5月に入って、2回しか更新していない。皆さんどうもすいません。
---- 今月15日に生まれた姪っ子の名前は「ナオ(渚央)」ちゃんに決まった。私の父(ナオにとっては祖父だが)に抱っこされると必ず泣きやむという大変いい個性を持った赤ちゃんだそうで、父はもうすっかりホネヌキになっているらしい。
最近暗い疲れた顔ばかりしていた父が、初孫に目を細めて生きる意欲が湧いているなら、何と有り難いことだろう。臨月に軽い妊娠中毒症になって辛そうだった妹の体調もやや回復してきて、私の実家で夫のケンちゃんと二人、ナオちゃんを交えて穏やかにやっているようだ。それが私にはとても嬉しい。ナオっていい名前だな、とも思う。
---- 今は工場実習中で、特に肉体的、時間的にハードだ。毎日5時に起きて工場に行き、単調な肉体労働を午後5時20分まで続ける。工場まではひとり暮らしのアパートからとても通えないので、一時的に浦和の寮にいる。
寮に戻ればもう7時すぎなので、ご飯を食べてメールチェックしてお風呂に入って寝る。それでも多くて6時間ちょっとしか睡眠が取れない。肉体を使う仕事だけにたっぷり睡眠を取りたいので、とても日記を書いていられる状況ではない。
肉体労働を避けるために必死に就職活動をしたにもかかわらず、結局肉体労働を余儀なくされている不思議さ。結局避けて通れないということかもしれない。
---- 東京に出てきて、今まで通っていた整体の先生の友人を紹介してもらい、別な整体に通い始めた。私の関節は全体的に炎症が起きやすく、将来リウマチになる可能性が捨てきれないらしい。そのため、甘いもの、乳製品、コーヒー、牛肉、果物、アルコールを断つようにと言われた。
こりゃちょっと怪しいところに来ちゃったかなと思ったが、前に通っていた腕のいい整体の先生からも「甘いものとあぶらっこいものは食べるな」とうるさく言われていたので、まあ疑問でもない。ただ、カルシウムとビタミンが不足しそうで怖い。
断てと言うのは簡単だが、私のQOLも考えて、今後は自分なりのコントロールに切り替えて行こうと思う。やっぱりアルコール全断ちというのはおかしい。ハーブリキュール「シャルトルーズ・ジョーヌ」のソーダ割はやっぱり月に1杯くらい飲みたい。健康のためにせめてノンシュガーのヨーグルトぐらいは食べたいし、ピンクグレープフルーツくらいは食べたいものだ。
ただ不思議なことに、これらの食べ物は私が最近はあまり好んで食べないものばかりだったりする。牛肉は元々好きではないし、アルコールとコーヒーも好きではない。むしろ嫌いな方だ。
乳製品は健康のためにヨーグルトを食べるが、他はさほど興味がないし、甘いものも近頃は胃がもたれるので買ってきても食べずに弟にやることが多かった。果物にしたって、ないと死ぬというほど好きだったわけではない。ごくたまに娯楽で食べるという感じだ。
……やっぱり人間、体に合わないものは自然にあまり食べないということなのかもしれない。
---- 工場実習の間、同じ配属の同期の女の子とばかり一緒に働いている。そのためここに来て、同期の女の子たちと自分の間の格差に深刻に悩むようになった。
この格差の原因は、たぶん今まで生まれ育ってきた環境の違いと、年齢差だ。
一緒に働いている同期の女の子は10数人いるが、そのうち院卒は理系のミスズちゃんだけで、あとはみんな理系なのに学部卒だったりしてほとんどが23歳である。院卒のミスズちゃんでさえ、私より1つ下の24歳だ。
しかも、みんな東京での採用組で、私のような東北出身者は誰もいない。実家が地方の人もいるが、大抵東京の大学で過ごした人である。都内か神奈川などに実家があり、実家から会社に通っている人も多い。
都内や近郊に持ち家を持っている人たちなんて、生活レベルが全く違う。家の持っている金の量のケタが違うだろう。ましてそういう人たちは、ハイスクールや小学校の頃にアメリカなど何年もの海外経験があったりして、完全な「お嬢様」である。
東北のひどい田舎町で、私が水平に吹き付けてくる吹雪を避けるため、傘を自分の正面にさしながら一生懸命バス停に向かう毎日を送っていた高校生の頃、彼女たちはアメリカのハイスクールで優雅に卒業記念のダンスパーティなどに男の子にエスコートされて出ていたわけである。
木造平屋建てに2階を増築するのにうちの両親が一苦労していたころ、彼女たちのご両親は悠々と海外赴任で広い家に住み、東京に戻ってもしっかり都内に持ち家を確保できていたわけである。
そんな差があるんだから、見えるものや考えることに大きな差があることは間違いない。今まで見えなかったその差を今になって本当に実感している。
彼女たちは、どことなく冷たい。ペースについてこられない者、弱い者に対する思いやりのなさを感じる。困っている者にアドバイスする時、的確なのだが言葉に血が通っていない。工場に行っても、そこに働く人たちの背景や、その人達とのうまい接し方が見えていない感じがする。
それはまさに、「この子達は今まで、勝って勝って勝ちまくってきて、負けた人の状況が全く見えていないんだな」ということを私に身にしみて感じさせるに十分だ。
---- 工場は本当に過酷な労働環境で、労働者の人たちは信じられないくらい原始的な単調肉体労働を強いられている。時給は650円。コンビニエンスストアのアルバイトの方がよほどマシな金額だ。にもかかわらず彼らはやめずに、アルバイトを続けて残業含め平均9時間強の労働に耐えている。
私たちが女子社員だから、回される部署は女性の労働者が多いところばかりだ。働いているのは40〜50代の主婦とおぼしき女性ばかり。50代が多く、20代の女性は1割程度で、30代の女性はほとんどいない。
最初の週に私が行った仕事は、A4サイズの厚さ2センチほどのカタログを10冊ずつ梱包し、積み上げるという作業だった。肉体を酷使する力仕事である。二人一組でカタログのキャラメル包みをし、後のひとりが積み上げたり、次に包むカタログを運んだりする。3人か4人で一つのグループを作って作業をする仕事だ。
私はこの週の間、他が全部工場に元々いるアルバイトの年輩の女性達の中にひとりだけ混じって作業することが多かった。何故かはわからないが、私ばかりがひとりで入っていた。一日目は、50代後半の、背の曲がったハセさんという女性と一緒だった。目が落ちくぼんでいて表情は暗いが、一生懸命働き、手もよく動く人だった。
私が山形出身ということで話が弾んだ。ハセさんのお子さんの話などをした。ハセさんの子供は一番上が30歳の息子で、ハセさんは私の母より数歳年上と思われた。
背が曲がっているということは、きっと腰や足もあまりよくないのだろうと思った。それでもハセさんは毎朝やってきて、もうすぐ60になろうとする体で、この時給650円の仕事を9時間以上、残業までして続けるのだ。それを考えあわせると、ハセさんの後ろに彼女の普段の暮らしや生活環境が透けて見えてきて、何だか哀しくて、やりきれない思いがした。
ハセさんはもともと、もう少し肉体に負担のかからない仕事をしていたのだが、そこの仕事がなくなったので工場内で部署を異動し、今の仕事をしているということだった。この仕事を選んだのは彼女自身だが、たぶんこれ以外の仕事がないからやむを得ずこの仕事を続けているだけのことだ。それを思うと私はいたたまれなかった。私たちのような小娘を優しく受け入れてくれるハセさんが有り難かった。
---- 二日目に、私はカノウさんという女性と同じ台で仕事をした。その日もやはり、他に同期が誰もいないグループで、年輩のアルバイトの方と一緒だった。シルバー人材のシマダさんという男性も同じ台にいた。カノウさんは私の母と同い年だった。シマダさんはおそらく60を過ぎているはずだが、力仕事をこなして私たちを助けてくれていた。
カノウさんは私と同じ山形の出身だった。前日一緒だったハセさんがカノウさんに私の話をしていたらしく、山形の話がはずんだ。カノウさんもハセさんと同じで、元々は比較的体力を使わない楽な仕事をしていたのだが、その仕事がなくなってこのきつい仕事をしているということだった。
カノウさんはぎっくり腰がクセになっているらしかった。体も太めで、私の母のようだ。年が少し若いのでハセさんより力はありそうだったが、肉体的な不安を抱えての力仕事だ。それでも明るく笑って、元気に手を動かしていた。コロコロ転がる鈴のような笑い方が印象的で、ポジティブな姿勢に胸を打たれた。
シルバー人材の人にとっても、この職場はきついらしかった。シルバー人材の人は大概ここは長続きしないらしいが、シマダさんはよく頑張っているらしい。お孫さんがいて、家に帰ればおじいちゃんだ。
優しい顔をしていて無口で、小柄な体でよく働くシマダさんに、私が小さい頃の祖父の姿が重なった。一昨年亡くなった父方の祖父は、私が小さい頃によく地区の精米所で精米の頼まれ仕事をしていた。私を自転車に乗せて、精米所に連れて行ってくれて、袋に入った重たい米をいくつも精米していた。あの時祖父はせいぜい2時間かそこらしか働いてはいなかったし、自分のペースで仕事ができたが、シマダさんは残業までしての力仕事だ。相当の負担が推察された。
---- 次の日に一緒に仕事をしたのは、フルタイムで働いているという女性だった。前に働いたハセさんもカノウさんもアルバイトだから、フルタイムより格下で、時給が安い。残業も断れない。シルバー人材の人などは、仕事がなければにべもなく「帰ってくれ」と言われるらしい。それに比べフルタイムは有給が取れ、時給も高く、比較的いい待遇である。
彼女は更年期障害に加えて工場で出る紙粉のアレルギーだとかで、仕事のペースがハセさんやカノウさんの4分の1にも満たなかった。体調が悪いのは仕方がないが、無駄話をしてかえってだらだらと仕事をしている風だった。
この台はメンバーが次々と他の仕事にかり出され、最後は私と彼女だけになった。彼女は仕事が遅いので、私がフォローに回ることになった。彼女は残業をせず、定時に帰っていった。
次の日また同じ台でハセさんと一緒になった時、実はフルタイムや正社員といった、アルバイトより格上の好待遇の人たちの方が、実際の仕事で働かないのだという話を耳にした。立場の弱いアルバイトは、残業を断れず、体調が悪くとも無理を押して働くらしかった。
「この仕事をしていて、もし椎間板ヘルニアとかになったらどうなるんですか?」と聞いてみた。返ってきた答えは、「そういう人は、やめちゃうのよ」だった。
---- 一週目の仕事は特にきつかったので、極限の中での人間の姿を見た気がした。無理して頑張っているハセさんやカノウさんに、去年やった怪我のせいで未だに体力が戻らなくて苦しんでいる山形の母の姿が重なった。涙が出そうだった。
彼女たちの生活環境には、山形の実家の近所に住んでいるおばちゃんたちの家庭や、家の様子がそのまま当てはまるような気がした。冬の大雪はないから気候的に山形ほどひどくはないだろうが、哀しくて何とも言えなくて、胸が詰まった。
だから、私自身腰が弱くて避けたい労働だったが、一週間、手を抜くことができなかった。目の前に母の年代の人たちが弱点を抱えながら頑張っているのに、私が手を抜くわけにはいかないと思った。
---- こういうことが、同期の他の女の子達には、特に「お嬢様」の暮らしをしてきた富裕な家の女の子達には全く見えないらしかった。
同期の中でも特に頭のいいデザイナーのMちゃんという女の子がいる。彼女はドイツで生まれ、日本と海外を転々としてアメリカで小学校と高校の時代を過ごし、今は世田谷に住んでいる。
彼女は本当に頭の回転が速く、他人の論理を突き崩したり、議論の穴を見つけるのが天才的にうまい。弁が立ち、様々な研修への参加も積極的で、この同期の女の子の中ではかなり目立つ存在である。工場実習にも意欲的で、みんなより一本早いバスでやってくるなど積極性に舌を巻く。
しかし、彼女が工場実習についてする話は、工場のシステムの効率化の話ばかりである。そういう話を昼食や帰りにとうとうと語っているのだが、私はハセさんやカノウさんといった労働者の方達の姿を見てどうにも辛くて、その時そういう話を考えられるほど落ち着けていない。どうやら彼女には、そういう労働者の人たちが抱える苦しみが、私のようにはっきりと実感を伴ってはわからないようだった。
Mちゃんにとってこの実習は単なる実習の一つに過ぎず、労働者の人たちの動きもシステマティックな機能の一つに見えているのだろう。否応なく抱えさせられている彼らの苦しみも、彼女にしてみれば「選んで抱えていること」と思うのかも知れない。自分の人生の選択を、全て自分の手で思うようにできてきた人はそういう思考回路を持っているように思える。
私の感じ取ったこのやりきれない気持ちを、同期の女の子の誰かに伝えようかと思ったが、やめた。たぶん、誰も理解できないからである。これはきっと、年齢的にも生まれ育った環境の点でも、私だけがここまで感じ取れたことなのだろうと思えた。
金のかかる有名私大に子供を何人もいれてやることのできるような家庭で育った女の子たちばかりなのに、周囲がブルーカラーの労働者ばかりの中で育ってきた私の言うことがわかるわけもない。うちの親は子供を国立大に入れるために骨身を削って頑張って、くたびれ果てているくらいなのだから。
---- 帰りのバスが来るまで、終業後、工場の事務所のわきでしばらく待っていなければならない。同じ時間に終わったアルバイトの年輩の女性や男性が、くたびれた顔をして立って待っている。そこへ、同期の女の子達はがやがやと入っていって、あろうことか、みんながみんな地べたに座り込んで携帯を見ている。着信をチェックし、メールを打ち、うるさく話し込む。決して悪い子たちではないが、そういうところでそんな風に振る舞えてしまう同期達である。
そういう些細なところで、年齢差とか、環境の差を感じてしまう。私はやっぱり年を取っていて、今までいろいろなことを経験した分、落ち着いてしまっているんだなと思わずにいられない。
こんなに集団で携帯のメールを堂々と打ったりするのは失礼な気がするし、年輩の方が立って待っているなら、私たちも立って待っているべきだ。むしろ実習中なんだから、自分たちの後ろに立った年輩の方に前をゆずるくらいで当然とすら思う。それはMちゃんやトモコちゃんに言わせれば「それは私たちの権利なんだから、そこまで考えなくていい」となるだろう。
私は工場で一生懸命働いているアルバイトの方達に申し訳なくて、いつも立って待つ。同期の女の子に「座らないの? 元気だねー」と言われるので、「うん、立って待つよ」と答える。
私がもし、「他の年輩の方達が立っているのに、若い私たちがこういう風にしているのは失礼だ」などと説教臭いことを言えば、たちまち彼女たちの間に居場所をなくしてしまうだろうから、それは言えない。普通そうだろう。同期のはずなのにいきなり説教をはじめれば、「やっぱり○○(連打屋の本名)ちゃんはトシなのね」と思われかねない。次の日の朝から人間関係がぎくしゃくする。それは嫌だった。
ごく仲のいい、信頼できる同期の女の子にYちゃんという女の子がひとりいて、彼女には「みんな立って待っているんだから、私たちが座っているのは何だか他の人に悪い気がする」と少し本音をもらした。彼女は男の子ばかりの電気系の大学にいて、弱い者に優しいところがあるボーイッシュな女の子だ。そうしたら、彼女は私と一緒に立って待ってくれた。私と同じ感覚を少しでも持っている人はその子くらいだろうと思えた。
おそらくこれがMちゃんやそのグループの女の子たちなら、「じゃあみんなも座れば良くない? 気にしすぎだよ」と言われて終わりだろうという気がする。
5日目の朝礼の前の時間、私はいつも朝礼の所に張り出されているカレンダーが気になって見ていた。その日のノルマとおぼしき数字と、達成したとおぼしき数字が並んでいる。それを見て、Mちゃんと一緒に「これは何だろうね」と話し合ったが、やはりわからない。私はそばにいたハセさんに「ハセさん、この数字は何ですか?」と聞いてみた。
「それねえ、私たちもわかんないんだよ」とハセさんは答えた。彼女たちはただ働かされるのみで、具体的な数字や効率の問題から隔離されているようだった。たまたまカノウさんがそばに寄ってきて、私を見て言った。
「○○(連打屋の本名)さんは、本当に真面目な人だよね。それが私たちにはよくわかるよ」
しみじみと言われた。「ほんとにそうだねえ」とハセさんも言ってくれた。それがとても嬉しかった。やっぱり頭のいいMちゃんより、私は工場ウケはするタイプらしい。私は工場の状況を見てまだMちゃんよりシステマティックなことまで頭が回るほど冷静になれないが、自分の個性はそれはそれでいいことなのだと思えてほっとした。見える人にはちゃんと見えている。
---- 同期の女の子との差は、何も工場の中だけで感じるわけではない。この間同期の女の子だけで飲みに行って、私はますますそのギャップを見せつけられて落ち込んだ。
高校時代にアメリカにいて、今は神奈川の自宅から通っているという慶応卒のトモコちゃんが幹事の飲み会だった。場所は池袋の雰囲気のいい居酒屋だったのだが、私は風邪を引いて咳が止まらず、本当はドタキャンしたくてしょうがなかった。しかしその店はよほどいい店らしく、コースしか取れなかったので、ドタキャンが許されないと前日のメールで釘を刺されていた。会費は4500円。
金を払ってキャンセルするには高すぎる。私は無理をして、げほげほとひっきりなしに咳をしながら集団の一番後ろをとろとろとついていった。みんなその飲み会を「ギャル飲み」と称して浮き足立っている様子で、私の辛い状況は目に入っていない。咳がぜんそくみたいに出る。それを自己申告したいとも思ったが、水を差すようだからやめにした。
部屋の席は二列に分かれていて、テーブルの向こうの列と手前の列に分かれた。テーブルの向こうの列が足りなそうだというので、私が一番最後に入っていこうとしたら、「ごめんやっぱり向こうに行って」「あ、待って、もしかして席あるかも」「やっぱり足りなかった」と、Mちゃんに言われて私はテーブルのあちらとこちらを、咳をごほんごほんやりながら行ったり来たりした。
行ったり来たり振りまわされる私の様子を見て、「ごめんね、○○(連打屋の本名)ちゃん、何度も行ったり来たりさせて…」と声をかけてくれる子もいたがそれは院卒のミスズちゃんと、彼女の後ろにいた天然系美少女で優しめの性格をしているトモカちゃんだけだった。
結局私にあてがわれた席は列の一番端で、純粋な向かい合わせの人がいない、本当のはしっこだった。しかも端の席だったので、隣のエリカちゃんからはメニューを取れだの空いた皿を置いてくれだのいいように使われた。私は相変わらず咳をしながら何も言わずにそれに従った。
本来なら私よりも端に幹事のトモコちゃんがいたのだが、向かいの列にいたMちゃんが「トモコその席ってさびしくない? こっち来なよ、こっち空けようと思えばひとり分くらい空けられるから」と無理矢理席を空けさせてトモコちゃんを向こうの列に入れてしまった。トモコちゃんはMちゃんと仲がいいので入れてもらえたらしい。向こうの列で、私はさっき「席がない」と言われてはじかれたにも関わらず。
端の席はクーラーが直撃して非常に寒かった。トモコちゃんが「そこクーラー来ない?」と私に言ったが、特にそれ以上何のアクションもないようだったので、私がまた咳をしながら自ら行って店員にクーラーを止めてもらった。
帰ってきた時にはもう既にみんな会話が始まっていて、もう輪に入れない。ただでさえ端の席だし、風邪で声がかれているので、わあわあやっている遠くの会話に入れるほどの元気はなかった。私はしばらく向かいの会話に耳を傾けた。
向かいではトモコちゃんとMちゃんが会話に花を咲かせていた。「吉祥寺のお店の○○が良かった」など、グレードの高い会話をしているのだが、中でも印象に残ったのはフルーツの話だった。
「××(地名)の△△っていう店はフルーツがすっごくおいしいの、とってもおいしくってー。でも店内食はやめた方がいいよー」
とMちゃんが言い始める。トモコちゃんは「なんで?」とたずねる。
「こないださー、そこで桃を食べたんだー、白桃。それがー、桃一個で2000円もするの、2000円だよ、すごくなーい? あそこさー、買ってって食べるにはいいけど、店内食は絶対やめた方がいいよ。でもフルーツは確かにおいしいー。畑が違うんだってー、土も、品種も選んでるらしくて」
店内食の2000円の桃は高いと言いながら、それなら店先で買うだけでも相当な値段がするだろう。そんな店におそらく日常的に通い、彼女の中でそれが普通よりちょっと高め程度のレベルにおさまっていること自体に私は愕然とした。一つ700とか800円とか、ひどくすれば1000円するのかもしれない。
そしてそこに想像できる、ブランド化されてまるでグッチのバッグのように売られている果物達の光景が頭に浮かんで言葉を失った。山形にいた頃、奇異な気持ちで見つめた、木箱入りの、ルビーみたいに詰められたさくらんぼ。あんなもの一体何処の誰が食べるんだと思ったものだったが、まさにあれを食べる人が、目の前にいるんだと実感した。その人の話に普通に相づちをうっているトモコちゃんにも仰天した。
(そうか、この子達にとって、この出来事は日常の出来事としてあり得ることなんだ…)
私が食べたさくらんぼは、近所の人がくれる、雨で割れてしまって傷物になってしまったというもらい物ばかりだ。スーパーで買ってきても形は不揃いで、傷があったりする。それを祖父と一緒に、お風呂上がりに塩をふって美味しい美味しいと食べたものだった。彼女たちとのそういう違いに私は本当に打ちひしがれて、こういう人たちと日常的に渡り合っていくのかと思うと気が重かった。
2時間強の時間の間、私の咳はひっきりなしで止まらなかった。ついでに会話に入ることもできなかった。それに気づくこともなく、目の前のトモコちゃんとMちゃんの会話は盛り上がり、隣のエリカちゃんは更に隣のワカちゃんとばかり話していて、声がかれて大声を出せない私に入る隙はなく、エリカちゃんは空いた皿をどんどん私に渡す。
こんなに裕福な人たちと私は本当に渡り合っていけるのだろうか。そして、こんなに簡単に弱者を切り捨てられてしまう人たち、幼い人たち、そういう人たちが私の同期にたくさんいる。そういう人たちと、うまく付き合っていける自信がなくなった。
その日の晩は最悪で、飲み会のせいで就寝がいつもより遅くなったのみならず、咳が全く止まらなくてベッドに入ってから2時間も眠れなかった。睡眠時間3時間で工場に行って、フルに働いたら目が回って、咳も止まらなくて、工場の比較的近くに住んでいるミスズちゃんに小さな医院を紹介してもらって医者にかかることになった。
Yちゃんたちの数人のグループといつも一緒にいるのだが、彼女たちは比較的優しくて、私の様子を親身になって心配してくれた。その日工場では同じ職場にMちゃんとトモコちゃんの二人組のみだった。
トイレに行って「何だかふらふらする」と言っていたら、Yちゃんたちに心配された。その様子を通りがかったMちゃんは「前もって現場の人に言って置いた方がよくない? 気休めでも診療室に行ったらいいんじゃないの。始まったら仕事は止まらないし」と的確なアドバイスをしていった。しかし、その冷たい口調に私は再び落ち込んで、とても仕事をやめる気にならなくて、結局無理をして一日仕事をしてしまった。
流れてくる商品に単調な作業を続ける仕事の中で、Mちゃんとトモコちゃんははじめから椅子に座って、べらべらと彼氏や家族の話をしながら仕事をしていた。私はミスをしそうだったので、無駄口をたたかずに一生懸命やろうと思っていた。そういう状況だったので正直、そんな彼女たちに負けたくないと思った。Mちゃんたちは要領がよく、決してミスらない。それが悔しくて、私も頑張りたかったのである。
結局そうやってやり通したらもうふらふらで、病院に行く道すがら、病院に連れて行ってくれるミスズちゃんからしみじみ、「どうして○○(連打屋)ちゃんってそんなにいつも頑張るの?」と言われてしまった。
「だって私は、たぶん私自身の資質だけでここに残されているんだよ。Mちゃんやトモコちゃんみたいに、デザインや語学が優れているとかでもないし、お家や大学名で付加価値があるわけではないし、ご両親のどちらかが有名企業に勤めているというようなコネもないし、留学経験もないよ。ましてミスズちゃんみたいに、理系の専門知識があるわけでもないんだよ。田舎の出身でネットワーク系にはマイナス要因ばかりの私がこっちに残っているのは、私自身の資質だけでしょう。それなら私は、一生懸命頑張るしか、浮かぶ道はないんだよ」
---- 私は、私がひとりだけ東京に残されたということの意味が、今になってわかってきている。
以前、班の指導員としてついてくれたやり手営業の先輩社員に「妙に世慣れたところがあって、どこに出しても恥ずかしくない」と言われたことがある。あの時はその意味がよくわからなかったが、今になってよくわかってきた。同期の女の子がみんなこれなら、私は確かに「世慣れている」部類に入るだろう。地べたに座ってメールをやる神経は私にはない。年齢的な要因や、育ってきた環境の要因で、私の物腰は極めて落ち着いているのだ。
東北採用者の中で、私がこっちにひとりだけ残されたのは、たぶん、私のこういう土臭さのせいだろうという気がしてきた。仙台に戻された人たちは、結局東京にもよくありがちなお坊ちゃんやお嬢さんの雰囲気を持った人たちだった。
泥まみれで頑張ろうとする私のみっともなさを、認めてくれた誰かがいたのかもしれない。とすれば、私はこの先職場でもずっと「異端児」ということになるのだろうということもよく見えてきた。私はやっぱり私だけの資質で、どうにか前に進むしか道はないのだ。
---- 昨日、新潟で工場実習しているT君という男の子からメールが来た。彼は理系の院卒だが現役卒より一つ上なので私と同い年で、研修で班が同じだった。東京出身者なのに東北出身と言ってもおかしくないようなハングリーな雰囲気を持っていて、まるで自衛隊員のような濃い外見をしている。いろいろと苦労しているがそれでもポジティブに前に進む頑張り屋タイプだ。
風邪でダウンして、同期とのギャップにも悩んでいるというメールを返事に打ったら、電話がかかってきた。T君は第一希望も第二希望も工場勤務という変わった指向を持って配属希望を出したのだが、その部署で最も頭脳的役割になる研究所に配属された。
普通なら、みんな工場を嫌がって研究所勤務を希望するのに、T君は全く逆だった。T君はいろいろ苦労しているし、工場の人たちとうまくなじめる個性を持っているからその指向はうなづけた。工場勤務をみんな嫌がるのだから工場には極めて配属されやすいはずなのだが、T君は希望を無視されて研究所に配属されたのだった。
電話で、T君は私にこう言った。
「どうして俺が研究所に配属されたのか、あとで聞いてみたんだ。そしたらこういわれた、『君は研究所のタイプじゃないんだ』って。『研究所にしてみれば、君は異端児なんだ』って。『研究所の体質を変えて欲しい』って言われたんだ」
象牙の塔にこもりたがる頭でっかちな奴らを、T君の土臭さで変えて欲しいということらしかった。そうか、と私は思った。私も同じだ。私がここにいるのは、その土臭いみっともなさが買われたからに過ぎない。
「他の人との違いをそんなふうにネガティブに捉えたらダメだよ。それは売りなんだって」と励まされた。確かにそうかも知れない。この言葉に、私は背中を押されたような気がした。
私は前に進むしかない。年齢、環境、もろもろのギャップと不安を抱えたまま、自分という「異なる個性」が何かの役に立つと信じて、ただひたすら一生懸命になるしかない。
---- というわけで、私はまたもやいろいろ悩んでいる。私らしいというか、一体どこまでこの続くのか、どこへ行ってしまうのかよくわからないが、「転がる石」であり続けることは確からしい。
まもなく26歳。私が抱える「年齢」というハンディは、また大きくなって私の肩にのしかかる。新入社員なのに26歳。無理をすれば顔もむくむし、この通り風邪を引けばひどくなる。あと2年もすれば、同期の他の女の子との間でもっとはっきり外見的な差が出始めるだろう。
そのハンディをどこで埋めるのか、私は常に試され続けるに違いない。研修終了後の正式な配属先で、同期の女性社員との間で、私の実年齢に意外そうな顔をする男性社員とのやりとりの中で。
大学4年生の頃、ある人に言われたことがある。「お前は一体どこに向かっていくんだよ。どこまで行くんだよ」と。
…今のところ、ここまで来ちゃいました。もっと、強くなりたいと思います。そして前へ。
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