マルセル・デュシャン年譜

− レディ・メイドを中心に −

本年譜は、「ものづくりの復権」という立場からデュシャンのレディ・メイドを再検討するための基礎資料として作成したものです。

「レディ・メイド」とは、デュシャンが発案し名付けたもので、日用品等の量産された既製品を芸術家が「選び」、美術品として提示した物を言います。美術史上最も有名なレディ・メイドは、「泉」と題された男性用小便器です。1917年、デュシャンは、彼自身が委員を務めるニューヨークのアンデパンダン展に、R.MUTTという偽名で「泉」を提出し、事実上展示を拒否されます。この事件は、「レディ・メイド」というものを広く知らしめる契機となりました。

これまで、レディ・メイドをめぐって様々な発言がなされてきましたが、例えば、「手技による制作の特権性を嘲笑する」(2000-11-11付の読売新聞の夕刊)といったように、しばしば、レディ・メイドと手によるものづくりとを対立させる観点から解説されてきました。

しかし、デュシャンは、「レディ・メイド作品」の発表と並行して、通称「大ガラス」と呼ばれる代表作「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」を、まさに「手技」を積み重ねるようなやり方で制作していたのです。そして、遺作「1.落ちる水、2.照明用ガス、が与えられたとせよ」によって決定的に示されたように、デュシャンは、その最晩年まで、まるで「職人」のようにものづくりを続けていたのです。「レディ・メイド」の検討に当たって、まず、このような事実を確認しておく必要があると考えます。


トピックス作品
1887

フランスのノルマンディに生まれる。

2人の兄(長兄ガストン、次兄レーモン)と3人の妹(シュザンヌ、イヴォンヌ、マグドレーヌ)。

 
1903 ライト兄弟、エンジン動力飛行機で初飛行。  
1908 自動車「T型フォード」のデビュー。フォードは、この後、T型の製作ラインに流れ作業による大量生産方式を採用した。  
1909 マリネッティの「未来派宣言」。「咆哮する自動車は、"サモトラケのニケ"より美しい。」  
1911

24歳。

妹シュザンヌが結婚(数年後に離婚)。相手は薬剤師。

ピカビアと出会う。

「ソナタ」、「春の若者と少女」
「肖像」、「階段を下りる裸体 No.1」
1912

25歳。

3月のアンデパンダンにて、「階段を下りる裸体 No.2」の題名を変更せよとの展示委員の要求を拒否し出品を撤回。

5月のキュビスム展で「階段を下りる裸体」が初めて展示される。

レーモン・ルッセルの「アフリカの印象」を観る。

7〜8月、ミュンヘンに滞在。「独身者たちによって裸にされた花嫁」と題された最初のデッサン。

10月、アポリネール、ピカビア夫妻と自動車旅行。メモ「ジュラ=パリ」。

秋、航空ショーにて、ブランクーシに向かって、「絵画は終わった。このプロペラ以上のものを誰がなしえるというんだ。」(フェルナン・レジェの回想−文献7の27頁、文献10の39-40頁) なお、文献11の305頁によると航空ショーに行ったのは1908年

「汽車の中の悲しい青年」
「急速な裸体たちに囲まれた王と女王」
デッサン「処女」
「処女から花嫁への移行」
「花嫁」
1913

26歳。

図書館の館員として働きはじめる。図書館を活用して遠近法の研究。

夏、イギリスに滞在。「大ガラス」のメモ。

ニューヨークの美術展「アーモリー・ショー」で、「階段を下りる裸体」がスキャンダルを起こす。

冬、「大ガラス」の実物大デッサン。

「自転車の車輪」(最初のレディ・メイド)。

「隣金属製の水車のある滑溝」(最初の「ガラス」作品)
「チョコレート磨砕器 No.1」
1914

27歳。

「大ガラス」の予備的作品を制作。

「瓶掛け」をデパートで購入。

「チョコレート磨砕器 No.2」
「三つの停止原基」(1913-)
「薬局」
1915

28歳。

6月、ニューヨークに渡る。アレンズバーク夫妻に出会う。

「大ガラス」の制作に着手。

マン・レイと知り合う。

「折れた腕に備えて」(「レディ・メイド」と名付けられた最初のレディ・メイド)
1916

29歳。

アンデパンダン展創立に参画。デュシャンは陳列委員長。

「櫛」
「秘めたる音に」
「旅行者用折畳み用品」
1917

30歳。

「泉」事件。
ニューヨーク・ダダの雑誌「ザ・ブラインド・マン」に抗議文(無署名)と「泉」の写真が掲載される。

「罠」(コート掛け)
「帽子掛け」
「エナメルを塗られたアポリネール」(1916-)
1918

31歳。

「Tu m'」(最後の油絵)
1919

32歳。

妹シュザンヌが結婚。 「不幸なレディ・メイド」

「パリの空気」
「L.H.O.O.Q」
1920

33歳。

マン・レイが、女装したデュシャン(ローズ・セラヴィ)を写真撮影。

「Fresh Widow」
1921

34歳。

「ニューヨーク・ダダ」誌発行。

「ローズ・セラヴィよ、なぜ、くしゃみをしない?」


「Belle Haleine」
1923

36歳。

「大ガラス」の制作を停止。

ブランクーシと知り合う(文献1による)。

ブランクーシの彫刻「空間の鳥」シリーズ(-1941)

「お尋ね者」

1926

39歳。

「大ガラス」の展示。搬送中にガラスが破損。

ブランクーシの彫刻「空間の鳥」が、ニューヨークの税関で機械部品と判断され、裁判沙汰になる。

 
1927

40歳。

フリッツ・ラングの映画「メトロポリス」

 
1932

45歳。

ルネ・クレールの映画「自由を我等に」

 
1934

47歳。

「グリーン・ボックス」出版。

 
1935

48歳。

「大ガラス」の修復に没頭。

 
1936

49歳。

チャップリンの映画「モダン・タイムス」

ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品(フランス語翻訳版)」出版。

 
1937 50歳。 「グラディヴァのためのドア」
1941

54歳。

「トランクの中の箱」出版。

 
1944

57歳。

裸体のデッサン(「遺作」のための最初のスケッチ)。

 
1946

59歳。

「遺作」の制作開始。

 
1947

60歳。

ドローイング「マリア、水の落下、照明用ガス、が与えられたとせよ」(文献9)

「1947年のシュルレアリスム」展カタログの表紙
1948

61歳。

「遺作」の習作のレリーフ「照明用ガスと水の落下がが与えられたとせよ」を制作。(マリア・マルティンスに贈る。)

 
1954

67歳。

ミシェル・カルージュ「独身者の機械」刊行。

 
1959 72歳。 「わが舌はわが頬のうち」
「死拷問の静物」
1965

78歳。大回顧展。

カルヴィン・トムキンス「花嫁と独身者たち」刊行。

 
1966

79歳。

「遺作」完成。

 
1968

81歳。

10月2日、死去。墓碑銘は、「されど、死ぬのはいつも他人」。

 


デュシャン語録

芸術、レディ・メイドとその選択 [1961年]

 そもそも、芸術 art という語は、語源的には、ただ単に、「つくる」を意味します。こう言った方がよければ、「〜でつくる」、さらには「手でつくる」くらいの意味です。ですから、芸術は、手で、そして一般的には個人によってつくられたものすべてです。 (文献5,68頁)
 どうして「つくる」なのでしょうか。「つくる」とは何でしょうか。何かをつくること、それは青のチューブ絵の具を、赤のチューブ絵の具を選ぶこと、パレットに少しそれらを載せること、そして相も変わらず一定量の青を、一定量の赤を選ぶこと、そして相も変わらず場所を選んで、画布の上に色を載せることです。それは相も変わらず選ぶことなのです。それで、選ぶために、絵の具を使うことができますし、絵筆を使うことができます。しかし、既製品も使うことができます。既製品は、機械的にせよ他人の手によってにせよ、こういってよければですが、すでにつくられているものでして、それを自分のものにできます。選んだのはあなたなのですから。選択が絵画においては主要なことですし、普通でさえあります。 (文献5,68頁)
 したがって、選択という着想が、ある種形而上学的に、それほどまでに、私の興味を引いたのです。それが始まりでした。その日に、デパートのバザール・ド・ロテル・ド・ウィル【今の通称デパートBHV】で瓶掛けを買い、これを家に持ち帰りました。それが最初のレディー・メイドになりました。 (文献5,69頁)
 それは、だからこそ、芸術作品という考えではありません、お分かりになりますか。それは、選ばれて、そしていわば、選ばれたから聖別されたという考えです。「定義」としてはかなり明快ですかね。 (文献5,70頁)
趣味のない、無味な何かを選ばなければなりませんでした。それは難しいですよ。もちろん。瓶掛けは見ると美しいと思えても、それはまず無味です [*無味だと思います]。断固そうです。それには [はっきりした] 趣味はありません。したがって、それは、私が望む役割を [確かに] 果たしました。私の選択はともかく、[以前] 私が解体したかったものすべてから影響を受けていないよう私は望んでいました。そうでしたね、問題の難しさというのは。 (文献5,74頁)

芸術、レディ・メイドとその選択 [1966年]

しかし私には 《創造》 という言葉は恐ろしい。普通の社会的な意味では、創造というのはたいへんやさしいものなのですが、実を言えば、私は芸術家の創造的機能などというものは信じません。ほかの人たちと同じような人間、それだけのことです。あるものを作ること、それが彼の仕事です。でも、ビジネスマンだって何かあるものをつくっています。そうでしょう。反対に、《芸術》という言葉には、とても興味を惹かれます。もし私が聞いた通り、それがサンスクリットから来たものなら、この言葉は《つくる》という意味です。ところで、誰でも何かをつくっています。そしてカンヴァスに向かって、額付きの何かをつくっている人が、芸術家と呼ばれるのです。かつては、彼らは私のもっと好きな言葉で呼ばれていました−職人です。われわれはみんな職人です。 (文献8,18頁)
レディ・メイドの選択では、
一般には、《外見》に惑わされないようにしなければなりません。あるオブジェを選ぶというのは、たいへんむずかしい。半月後にそれを好きなままでいるか、それとも嫌いになっているかわかりませんからね。美的な感動を何にも受けないような無関心の境地に達しなければいけません。レディ・メイドの選択は常に視覚的な無関心、そしてそれと同時に好悪をとわずあらゆる趣味の欠如に基づいています。 (文献8,93-94頁)
 アフリカの木のスプーンは、それがつくられたときには、まったく何でもないものでした。単に機能的だっただけです。ところが、その後で、それは美しいもの、つまり《芸術作品》になりました。 (文献8,144頁)

参考文献
1. 東野芳明:「マルセル・デュシャン」,(美術出版社,1977)
2. ゴールディング (東野芳明訳):「デュシャン 彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁,さえも」,(みすず書房,1981)
3. ユリイカ 詩と批評 (Vol.15, No.10) 特集マルセル・デュシャン、(青土社, October 1983)
4. 東野芳明:「マルセル・デュシャン「遺作論」以後」,(美術出版社,1990)
5. ジョルジュ・シャルボニエ (北山研二訳):「デュシャンとの対話」、(みすず書房,1997)
6. 美術手帳 (Vol.50, No.760) 特集マルセル・デュシャン、(美術出版社, August 1998)
7. 菅原教夫:「レディメイド デュシャン覚書」,(五柳書院,1998)
8. マルセル・デュシャン,ピエール・カバンヌ (岩佐鉄男、小林康夫訳):「デュシャンは語る」、(筑摩書房,1999)
9. 週刊美術館「デュシャン/マン・レイ」,(小学館,2000)
10. ジャニス・ミンク:「マルセル・デュシャン」,(タッシェン・ジャパン,2001)
11. ラドゥ・ヴァリア (中原祐介監修、小倉正史・近藤幸夫訳):「ブランクーシ」,(リブロポート,1994)


2001年9月1日更新 (2001年1月28日公開)
日曜鋳物師のページ