自分にカギをかけるのも、いい加減飽きたな。

 

 

 

02/7/24(水) pm 現実大好き

最近、ヨーヨー・マのタンゴのCDをよく聴く。妙にしっくりくる。基本的には速いテンポで、基調は哀しくて、コミカルな時もあれば、もつれてからみ合ってすれ違う。その複雑な矛盾をはらんだ感じが、人間関係とよく似ていると思う。これを作曲した人は、たぶん間違いなく天才。

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働き始めてから、最近仕事をしていて1番うれしいことは、自分が「現実」の世界の中にしっかり足をついて生きているという実感がわいてきたことである。

それはたぶん、流されるまま教師をしていたら絶対に味わえなかった生々しい感触だ。新聞の記事も、雑誌の記事も、ヘタしたら自分の買い物や行動ひとつひとつさえもが、全部お金のタネになりえる。指導要領とにらめっこし、生徒をなだめたりすかしたりしながら、同僚を「先生」と呼び、閉鎖的な空気の中で進んでいく教師の生活とは全く違う。ちゃんと就職活動をしておいてよかったなあと今更思う。

教師になりたくなかった理由はもうひとつある。プライバシーの問題である。

教師は行動いちいちを生徒や生徒の親に見られている。買い物している時に会うと、買い物かごの中身に容赦なく視線が飛んでくる。恋人や夫、家族、友人関係までもが時として噂になって広まり、いい見せ物になる。近所の店に安心して買い物にも行けない生活は死んでも嫌だった。

プライベートな時間を気楽に確保できて、生きて動いている現実をつかまえながら生きていく生活をしたかった私には、教師なんてはなから無理だったのかも知れない。あんな気詰まりな生活を送っているから、父も母も病気になったりぶっ倒れて大怪我をしたりするのだ。

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大学院に入る直前、私に「現実が大好きでしょ? だったら早く社会に出るべきだよ」と言った友達がいた。全くその通りだったわけである。

 


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02/7/21(日) am 嫉妬する街

通勤定期で渋谷に買い物に行けてしまう、この不思議さ。私の生活は、どこかおかしい。

毎週、週末に買い物に行くのが週間みたいになってしまった。仕事上、いろんな店の品揃えを見たりするのは役に立つし、東京の街に詳しくなるのが必要だと思うし、買い物をどこでするかを決めるためにもたくさん買い物をしてみないとどうにもならないという諸々の理由あってのことである。結構楽しい。

東京はものが多すぎる。ものが多すぎて、百貨店はでかすぎて、わけが分からない。買い物に行くたびにいつも莫大な品揃えを見て、「こんなにたくさんはいらない。」としみじみ思う。

東京怖い街ベスト3が「新宿、渋谷、池袋」の順なのだが、渋谷と池袋に頻繁に買い物に行っているので、だんだんどうにか慣れてきた。渋谷駅前のスクランブル交差点にはいつもぞっとするし、池袋駅前の交差点にもぞっとするが、西武やロフトに逃げ込むとどうにか恐怖がなくなるようになった。

うちからは渋谷が馬鹿みたいに近いので、渋谷に詳しくなれば生活がぐっと便利になるし、通勤定期で買い物に行けるとあって、近頃はもっぱら渋谷攻略に余念がない。

渋谷は毎日花火大会のようだ。人が波のように押し寄せて、途切れることがない。ハーゲンダッツのショップがあって、この炎天下に店外まで何列もの行列が続く。ツタヤの前にはストリートチルドレンのようにいつも人が十数人座り込んでいる。

背中や肩を大きく露出した女の子たちがタラタラとねりあるくかと思えば、金のありそうなOL風の女性たちが日傘をさして歩いている。育ちのよすぎる人と育ちの悪すぎる人、富みすぎている人と貧しすぎる人が平気で交ざり合う不思議な街。服がたくさん入ったマルイの袋をたくさん持って歩く女の子のすぐ隣で、苦しそうに横たわっているホームレス。濃密な香水の香りが通り過ぎた後に、何かが腐ったような悪臭が漂ってくる。本当に変な街だ。異質なものが普通に交わる、恐ろしい街だ。

仙台も異質なものは混じり合っているが、その差がこれほどまでには大きくない。仙台の金持ちなんてたかが知れているからだ。それにひきかえこの渋谷の異様さを目にすると、なるほどこれでは貧しい人の富める人に対する嫉妬がハンパじゃなく大きくなり、犯罪が起こっても全然おかしくない、と思う。どうしてこんな危険な街に平気で10代の女の子が来るのか、理解に苦しむ。

芸能人がなぜ渋谷に来るのかわかった。無数の人たちがぐちゃぐちゃに混じり合うスクランブル交差点の中に埋もれながら、自分ひとりだけ特別だという優越感を味わいに来ているのだ、きっと。林立する巨大なビルたちのど真ん中にぽっかり空いた交差点の真ん中でそういう気持ちになれるのは、とんでもない陶酔感だろうと思う。

 


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02/7/17(水) pm フランクフルトのハイジ

私って何て清く正しく生きているんだろう、と最近思う。

毎朝6時半に起きて、経済新聞を読みながら満員電車にゆられ、朝食を買って出勤。朝食を食べて始業時間となり、一日働いて、帰宅。つましくコンビニのお弁当を食べて、ベランダの花に水をやりながら洗濯をして、お風呂に入り、ゴミを出して、歯を磨いて就寝。

なんと、すごい毎日ではないか。私ってなんて清く正しいんだろう。お酒もたばこもギャンブルもやらない。彼氏もいない。我ながら、ケチのつけようがない修道女のような生活である。みなさんびっくりしませんか? 私はびっくりします。心から。こりゃあ、今年のクリスマスには確実にキリストを生むな、私は。

私はこの狂った東京という街で、実は修道女をやっているのかもしれない。

職場でも私の価値観は相当に浮いている。何しろ、就職からこっちに出てきたという人がとても少ないのだ。みんな学生時代に東京の空気にすっかり慣れて、生活基盤にして働き始めたという人ばかり。私のように、東北の価値観で東京を見る人間は稀少なのである。

一面灰色のアスファルトを見ると、真っ黒でやわらかい、肥沃な土の上にビールケースを逆さまに置いて腰掛け、麦わらをかぶっていた亡き祖父の姿を思い出して懐かしくなる。どこを見ても山だらけだったっけ、山形も仙台も。今ごろは、したたりおちるようなきれいな緑色の木々が枝を揺らしているはずだ。

私は園芸(ガーデニングというほど立派なものではない)が趣味だが、同じ趣味の人も見かけない。スノーボードやドライブなど、消費的で享楽的な娯楽にふける人が多いようで、私のように休日の花の水やりが嬉しくてたまらないなんて言うと、「もっと人生を楽しみなよ」と先輩に言われたりする。変だな、私はこれで十分楽しんでいるのに。

都会で育った人は、生活が貧弱なのかなと思ったりする。私の知っている世界の半分も彼らは知らないのではないか。豊かで美しい世界をあまり知らないのかもしれない。都会は都会で、一部の富裕な地域には上品な美しさがあるのかもしれないが、田舎の豊かさとは根本的に違う。

ど田舎育ちの私は、二つの世Z界を自由に行き来して、両方の世界を比べて見ることができる。それがとてもユニークで、他の人が持っていないものだから、私は密かに自慢に思っている。

私は、自分がフランクフルトに出てきたばかりのハイジのような気がしている。白パンが豊富にあって、緑が少なくて、孤独にさいなまれるハイジ。

田舎は確かに、無分別で粗野な人がたくさんいるし、店を選ばなければ服も靴もろくなものが手に入らない。だが環境という点で言えば、緑が多くて空気がきれいで、時間がゆっくり流れている。

……結局、でも私は、人間の多様さで東京にかなう場所がないから、今のところ東京にいたいのだが。

02/7/15(月) am 人生を楽しむ

人生を楽しむ、っていうことの大切さに、最近気がつき始めた。おかしなことかもしれないが、そういうことを私がしてもいいんだということに気がつき始めた。

例えば、週末職場の若手の先輩(まあ半分は同い年)と一緒にやったフットサルとか、配属先の近い同期十数人と一緒に行くボウリングとか。

そういうことって、本当に余裕が無ければしてはダメなことで、人生の時間の大半は生活に苦しんでいなければいけないかのような強迫観念が、今までずっと続いていた。休日は部屋の掃除に終日費やさなければダメで、あとは金のなさにため息をつくとか、家の中の問題に頭を悩ませるとか。

思えばこれはとどのつまり、私の両親の生き方である。楽しいことをやろうという考え方は頭からすっぽり抜け落ち、今はトイレや風呂を直すのにお金がかかることや、亡くなった祖父のこしらえた老朽化した物置を解体することとか、母の労災認定で200万の医療費がチャラになったことや、家の中の片づけをすることが人生の全てだ。たまの娯楽も、鬼が今にも邪魔をしに来るかのようなビクビクした様子で、人からサービスを受けることが下手だ。

そんな人たちが身近に居る人生を送ってきたんだから、私も毒されるのは当然のことである。人生を楽しむのがど下手でも仕方なかったと思う。そのことに私は全く疑問を持っていなかった。人より重い問題を抱えてるな私って、と思う程度で。

でもこっちに来て、話をして手応えのある、友達がいのある人たちをたくさん身近に見て、いろいろなことを一緒にやるようになって、私は私の生き方が暗すぎるような気がしてならなくなった。まるで、山形の雪の中のようだ。まあ私の両親のような考え方や生き方は、多分に気候とも関係しているようには思うが。

もっと自分自身の利益と幸せを考えて、自分が今の時間をめいっぱい楽しむためにお金を使わなければおかしいと思うようになった。前からそう思ってはいたが、ここまで切実に思うようになったのは、場所が変わって周りに人生を楽しんでいる人がたくさんいるようになったということと、20代が本格的に残り少なくなってきたからだろう。

人生の、たぶん一番いい時期を、くだらないものに費やしてはいけないのだ。親のことや、自分のキャラがどうのこうのという取り越し苦労は、もうやめるべきだろう。親は親で生きていかなければいけないのだし、私のキャラなんて、私の手でどうにでも変えていける。変わりたいと思えば、変われるのだから。

みんながコミュニケートの手段でやる娯楽をやってみると、私も普通にそういうことができたりして、新鮮だ。カラオケも音痴というほどではないし、フットサルも仲間にうまくパスを出してほめられたし、ボウリングでストライクも取れる。

私は私の人生をもっと楽しもう。若さをどぶまみれにしないように。どうせずっときっと、私は私自身としか一緒にはいられないのだろうから。他の人が誰もいない部屋で一生を送るのだろうから。

02/7/11(木) am 東京NIGHTS

小ネタをいくつか。

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(その1)夢を見た。

私は道路の歩道を歩いている。人通りも、車通りもない。二車線の道路だ。すると、道ばたの公衆電話が鳴り出す。

私は驚いてとっさに電話を取ってしまう。すると、聞き覚えのある声がした。もう別れた、前の恋人の声だった(本当はそんな人いないのだが、その夢ではそういう人物がいることになっている)。別れた経緯は最悪で、私が向こうからこっぴどいやり方でふられていた。こっちの気持ちはぶつりと断ち切られ、ぐちゃぐちゃで、思い出したくもない別れ方だった。

そんな奴の声が受話器の向こうから聞こえる。ふと気付くと、すぐそばから同じ声が聞こえる。はっとして顔を上げて振り向くと、そこにその相手が立っていた。携帯電話を片手に、私のすぐ後ろから、わざわざ公衆電話にかけていたのだ。笑っている顔がはっきり見えた(当然、私は知らない人である)。

ぐちゃぐちゃに別れたのに、何の屈託もなくこっちを見て面白そうに笑っている。相手はスーツを着ていて、黒い大きなショルダーバッグを肩にかけ、さらにもう一つ通勤用らしい大きなカバンを手に持っている。そのうえ、何やら白い包みを抱えていた。

白い包みが私に手渡された。それは、小さい赤いバラがたくさんと、葉先が赤く根本にいくにつれ緑にグラデーションしている美しい葉ものと、白いガーベラが一輪だけ入った花束だった。私はそれを受け取り、二人で並んで緩い下り坂を談笑しながらおりていった。

「夢を見ている」側の私には、相手がひどい経緯で別れた恋人だとわかっていて、非常に不愉快な気持ちで彼の行動を見ている。ところが、「夢の中に居る」側のもうひとりの私は、彼からもらった花を見て嬉しそうに笑い、恨みなんて何もない様子だった。まるで昔に戻ったように、仲良く坂道をおりていく。

次にシーンが変わって、私の部屋が舞台である。私は花束を必死にくくってぶら下げようとしていた。前の恋人にもらったあの花束をドライフラワーにするつもりなのだ。でも、花束はうまくくくることができない。ひどくいらいらしながら、何度も何度もくくろうとするのに、花はくくれなくて、そこで目が覚めた。

(その2)金曜日の夜、私はたっぷり買い物をしてアパートに向かうバスを待っていた。

すると、ある上品な老婦人が私に声をかけてきた。

「何を聴いていらっしゃるの?」

折しも私はポータブルCDプレーヤーで宇多田ヒカルを聴いていた。どう答えていいものやら困っていたら、ご婦人は「お若い方の音楽ね」とにっこり笑った。

老婦人の雰囲気は女優にたとえるなら八千草薫。銀のつるの、薄い紫色が入った、大きすぎず小さすぎない大きさのレンズのめがね。若い頃はさぞかし美しかっただろうと思われる、白い頬。目が丸く大きくて、おそらく若い頃はさとう珠緒にでも似ていたに違いない。美しい銀色の髪はきれいにセットされ、少しの乱れもない。洋服も趣味のいいワンピースで、よく似合っていた。

「私は今日コーラスに行って、そのあとカラオケにいった帰りなのよ」と老婦人は笑った。こういうご婦人は私の田舎にはまずいないタイプだから、ぜひ話してみたく思い、しばらく談笑した。最後には「あなたもいらっしゃらない?」とコーラスサークルに誘われ、バスに並んで座って帰った。

聞いてみたら、彼女はなんと私の田舎の祖母と年齢が1つしか違わなかった。車が疲れる、外に出るのは嫌だ、とだだをこねる私の祖母と何という違いだろう。さっぱりとした服装で自由に自分の時間を外で楽しむ生き方に私は驚いた。彼女はもともと声楽をやっていたそうで、音大に通う孫娘の音程のずれがすぐわかって指摘できてしまうので、孫には発表会に来るなと言われている、と笑った。とにかく一緒にいる間、彼女の育ちの良さと、教養の高さを感じつづけたひとときだった。

さすが、世田谷区。ここには本物の金持ちばかりが住んでいる。

(その3)職場の女性の先輩に「もうこっちは慣れた?」と聞かれた。慣れるわきゃない。何たって、渋谷が毎朝の通勤途中で通る駅なのだ。これはおかしい。渋谷がかつて私が仙台に住んでいた頃の北仙台駅と同じ位置づけになるだなんて。

表参道も青山も通る。永田町も通る。パッと聞いて街のイメージがすぐわく地名ばかりである。それが通勤途上の普通の駅になり下がっているというのが私には信じられない。

一体、いつになったら慣れることができるのだろう。

02/7/6(土) am 東北に合わなかった

最近、私は苦しい。「やらなければいけないこと」から解放されると、私はほとんどの時間ずっと苦しんでいる。だけどそれを誰にも言えない。

重たくてしょうがないのだ。この年齢が。それと自分とのギャップが。この調子ではいつか私はぶっ壊れてしまいそうな気がする。とんでもないことをしてしまいそうな気がする。

自分がいて本当に楽しい場所を見つけるのが遅すぎた。東北を出るのが遅すぎたかもしれない。私はもっと早くに東北を捨てるべきだったのだ。私の20代前半をムダにしないために。

……まあ、結果としては全くもってムダというわけではないがおおよそムダにしてしまったので、今更無くなったものを嘆いても仕方がないんだけど。

ああいう状況で、ベストは尽くしたと自分では思う。あの環境でよく頑張ったと自分を褒めたい。自分で自分をこじんまりと規定してしまう、閉鎖的な雰囲気。社会から完全に隔離された状況。みんなが公務員とか教員とか手堅い道を選ぶ中、別な選択肢をひとりで選ぼうとしてたこと自体、無謀で夢あふれる愚行をやってのけたということで。

ただやっぱり、会って収穫のある人に出会える率が、こっちでの10分の1、もしかしたら50分の1くらいだったかもしれない。実のある出会いってものが少なかった。それは男女としての出会いという意味ではなく、人間としての出会いっていうことなんだけど。尊敬できる人や、話をして面白いと思える人が異様に少なかった。

そんなものかと思っていたのだが、こっちに来たら、同期を見回すだけで面白い人は結構いる。ろくでなし率が激減した(ほんとうにこれはびっくりする)。

異性との出会いという意味で言えば、私が大学で会った人たちはほとんどが意気地なしの甲斐性なしだった。「お前、男としてという前に、人間としてそれでいいのか? 生きていけんのか?」と、出会ってから数年の間会うたびに内心叫び続けた人が何人かはいる。

端的に言って、たぶん、私は東北っぽい(純粋に東北人、とは限らない。東北の風土が性格的に肌に合って、なじんでしまう人たちということである)雰囲気の男の人とは根本的に合わなかったのだ。

大学や研究室が合わなかったとかそういうミクロなことではなくて(大学時代に限って言えばそれも多分にあったんだろけど)、小学校から始まって中学・高校時代までひっくるめた自分の人生を総合しての結論だから、もう東北の男の人自体がダメだったのである。それにこっちに来て気がついた。大凶作だったのも無理はない。土地に合わなかったんだから。

東北の男の人たちは基本的に何も言わないし、何も主張しない。傷つくと何も言わずに逃げてあなぐらにこもってしまう。傷ついたのなら、「俺は傷ついたんだよ!」と傷つけた当の本人に正々堂々と言えばいいのに、言わないでひとりでふとんの中でむせび泣くか、仲間と酒を飲みに行って全てをぶちまける。しかも女の子に対する陰口として。そうやって真実をゆがめて、弱い自分を必死で立て直す。

ハッタリをきかすこともなく、大ぼらをふく元気もない。そして何より、自分よりしっかりしている女を嫌う。女の個性が自分の手に余ると思うと、途端に勝負から逃げてしまうのだ。そこにハッタリをきかせて、自分の方が馬鹿だとか弱いと思っていてもそれを出さないで頑張る器量、あるいは逆に丸出しの崖っぷちで頑張る器量、それもなければ劣等感を最大限に表現して不満をぶちまけられる器量があればいいのだが、そういうものがない。

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……このあと、本当はプテラノドンと文鳥のたとえで延々たとえ話を書いたのだが、あまりにもリアルなのでやめにしました。

こんなに苦しいのは半分以上今まで住んでいた土地の風土のせいだったとわかった今日この頃、本当にそうなのかと疑問に思うことが多いが、やっぱり案の定東北出身の会社の先輩とも合わなくて思い知らされることばかりだ。

日に日に私は年を取る。若さをどぶの中に投げ入れながら過ごしているような気がする。

02/7/5(金) am 「ひとりきり」のジンクス

私が東京で住んでいる部屋は、実は仙台で住んでいたアパートよりずっと住み心地がいい。家賃も仙台時代より2万5千円も高いのだから仕方ないのかも知れないが、本当に住みやすい。

今回はちょっと頑張って、棚もベッドも収納も妥協しないで選んで購入し、できるだけ思うとおりのレイアウトにしてみた。そうしたら、本当に住みやすくなってしまったのだ。快適すぎて、休日はどこにも出かける気がしない。

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組み立ての収納をたくさん購入して、大部分を自分一人で組み立てた。先週の土日は、ずっと大型の収納家具を組み立てては片づけて段ボール箱を空にするという作業の繰り返しだったほどである。

ドライバーと金づちを取り出し、手に軍手をはめる。送られてきた組み立て前の収納家具が入っている段ボール箱を引きずってきて開け、中の作業手順をさっと見る。それから猛然とネジを回したり接着剤をつけたりしてどかすかやるのである。

この組み立ての手際が、ここにきて猛烈に速くなっている。

自分が金づちやドライバーを我ながら鮮やかな手並みで使っているのを見ると、私は何となく、これが一生ひとりでいる暗示のような気がしてきて滅入る。1人暮らしの女性が、こういうことに熟練するというのはよくないことのように思えてならない。何事もできるというのはいいことだ、と他人ははげましてくれるが、私の周りの幸せな女の子は誰一人としてこんなにまで組み立て家具を作るのが上手ではない。

一生ひとりでいることになるジンクスはあちこちに転がっている。たとえば、女の1人暮らしが猫を飼い始めること。これは強力なジンクスで、女の1人暮らしが猫を飼うのは本当にまずいと周囲の噂で聞いている。

私は30過ぎまで若々しくいられる自信がない。私服になると中学生でもいけるんじゃないかと今は言われるが、こういう人間は年老いるのが速いような気がする。「子供」からいきなり「オバサン」になってしまうんじゃないかと、恐怖感。

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でも、じゃあどうすればいいかなんてわからなくて、私にできることは、老化を弱めるために日傘と日焼け止めで肌をガードして外出することくらいなのだが。

02/7/3(水) pm これからずっとここに住むんだなあ、という実感

みなさまこんばんは。

入社まもなくにして、「3年目みたい」と同期に言われ、先輩とのなじみっぷりに「すげぇ」と隣の部署の男の子たちからびびられていていささか心外の連打屋です。なじむの当たり前だっつーの。こちとら先輩と同い年なんだよ(言いながら悲しい)。

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会社から帰る途上、地下鉄の駅のホームへ長いエスカレーターを降りる時、毎朝出勤の途中で、巨大な歩道橋を会社に向かって渡っていく時、ふと、ここに本当に住むことになったんだなと最近しみじみ思うことがある。

4月や5月の、あの雲の上を歩いているような感覚はだいぶなくなってきた。部屋が片付き、引っ越しで使った段ボール箱が全て消えて、ベランダの花の苗をビニールポットから素焼きの鉢に植え替えたら、この部屋は本当に私の部屋になった。私はここに住んでいる。

ここに残りたいと言った後で、やっぱり無理だろうなと笑った私に、同期の友人が、私が何となくこっちに残りそうな気がすると言ってくれたことがあった。あの時、やっぱり無理だろうと私は思ったが、それは不思議と本当になってここにいる。

一面では、この夢のような感じがずっと消えなければいいのにと思っていた。この状態を日常だとはっきり受け入れられるようになったら、私はとたんに現実を目にして淋しくてつぶれてしまうんじゃないだろうか、本当にひとりきりで放り出されたような感じがするに違いない、と思っていた。

まさに今、その通りの状態になっている。今週は残業が少なくて家に帰ってからこうして瞑想している時間があるからまだいいが、残業続きで帰りの地下鉄を夜中に待っている時なんて、宇多田ヒカルの「東京NIGHTS」の詞そのままで、違うところはひとつもないほどである。

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仕事の環境には恵まれている。指導についてくれる先輩はみんないい人で、面白い仕事をやっている人ばかりだし、打ち合わせは内外問わずいろいろな人に会えて面白い。職場はきれいだし、理想通り、IDカードをぶら下げて勤務。カードがなければビルにすら入れない。

昨年末の「柏木おみくじ事件」(すでに事件扱い)に始まったことではないが、それを筆頭に、一貫して神様からの私へのメッセージはとてもシンプルだ。「…仕事なさい。」ということなんだろう。

ええ、わかってますとも神様。私はそんなにものわかりが悪い方ではありません。そんなにやれっていうんなら、やりますとも。柏木だって、女三宮なんぞさっさと切っちゃえばあんなことにはならず、仕事一筋ですもんね。どこか虚しくても栄華は極めただろうよ。

運命の猫が飛び込んできても、簾の奥から何か見えても、光源氏が不在で留守でも、強い理性が己を守る。

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元から私は理性のカタマリ。

 

 

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