思い出した、私が居たいと思った場所。

 

 

 

02/4/27(土) am 思い出した事実

こう見えても二日分更新されています。

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昨日は健康診断だった。1ヶ月の間に体重が3キロ減っていた。

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日記を読み返してたら思い出した。去年の年末に下鴨神社で引いた、縁結びおみくじのことを(01/12/27の日記参照)。

そういえば、「柏木」だったっけ。

ギャグじゃなかったんですね、神様。私じゃなかったら一体どうなっていたことか……こっちはもうすっかり、悪い冗談だとばっかり思ってましたよ。それなのにどうもご親切に。さすが京都の神様は年季が違…

立ち直れない。

いやそれじゃだめだ、立ち直ろう。

 


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02/4/27(土) am 何で私なんだろう

東京に来てたくさんの人の中に埋もれたら、私の個性なんてきっと消えてしまうだろうと思っていたのだが、案外強固でびっくりしている。

毎朝、電車で東京タワーを見ながら通勤する。来たばかりの頃は生活や環境に慣れないせいか、風邪を引いたようになっていた体ももう大丈夫だ。3時間睡眠でもそれなりにやっていられるくらいにはなった。

研修中、私が配属された部署のトップがやってきて、みんなの前でうちの配属の人たちの細かな志望を聞いていった。私は自分の大学の専攻でひどく渋い顔をされた上、今まで自分が努力したことについてもみんなの前で全否定。

自分でも客観的に考えてそんなものだろうと思っていたので特に驚きはしなかった。が、専攻もやってきたことも全否定するくらいならどうして私をこの部署に配置したのか、その意図がよくわからなくなった。専攻だけなら、メディアやネットワークに詳しい専攻を出てきた学閥の男の子がいくらでもいたはずなのだ。

同期に電話でそのことを話したら、「配属面接でもボロクソ言われてそれでも残ってるんだから。今回もボロクソ言われながら結局悪いようにはならないよ」と言われた。

確かに、私の配属面接はさんざんだった。入るなり「経理どう?」と、志望とは全く異なる経理の仕事をしつこく進められ、次には「仙台帰らないの?」と痛い質問。それらを断って自分の志望をアピールすると今度は「どうして田舎の人ってネットワーク系をやりたがるのかねぇ」と強烈なイヤミ。そこから私は議論に持ち込み、田舎の人間だからこそネットワーク系への情熱が強いのだと押しまくった。

そういう感触だったので、配属発表前はもう仙台で経理に違いないとあきらめきった心境に陥っていた。同じ班の男の子の中には志望全否定という可哀想な人もいて、二人で不幸自慢をしあう有様。何人かの同期の友人には牛タンを送る約束までしていた。

ところが仙台配属の中に私の名前はなく、私は本社の希望部署に配属されていた。仙台には私が抜けた分、別な東京採用の人が飛ばされてしまった。私と同じように東京に残りたがった仙台出身の男の子は仙台配属となり、打ち上げでひどく落ち込んでいた。

そんな悲喜こもごもをくぐり抜けて私は今の部署にいるのだが、細かい配属についてはまた今度行われる面接で決まる。で、これほど全否定される経歴しか持ち合わせていない私がここに配属された意味を、今更ながら考え込んでしまうのである。

どうもこの間やってきたトップの人の口振りからすると、私たちはみんな「素材」ということらしい。でも素材にしても、私はやっぱり異質すぎる。一体何をさせたくて、一体どこを見てくれたんだろうか。そこまで全否定するんだから、私は本当に「素材」としての何かを期待されてこの場所にいるはずなのだが、それは一体何なのだろうか?

私が配属されたこの部署は、業績の上がらないプロジェクトが取捨選択されて次々閉じていくという戦国時代のような部署で、何がのびるか予測すらつかず、方向性もおぼろげだ。さすがにこのページのプロフィールで「転がる石」と自らを表現した私だが、これからも転がるのに苦労しないらしい。「SAMURAI DRIVE」という曲を地で行くような毎日を送れるなんてまさにキャラ通り、幸せ!(…と、言ってみる)

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ところで、研修ではだいぶ他人から自分の分析をされる機会が多かったのだが、その中に自己認識とは異なる言葉が並んでびっくりしている。「攻撃的」「常に強気」「一生懸命になると周りが見えなくなる」「左脳」「頭がいい」など、自己認識と著しく異なる。タロットカードで言えば、「戦車」プラス「女教皇」のイメージではないか。

私としては、「穏やか」「優しい気配り」「周りと足並みをそろえながら控えめに行動する」「右脳」「行き当たりばったり」と、カードなら「節制」プラス「愚者」を想像しているのに、全く逆だ。

……何か異論がございますか。

 


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02/4/20(土) pm 神様からのご褒美

みなさまこんにちは。相変わらず研修中の連打屋です。

今回は、みなさんにお知らせがあって、このような手紙調にさせていただきます。

実は、昨日配属発表がございまして、私はめでたく第一志望通りのネット系部署に配属され、東京に残留することとなりました。細かなことはまだこれから決まっていくのですが、ここに配属されて私はとても嬉しく思っています。

おそらく、このサイトを見に来てくださっている方の中には、開設以来約3年間ご覧いただいている方もいらっしゃることでしょう。まだご覧になっている期間の短い方でも、この日記が私の日々の紆余曲折(というか、平たく言えば「ツイてない話」が多いですよね)、将来についての煩悶とか葛藤で埋められていることは既にご存じですよね。

私自身、この悩みの多い毎日が一体どう展開していくのか非常に絶望していたわけなんですが、今回のこの結果を見る限り、神様はとりあえず、私にご褒美をくださったようです。

院試に落ちてふて腐れていた私が、かなり無謀な一縷の望みでやってきたことがこうやって実を結んだのが嬉しくて仕方ありません。「社員証を首からぶら下げて、きれいな職場でネット系の仕事をしたい!」という私の望みは、どうも叶いそうです(……って、短期間で仙台に戻されたら笑えますが)。

文系の「何の役にも立たない」学問を専攻して、それを否定するように実学やアルバイトを続けたはずだったのに、いざ入社後の研修では「何の役にもたたない」はずだった学問で得た能力にいつも助けられていました。「一生懸命やったことにムダなことはない」という言葉なんて、綺麗事だ!と昔は蹴っ飛ばしていたはずなんですが、今は痛みを伴うくらいにしみじみと実感しています。

もし私のこの日記を読んでいる方で、自分の今やっていることの意味が見いだせず、あるいはツイてないことが連発し、将来に対して絶望している人がいらっしゃるなら、私は自分のこの経験でその人を励ましたいと思います。私でさえこうなったんだから、きっと大丈夫です。

一縷の望みを捨てないで、今やっていること、やるべきことを一生懸命やって努力すれば、いつかきっと報われます。今まで私はそういうことに全面的に懐疑心がありましたが、自分の経験を考えると、全面的懐疑ではなく、半信半疑くらいでいいのかな、と思い始めています。急がないで、長いタイムスパンで、自分の今やっていることが違う意味を持ち始める時を辛抱強く待つことが大事でした。

ところで、私がここまでやってこられたのは、私のことをいつも励ましてくださったみなさんのおかげです。飽きずに愚痴を聞いてくれた人たちに心から感謝したいと思います。本当にありがとうございました。

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……ということで、次の項からはまた愚痴モードです。やっぱりこの私が、そんな簡単に日記の主旨を曲げるわけには参りませんので、これからもたっぷりお楽しみください。本当に、生きてくのって、悩みの尽きない作業ですよねぇ。

02/4/14(日) pm リプレイ

みなさまこんばんは。上京して研修を受けているうちに2週間前とはすっかり別人の顔になっている疑いのある連打屋です。

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研修が楽しくて仕方ないというのは、病気だろうか。でも一緒にグループワークをする班のメンバーはそれぞれに個性があって面白いし、欠点を補い合うような動き方も研修開始1週間を過ぎたころから相当スムーズにできるようになった。

こうなってくると何となくこの状態をずっと続けていたいような気がしてきて、19日にこの状態が終わるかと思うと名残惜しい。

先週の研修メニューは濃さを極めた。月曜日は、前回日記に書いていたプレゼンの本番があった。

案の定リーダーがぶっちゃけて大変だったが、今まで積極的でなかった人たちの中になんと実はプレゼンが結構好きだったという男の子がいて、冷静な語り口でなかなかいいプレゼンをした上、プレゼンの前と後で顔つきが変わる有様(プレゼン後、今までのひ弱さが消えて精悍さすら漂っていた。人ってわからない。私は驚いてひたすらそれをほめまくり。ちなみにその後、彼は何かと発表する段になると必ず前に出てくるような積極性を見せるようになった)。

夜に一緒にみんなで飲みに行っていろんな話をして、リーダーの信長くんもさすがに自分たち関西組のハイペースぶりを反省していた。それはコミュニケーション法の違いだと私が言ったら、東京と関西のコミュニケーションの違いって何だという話になったので、東京でも関西でもない東北出身の私が双方の特性を理解しているため細かく説明した。

ちなみに、プレゼンの結果は2位。1位とは僅差で、聴衆であった新入社員の間では1位だったのだが、審査員での得点差が300点満点中9点分あり、プレゼンの完成度の点で負けた。プランではこっちが勝っていた。

クライアント役の社員の人たちから厳しい質問が飛んでくると主にリーダーがそれに答えていたが、途中から私もプランナーとしてテンションが上がってしまい、リーダーが困ったら私が出て答え、私が困ったらリーダーが出たり、他のメンバーが出たりという、ほぼ交代制で質問を凌いだ。結構実践的で、ドキドキ感があり、私はとても楽しかった。……終わる頃には闘争本能にすっかり火がついた状態になってしまって、他のメンバーから怖がられた。

その翌日は、今度は泊まり込みの合宿研修。今度はディベートがあった。状況設定の書かれた小冊子を渡され、二つの立場に基づいた立論を行い、質疑、最終弁論。徹夜で準備をすることになった。これは月曜のプレゼンの班とは違って、いつもの班だった。いつもの班ではそれぞれの特性が明らかになっていたので、文理で分業。

私はこれで、一つとても大切なことに気がついた。ディベートの準備の中で最も重要だったのは、文脈を読んで主人公の置かれている立場を理解し、二つの選択肢についてどちらかを選んだ場合の理由を具体的に本文から抽出していく作業。それに基づき、反対の立場の人間の痛いところを突いていく。この作業には、私の大学時代の勉強がとても役に立った。

本文を精密に読んで、時間関係を年表を書くなどして明らかにする方法や、人間関係相関図を書き出したり、ページと行数を細かく記述しながら根拠を挙げる手法を取ったので、時間はかかったがかなり密に読み込むことができた。私の手法は細かすぎるとリーダーからははじめ理解されなかったが、私の作業で時間の流れを視覚的に理解でき、ディベート本番の質疑に役立てられるとわかってからは好きなようにやらせてくれた(大体、信長くんはアバウトかつ直感で動きすぎるのだ。いいところでもあるが、穴も多い)。

私の方法は、はじめは本当にメンバーから理解されなかったが、私たちの班の指導についてくれた社員の人が早いうちから非常に評価してくれた。私の表にその社員の人が自ら新しい指標軸を書き込んでくれたりもした。ディベートの準備は時間いっぱいいっぱいを使い、夜中も明け方もやる羽目にはなったが完成度は高いものになり、結果は全勝。総当たりではなかったが、全勝したチームは全10チームのうち2つだけだった。

うち、2回目の戦いは理系メンバーの冷徹な目線からの鋭いツッコミや私が穴埋めで作った最終弁論など結構ハイレベルなものになっていたようで、社員の人たちの評価がとても良かった。私は立論や最終弁論などトータルな原稿の作成と、質疑応答のツッコミや返答を行った。前でのスピーチは他のメンバーに任せ、主に頭脳労働。そういうのが結構向いているらしいと今回気がついた。

このディベートの間中、私の班には指導役の社員さんがずっと一緒にいて様子を見守ってくれていた。この人はうちの会社でも有能な人が集まる部署の人で、冷えた視線ながら的確なことを言ってくれる優秀な人だった。その人がそれぞれのメンバーの特性を一言ずつ評価してくれたのだが、私のことを「典型的左脳人間で、小さなことに考えすぎるところはあるが、すごく優秀」とほめてくれた。うちのチームではリーダーと同じくらいのほめ言葉がもらえた。出たとこ勝負のリーダーとは対照的ということだろう。

たぶんこのほめ言葉は、私の準備中の作業によるものだろう。つまりは今まで大学で培った論理構築の作業が功を奏したことになる。この合宿での指導役の人の評価も研修中の評価に加味されているであろうから、ここでほめられたことは大変嬉しかった。

つまり私は、大学の勉強を切り捨てて就職したつもりでありながら、実は大学時代に教えてもらったことを使って評価されたことになる。私は愚かだった。どれだけ大事な能力を身につけてもらっていたのかを今になってやっと知った。先生、先輩、ありがとう。

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この研修では、私自身の分析を他のメンバーがしたりすることもあった。そのおかげか、私がそう思っていなかった私の一面も徐々に見えつつある。

研究室では「粗雑で穴が多い」「直感的」など、「すっげーずぼら」みたいな酷評だった私の論理構築力も世の中に出てみれば「細かいことにこだわりすぎる」との評価で非常に意外だ。要するにうちの研究室の人たちが怪物並みの精密さで論理を組み立てていただけのことだったようである(当たり前か)。

今まで気づいていたことを改めて言い直されたのは「夢中になると周りが全く見えなくなる」。自分が考えていた以上に突っ走るらしく、メンバーからは事あるごとに「抑えて抑えて」と言われる。これもどうやら、ひとりで煮詰めて考えるのが仕事だった今までの大学生活が響いているらしい。

なんだかんだ言いながら、大学時代のことが今の研修に生きるなんて面白いことだ。ちなみに、恐ろしいくらい喋りとアドリブがきくうちのリーダー信長くんも文学部で私と同じようなことを専攻してたらしい。

文学部、卑屈になるな。ちゃんと勉強していれば、君たちの能力は汎用性があって、かつ高い。研究室の奥でキノコになるようなへたれ菌を体にため込まなければ、きっと世間でも花を咲かせられるんだと私は知った。

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【事務連絡】連打屋はただいま、4年前の2-3月を忠実にリプレイしています。ディテールもほぼ同一です。「えっ、一体何処までリプレイしてるんだ?」と思われた親友の皆様、ご連絡下さい。当方、終盤にさしかかっているため、あと数日で激ヤセレベルに達する可能性あり。

02/4/7(日) pm 機械、ふたたび
実は5日分更新されています。3月のラスト2つをお読みになった後、このウインドウを下にスクロールして前の分からお読み下さい。

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社会人になって、新たな組織に入るにあたり、私はいくつかの戒律を自らに課すことにした。

1.派閥抗争に巻き込まれないこと
2.早いうちから知りすぎないこと
3.社内恋愛は最後の手段ということで

大笑いする方もあろうかと思うが、全ては私の今までの経験から得たことである。どれも手を出すと、異常に辛い羽目に陥るので注意が必要だ。

ということで入社1週間目。

早くも戒律を1つ破った。

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私が戒律3を破ったら面白かったのだろうが、残念ながら3番ではない。私がそんなに簡単に3の戒律を破れる人間ではないことを、友人はじめ皆様もご存じのことと思う。3を破るということは、それは世界の終わりを意味する(極端)。

実は私が破ってしまったのは1番である。破ったというか、正確には破りかけている。派閥抗争1歩手前の所に板挟みではまってしまった。

研修中で何が派閥抗争かと思うだろうが、それがあるのだ。研修には全国から新入社員が集められており、私が所属する研修班の中で地域対立が起こりかけている。

研修のプログラムの中で、班でのプレゼンがある。うちの班は全員で6人。

リーダーは大変強いキャラクターの大阪人の男の子で、まるで織田信長みたいなタイプ。いいことはいい、悪いことは悪いとはっきり言う。その補佐としてプレゼン資料を作っているのは京大出身で弁が立ち、人の意見を聞き入れない傾向も多少ある同じく関西系の男の子。

一方、私を除くその他3人は、いずれも生粋の東京人の男の子である。私はたったひとりの東北人で、しかも女ということで、東対西の対立からは外れている。

東京の男の子たちはみんな育ちがいいのか、2人の関西系の男の子たちに気圧されてしまい、日和見的な態度でプランニングではあまり発言がなかった。そのことがリーダーたち関西組のカンにさわってしまい、昨日の飲み会でそれを思いっきりぶちまけられてしまったのである。

ちなみにプレゼンの班と昨日の飲み会のメンバーは完全には一致しておらず、いたのはリーダーと私と東京出身の男の子ひとりだった。

実はプレゼンで発表することになった案は私が発案者で、いろいろとしゃべったので私はリーダーの考えでは彼らの側にいることになっているらしい。飲み会のメンバーには私たち3人の他に別なメンバーも混じっていたのではじめはそんな話にならなかったのだが、2時間くらい飲んだ時点で(たぶん元々ぶちまける気だったのだ)一気に「他の3人が全然積極的じゃなかった!」とリーダーが言い始めてしまった。

この信長君は、私より1つ年下なのだが、妙に侠気と強さがあって、非常にリーダー向きな性格を持った人物である。話し合いの進行は彼が一生懸命やってきてくれたのだが、プレゼンに関しては、発表者を今まであまり発言しなかった人たちにやって欲しい、と言うのだった。

これは、実際の話し合いの時に一生懸命やる信長君の姿を見て「結構辛そうな感じがする…」と思った私からすれば、やっぱり出てきたかという感じだった。不公平だという気持ちはよくわかるし、たぶんこれは、「俺はいっぱいいっぱいなんだ!」という表明で、要するに助けてくれということなんだろうと私は聞いた。

だが、言い方からすると上の立場から積極的な人とそうでない人をはっきりと独断で区切ってしまっているわけで、これは意味の見えない人にとっては相当カチンと来るだろう。案の定、東京出身者で「積極的でなかった奴」とされてしまった男の子がヒートアップして、その時に言えなかったことをこれまた一気に言い始めて、止まらなくなってしまった。

私としてはこちらの言い分もよくわかって、つまり頭ごなし(に聞こえるっていうことなんだけど)なリーダーと、他人の意見を聞かない(言い負かせばいいんだけど)京大君とに気圧され、言う気がなくなってしまったということだった。それで他の役割を探してサポートする方に回ろうとしたというわけである。

二人の議論は止まらない。っていうか東京出身の男の子の勢いが止まらない。最後にはプレゼン直前の話し合いでプランそのものをひっくり返しそうな話まで飛びだす始末。

私は多少予想してはいたが、予想以上の激しさにびっくりしてしまった。東京出身の男の子は、リーダーや京大君の態度が非常に強硬で独善的に見え、もっと自分たちの意見を聞くべきだということを言った。しかしリーダーは、俺たちはちゃんと聞いたはずだ、言わなかったのはそっちだ、と言う。

私は板挟みである。

要するにこれはたぶん、コミュニケーション法が違うという問題に帰するんだろう。普通の人より自己主張が強いと思われる彼らだが、意見を言う時、これは関西のペースなのか、あまり歯に衣着せるということがない。思ったことをずばっと言う。当然、相手にもそれを求める。

リーダーは異常に滑舌がいい大阪弁で、京大君はやや方言は柔らかいものの、その分が理詰め。彼らの関西弁や論理の強さに東京の人たちはすっかりおびえてしまって、それと戦ってまで自己主張しようとするのをやめてしまう。たぶん今まで、人と争ってまで何かを主張するような必要性がなく、そういうことに不慣れなのに違いない。

私は東北出身で育ちも悪いので、リーダーの強烈なペースに戦いを挑むのはむしろ面白い。少なくとも、面と向かっているときは微笑んでいながら、目の前から相手が居なくなるとひどい言葉で相手をさげすむような人より、見ていて軽く1000倍は好感が持てる。人格攻撃をしない限り、別にいくら議論してもいいはずだ。こんな面白いことができるなんて、研修やっててよかったとつくづく思う瞬間である。

だがこれが楽しいと思うのは私だけのようで、他の東京出身の人たちはこのペースにみんな思いきりおびえている。意見があったんならもっと主張してろよと大阪人のリーダーは言い、お前達がもっと聞きいれろよと東京人の男の子は言う。もう本当に異文化コミュニケーションの問題で、東北出身で戦うの大好きな私はひとり蚊帳の外で面白くて仕方ない。

だがただ面白がっていても仕方ない。結局こういう亀裂はチーム全体に響くので、両方の気持ちがわかっている私が橋渡しをしないことにはうまくいかない。リーダーの気持ちをくみ取りつつ、へこみ方の大きい東京人の男の子のフォローに回らなければならない羽目に陥った。これがもう本当に気を遣う作業。思った通り、異常に大変なことになってしまった。

それにしても、信頼しあいながら戦うっていうのは何と楽しいんだろう。基本的に相手に対する絶え間ない不審を持ちながらも和合するばかりだった研究室は、やっぱり私には合わなかったのだ。たぶんこんなことは研修の間だけだろうが、楽しくて仕方ない異文化コミュニケーションを満喫したい。

あんまり東京メンバーの評判はよくないようだが、私は強いリーダーっていうのは割と好きだ。もうこれは病気みたいなもので、意志決定の早いリーダーの下で自分はただ仕事に没頭すればいいだけ、という状態が私は大好きである。私を機械にしてくれる上司が私の望む理想の上司像。

ということで、プレゼンは明日。午前中に多少打ち合わせて、後はもう本番だ。打ち合わせで一体どうなることやら、楽しみで仕方ない。

それでは皆さん、おやすみなさい。

02/4/3(水) am 眠くなければ結構楽しい
社会人としての研修が始まっている。

朝の9時から夕方6時までみっちり講義。ただ時間を消費しているだけの研修ではなく、それなりの中身がある。まるで1日に大学時代の1年分を学んでいる気分だ。

1日とはこんなに濃いはずなのに、どうして大学時代にあんなに豊富な時間を惜しみなく浪費したんだろう。今日ぐらいに毎日何かを教わっていたなら、今は別な私がいたかもしれない。

夜更かし大好きの私が夜更かしを全くできず、ストレスがたまっている。12時少し前には寝て6時に起きる毎日なんてちょっと信じられないが、これが意外と張りがあって面白い。……眠くなければの話だけど。

大学っていうのも独特だったけれど、企業っていうのも独特だ(当たり前だけど)。階層がきっちり分かれていて、人間関係が利害と絡むせいで酒一杯注ぐのもある意味命がけ。たぶん、長く勤めれば勤めるほどそうなるのだろう。

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読者のみなさん、もしかしたら私は就職して全く別の人間になっちゃうかもしれません。ご期待にそえているのでしょうか。

02/4/1(月) am 学生最後の夜
本当は、3月31日の項に書くべきなんだろうけど、まだ31日の深夜だからまあいいか。

学生最後の夜なのに、特に涙がこみ上げるということはない。ただ何となく、あのぬるま湯生活と永遠におさらばかと思うと、ちょっとさびしいだけである。今思えば何て幸福な毎日だったんだろう。毎朝きちんと起きなくていいというだけだけど。

結婚し仕事を持ち、出産を控えている妹の日常はといえば、毎朝5時に起きて旦那さんのケンちゃんに朝食とお弁当を作ることから始まる。一度だけ泊めてもらった時に目にしたんだけど、見ていて涙が出てきたことを覚えている。

情けないことだけど、私は本当に毎朝起きて満員電車に揺られる根性があるのかどうかがまず心配だ。考えても仕方ないから、淡々とやるつもりだが。

そういえば、高校生の頃は毎朝5時に起きていたっけ。しかも、睡眠時間は平均4時間くらいだった。ひどい時は連日2時間程度の時もあった。ふとんではなく床に倒れ込んだまま朝を迎えたこともあって、そのまま学校に行ったものだ。若かったんだろうか、それとも高校の生活が肌に合ったんだろうか…。

とにかく、朝きちんと起きることが当面の目標という情けない出発。でも何となく、毎日「やらなければならないこと」が控えているというのは、大学時代のように「やってもやらなくても別にどうにかなること」が多かった暮らしに比べて、逆に適応できるかもという感じもする。

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今は東京の弟のアパートに居候しているのだが、弟の住む街が小綺麗だからかもしれないけれど、50代のご婦人にお洒落な人が多いので目を見張る。きちんとセットされた髪、明らかに高そうで趣味のいい服を着て、娘らしきこれまた金持ちの主婦っていう感じの30代女性と連れだって楽しそうに買い物をしている。

そういう人を通りすがりに見ていると、ついつい母のことを思いだしてしまう。ろくにいい服も着ないでただあくせく働いて、疲労困憊の果てに大怪我をして、今も体調が良くないし、以前のようなしっかりした判断力が戻らない。

頭の怪我と同時に、上の前歯周辺の数本の歯の先がのこぎり状に欠け、おまけに歯と歯の間に透き間があいて非常に見苦しくなっているのに、母はそれを全く気にしない様子である。目の周りはげっそりと落ちくぼみ、卒業式の朝に見た顔はファンデーションだけを厚く塗られて口紅もつけておらず、あちこちしわになって肌や顔の元気のなさがかえって強調されるようなものだった。

父は口にしないが、娘の私には何となくわかる。頭の怪我は、母からしっかりした判断力と共に、身だしなみに対する羞恥心みたいなものを奪ったのだ。それは「若さ」と連動するパラメータかもしれない。一気に年老いたようになって、私としては母が少しぼけたような感覚すらしている。たぶん痴呆とは違うんだろうが、でも辛い。

この間実家に帰ったら、母は体が1.5倍はふくれて見え、しかも袖を3回まくらなければ着られないという不格好なばかでかい黄色いフリースを着ていた。本当に不格好なのだが、そのことに自分では全く気づいていない様子だった。前の母なら、いくら安かったからとはいえ、そこまでのものは着なかったように思う。80近い祖母よりも、身だしなみに対する感覚が失われているかもしれない。

年齢的に若くなくても別にいい。だけど、精神に張りがあって、生き生きした母でいて欲しかった。母と同年代の、友人のお母さん達を見ていると、私の母に比べればみんな明るくて張りがあって、何より元気で、羨ましくて泣きそうになる。

どうしてこういう風にしかならなかったんだろう、と辛い。私はあの怪我の何ヶ月も前から何度も何度も、ひどい時は週に2、3回両親に警告していたのだから、今でもそれが悔しい。母が失明せず、判断力や羞恥心を多少失ったものの日常生活に支障のない程度まで回復したことは大変良かったと思うが、それでもこの悔しさは消えない。

……こういう風に後ろばかり見るのはやめよう。とりあえず母は周りにうるさくいわれたのと退職とを機に、やっと歯医者に通って歯を治し始めた。頭の怪我は治るまで2年はかかると医者に言われている。あと1年待ってみれば、もっと良くなるかもしれないのだから。

 

 

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