さようなら、今となっては惜しい、生ぬるい日々

 

 

 

02/3/28(木) am 修了
つい二日前、卒業式を終え、私はいろいろあった大学院の修士課程を修了した。

大学卒業の時は、忙しくて疲れて、しかも大学院不合格が確定して春からフラフラした1年間の生活が始まるかと思うと気が滅入って嫌な卒業式だった。しかし今回は、様々な問題が一応決着して春からもほぼ希望通りの道に進むことがわかっている。

修士論文も自分としては頑張ったし、単位のために2月終わりまで、運転免許取得をフイにするほど追加レポートに日々を費やした。そして今は、延びに延びていたサイト制作を進めている。入社ギリギリまでやって終わらせるつもりだ。

大学院の卒業式は何の悔いも恨みも残らず、すっきりと終えることができた。あまりにきれいに終わるものだから、今までの紆余曲折を忘れて名残惜しくすらなってしまった。でもそれはたぶん一時の感傷で、私が進むべき方向は前である。

春からどういう毎日が待っているのか、たぶんそれはきつい日々なのだろうが、何とか乗り越えられますように。

 


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02/3/25(月) am 夜のストレンジャー
世の中、いろんなことが起こるものである。

私にもいろいろなことが起こる。就職が決まったり、卒業したり、驚きのあまりふとんの上でクロールしたり。竹内まりやの「純愛ラプソディ」の一節が、リアルに胸に響くようになってきた今日この頃。「片付いていく仲間達にため息」。

自分では前へ前へと進んでいるつもりなのだが、果たしてそうなんだろうか。疑問が絶えない。

もしかして、私の方が周囲にどんどんおいていかれているのではないだろうか。そっちの方が、真実に近いような気がしてしょうがない。友人たちも妹も弟も、猛烈なスピードで私を置いていっているような気がする。たくさんのものを手に入れて、余裕を持って、輝きながら前へ前へと。私には何もない。

友達と二人で温泉に行って、夜がもったいなくて、酒の助けを借りて寝た。持ってきたフランク・シナトラのCDを聞きながら午前2時半、缶チューハイを1本あけてもまだ眠りたくなかった。美しい夜だったので、心から惜しかった。

私の学生生活で残ったものはあまりなかったかもしれないが、今度のトビラの向こうでは、何かを手に入れて手のひらに残したい。

 


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02/3/15(金) am 妹の大きなお腹
二日分更新されています。

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仙台に戻ってきた。両親の暮らしぶりに不安とイライラを募らせ、自動車学校代に無意味に10万もとられた悲しい数日間だったが、祖母が作ってくれたふきのとう味噌やひじき煮を食べられたり、妹がやってきたりして楽しいこともあった。

特に、ふらりとやってきた妹と、祖母と、私の三人でお茶を飲みながら果物やお菓子を食べた数時間はとても楽しかった。

妹は妊娠8ヶ月目。丸いお腹にオーバーオールがよく似合っていた。胃が胎児に圧迫されて小さくなっているとかで、少し食べては満腹だと言ってこたつに横になり、また起きあがっては食べ、の繰り返しをしていた。

妊娠初期は経済的な不安などで可哀想なほどにやつれていたが、産み月が近付く今になって、妹は本当に落ち着いた明るい様子になっていた。こたつに横になって丸いお腹を両方の手のひらで幸せそうにさする妹を見て、私が「お腹が大きくなるほどに明るくなったね」と言うと、「きっとこの子と相性がいいんだよ」と妹は笑った。

もう超音波検査でお腹の子の性別を妹は知っているらしい。その時の画面を撮ったビデオを妹の旦那さんのお兄さん夫婦にも見せたらしいので、向こうのお兄さん夫婦も知っている。私が、「本当は性別知ってるでしょ?」と聞く前に、妹は「たくさんお腹を蹴るからこの子は男の子じゃないかと思う」などと言っていたから、たぶん生まれてくるのは男の子だろう。

そういえばいつかのウソ日記、確か主人公に幼い甥っ子がいる設定にしてしまったが、私自身のことで確実に現実化しているのが怖い。このぐらいなら別にいいが、あれが全部そのまま現実になるのは怖すぎる。

02/3/12(火) am
実家に戻ってきた。ぼーっと2階に上がったら、棚の上に古いCDが何枚か置いてあって、その中に何とフランク・シナトラのベスト盤が紛れていた。

偶然、「FLY ME TO THE MOON」も入っていて得した気分である。誰も聴いていないようなので、もらって帰ろう。フランク・シナトラの曲はゴージャス感があって好きだ。

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私の母は、この3月で退職する。母の体調等を考えれば私は大賛成なのだが、ひとつ大きな問題がある。退職した後、母は一体家で何をしているのかということだ。

今まで母の生活は仕事が中心で、その次が家庭…つまり、私たち家族や、少し離れたところに住んでいた祖母(母の母)のことなどですべてが塗りつぶされていた。そういう生き方をもう30年も続けてきてしまっている。

それはどういうことかというと、仕事がなくなれば、家族以外の人間と接する機会が皆無である、ということなのだ。祖母は昨年亡くなったので、祖母の家に遊びに行くということすらなくなった。母がおおっぴらに外に出られる用事がなくなったのである。

私はこういう母の生活状態に前々から危機感を抱いていた。大体、同年代で気心の知れた女友達のひとりもいないなんて異常だ。職場の同年代の女性とはそりの合う人が見つからないようだし、いたとしてもそういう人を大事にしていたことがない。

結婚前は何人か仲の良い友達がいたようだが、そういう人と連絡を取り合うこともなく、ただただ自分の夫および家庭と、自らの実家の母親と、仕事だけの人生を過ごしていただなんて何かがおかしい。それは姑であるうちの祖母が気難しかったからだ、と母は言うが、私はそれだけが理由とは思えない。

明らかに、母はそういった友人関係を大事にしていなかったし、必要性も感じていなかったし、そういう自分に疑問を持つことすらなかったのである。女の人生って、そんなものなんだろうか。

夫が、真に自分のことを理解してくれるだろうか。一面的には理解可能でも、同性の友人しかわかり得ないことがたくさんあるはずだ。それは自分の母親とわかちあえるようなものですらなく、同じ年代で、同じスピードで、同じだけの残りの道のりを歩く予定の人たちとでなければ、リアルにわかちあえないだろう。

結婚すれば消滅するのが女の友情なんだろうか。…そうなんだろうなあ、たぶん。

どちらか片方に彼氏ができた時だって、女の友情はあっという間に風前の灯火になるから、仕方ないのかも知れない。だが女性の人生にとって、それは大きな損害だろうと思うのだ。

とにかく母には「何とか外に出て、友達を作ってね」と言っている。勤め先の上司の悪口や、仕事の内容だけが話題になる人間関係ではなく、もっと様々な事柄…例えば生きる上での悩みだとか、老後の計画とか、体調とか、そういうことをいろいろ話せる間柄の同性の友人を持って欲しい。

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同じような傾向は、私の父にもある。父の年代の人たちの友情とは奇妙だ。酒を橋渡しにしなければ成り立たないらしい。

疲れがたまってイライラし、ある夜父は夕食の時に母に職場の愚痴を言ったらしい。すると、母はヒステリックになにやら言い始めた。母は頭に怪我をしてから、疲労すると言動に理性がなくなる。たとえ母の問題でなくとも、母をいらつかせるような内容のことを口にすると母がキーキー言ってしょうがないので、父は何も言えなくなっていた。

私が父と母のいる部屋に入った時、父は真っ赤な、不機嫌そうな顔をして、刺身の皿を前にただ黙々と酒をあおっていた。

真っ赤な顔なのは、酒のせいではない。愚痴を言えないストレスと、母に八つ当たりされるストレスを飲み込んで、そのせいで血圧が非常に上がっているためだ。同じようにストレスが引き金で発症して5年以上も続いている慢性鼻炎の鼻をぐすぐすいわせながら、血圧の上がった仏頂面で酒を飲む父の姿は何とも無惨だった。

こんなことになるのは、父が愚痴を言う相手が母しかいないからだ。もしも、愚痴や悩みを言えるような友人が他にいれば、母がダメだから自分は不満を飲み込むしかない、などという馬鹿なことはしなくてよくなる。

「悩みを言える友達はいないの?」と聞いたら父は、「本当はうちで飲み会をしなければいけないのだが、母がああだからそんなことできない」と答えた。私にしてみれば、全く不可解な答えである。なぜ、飲み会を家で開催できないせいで友達と話ができないのだろうか? 別に、外に飲みに行ってもいいし、飲まずにラーメンを食べるだけでも友達と話はできるのではないか。だがそういう論理が父の考え方では全く通用しないらしい。

要するに、酒を通さずに会ったり話したりできるほど、気心の知れた友達がいないということなのだ。人間そんなものなんだろうか。

母と話ができるからそれでいいのだ、と父は言った。しかし、母が他人の話を受け止められるほどちゃんとした状態にない今、話し相手のはけ口を母にだけ限定するのは馬鹿げたことだ。言えずにたまったストレスは、いつか父を押しつぶすだろう。そのうち脳内出血を起こすのではないかと私は不安だ。

母は父の健康状態にも無頓着だ。父は自分の食べたいものを無計画に食べているのに、それをセーブする人間がいない。動物性タンパク質と脂っこい麺類の多い食事をしている父は、豆腐以外の野菜の料理をほとんど食べない。毎日毎日脂ののった刺身ばかり食べて酒を飲み、それでも空腹なら米飯を食べずにてらてらと脂の浮いたラーメンを食べる。それがいいこととは私にはとても思えない。ストレスのせいでそうなっているのかもしれないが、母はそういうことを考えようともしないし、父自身セーブしていない。

実家にいる間、私は父の食生活を絶えず叱り続けているが、全く直そうとしない。これで父が倒れたら、私は母の時のように病床で父に言うのだろう、「だから言ったでしょう、何ヶ月も前から、危ないから直してって言ってたでしょう!」と。

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私の父と母の関係は、ぴたりとくっついた二枚貝のようだ。他のものを決して中に入れようとしないし、外に向かって開こうともしない。そのせいでお互いにつぶし合い、粉々に砕け散るのではないかと私は思う。どうにもできないからその点は強く言わなかった。

心を許せる相手が結婚した相手しかいないなんて、夫婦仲はいいのかもしれないが、さびしすぎると思う。そういう人間関係しか持てない人生というのは、とても閉鎖的でさびしい。結婚するというのは、そういうことなんだろうか。だとしたら、私は結婚というものが嫌だ。

02/3/10(日) am 人生のフイゴ
久しぶりに二日分更新しました。スクロールして下の記事もお読み下さい。

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このごろ、よく夜に電話がかかってくる。

友人からの電話が多いのだが、次々と鳴る電話のニュースのそれぞれが、悲喜こもごもで面白い(おもしろがってはいけないが)。親との衝突に対する躊躇、進路についての悩み、婚約の報告、誰かに恋人ができたらしいという噂など。

みんな、20代の半ば。人生の岐路がやってくる年齢なのだろう。

でも私には、いっこうに「人生の岐路」らしい出来事がやってこない。ただ体調が悪いっていうだけで。就職するっていうのはある意味人生の岐路だけど、そんなにドラマティックだとも思えない。何かもっと、いい方向にドラマティックな出来事は起こらないものか。

NHKを見ていたら、「月の輝く夜に」という映画の放映予告をやっていた。どこかで見たシーンだなと思ったら、ストーリーを何となく覚えていて、いつか深夜にテレビで見たことを思い出した。たぶん、風呂上がりにテレビをつけて途中から見始め、釘付けになって結末まで見てしまったんじゃなかっただろうか。

シェールにニコラス・ケイジ(そう、私が初めて見たニコラス・ケイジの映画はこれだった。「何て滑稽な顔の人だろう」という感想を持ちながら実はこの映画でニコラス・ケイジを見ていたのである)という濃い登場人物たちだが、抜群に面白かった気がする。

ぱっとしない中年女性が、あろうことか、自分の婚約者の弟で、ちょっとちゃらんぽらん気味の男と恋に落ちてしまう。二人の思いは高まるばかりだが、男の兄に対する罪悪感が、二人とも拭えない。こんなことはいけないから、二人とも思いを断つ決意をする。

だが、別れる前の思い出に、男の希望で、一晩だけ一緒にオペラに行くことになる。女は一生懸命お洒落をして、ゴージャスな、見違えるような姿で待ち合わせ場所に現れる。全体的にイマイチながらもやっぱり精一杯のお洒落をしてきたらしき男は、素晴らしく変身した女に感動、興奮、涙ぐむような勢いで、頑張ってエスコートする。そして二人は非現実的な、あってはならない、ロマンチックな夜を過ごす。

さすが外国。これぞデート。いやあ、いいものを思い出した。今度ツタヤで借りてこよう。

この映画で起こることこそ、ドラマティックな人生の岐路っていうやつだ。こんなことが起これば、私もリンク先で「最近不幸続き」「全然ツイてない」なんて紹介されないだろうに(でもたぶんこういうことが起こっても、日記には書かないだろう…って、意味がないじゃないか)。

この映画のように、絶対に忘れない輝きが1年に1晩分くらいある人生だったらいいのに。私の場合、どれもこれも最終的にはケチがついて、1晩も保ったためしがない。

もうこれ以上、くすぶるだけの日々は嫌だ。一酸化炭素中毒で死にそうだ。でもたぶん、私の人生に酸素を吹き込めるのは、私自身なんだよね。

頑張らなきゃと思いつつ、どこをどう頑張れば酸素を吹き込めるのか、もうさっぱりわからない。足下の地面をあちこちどたばた踏みしめて、どこかがフイゴにかすらないか、微かな期待を持つだけで。

フイゴを踏めた幸せな人たちは決まってこう言う、「そういうものは、予期しない時に突然やってくるんだよ」……真っ暗闇の中にいる私には全くアドバイスにならず、絶望がつのるばかり。もう悲しいったらない。しまいには、ばたつく私の塗炭の苦しみを「魅力的」なんて言って近……(これ以上は言うまい)。

私は幸せになりたいのだ。私にとっての幸せが何なのか、わからぬながら(これでは意味がないか…)。

でも今のところ、ひとつだけわかっていることがある。健康だったら、私は幸せだ。どこにも病気や痛みがなかったら、私は何より幸せ。

結局は、まず体力作りであるという穏当な結論。食べて運動して健康診断やって、目標はまず強くて健康な体……とても20代半ばの幸福論とは思えないけど。

02/3/9(土) pm 明晰夢見
最近、面白い夢を見てもあまり細部まで覚えていられない。

今朝方は、私は白人で赤毛を三つ編みに編んだの10代前半(12歳か13歳)の少女で、母(スポーティな格好をしていたと思うが、よく思い出せない)と10歳くらいの弟(たぶん、緑がかった黒っぽい髪で、巻き毛を短く切った髪型の子供)、17、8歳の兄(成長途上のためか身長はまださほど高くないが、均整の取れた体つき。ややウェーブのかかった、短い金茶の髪の少年だった)と一緒にいた。

何か危機的な状況に陥っていて、私は小さな弟の手をしっかり握りしめて、決して自分のそばから離さずに守ろうと思い、頼もしい兄や、強くて優しい母のそばから決して離れず、家族がばらばらにならないようにしなければ、と思い詰めた気持ちで母や兄についていく。

家族は、最も頼りになる存在である父を探している。父はまるで軍人のようながっしりした体格をしている。私たち家族は500メートル四方くらいのエリアの中にいて、父は家族から離れているのだ。何か危機が迫っていて、私たちと離れた父を探しに、母と兄と私と弟は焦っている。

はじめは、荒れ地と崖のような風景のところにいたのだが、父を探しに移動すると冬の湖のほとりのようなところに舞台が変わった。凍った湖の上で、フィギュアスケートのようなものをする人たちがいたように思う。大勢の人々が、湖の周りに集まってそれを観ていた。ロシア?

白い息を吐きながら、私や母達は懸命に父を探す。父は確かにそこにいるはずなのだが、探し回っているところで夢が途切れたような気がする。

……と、今書きながらこのぐらいは思い出せたのだが、夢の中で、家族にはみんな名前があったのだ。私はフィーという名前だったような気がする。兄の名前も弟の名前もあったのに、もう思い出せない。弟はとてもかわいくて、兄はかっこよかった。母は背が高かったので、あまり顔を見ていない。兄は母ほど背は高くなかったかもしれない。兄の顔は見上げたから何となく見た覚えがある。

このぐらい覚えてれば、上出来なのかな。最近はどうも、日本人が出てくる夢があまりない。別な人種の夢を多く見るし、現実の家族構成ともリンクしない設定がたくさん出てくる。夢から覚めて、夢の中で兄を大好きだった気持ちなどが残っている。

そういえばこの間は、空を飛ぶ練習をさせられている夢を見た。先生のような女性にはっぱをかけられながら、スーパーマンのような体勢で地上から1メートル程度浮かび上がり、安定せずにぐるぐる回ったりふらついたりしていた。やけくそで手をぱたぱたやってみたがうまく飛べない。

ところがその時、自分が浮いていて、多少は飛べるということから、何と夢の中で「これは夢なんだ!」と気づいてしまった。現実には飛べるはずはないということに、夢の中で気づいたのだ。

自分の夢の中なら現象を自由に操れるはずだと思い、文字の刻まれた木の板を手に取り、指で触れると文字が金色に変わるようにと一生懸命ひとさし指でなぞっていた。すると指でなぞった文字が、いびつにはみ出したりしながらも金色に変わっていった。

これなら、うまくすると私は本当に明晰夢ってものが見られるようになるかもしれない。というか、こんなことで私は大丈夫なんだろうか。夢が一大娯楽になりつつあるではないか。文字通り、「夢見がち」な人間になってどうする。

02/3/5(火) pm ファンタジックなカップル
NHKのドラマで今「君を見上げて」というのをやっている。

これは、背の低い若者(森田剛なんだけど)と背の高い女性との恋愛をテーマにしているんだけど、何とも言えない趣があってついつい見てしまう。

理由がよくわからないのだが、見ていると胸がどきどき言う。不思議な透明感があるし、インテリアや衣装のお洒落さでは民放ドラマにかなわないんだけど、その適度な「非お洒落さ」がたまらない。

現実は民放ドラマみたいにお洒落なインテリアや衣装の人なんていないのだ。第一、経済的にその登場人物には到底無理なコーディネートが民放ドラマには多すぎるし、あんなに明るい照明で人物の表情に影がないのはどうも信憑性に欠ける。

民放のドラマは特殊な場合を除いては、「この人物の給料では絶対無理だろう?」と思わざるを得ないほど高価なインテリア(私が買いたくてもとても買えない、スタイリッシュで馬鹿高い北欧家具とか)のそろった、家賃も高そうな部屋である。今まで私が見た中で「なるほど、これなら確かに」と思ったのは、「スタアの恋」の草なぎ(漢字がない…)剛の部屋。「貧乏」サラリーマンの部屋ということで、風呂の湯船も狭いし内装も小汚く、中の家具もダイエーで揃いそうなものばかりだったが、こういう例は非常に珍しい。

現実味に欠けると言えば、今やっている「漂流教室」の常磐貴子のメイクがその最たるものだ。明らかに眉を描いていると思われるのだが、それが何日経っても全く落ちてこない。普通、顔も洗わずメイクも直さずにいれば、アイブロウ(描いた眉)は顔の皮脂になじんでどんどん溶けて落ちてしまうものである。

大体漂流前も、常盤貴子のファッションが設定に照らして不自然である。ボトムは頷けるにしても、高そうでかつ色の美しい、黄色いコートに深い紫色のニット。水や土を使い、何かと汚れっぽい仕事をする花屋が、あんなに色のきれいな服を着るものだろうか? 私が花屋なら着ないけど…。

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脱線したが、とにかく「君を見上げて」の話である。あのドラマの主演二人の並んだ姿を見ていると、遠近法が狂っているような気にもなるし、「銀河鉄道999」の鉄郎とメーテルを見ているような気もするし、そうなるとまるで少年と女神様の組み合わせのような、何か神秘的なものを見ているような気すらしてくる。

以前見たNHKドラマでも面白い関係はいくつかあって、松坂慶子と筒井道隆のぶっ飛んだ愛人関係(今思い出したが、「つま恋」というドラマだった)とか、「深く潜れ〜八犬伝2001〜」での鈴木あみと小西真奈美の、前世で恋人同士だったから一緒にいて同居もして破局まであるという、「結局、どういう関係だったんだろうか?」との疑問が見る側の頭から離れない妙な関係もよかった。

今日の「君を見上げて」第三回は、あろうことか背の低い若者が背の高い女性に、女性の大きな体に惹かれたということを告白していた。女の人に向かって、「大きな体に抱きしめられたかった」なんて言う男の人は、民放ドラマじゃ絶対あり得ない。あまりの面白さに言葉を失ってしまった。

NHKってたまにこういう妙なカップルを公明正大にどどーんと提示するので、見逃せない。これは、健全かつラブシーンが全く省かれる朝ドラでたまった鬱憤を一気に晴らしているんだろうか。

「人は見た目じゃない」とか、「コンプレックスの問題をどうするか」とか、ドラマの主題そのものはどうでもよい。とにかくカップルの姿が、画的にいい。大きな女性と言っても、和田アキ子や松下由樹のような「たくましい」体ではなく、グラマーなわけでもない。背が高いというだけで、あとはスレンダーで色も白く、華奢で、サラサラの長い髪で白いワンピースがよく似合う。典型的な女の子の清々しいプロポーションなのである。

そういう人が、表情だけは男らしいのに少年の体型のままの森田剛と手をつないで歩くと、本当に不思議な感じで、ファンタジックでとてもいいんだけど、きっとNHKのドラマだし、ビデオは出ないんだろうな…。

02/3/4(月) am 事実は小説より奇なり
今日、「さんまのからくりTV」を見ていたら、サラリーマン早調べクイズがとても面白かった。

この番組はコーナーの企画ひとつひとつがどぎつくないほのぼの感があってとても好きなのだが、私は中でもサラリーマン早調べクイズが大好きなのである。酔っぱらいがとても幸せそうでこっちも嬉しくなってくるから。

ところが今日のサラリーマン早調べクイズはいつもとは全然異なり、何故かラブ・ストーリーだった。

クイズに回答者として参加した30代の女性会社員への質問で、安住アナウンサーがいつもより数段立ち入った質問を行い、彼女に10年の間思い続けながら全く思いを伝えておらず、5年ほどは口も聞いていないという相手がいることが判明。

いつも及び腰でこのコーナーの司会をしていたはずの安住アナなのだが、今日は正反対だった。好きな相手に電話をかけろと女性に勧め、かけたものの何と言っていいかわからずクイズの出題を始めた女性に「今はそんなことをしている場合じゃない」と叱咤。おろおろしている女性から受話器を渡され、相手に結婚の有無をたずねる。

安住アナの質問で相手が結婚していなかったことがわかると、女性は酒の勢いを借りて一気に告白。めでたくデートの約束をとりつけてしまった。

この企画は二つ並んだ電話ボックスで二人の回答者が参加するのだが、告白した女性の隣のボックスには、同じ年の頃の女性が入っていた。女性が告白したことを知るや、隣の女性はボックスを出てきて、回答ボタンをならした。

ピンポーン!

そして一言、

「私も恋がしたいです」

私はこの一部始終を見ていてものすごく感動してしまって、馬鹿みたいだが涙が出た。本当に驚いた、5年もしゃべってないのにいきなり告白してデートできるとは。そんな離れ業、あるんだなあ。

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まるでO・ヘンリーの短編小説の一篇みたいだった。事実は小説より奇なり。

今のこの時代、ナンバーディスプレイで相手の電話番号がわからない場合は絶対に受話器を取らないという人もいるだろうし、相手が留守だったり、寝ていたりする場合もあるだろうし、30代という年齢だと既に結婚している可能性も高いし、5年前の知り合いなんて忘れているか、記憶に残っていても好意を持たれていない可能性だってある。それが、そういうハードルをいとも簡単に飛び越えてしまったのだから。

 

 

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