小ネタをいくつか。
---- (その1)夢を見た。
私は道路の歩道を歩いている。人通りも、車通りもない。二車線の道路だ。すると、道ばたの公衆電話が鳴り出す。
私は驚いてとっさに電話を取ってしまう。すると、聞き覚えのある声がした。もう別れた、前の恋人の声だった(本当はそんな人いないのだが、その夢ではそういう人物がいることになっている)。別れた経緯は最悪で、私が向こうからこっぴどいやり方でふられていた。こっちの気持ちはぶつりと断ち切られ、ぐちゃぐちゃで、思い出したくもない別れ方だった。
そんな奴の声が受話器の向こうから聞こえる。ふと気付くと、すぐそばから同じ声が聞こえる。はっとして顔を上げて振り向くと、そこにその相手が立っていた。携帯電話を片手に、私のすぐ後ろから、わざわざ公衆電話にかけていたのだ。笑っている顔がはっきり見えた(当然、私は知らない人である)。
ぐちゃぐちゃに別れたのに、何の屈託もなくこっちを見て面白そうに笑っている。相手はスーツを着ていて、黒い大きなショルダーバッグを肩にかけ、さらにもう一つ通勤用らしい大きなカバンを手に持っている。そのうえ、何やら白い包みを抱えていた。
白い包みが私に手渡された。それは、小さい赤いバラがたくさんと、葉先が赤く根本にいくにつれ緑にグラデーションしている美しい葉ものと、白いガーベラが一輪だけ入った花束だった。私はそれを受け取り、二人で並んで緩い下り坂を談笑しながらおりていった。
「夢を見ている」側の私には、相手がひどい経緯で別れた恋人だとわかっていて、非常に不愉快な気持ちで彼の行動を見ている。ところが、「夢の中に居る」側のもうひとりの私は、彼からもらった花を見て嬉しそうに笑い、恨みなんて何もない様子だった。まるで昔に戻ったように、仲良く坂道をおりていく。
次にシーンが変わって、私の部屋が舞台である。私は花束を必死にくくってぶら下げようとしていた。前の恋人にもらったあの花束をドライフラワーにするつもりなのだ。でも、花束はうまくくくることができない。ひどくいらいらしながら、何度も何度もくくろうとするのに、花はくくれなくて、そこで目が覚めた。
(その2)金曜日の夜、私はたっぷり買い物をしてアパートに向かうバスを待っていた。
すると、ある上品な老婦人が私に声をかけてきた。
「何を聴いていらっしゃるの?」
折しも私はポータブルCDプレーヤーで宇多田ヒカルを聴いていた。どう答えていいものやら困っていたら、ご婦人は「お若い方の音楽ね」とにっこり笑った。
老婦人の雰囲気は女優にたとえるなら八千草薫。銀のつるの、薄い紫色が入った、大きすぎず小さすぎない大きさのレンズのめがね。若い頃はさぞかし美しかっただろうと思われる、白い頬。目が丸く大きくて、おそらく若い頃はさとう珠緒にでも似ていたに違いない。美しい銀色の髪はきれいにセットされ、少しの乱れもない。洋服も趣味のいいワンピースで、よく似合っていた。
「私は今日コーラスに行って、そのあとカラオケにいった帰りなのよ」と老婦人は笑った。こういうご婦人は私の田舎にはまずいないタイプだから、ぜひ話してみたく思い、しばらく談笑した。最後には「あなたもいらっしゃらない?」とコーラスサークルに誘われ、バスに並んで座って帰った。
聞いてみたら、彼女はなんと私の田舎の祖母と年齢が1つしか違わなかった。車が疲れる、外に出るのは嫌だ、とだだをこねる私の祖母と何という違いだろう。さっぱりとした服装で自由に自分の時間を外で楽しむ生き方に私は驚いた。彼女はもともと声楽をやっていたそうで、音大に通う孫娘の音程のずれがすぐわかって指摘できてしまうので、孫には発表会に来るなと言われている、と笑った。とにかく一緒にいる間、彼女の育ちの良さと、教養の高さを感じつづけたひとときだった。
さすが、世田谷区。ここには本物の金持ちばかりが住んでいる。
(その3)職場の女性の先輩に「もうこっちは慣れた?」と聞かれた。慣れるわきゃない。何たって、渋谷が毎朝の通勤途中で通る駅なのだ。これはおかしい。渋谷がかつて私が仙台に住んでいた頃の北仙台駅と同じ位置づけになるだなんて。
表参道も青山も通る。永田町も通る。パッと聞いて街のイメージがすぐわく地名ばかりである。それが通勤途上の普通の駅になり下がっているというのが私には信じられない。
一体、いつになったら慣れることができるのだろう。
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