| 春になり、私の職場のチーム編成が変わった。
これがまたドラスティックに変わってしまい、客先からの受託仕事をして最も労働集約的に動くチームが、今までの8人から4人に減らされてしまった。
メンバーがまたイカしていて、ワセダ先輩と、リボンちゃんと、アライグマ君と、私。ワセダ先輩と私以外、こないだまで新人だった2年目という未熟さ。私にしたってまだ3年目。
とはいえ、2系統ある仕事のうち、ゼブラ課長ラインの仕事をこなしている3年目以上は私しかいない。このチームで、私の責務は重たい。
その編成が発表になったのは3月の終わりだったが、私はその日1日中ストレスで胸が痛く、不安でずっと動悸がしていた。
あまりに不安で、その夜の打ち上げで私はさすがに耐えきれず、ワセダ先輩に、
「私はとても不安です。今日ずっとストレスで胸が痛くて動悸がしました」
と正直に話してしまった。私がワセダ先輩にここまで自分の窮状を訴えたのは初めてのことだ。東北の女は辛抱強い、というのは真実である。
私が弱音を吐くのはよほどのことと思ったのかも知れない。器が小さくて、今まで上司に意見なんて全然言えなかったワセダ先輩が、この日の飲み会はなんと部長に向かって、
「こんな組織編成はダメですよ! たとえこの編成にしたことに意味があるのだとしても、発表の場でその意図をきちんと伝えなければ不安をあおるだけです。この中で、一番不安に思っているのは誰なのか、部長わかりますか!?」
…と、酔った勢いでやはり酔っぱらった部長に抗議していた。
それを私はしらふの目で(酒なんて飲める精神状態じゃなかった)冷静に見つめながら、
(ふーん。酔った勢いなら多少は上にものを言えるようになったんだ。それなら、チームのリーダーがこの人でも多少は頼りにできるかも)
などと思い、ややワセダ先輩を見直していた。4人だけのチームで、リーダーは間違いないくワセダ先輩だが、これまでは頭は抜群にいいものの器が小さく、基本的には優等生だから、部下が苦しんでも上にものを言って守ってくれるようなタイプではなかったのだ。おちょこサイズの器が、一回り大きなおちょこぐらいには大きくなったようである。
---- そんなわけで、3月から私はバカみたいに忙しい日が続いている。春の日はどんどん過ぎていく。
幸せなのか不幸なのか、最近とても仕事が楽しい。自分なりに工夫をしたり、自分ひとりの判断で仕事ができるようになって、仕事への情熱はますます強い。
もともと私は仕事をするのが好きなのだ。そして最近気がついたのだが、どうやら私はひとりで仕事をするのが好きらしい。私の仕事はデータを分析してレポートを書くという、大学時代にやっていた作業と非常によく似ているのだが、最近は仕事に没頭して、オフィスでトランス状態に陥ることすらある。
ここ1ヶ月は週末かならずどちらかは休日出勤している。ひどい時は、土日両方。眠っている時も、仕事の夢を見ることが多くなった。
昔は架空の人物、会ったこともない人物を夢に見ることが多かったが、仕事の夢では職場の人しか出てこない。一緒に仕事をしていることが最も多いワセダ先輩などは、現実でも夢でも会っていることになる。
…こうして文字化してみると、やっぱり、ありえないな…。どれだけワーカホリックなのだろう。目を覚ましなさい、連打屋。
---- スピリチュアルなアドバイス書などを見ると、「仕事は目的ではなく手段です」と書いてあるが、今の私は間違いなく、仕事をすること自体を目的に生きている。スキルが欲しい。お金も欲しい。もっと認められて、もっとお金を稼ぎたい。
そんな風に仕事をしていると、すっかり心はささくれだってしまう。最近などは、「お前はどうせ人を小馬鹿にしながら歩いているんだろう」などとワセダ先輩に皮肉を言われる。私の心は、そんなにすさんだだろうか。私はただ、人を見るのが大好きなだけで、それが仕事になっただけのことなのだが。私は、嫌な女になってしまったのだろうか。
仕事を本当に頑張っているだけなのだが、そんな女は、男にしたら我の強い嫌な女なのかも知れない。確かに、もう今の私は「できませーん、わかりませーん」なんてバカなこと、間違ったって言いはしない。
こんな私は、もう結婚は無理かも知れない。友人は、どんどん先に行ってしまう。でも私は、小学生の頃と同じ地点に立ちつくしているように思える。来月、私はもう28歳になる。女としては、崖っぷち。もはや旬も過ぎかけだと自分を評価できるだけの冷静さはある。いつまでも夢を見ているわけにはいかないという現実ものみこめている。
でも私は、だったらどうすればよいと言うのだ。誰も、私の前には立ち止まらない。あがこうにもあがけない。
---- 最近私は、こういう現実を考えることすら辛くなっている。「何とかなるかも知れないじゃない」などと脳天気なポジティブ思考に身を任せるつもりには到底なれないが、自分をずっと針のむしろに座らせ続けるのも酷というものだ。
だから私は、考えないようにする。止まって自分の姿を鏡で見たら最後、血の涙が流れそうな気がする。
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