多く書いてあって(ただ、彼女は時にものすごく陰湿なので、直球以外の投げ方を知らない私とはそこだけが違うと思った。これが大きな違いであることを願いたい)、もっとぎょっとした。

山本文緒は三十は過ぎているはずだから、彼女に共感できるということは、私がこのまま三十を過ぎた時にどんな状況になっているか、というモデルケースを拝見することができる。私は背筋が寒くなった。恐怖以外の何でもなかった。

ただ、彼女は年齢を重ねている分、私よりはいろいろな点で学習している。それゆえにモデルケースとしては恐怖ではあるものの、実りも得られるのである。反面教師にもできるし…うまく生かすためには私自身の性格をどうにかしなければまっすぐ山本文緒的ロードへ突っ込んでいきそうだ。

そう、焦りで結婚→別居→離婚の地獄絵図。それだけは、絶対回避すべきだ。

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何だか悲しくなってきた。なぜかうっかり古内東子のCDをかけていた。京都旅行のことでも考えて、気分を晴らそう。

今のところ、京都旅行の最大の焦点は「やっぱりしつこい悪縁は、心霊スポットだろうが怖かろうがパリッと貴船くらいの強力神社で流さないと流れないですかね?」である。…あ、涙が

01/12/14(金) pm 恐怖の電話

二週間あまり缶詰状態でやっていた修士論文の締め切り日が今日で、無事提出を終えた。

正直、そんなに順調に進まないだろうと思っていたのだが、何とか規定枚数を成形できる程度にはちゃんと順調に進んだ。これは私のせいではなく、周りの人からいろいろ知恵をつけてもらったせいであろう。おかげで研究室の同級生の中では一番はじめに提出できた。ありがとうみなさん。

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自由の身になって初めてやったのは喪中ハガキの作成である。昨年に引き続き二年連続の喪中ハガキで、ちょうど前年のデータが残っていたので流用した。

今度行く予定の京都旅行のコンセプトを考えている。寺や神社が好きなので、寺や神社を回って身を清めまくるというのはどうだろうか。題して、「2001年ミソギの旅」。

たっぷり身を清めた後は京都の甘いものをぜひ堪能したい。ずっと前に、母と一緒に真夏の京都に行ったが、あのときは有名な和菓子店の喫茶に行ってあまりのおいしさに頭がおかしくなりそうだった。これと同じレベルのおいしさを味わったのは、他には長崎みやげの福砂屋のカステラを食べた時くらいだろうか。

八つ橋も大好きだし、干菓子も生菓子も洗練された色や形のものが多い。春のお菓子には決して青みの強い緑は使わないし、蛍光色に近い色を使って全体の調和が乱れているということもない。おもちゃではなく、美術品の美しさ。仙台で買う和菓子にはない美的感覚があって見てるだけで楽しめる。

京都の料理はどことなく山形の料理に似ていて(その昔、山形に京都の食文化が流入したらしい)、しかも甘いものもおいしい。さらに格子状の道で住所も交差点の名前なので決して道に迷わない。これを天国と言わずして何と言おう。

古都なのでどこか陰があるのもなじみやすい。不倫旅行にはぴったりなんだろうなあ。

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と、書いたところで電話がかかって受話器を取った。誰かと思ったら、前の塾バイトで一緒だった、女性専任講師である。

うげ、なんだ一体、と思いながら話を聞いた。彼女は既に私の中でトラウマである。飲み会の後のカラオケで聖歌と唱歌(里の秋とか)とアニソンばかり、少しもマイクを離さずに歌いまくっていた恐ろしい人物。さらにそれは冗談でやっているのではない。真剣に、それしかレパートリーがないのだ。

しかも他人への発言がぶしつけで、周りの人はそれを毒舌と許容していたようだったが私は全く許容できなかった。飲み会になるとさらに拍車がかかる(というか、しゃべる機会が多くなるからだ)から嫌で嫌でたまらなかった。バイトを辞めた時何が嬉しかったって、今後彼女と飲まずに済むことが嬉しくて仕方なかったほどである。

嫌な予感を覚えながら話を聞いてみると、今度転勤するので前の上司と一緒に飲み会をやるという。前の上司とは、そう、やっぱり酒癖が悪くて酔うと記憶も残らないくせに目下に無理難題ばかり言う三十代半ばの女性である。これまた恐ろしい。そんな和田アキ子飲み会みたいなのに行ってたまるか。

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とまあこの通り、私は本当に彼女たちとのつきあいが嫌なのだが、彼女たちは私が愛想よくしているからそんなこと少しも思っていない。だからこのような事態になるわけである。世渡りにはいい才能だけど、でも八方美人って少し考えるべきだ、と私は自分の生き様をしばし反省した。

電話をかけてきた先生が転勤する理由とは、仙台の教室がつぶれるかららしい。仙台の教室がなくなるので仕方なく、群馬に転勤するということのようだ。

私がその塾を辞めたのは今年の8月末なのでまだ4ヶ月弱しか経っていないのだが、その間に塾の中ではかなりの人の流出があったらしく、私がいた頃に働いていた人たちがもう2人も辞めちゃってるらしい。変な人しかいなくて職場の雰囲気がまったりしすぎだったから、そういうこともあるだろうと思ってはいたがそれにしても激しすぎる。

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あの塾は本当に私にいろいろ教えてくれた場所である。特に例の酒癖が悪い女性上司の存在は、自分がこのまま三十半ばになったらどんなことになるかを頭の中でシミュレーションする上で大変参考になった。

三十代半ばを過ぎても結婚していない女性の人生というものが十分あり得るものだということを知ったし、そういう女性は年下の恋人を持つしか恋愛の選択肢がなく(同年代以上の異性がほとんど既婚者だから)、恋愛関係では物凄く弱い立場に立たされるということを知った。

30代の半ばになると、恋愛に求めるものが物凄く高濃度になってくるようだ。20代の私の友達と比べると、欲求の質感と密度が違う。12歳年下の彼氏が忙しくてなかなか会えないという時は、上司の職場での態度でほぼ正確にわかった。

同じ状況の時の私の友人たちの感じを擬態語で言うと「しょんぼり」なのだが、30半ばの彼女の場合は「カリカリ、キーキー」である。私にとってすら年下にあたる24歳の尻の青い若造に、36の管理職の女性が「キーキー」させられる様は不快を通り越して可哀想だった。ああ、あんな風にだけは絶対になりたくない。

(最近わかったことだが、年下若造の彼氏は近頃になって遠くへ転勤し、仙台へ帰ってくる目処が全く立っていないらしい。結婚を意識した関係であれば、彼女が失業中なんだからいい機会として結婚を考えそうなものだが、若造相手じゃそんなことは望めない。その上自分は日に日に年を取り、彼を手放せば後がないから、どんなに「都合のいい女」にされても別れることができない。女の立場が恐ろしく弱い関係である。)

そして、淋しい三十代女性はたいがい猫を飼っているのだ。

「淋しい女は猫を飼う」の法則は私の友人の職場にいる三十半ばの未婚女性にも言える。だから私は、犬をとても飼いたいけれどそれを実行に移すのが恐ろしくてしょうがないのだ。猫じゃなくて犬だから多少は望みも持てるが、それでも猫を飼うのと同じ状況になるわけだし、だとしたらあんな風になるのは淋しすぎる。子供が走り回り、二の腕に脂肪がついたにぎやかな暮らしを私だって手に入れたいのだ。そのためにもギリギリ踏みとどまって、やっぱり犬は……

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そんなことはどうでも良い。幸い、飲み会に設定されている日は祖父の命日だったので、それを理由に円満に断ることができた。ありがとう、じいちゃん。

 


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01/12/11(火) am 缶詰で狂気

小学生みたいだけど、最近本当に犬が飼いたくて仕方ない。人間相手ではもうカバーしきれないらしい。犬は私を裏切らないし、嘘をつかないし、終始一緒にいても変だとは思われない。

「いつでも電話してきていいよ」と言われても、家に彼氏が来ていればたぶんろくに話を聞いてくれないであろうなぁ、と心のどこかで予想しているような人間関係はもう疲れた。大体、親兄弟さえそうやって話を聞いてくれる存在ではないんだから、他人に求めても仕方ないというのは当然だってわかってはいる。

わかってはいるんだけど、それだけで埋まってはくれないというのが心のスキマである。少しバカな主婦ならテレクラに走りそうな精神状態。一応今のところ、色にも宗教にも走らずに(走る気にすらならない)頑張っているわけである。

今度引っ越すならペット可の物件でも探して、ぱーっと犬でも飼おうかと思ったりしている。きっと友達もあと数年でぼちぼちみんな片づいて、自分一人になる日も遠くないのだから。

でも、園芸が趣味でしかも犬まで飼っていたら、この先自分の人生に何の変動も期待せずに開き直って一人暮らししているようで(実際そうなんだけど)、ふとした拍子に深刻な鬱状態になりそうで怖い。

右にも左にも動けない感じがする。まるで底なし沼にはまったようだ。今はやるべきことが山積みだからいいけど、これがあと数日経って何もすることがなくなったら、どうするつもりだろう。

落ち込むほど不幸ではないだろう、と自分にツッコミを入れてみるのだが、それが効かなくなるほど最近は深刻な状態に陥りつつあるような感覚が私を襲う。閉塞感で頭がおかしくなりそうだ。

こうなってくると本当に、何かをするかも知れない。過去、こういう閉塞感で頭がおかしくなりそうになった時は、私はたいがい何か思い切ったことをやっていたように思う。

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忘れてた。先日突然クリスマスから京都に行くことを決めたんだっけ……禊をしてこよう。とりあえずこの閉塞感を洗い流すべきだ。

手始めに……どこだったか忘れたが、悪縁を流す神社に行こう。ひとがたに、ナシにしたい悪縁を記して水にとかし、文字通り「水に流す」ための。

3年前京都に行った時にもそこに行って、2、3枚悪縁を流してきた。そうあのときは、真冬の早朝でひとがたを流す水が凍っていたにもかかわらず、水の表面の氷を無理矢理割って冷たい水に手を入れて張り切ってひとがたを跡形もなく溶かしたのである。

流した悪縁が何だったかは何となく覚えているが、あれをやった直後に大学院に落ちて生き方を変えたので、悪縁どもは見事に流れていった。物凄い効き目。神様から御利益のスピニングバードキックを浴びせられたのに違いない。

だから今回もぜひ二日目の早朝あたりにあの神社へ行って、張り切ってひとがたを流して縁を切ってこよう。悪縁根絶。…確か、地主神社。

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本当は、縁結びの神社なのに…

 


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01/12/7(金) am 「ぽっかぽか」への苛立ち

戻りたいなあ、と訳もなく考えることがないだろうか。

でも戻りたいなあと思ったところで、実際戻ったところで、今以下の状況に泣くことが目に見える。ということはつまり、私はじりじりとではあるが進歩しているっていうことだ。目出度い。

いや、でも一瞬だけ戻りたいと思う過去はやっぱりあるかも。ありませんか?ひとつくらい。

ちなみに私は、小学校2年生の冬のある日、小学校昇降口正面の大きな鏡の裏に行った時に戻りたい。訳は言えない。

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最近年を取ったせいか、世の中に蔓延する「ちょっと考えたら実はものすごくおかしなこと」に敏感になっている。

例えば、ドラマの「ぽっかぽか」を見てムカムカと腹が立ったり、結婚・出産を経て次々と仕事を辞めていく女性の話を聞いて首を傾げたり。果ては、いつもの昼メロ「レッド」を見ながら、「同性愛のどこが悪いんだ!」と憤慨したりしている。

「ぽっかぽか」を見て腹が立つのは、あのドラマが典型的な性別役割分担の世界を基盤にして成り立っており、そのことに誰一人、全く疑問を覚えていないようなそぶりが大嫌いなのである。少しでも差別撤廃的な人間(例えば主人公の夫とか。でもあのドラマで真にそういう人は一人もいない)がいれば、天然記念物モノに目を丸くされている始末。

管理職になった女性に関してはどこまでも意地悪で皮肉な描き方がなされ、底意地の悪さと人間不信を練り固めたような人物造型。他の女性登場人物に関しては誰一人手に職を持っておらず、話にならない。あんなドラマに視聴者が何ら疑問を持たず支持しているようでは、日本に真の男女共同参画社会は成立しないだろう。

私はあのドラマを見るたびに、企業社会とはこういうものなんだろうかと絶望する。私は今後、死んでも職を手から離すつもりはない。無収入で男性の腕にぶら下がり続ける生活に、何の疑問も持たずに過ごすなんて相手にも失礼なように思う。子供を産むんだからお前が仕事を辞めろなどという夫には、「だったらお前がやめなさい。私が養ってやるから」とハッキリ言うつもりだ。

女性が結婚・出産で簡単に仕事を辞めてしまうのは、一体どういう事なんだと首を傾げざるを得ない。特に大卒だったりした場合、辞めたために失う、将来もらえるはずだった給料がいくらになるのかを考えると悔しくて涙が出る。まして私は院まで出ている。この学費を回収しなければ死んでも死にきれないし、親にも顔向けできない。主婦になるなら高卒で十分なれた。ただ家で子供を育てているだけなんて自分を自ら殺すのと同じだ。

世の中はやっぱり金なのだ。金がなくて真の精神的自立なんて図れるわけない。自分が稼いだわけでもない夫の給料ででかい顔してブランド品を買うような傲慢な人間になりたくないし、自分が稼ぎ出した金を好きなように使う自由を私はずっと持っていたい。経済的理由で離婚をためらい、去っていく時には男性の生活基盤のほとんどを慰謝料として持っていくようなひ弱で恐ろしい女になりたくない。だから私は、死んでも手から職を離したくない。

大体、ずーっと家にいるだけで、オーバーオールとパジャマがすっかりお似合いになってしまい、お出かけといえばばかでかいトートバッグに子育て用品をごっそり詰め込み、ヒールのヒの字もないような白いスニーカーばかり着用するような女を一生の性的対象にしていくつもりは、男の方にはさらさらないように思えてならない。

仕事を辞めて家に入ったのに、自分の体のせいで子供を産むことができず、おそらく女性として耐え難い辛さを胸に秘めながら夫に二十年以上連れ添い、夫が癌にかかったときには支え……と妻は寄る辺ない身で精一杯夫に尽くしたのに、夫の方は平気で若い女の子と不倫していた例を知っている。

また、自分の彼女が懸命に頑張って専門的な職業を手に入れたことを知りながら、自分の浮気が原因の一方的な別れ話の口実に、もし結婚して仕事を辞めてくれと言ってもお前は辞めないだろうから、と言って彼女の心をひどく傷つけた男性の話を私は知っている。涙をのんで性別役割分担に甘んじたところで、それが将来を保証してくれるとは限らないのである。

一体、女はいつになったら、本当の意味で自分のために自分の人生を生きることができるようになるのだろうか?

女の自己実現という意味で言うとこの上なくお寒い日本の状況に、私は本当に絶望してしまうのだ。

出産を女がするのはしょうがない。子宮を男につける技術が今のところないのだから妊娠と出産はしょうがない。

だが、妊娠も出産も育児も、相手の男に同等に責任があり、妊産婦同様その仕事に力を注ぐ義務があることを男は忘れていないだろうか?

いや、表面上そう言うことに疑問を覚える人はいなくなっているかもしれないが、その認識をきちんと実行に移せる男性は一体どれほどなのか。二週間にいっぺんくらい子供にミルクをやって公園で遊ばせた程度で、「俺は子育てをちゃーんとやってます」って胸を張る奴がほとんどじゃないのか。

衣食住すべて、男だってやっていることなのだ。だとすれば、その衣食住を保つための家事を男も同等にやることは当然の義務ではないのか。なぜ客が家に来た時にごちそうを作るのは妻でなければいけないのか? なぜ結婚式で得意料理をたずねられるのが新婦だけなのか? どうして家事に少しでも参加する男を「偉い」と言うのか? そういうことが私は最近許せない。

結婚する気があるなら男だって、料理と洗濯と掃除の腕を磨いて「花婿修行」をするべきだ。妻が出産を控えているなら夫は、子育て本に医学書で妊娠・出産のメカニズムと子供の扱い方をしっかり勉強しておくべきなのだ。

私の考えていることがおかしいんだろうか。男って、女が自分の人生を犠牲にしなければならないほど尊重すべき存在なのだろうか。逆に、男が仕事をし続けて疲労を極限までためなければいけないほど、女は役立たずなのだろうか。

男女は平等だ、ということを、自分の妻に家事を押しつけている夫が、自分の夫に仕事を押しつけている妻が、本当に胸を張って我が子に教えることができるのだろうか?

 


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01/12/4(火) am 後ろの皆様ありがとう

つい先日の晩。私は学校で勉強し、夜8時近くになって「奇跡体験!アンビリバボー」があったことを思い出し、そそくさと片づけて自転車で帰宅の途についた。

学校の裏手にさしかかり、カーブした道にそってゆっくり自転車をこいでいた。私が通っている道は広く大きな道で、もう少しいくと敷地内の駐車場から合流する小さな道がある。小さな道の方は下り坂で、短いもののかなり急である。小雨が降っていて、路面はぬれていた。

すると、合流してくる小さな道のほうを、一台のスクーターがこっちにやってくるのが見えた。普通は、小さな道がこちらの道に合流する地点の手前で一時停止し、確認をしてから入ってくるものなのだが、あろうことかそのスクーターは、全く減速せず一時停止もしないでこっちの道に入ってきた。

私はスクーターと接近してしまう前に、おかしいと思ってやや減速していたので、幸い前輪の先が軽くスクーターに接触するだけですんだ。そのため転倒はまぬがれ、自転車のハンドルを右にいっぱいに切った状態で普通に止まることができた。

ところがスクーターの方は、直前で私に気づいたのと、道が下り坂になっていて勢いがついていたこと、さらには雨で路面が滑りやすくなっていたせいで見事に転倒してしまった。さほど加速がついていなかったからよかったようなものの、もしスピードが出ていたら私も無傷ではいられなかっただろう。とても怖かった。

翌日、私は整体に行くために自宅のそばのバス停からバスに乗ろうとしていた。バス停までには交通量の多い国道を横切らなければならないが、なかなか車が切れずに私は道ばたに立っていた。

車の流れを見ようとして右側を振り向いたその時、左の方でキキッという音がしていそいで見ると、私の目の前にあっという間に車が玉突き寸前の勢いで次々と停車した。一台は、鼻先が私の方を向いた状態で停車しており、一歩間違えば私は玉突きに巻き込まれてはねられるところだった。

幸い、どの車も衝突すれすれで停車しており、何とか事故はまぬがれたものの、もう少しではねられるところだった私は本当に怖かった。原因は何だと思って列の一番前を見てみると、紫の軽自動車に乗った、根元が真っ黒で毛先に行くほど金髪に近い茶色の髪を長く伸ばし、濃いめの化粧をした明らかに元ヤンとおぼしき女性だった。

Uターンする場所を探していたようなのだが、後続車が通り抜けるスペースもあけずに、車線のど真ん中でいきなり急停止したらしい。さらに、二台目もいきなり止まったので三台目、四台目と、大体五台程度が急停止することになったようだ。怪我したらどうなったことかと、本当に恐ろしかった。あんな元ヤン女が加害者だと、精神的なダメージも大きかっただろう。ああ、私を守ってくれているみなさん、助けてくれてありがとう。

恐怖に震えながらバスに乗り、整体に行った。治療中、整体院のベッドで寝ていたら、建物のすぐ外で今朝聞いたのと同じ、キキッという音が。そして、軽くドン、という接触音。

すぐに院外から治療室へ人がやってきて、駐車場から帰ろうとして出た患者さんの車が、別な車にぶつけられたと知らせに来た。駐車場は、たしか私が寝ていたベッドのそばの壁の、すぐ外側だ。もし間違って猛烈な勢いで車が進んで行っていたら、壁に車が突っ込んできたかもしれない。恐ろしい。

二十四時間の間に、事故三件。恐怖に震えた。とにかく怪我がなくて良かったが、本当に怖かった。

危険にあいながら大丈夫だったのは、私の後ろにいるご先祖様やらみなさまが守ってくれたのに違いないと思おう。ありがとう、後ろのみなさん。じいちゃんの一周忌の法事は行けなかったけどおいしいお団子を送ったから、供えられたのを皆様でお召し上がり下さい。

事故は巻き込まれないよう注意することも大切だが、自分が事故を起こさないように細心の注意を払うことも必要だ。急ぎすぎて人を事故に巻き込まないように、しっかり注意しなければ。みなさんも、お気をつけ下さい。

 


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01/12/3(月) am トラップ

運命っていうのは、ごくつまらない偶然をいうのだと私は思う。

くだらない出来事を、「占い」のように、「啓示」のように考えてしまうことが時折ある。まるで神が私を試しているように感じる時もあるし、明らかに方向を指し示しているような気がする時もある。

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大学院修了のためさすがに勉強がきつくなってきたので、10月にウェブ作成のバイトをやめた。

表向きは「一時解雇」を申し出る(自分からレイオフを申し出る奴なんて普通いないよなぁ…)という形を取ったのだが、小さな会社だし私の仕事ぶりがどう評価されているかも自信が持てなかったので、おそらくそのまま解雇になるだろうと思っていた。

正直、バイトを続けられるかどうかはどうでもよかった。解雇なら解雇でその後の年末年始から春休みのシーズンを存分に楽しむだけだ。むしろそっちのほうがいいかも…と思っていたのである。

とはいうものの、今まで一年半もたっぷりお世話になったことは事実で、それが就職活動の決め手になったのは確かなことである。なので先日、お礼のつもりでネット通販を使ってお菓子の詰め合わせを会社に送った。のし紙には「御礼」と私の名前を書いてもらった。

向こうについたら確認のメールでも来るかなと思った。こんなご時世、のしがついてるからって簡単に食べたらどうなるかわかったもんじゃないし、本人に確認くらいとるんじゃないかと思ったのだ。

ところがとっくについたはずなのに、会社からは一向にその旨を伝えるメールが来ない。心配になった私は、菓子を送ったことと感謝していることを書いたメールを送った。

ところが、その返事が翌日になっても来ない。まあこれは解雇だろう、小気味いいことだと思って私は雨の中コンビニに買い物に行った。

外に出ようとして私は傘を探すと、傘がない。どこに忘れてきたのか、いつも使っている傘が姿を消していた。

どこかに置いてきたのかもしれないが、それがどこだったか全く思い出せない。煮え切らない気持ちになりながら、仕方なく違う傘を持って出かけた。

翌日の晩、バイト先の上司から、私のメールに対する返信が来て、お菓子のお礼の言葉と共に「傘を忘れてます」という言葉が…しかも傘を取りに来るついでに、バイトの復帰について話をしたいから、来る時は事前に一本電話をして欲しいということだった。

(……ああ)

私は覚悟した。そうか、傘はバイト先に忘れていたのだ。傘がないなと思った次の日に傘の話が来て、ついでにバイトの復帰の話が来るんだったら、これはもうバイトをしろという神の思し召し、そう、イッツデスティニー、ってやつかもしれない。と、私は安易にそう思ったのである。

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その話を友人に話して軽く笑いを取った翌日の晩、コンビニからの買い物帰りに私はふと考えた。何かがおかしい。何か、忘れている気がする。

バイト先の、私より年下の男性上司は、ひどい人見知りでコミュニケーション能力欠如気味だ。おそらく、私が復帰する意志があることを告げて待機していても、絶対に自分から連絡してくることはあり得ない。それが、傘一本忘れただけでうまく事務的な用事が成立し、私にメールを送ってついでに仕事の話も来てしまった。

何かがおかしい、……そうだ、私は何か忘れている……

思い出した。傘を忘れたのは、私が自分で仕組んだことだったのだ。確か最後にバイトに行った日に、傘立てから傘を抜かずにわざとそのままにして帰ったような…

そうだ、私は傘のトラップをしかけてきたのだ。

バイトに復帰するかどうかを、傘一本に賭けるような心持ちで帰ってきたのである。もしも傘の存在に気づかなかったり、気づいても連絡しなかったり、連絡が来てもバイトの復帰の話もなく取りに来させられるようなら、バイトをしなくてもよいという神様の合図。

一方で、もしこの傘がきっかけとなって連絡が来て、バイトの復帰の話が出るようだったらそれは「バイトをしなさい」という神様の合図…。

で、そのトラップに上司を見事はめてしまい、まんまとバイトの話を手に入れてしまったというわけである。ほんとこの、駆け引き上手。

……こんな駆け引きばかり上手でどうするんだ……。

 

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