千年の夜明けを誰と過ごすか、もう考えましたか。

 

 

99/12/27(月)am 集客率ノットイコール儲け
(昨日はあまりにリアルに思い出したせいでぶっ倒れてしまった。いかんいかん。)

今日は男だらけの冬期講習(やっぱり怖い、この響き。そしてなんか下品)も最終日だった。

「直前になって『あんときやっときゃよかった。』じゃ遅いのです。テスト5分前に自分の今までの努力が走馬燈のように思い出され、そして自信がよみがえるような、そんな勉強をしてください」

と言った時、1番後ろの席で死んでいた生徒がよみがえったので、

(お前がよみがえってどうする?)

と心の中でツッコミを入れる程度の余裕は出てきた。本日は事務のお姉さんも出勤日だったので、何とか「自分以外の女ゼロ状態」からは脱出した。よかった。

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疲れが顔に出ていたのか、事務のお姉さんに「お疲れさまでした。」と声をかけられた。

「いえいえ。他の(女子高生の猫なで声にでれでれになっているようなふやけたおこちゃま坊ちゃん)先生方(さえ)もなさっていることですから。」   ※()内は無声化

ひどい、今私は思いっきり嫌な女ではなかろうか。と自己嫌悪が兆した矢先、上司がこう言った。

「それはそうかもしれないけどさ、先生の授業は人が減らないから」

「はあ。そうですか。」

まーた集客率かい。そうはおっしゃいますがたかだか10人ですが。それに何ていうかこう…生徒の中には死んだフナのように眠りこけている方もいらっしゃ…

「だって先生、非常勤講師ランキングの上位に入ってるしさ」

「?」

「あそっか。先生まだ見てないんだっけ。H(事務のお姉さんの名前)、先生に例のランキングを見せてあげて」

「はい、これです。すごいんですよ、1枚目のところに。ほら、18位です。」

事務のお姉さんが白いプリントを見せてくれた。それはまさに、うちの塾の非常勤講師の成績ランキングだった。たぶん集客率(出席人数)ランキングであろう。一応うちの塾は全国にあるらしいので、全国オープンのランキングであるらしい。長野やら新宿やら四日市やら、いろんな地名がある。バイト講師はざっと見て全国で150名程度いるらしい。

すると、おお、あったあった。紙の1枚目、18位に私がランクされている。教室で数人いる非常勤の中で1番だというのは本当だったらしい。

「国語の先生で生徒があまり減らないのは珍しいんだよ。大概2時間目でがっくり生徒が落ちるもんでさ」

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上司にほめられたのは珍しいことだった。出席率の高さが教師の良さであるともあまり思えないのだが、一応数字の上では、私の努力(ったって特に何をした覚えもないです)は報われたということなんだろうか。

(クリスマスとか誕生日とかイベントごとのたびに、陳腐すぎるくらい陳腐な「孤独」や「さびしさ」がしっくりくる暮らしで肌も心もがさがさになるけど、とりあえずバイトの仕事のできで困ったことはないかも。)

…と、思いながら帰った。

でもだからといって、この出席率が収入につながるわけでもないんだけど。ああ。

99/12/26(日)am あと1日
G4を買って最も変わったのは、スピーカがついていることだ。

もちろんオプションで特に買ってつけたわけではない。G4のおへそについているスピーカのことである。でもこれだけでもノートの時とは全然違う。

ノートパソコンのスピーカはとにかく音が悪くて、すぐに音が割れてしまう。こんな環境では、マルチメディアとかいいつつも音を聞くつもりにはまったくならなかった。

だが、G4の場合ネット上にあるMIDIくらいなら十分な音質で再生できる。最近になってそのことに気づいたので、今は暇なときは出会ったMIDIを一度は再生してみることにしている。

ここ数日はパソコンに向かう頃にはもうへとへとになっているので、たいがいネット上で見つけたMIDIのページでピアノ曲を再生しながらページの更新をしている。疲れているときはクラシックがいいというのは本当らしい。

今夜はバッハの「G線上のアリア」。それにしてもMIDIって、今はずいぶん音質がいいんだなと感心してしまう。

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今日は今日でまたバイトだった。もういよいよ明日で地獄の冬期講習も終わり。でも明日から年末に5日6日休みがあったところで、クリスマス期間を取り上げられた私の恨みは消えるべくもない。クリスマス手当が欲しいくらいだ。せめてケーキくらい食べる余裕を与えて欲しかった。

ここ5日、私の1日は起床→予習→チャリ→地下鉄→授業→地下鉄→チャリ→コンビニ→お風呂→ネット→就寝というサイクルだ。1日2食。しかもハンパじゃなく疲れるので二度寝して昼過ぎまで寝ないと起きあがれない。

さらに、眠る時間が長いせいか、1日にものすごく水分を必要とする。1日平均1〜1.5リットル(小さなペットボトル2〜3本分)のミネラルウォーターと、200ミリリットル程度の何らかの飲み物(紅茶とかジュースとか)を飲んでいる。増え続けるペットボトルに愕然とする。

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今日のバイトは昨日よりもっとすごかった。今日は事務のお姉さんが休みだったのでもはや女などひとりも存在しなかった。生徒アンド上司全部男。現実を直視せぬよう、ひたすらコピーなどをしていた(直視したらたぶん大変なことになったはず)。

「習うより慣れろ」とはよく言ったものである。今日はなぜか昨日よりはあの怖ろしい状況に少しばかり慣れて、普段の調子で授業をやることができた。(ていうかこの場合何を習うんだ。平気だったのは疲労がピークに達して感覚が麻痺してきたからじゃないのか。)

でもやっぱり、教室入って男の子ばかりが所狭しと並んだ(たかだか10人だが小さい教室なので埋まってしまう)あの光景を思い出すと……うっ

ばたり。

99/12/25(土)am 書きまくり書きなぐり
そういえば24日の朝は凶夢で明けたのだ。すさまじいまでの凶夢だった。

一言で言えば男に捨てられる夢だったのだが、これがまた。いやいやあのですね、だから彼氏いないですって。けれど夢の中ではしっかり彼氏がいて(これが夢の不思議なところ)しかも舞台は真っ白なゲレンデの上なのだ。

念のために言っておこう。私はスキーが好きではない(シャレではない。スキーページのデザインをさせていただいたくせに自分はスキーダメ人間なのだ)。まして、スノーボードなんてやったこともない。この先「おらおら、やらないとこうだぞ(と銃を後頭部に突きつけられる)」とでもならない限り、きっと一生やらないだろう。なのになぜかゲレンデにいて、その男と一緒にスノーボードをやっているらしかった。

これがまた楽しくないのだ。だって別れ話をしているんだから。相手はすっごく不機嫌そうな顔で、「これ以上は迷惑だ、別れてくれ」というようなことを言っていた…ような気がする。ががーん!である。

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こういう夢は醒めてからもっとががーん!である。自分が嫌になり20分くらい起きあがれなかった。そしてご飯を食べて速やかに2度寝した。

こういう夢で不思議なのは、なぜ経験したこともない感情が夢の中ではリアルに体験できてしまうのか、ということである。小説に感情移入するよりもっと生々しい。

「胸が張り裂けそう」という陳腐な形容が非常にしっくりくる感情が目覚めてからもしばらく尾を引いて、2度寝の寝しなまで続いていた。夢の中の設定に忠実に、夢の中の自分は夢の中の相手に相当ご執心(ショックを和らげるためちょっとおどけてみよう)だったようで、そういうのもひっくるめて目覚めてからも余韻が残っているのだ。うう。

朝食のおにぎりを食べながら、意味もなく残っている恋しさのような惨めさのようなどろどろした感情に「うわぁあぁ!!!」などと悲鳴をあげて首を振ったりして、ああもう最悪の目覚め。

そしてその後バイトに行ったら男子生徒ばかりで圧倒されるし、私は女難ならぬ男難の相が出ているのかも知れない。

今思い出しても嫌な夢だ。でもそれがおとといの夜の夢だというのがせめてもの救い。とりあえず、今日がいい日であることを願うのみである。

99/12/24(金)pm イブは彼(ら)と
すごいイブであった。

本当にすごいイブであった。そしてまたくたくた。

今日はどせいさん画像(前回貼りつけた変なもの)すら貼る気にもなれない。ある意味、思い出に残るイブであろう。

とりあえず今日も塾講だった。今日から3日間はセンター試験国語対策。また夜の6時からの大事な4時間あまりを棒に振るわけだ。がっくり肩を落としながら塾に来た。どうせこの3日間、この時間帯に授業をやるのは数いる講師の中でも私だけなのだ。「こんばんはー。おつかれさまでーす」

「先生、これ今日の講座の名簿です」「あ。はい」

「あ、あのうHさん(事務のお姉さんの名前)、もしかして私のセンターの講座の生徒、全員…」

「はい。みんな男の子です」

ふたたび絶句。

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といったわけで、今年のイブは10人あまりの18歳の男の子と一緒に、センター国語を勉強しながら過ごしたのであった。

今日教室に入って10人の男の子と対峙したとき、正直な話ぶっ倒れそうになった。一瞬、「さよーならー」ってテキストを放り出して家に帰りたくなったが、いかんいかんとこらえたのだ。

(お、おそろしい…)

普段の10倍のストレスがかかった。とりあえず最初の70分が終わって、ふらふらになりながら控え室に戻ってくると、事務のお姉さんが一言、

「男子校みたいですねー。」

(あっ…)

男しかいないという事実が改めて突きつけられ、視界がぶれる。倒れちゃダメだ。がんばれ、がんばれ自分。大丈夫、みんな弟だと思えばよい。そう、おとうとおとうと…

そう思いながら次の70分のために教室に入ってみたが、頭でわかっちゃいても再び強いショックを受けた。解説しててもショックで声がうわずるし、大変だった。

ショックを受けすぎていつも以上に疲れたので、今日は塾から早いとこ帰ってきた。

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私は悟った。やっぱり男の子は苦手だ。8人以上男の子が固まっていて、しかも女の子が全然いないと私は深いダメージを受けるらしい。

こんなんであと2日も続くのだろうか…心配。

99/12/24(金)am 続・クタクタ
そしてやっぱり今夜も塾講で疲れているのである。

もうすごい。70分授業をぶっ続けで2つやるだけのことを3日連続でやるのがこんなにつらいなんて。声はかれるわ頭ふらつくわ、だんだん自分の中で余裕がなくなるのがわかるのだ。

そして折しも季節はクリスマスですなあ!!!ってなもんで。だめだこりゃ、むなしさがつのりそう。

しょうがないから稲葉さんに叱ってもらおうと思い"Treasure"をCDプレーヤーにつっこみ、地下鉄に遅れまいと駅までチャリを全速力でこいでたら耳元で切ない「いつかのメリークリスマス」。…あれ? 大学病院前の信号待ちで涙が…。

おおっといかんいかん、こりゃいかん。何曲かとばす。そうそう。これでなきゃね。「♪誰のためでもなーい、自分でえらーんで歩いてーきたこの迷路ーーー!!」そうそう、これこれ。

私は恋愛もクリスマスもなげうち鉄の金庫背負って不思議なダンジョンに迷い込んだトルネコ(ゲーム「トルネコの不思議なダンジョン」エニックス)なのだ。このまま…腐ったパンで腹をこわし、ついでに毒にもおかされた状態のままで脱出するわけにはいかないのだ。

視界は緑に点滅し、ネネ(トルネコの妻。ダンジョンにはいる前にいつもお弁当をくれる)の弁当もとっくに食べたが、まだ雅ちゃん(ドラマ「ケイゾク」野々村係長の愛人。17歳。)のがある。

大丈夫、こん棒(ゲーム「ドラゴンクエスト」初期の武器。エニックス)とフライパン(ゲーム「MOTHER」女の子キャラが持つ武器。任天堂)とチキンナイフ(ゲーム「ファイナルファンタジー5」逃げるほど攻撃力の上がるナイフ。スクエアソフト)でしばらくは……

といったわけで、もう頭がぐちゃぐちゃ。せめてゲームで統一すればいいのに。

フライパンで思い出してネット検索したらこんなものを見つけた。今の私の心理状態に微妙にマッチしたので貼っておこう。ぺたり。

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こんなもの(右上のものである)を貼りつけるという愚行までしておきながら言うのも何だが、こんな時に思い出すってことは「MOTHER」って癒しゲームのはしりだったのかも知れない。

だってこれ(やっぱり右上のものである)を見ると何だか心が落ち着くんだから。さすがだ糸井重里。(そう言えば富士通のタッチおじさんにちょっと似てるな、これ…)

小学生の時初めて「MOTHER」をやったときは「癒しブーム」などという言葉すらなかった。エヴァブームもなかった。なのに糸井重里はいち早く「MOTHER」…「母親」をテーマに据えたゲームを作ったんだからえらい。

しかも敵を殺さないし、斜め歩きはできるし、好物を設定すると家に帰ったらいつでも食べられるし(ちなみに私は「クレープ」だった)、テレポーテーションに助走が必要だし、2時間過ぎるとパパから電話がかかってきて「そろそろやめない?」って言われるし、ラストの大ボスは倒すのではなく音楽聴かせて退散させるし、今思い出してもプレイしたくなるとんでもないゲームであった。

どれをとっても糸井重里のすごさと遊び心を感じるのだが、とりあえず私の心はまだ空しいままなので癒すためにいろいろと貼っておこう。ぺたりぺたり。   

99/12/23(木)pm クタクタ
やっぱり毎日毎日塾講というのは疲れるのである。

休日だってのにクタクタだ。そして今日も明日もあさっても明々後日もバイトなのだ。ああ…

ゆうべバイトが終わって、講師控え室で飲み会キャンセルの友人からのPメールを見ていたら、事務のお姉さんに帰り道で「先生の彼はどんな方なんですか?」と聞かれた。

「いえ、いませんいません」と言ったら「ああ、仙台にいないんですか。遠距離ですか?」と言われこりゃどうしたもんだろうと斜め上を見たところでやっとカンチガイに気づいてくれた。仙台にいないとか、そういうレベルじゃなくて…といったわけで今度からバイト先で人のいる前でピッチを見るのはやめにした。

何もこの時期に好んで墓穴を掘ることはなかろう。空しいのは自分だ。

はっきり言って、もっとつらいのは明日からのスリーデイズ。何しろ夜の時間帯に授業やってるのは私だけなんだから。泣けるね。こりゃ泣ける。イブもクリスマス当日もその次の日もだ。

地下鉄の駅で事務のお姉さんに「いやあ彼氏なんかいたらイブにバイト入れないですよ〜」と笑ってみたものの、(この分じゃイブはこれから毎年稼ぐことになるかもしれない)と哀しい予感(by吉本ばなな)がしたのであった。

99/12/22(水)am 思わぬ敗北感
私はドラマ「ケイゾク」が好きだ。

何ってもう、何から何まで。テーマ曲も好きだし、中谷美紀も好きだし渡部篤郎だって彼が高岡早紀のストーカーをやっていた(もちろんドラマ)時代から好きだし、竜雷太なんて「太陽にほえろ」で山さんの次に好きだったし、主題歌は坂本龍一だし、画面構成もオープニングも好き。こんなに好きなドラマは初めてでくらくらする次第である。

でもその中で1番何が好きかと言えばドラマの中の小ネタ・小道具使いで、もう野々村係長(竜雷太)と雅ちゃん(17)の恋のゆくえやなぜかフラメンコをたしなむ刑事や毎回出てくる包丁持った人や警察手帳に貼ったいちご印の名前シールや全体を通しての青みの照明や柿ピーのビンなど語り尽くせない。

たぶんエヴァと「踊る大捜査線」を多分に意識した作りだろうけどそんなことどうでも良いのだ。主筋よりいつの間にか目がわきにある細かいものに行ってしまう私にとっては最高のドラマなのだ。何よりとても趣味がいい。

特にケイゾク裏ページにある野々村係長の日記は私にとって非常に示唆に富むものであった。他人の日記は面白いものである、ということに気づいた。

野々村係長の日記があんなに面白いなんて…予想してたけど、負けたわ…。

99/12/21(火)am 眠れない、書けない
眠れない。寝過ぎのせいで一向に。

あまりに眠れなかったので、また「No music, No life」を更新すべく着手した(やっぱりここが1番まともなんだろうか、と最近思い始めたため)。

が、これがまた何というか、最近心を揺さぶられるようないい曲がなくて、何について書けばいいのかからしてまず行き詰まった。だからコムロのことを書こうとしたのだが、私の愛があまりにも大きいせいかまとまりがつかない。

ちなみに、愛が大きいとか言ったって別にコムロへの愛の賛歌を書こうとしたのではない。「愛するが故の愚痴の羅列」になりそうだったのである。

それに最近わかったのだ。正しい曲の評価というのは、その曲がリリースされてから1年くらい経たなければできないのだということに。セールスとか流行とか、その時の絶対的な流れの中では正しい評価ができない。リアルタイムの曲だったら、自分も流れに飲まれている最中で見方がゆがんでいるし。本物かどうかは、過ぎてみなけりゃわからない。

たとえばEvery Little Thing。たとえばLUNA SEA。1年前の今頃、この2つがチャート10位以内に全く入ってこなくなくなるなんて想像もできなかった。だからといって、本物じゃなかったから売れなくなった、と言うつもりは全くないが。売れ方というのは不思議だ。

流行とかチャートとかそういう周辺情報がなくなった時に初めて「あ、本物だったんだ」と思える、ということがあるかもしれない。

たとえばモーニング娘。の曲。彼女たちの曲を今きちんと評価することは難しい。周辺情報が多すぎる。彼女たちのたどってきたデビューまでの、そしてデビューからの経歴が、出す曲に全部ぶらさがってくるし、ASAYANのせいでセールスは良かったりするし。

彼女たちの曲については、どこまでを「曲の良さ」として評価し、どこまでを「周辺情報」として切り捨てて良いのか、その境界がよくわからなくなる。本当はとてもダメな集団のような気もするし、周辺情報のせいで低俗視されがちだけど本当はすごいのかもしれないし。彼女たちの場合は5年くらい経たなきゃきちんと見ることは難しそうだなあ。

とこんな風にアーティストと周辺情報の関係について考えていたら、そう言えば私はリリースから時間の経ったものについてしか書いてないということに気づいた。リアルタイムで書いているものでも、ある程度比較対照できる相対基準があるから書けているらしい。

この先もたぶん、少し時間の経った曲についてしか書くことができないかも知れない。おいおい。新鮮さが命の邦楽レビューなのにそれでいいのか?

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しっかし、焦点の定まらない文章だよなあ。どうもやっぱり昨日のショックが抜けきらないせいか、一向に筆が冴えない。眠れないわ文章もうまく書けないわで、何だかまた落ち込みそうである。

99/12/20(月)am 立ち直れない
試験のショックから立ち直れない。試験抜きだったら、今回の東京行きはささやかだが新鮮で、また行こうと思ったはずなのに。

前泊のホテルが南青山で、最寄り駅が地下鉄表参道駅だった。ここがまた、地下鉄の駅からホテルまで歩くほんの十数分の間、街並みのあまりのスタイリッシュさにあきれ果てた。

別にごみごみしていないし、落ち着いた雰囲気で、道路を普通に自転車で乗っても浮かないような場所だという印象をうけた。ところがホテルまで裏道らしい細い道路を歩いているときある建物の前を通りがかった。ヘアサロンのようだが、何だかいい感じで、ガラスの壁に見たことのあるロゴ。

(あくあ、と。……アクア!?)

灰色の、いたってシンプルなコンクリートの建物で、当たり前のようにそこにあったサロンは何と「アクア」だったのだ(本店かどうかは知らないけど)。あの野沢道生で一躍有名になったヘアサロン。現在の美容師ブームの火付け役。思わず立ち止まってまじまじと生「アクア」とその中でうごめくカリスマたちを眺めてしまった。完全におのぼり状態だったが別にいい。ほんとのことだしこの際見なきゃ損だし人通りは特にない。

そうなのだ。人通りが特にない細い道路で、特に目立つ建物でもないのに「アクア」なのだ。「えっアクア?」とびっくりして立ち止まる人が誰もいないほど、ここではこれが当たり前のものであるらしい。そうか。これがスタイリッシュな街のすごい店のあり方、「必殺さりげなさ攻撃」なのね…と私は心の中で呟いた。

もちろん刺激はこれだけでは終わらない。その他、ホテルから近くのコンビニに向かう300〜400メートルの道すがら、やたら趣味良くしかしさりげない店がたくさんあった。良さそうなレストランも何軒か並んでいた。裏道にである。でかい道路から少し離れて車2台すれ違うのがぎりぎりくらいの道路である。

そうかそうなのかとすっかり衝撃を受けて、1軒/分の割合でヘアサロンが現れるしおおこりゃすごいやと目を見張った。でも仙台の店のように気張った雰囲気ではない。あくまでさりげない。土曜の午後なのに「え、すごいですか僕?」と首を傾げているような控えめで静かなたたずまいなのだ。どこも。

つまりそのくらいの水準のものが当たり前ということが、きっと青山のすごさなんだろう、とびしびし感じながら歩いた。すごくいい経験だった。東京はキライだったが、ここなら1年くらい住んでもいいなと思った(服を買う金が続かなくなるから1年が限度)。

それに反して試験場近くの新宿の街は、これでもかこれでもかと巨大なビルが建ち並んで、今にも神のいかずちに撃たれそうな雰囲気であった。試験帰りに目撃した南新宿の高島屋タイムズスクエアに至っては、なんであんなにバカでっかいものを建てねばならないのか疑問でしょうがなかった。遠目で見てもものすごい質量。巨大分銅のようだった。

服だの家具だの、こんなちっぽけな人間のただの身の回り品を売っているだけなのに、あんな身の程知らずの巨大なものは作るべきじゃない。あり方として絶対間違ってる。

それに都庁のあの高さ。人間の手にとても負えない。基本的に人間は手に負えないものを作るべきじゃないのだ。倒れてきても人間の力で支えられるくらいのもので十分な気がする。倒れてきたらどうするのだろう。まったくばかげてる。

新宿で1番面白かったのは、試験会場近くの地下道だった。広いし長いし迷路のようだし割ときれいだし。地下大好き。

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すっかり「東京楽しかった日記」になってしまった。そう、楽しかった。試験以外は。報われないもんだなあ。でも今回の刺激はとても良かった。今度また行こう。試験じゃなく。

ちなみに私が泊まった南青山のホテル。アクアまで徒歩1分なのに一泊素泊まり7000円。実はそれが1番嬉しかったりして。

もし落ちてたら来年の今頃にまた二次試験だが(一応一次は免除される)、また前泊で行こう。

99/12/16(金)am 永遠の断絶
いじめた側に罪悪感はないらしい。

中学の時、部活で私を無視していたグループの中のひとりから、同窓会サイトを通じて私にメールが来た。これが何というか、「中学の時、君は私に何をしてたっけ?」とこちらが疑うほどに調子のいいメールだった。

メールをくれたその子は同じ部活の子で、私がみんなから無視されたり、先輩から部室に閉じこめられたりしていたのを目の前で見ていた(もちろん笑って見ていた)。でもそんなメールが来て、実はあの時この子は目も見えず耳も聞こえていなかったのか?と思った。言葉づかいも年相応の成長や分別が何も感じられない。なんかぐったりしたのでそのメールはうちすてておくことにした。

あの時私をいじめていたグループの女の子たちの傾向として、罪悪感がかけらもないというのは共通している気がする。というか、自分がどれだけひどいことを他人にしたのかがわかってないのだ。

よく、いじめられたら立ち向かえばいい、という論理の人がいるが、そういうやり方は相手がバカすぎる場合絶対通じない。あの時私は最初立ち向かってみたのだが、結局「こいつらバカすぎて何を言っても何をやってもダメだわこりゃ」と思ったので、無視して我が道を行こうと決めたのであった。

実際そのやり方が一番有効であった。何より自分の疲労を最小限におさえられ、3年間何とか耐えて死なずに済んだ。それでもかなりぐったりした。

きっと罪悪感を持つには、ある感性が必要なのだ。一体どんな学習をすればそれを手に入れられるのだろう。それとも、持たない人間は一生持つことができないのだろうか。

「ドラゴンハート」という映画をこの間テレビで見た。この話の中で敵方になる国王は、生まれつき残忍な心を持つ、頭からつま先まで冷酷な人間として描ききられる。彼に罪悪感や良心が生まれるシーンはほんの少しもない。

こんな完全悪の人間がいるか?と私はその時思った。彼だって元々悪かったわけじゃないだろう、何かのきっかけがあればきっといい人間になったろう、と思いながら見ていた。

でも今回のメールを読んだり、偶然ばったり会ったときに何もしていなかったかのような顔で私に声をかけてくるかつてのいじめグループの人間などを見ると、そういう奴もいるのかもと思ってしまう。

私の方は、今さら彼女たちに何も期待していないし、とっくの昔に関係のなくなった相手なのでうち捨てておくだけだけど。

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いじめが今も教育現場で続き、あの時の私よりもっと小さな子供たちを傷つけていると思うと胸が痛くなる。さらにいじめられた側にとって、いじめた側に罪悪感が全くなく謝罪もないことは、単にいじめられたという事実だけよりいっそうつらいだろう。

「人を傷つけた」と気づける感性、そしてそのことを悪かったと思い、相手に謝罪できる心、そういうものをどうやって子供たちの中に養えばいいのだろう。学校教育は何をすべきなんだろう。

成長の感じられない彼女のメールを見ながら、何となくそんなことを思った日だった。

99/12/16(木)am あこがれとは対極の私
バイト先の塾で、どうも私は評価されているらしい。事務のお姉さんがそう言っていた。

しかし理由は喜んでいいのか、悲しんでいいのか、とりあえず「生徒の出席率が良いから」なのだそうだ。

しかも、事務のお姉さんが言うことには、授業のうまい専任講師2人の授業に全然出ない生徒たちが、私の授業にだけは出るらしいのだ。

専任講師の先生の授業はとてもうまい。一度片方の先生の授業を見せてもらったが、これぞ塾講師って感じにてきぱき授業をする。ポイントをきちんと押さえるし、時間をオーバーすることもないし、「エクセレント!」ってなもんだ。私の授業と比べたら、そっちの方がよほどためになる気がする。私もああいう授業をしたいし、もうあこがれ。

なのになぜかそっちの先生の授業にあまりでないのに私の方には来るらしい。……ってことは、私は専任講師の先生のやり方とは違った授業をしているわけで、だとすると私の授業はある意味「ヘタ」なのだろうか。おお、ショックだなこりゃ。

そういえば、春頃に別の講座を持ったときも、他の講座に全然来てない子が私の授業には出るという不思議な現象が発生したらしい。ってことは私にはそういう傾向があるってことだ。

自分の個性を把握するためにも分析せねばならない。だけど「専任講師の対極だから。」という理由はやっぱりショックだ。うう。

なんかちょっとクセのある生徒に好かれる(嫌われない、の方が近いだろう)らしいことはわかったけど、どの辺が好かれるのかやっぱりよくわからない。普通に授業してるし。授業前に生徒に少し話しかけたり出席とったり、感想にコメントしたり、他の先生と全然変わらない。…案外、「背が低いから」か?(ありそうだ、これ)

とりあえず傾きかけた塾にとって、出席率を稼ぎ出せる私は割にいい人材らしい。来年もこのバイトを続けられるかどうかはよくわからないのだが、でもとりあえず曜日によってはできるはずだから続けることにした。

ああでもやっぱり一体なぜだ? 気になる…

 

 

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