| 仙台に行った。行った、というか、帰った、という感覚に近い。最近よく思うのだが、私にとっての故郷はもう山形の実家ではなくて、仙台なのである。
実家では風邪が大流行し、母も電話で非常に弱った声を出していたので、山形には帰らなかった。実家に戻るとストレスがたまってダメだし…私が戻ると、父も母も祖母もすがりつくように私に甘えるから苦しくて仕方ない。それがたとえ娘や孫としての義務なのだとしても苦しい。
というわけで仙台である。
---- (その1)帰って2夜連続で飲んだ。やっぱり女友達は最高。こっちに来て思うのだが、やっぱり、ど田舎の進学校→国立大学というガチガチの努力家コースを歩んできた女の子たちが私と一番考え方の共通項が多くて、話しやすい。
友人たちもそれぞれの道を歩んでいる。この年齢、キャンバスに木炭のスケッチが終わったくらいは人生設計が終了しているのかもしれない。私は一体、どんな風に見えるんだろうか。
……まあどちらにしろ、まともな評論家がアタマをかしげる抽象画か、4コマ目がまだ埋まらない4コマ漫画か、そんな感じだろう。
(その2)仙台にいる先輩が結婚したらしい、という噂を仙台で会った女友達から聞いた。ちょうどその先輩を知っている情報源の女友達含め3名が集合して焼酎を飲んだら、妙にお祝いメールを打ちたくなって打った。
ワールドワイドに言いますが、本当におめでとうございます。実の兄が結婚したようで(まさにそんな感じ)本当に嬉しいです。
この先輩と私は大学時代、お互い「愛を信じていない」が合い言葉だった(悲しいことだが事実である)。先輩は優しいあまりいつも他人のことにばかり一生懸命で、自分のことは後回し。その先輩が、結婚して今度こそ自分自身の、自分だけの幸福をつかんだことが私自身のことのように嬉しくて仕方ない。
もっと幸せをわしづかみにしてハンマー投げのようにぶんぶん振り回し、もっともっと周りに言いふらして見せびらかしたらいいのに、それだけの権利が当然先輩にはあると思うのに、なぜかあまり周りに知らせなかったようだ。なんてもったいない、謙虚すぎる!
ワールドワイドに言いますが、もっともっともっと見せびらかすべきです!!! 金屏風を背に会見開いたって誰も文句は言いません。それぐらい何でもないくらい、今まで他人のためにつくしてあげていたんですから。
結婚指輪なんて、10本指すべてにつけたっていいと思う。足の指にまでつけて見せびらかしてもいいくらい。むしろそうすべきです。選挙活動のように宣伝して回っていい。
たまった恨み(語弊はあるけど、他人の幸せばかり見てきた経験はそれに匹敵すると思う、自らの経験から)を存分に晴らすべきです。
「幸せだー、うらやましいか下々の者よ!! へへーん!! いいだろ!!」
くらい自慢していい気がしますがいかがなものでしょうか。友人たちも言ってました、まだ全然若いのにどうして大々的な発表をしないんだと……まあでも、ひたすら隠して独り占め、っていうのも確かにおいしいですが…そういう作戦…?
(その3)同じ研究室だった旧友と一緒に研究室に行った。内装も何もかも全く変わっていない。隣を一緒に歩いているのも、大学時代と同じ旧友。研究室の椅子に座ったら、まるで今まだ卒論を書いている途中のような気がしてならなかった。
私にとって最も研究室生活が色濃く印象に残っているのは学部四年生の頃であろう。ややこしい人間関係やら、理不尽な学業の現実にさらされて体をぶっ壊し、激ヤセした年である。
大晦日を旧友(今回一緒に研究室に行った友人)とともに研究室で卒論を書きながら過ごしたのもこの学年で、院試に落ちて自分の将来を3日ばかり一生懸命考えたのもこの学年で、結局研究室を捨てる決心をしながら、けれど院にだけは行こうと決意したのもこの学年だ。卒業式の日は、変な着付け屋を自ら選んで失敗し、遅刻しそうになって袴と草履で走った。
つくづく、どんくさくてぱっとしない、けれど印象に残る時間を過ごしたものだと思う。こんな時間を過ごしてしまうと、もうその場所を忘れることはできない。
東京のド派手有名私大卒の人々が聞いたら目を背けそうなくらい地味な生活で、正直言って恵まれていた彼らのことは羨ましいけれど、この質実剛健さは私らしいし、もう私のアイデンティティなのだろう。
世の中、月9ドラマを地でいく大学時代もあれば、私のように時代劇さながらの地味な大学時代もあるのだ(おかげさまで、多少の泥臭さも理不尽さも飲み込めるだけの懐の深さを手に入れている気がする。虐げられた者に残る唯一の財産)。
お世辞にもきれいではなく、大学側のケアが届いている気配もない研究室の椅子に、旧友と向かい合って座ってみた。自分はまだ学部四年生だった22歳のような気持ちに戻れるのに、いつの間にか時は過ぎて、私が院生だった頃に学部2年生だった後輩がもう卒論だったり、まだ学部4年生のような気がする後輩がもう修士論文の年だと言っている。
私が学部4年生だったころ、26歳の先輩なんていったらどうだったろう、と思い返してみる。26歳なんて、ずいぶん遠い年齢に思えたのに、今は自分がそうなのだ。困ったものである。
---- もはやこんな年齢だというのに、客先帰りに打ち合わせで入った喫茶店でワセダ先輩から、
「俺はビール。お前はクリームソーダだ」
などと勝手にクリームソーダを頼まれていていいのか。あんなまんまるのアイスとか、マミドリの液体を普通に飲んじゃってていいのか。しかもおごられてていいのか。それでいいのか自分。
こっちに来てなんだか、年齢に逆行したキャラ立ちになってしまった。研究室にいた22歳の時の方がよほどキャラ的に大人だったはずだ…あの頃は癒し系ですらなくて、普通のしっかり者で、人におごられることなどまずなかったのに…。
こっちに来たら、渋谷からの乗り換えがちゃんとできるか心配され(毎回方向指示)、六本木でここは怖くないかとたずねられ(人の多い街に行くと必ず)、あげくの果てにクリームソーダをおごられるほどの幼児扱い。父からだってここまでコドモ扱いしてもらったことがない。
人は生きているといろいろなことがあるらしい。大学時代の先輩がしっかり結婚しているというのに、私と来たら逆行してコドモになってしまった。もうどうしようもない。ダメだ、私の人生、たぶんオールコメディなのだろう。
まあいいけど。どうせ、結構楽しい人生だと思ってるから…(そう思わなきゃやってられない)
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