| 本当に忙しくなった。もうとんでもない話である。
先週は11時過ぎまで残業した日がすでに3日。うち1日は終電ぎりぎり、1日は会社を出たのが1時半。当然終電なんてない。ワセダ先輩とタクシーで帰った。そして、昨日は休日出勤。
つまりどういうことかというと、教育係のワセダ先輩がものすごく忙しくなったのだ。ここ2週間ばかりで、ワセダ先輩の顔つきが一気に変わった。以前は落ち着いた頭脳派の顔をしていたのに、最近は常時、戦闘状態の顔をしている。冷静な魔法使いではなく、ギリギリ状態で戦う戦士の顔である。
下につく時にどっちが面白いかというと、当然今の方なのだが、それはやっぱり自分の首を絞めるらしい。ワセダ先輩の仕事を一緒に手伝って、同じ時間に退社しようとするとやっぱり毎日深夜残業になってしまう。
面白いのは当然こっちなのだが、それで自分の体調がもつのかどうか、気付いたら私も宇多田ヒカルのように卵巣腫瘍でぶっ倒れるんじゃないかとやや心配だ。変わりゆく人を間近で見るのは生長する植物を見ているようで、本当に面白いんだけど(←命取り)。
---- 私は部署では本当に浮いていて、泥臭い。私のような「田舎マインド」を持ったままの土臭い人間が、派手な今の部署にいていいのか?と思っていたら、東京生まれ東京育ちである別部署の企画系の課長から、世の中のトレンドを引っ張っているのは華やかなものにあこがれる田舎者達だ、と半分皮肉気味に励まされてやや気が楽になった。
でも私が派手なものにあこがれているかというとそうではなく、東京に嫌いなところがたくさんあるし、環境としてはやっぱり仙台の方がずっと良かったなとまだ思っている。私が東北から出たのは、私にとって東北の風土みたいなものが生きるのに苦しかったからなのだ。だからといって、仲の良い友達や先輩後輩はみんな東北にいたりするから、人間関係からすると私は東京に居場所はない。まあこれは、入社する前からずっと考えていたジレンマなんだけど。
こっちに来て、私のアイデンティティって何だろう、と考えることが多い。東北にいた頃は「アイデンティティ」なんていう単語の意味を実感することが少なかったが、最近は1日に何度となく訪れる。私の芯とは一体何かを、ずっと考えながら過ごしている。
東大だの早稲田慶応だの恵まれた一流大学で20代前半を過ごしてきた人たちと自分を見比べてみると、大学時代の華やかさが雲泥の差だ。私には語るべき明るい大学生活が何もなかったんだなと思うことすらある。そういう人たちにとって、私は地方の「お山の大将大学」でこじんまりと過ごした、とろい人間に見えるらしい。地をはうようにして過ごしてきた東北での閉鎖的な25年間が私の中に育んだ個性は、部署の中でも東京の同期の中でも一際浮いて、言葉のイントネーションが違うだの、もっと人生を楽しめだの言われるわけである。
だからといって自分で自分を見下す気は私にはない。激しい劣等感にとらわれながら、いつかそれをはねつけてぐうの音も出ないくらいやりこめてやりたいと思うことがある。慶応出のお嬢様より暗かったとしても、マインドで負けるつもりは毛頭無い。たぶんその芯の強さが、こっちの人になくて、雪国育ちの私にあるものだと思うから。
逆境に強いこの個性はたぶん、私と接して評価する人が苦しい状況にある時にしか評価されないものだ。結婚生活で言うなら新婚の甘い時期には夫から「お前は全然面白くない」と卑下され、30代半ばにはその個性を嫌われて浮気すらされて、夫が40半ばを過ぎて大病を患った時、徹夜だろうが何だろうが懸命に看病する私の姿に初めて「お前と結婚して良かった」と言われるのだろう。
どうしてこんなに自分はストイックに生まれついてしまったのか、時々悲しくなる。「お山の大将大学」とか書いてしまってはいるが、私はだからといってそこに入って卒業したことを何ら悪いことだったとは思っていない。確かに自分のマイナスになったことはいろいろ大きなものをあげることができるが、そこでしか得られないものがあったのも確かだ。
派手なぱっとした時間がこれっぽっちもなかった分、人生の根底とか、冬の夜の底みたいなものをのぞくことができて、少なくともこっちの恵まれた人よりは厚みのある人生観みたいなものをはぐくめた気がする。今からこっちの派手大学に入ってみるかと言われてもお断りだ。人が生きるってことをゆっくり考えるには最適の場所だった、たぶん。
それが「とろくて子供っぽく見える外見とは裏腹に年寄りじみている」と職場の周囲からからかわれるが、人間の人生ってのは困難と苦労の織物みたいなものなんだから、そういうことを先にわかっている私みたいな奴の方が今後的にはたぶんいいのだ。
私は負けないし、泣かない。きっと、今のこの時期を踏み越えられるかどうかがすごく重要なのだ。強く踏みしだいて超えていかなければ、私はいつまでたっても大きくなれない。真面目に思索している間に婚期は逃してしまうかも知れないが、それはそれで、納得のいくマイ・ライフってやつだ。苦しんで苦しんで、波を超えていくのが私らしい。
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