私の文字風景August
思うこと、気づいたことなどを気ままに綴る落書き帳です。 -「番外編」がこちらにも-


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 8月の終りに…  - 8月28日 -
写真:夜明けの海8月初日、FMラジオから流れたインドネシア東部の音楽に思わず耳を傾けた。セラム島のアンボンという町にちなんだグループの、民謡をアレンジした曲だそうな。のどかで明るいリズムとコーラスを聴きながら、父の話に度々出てきた地名が脳裏を巡り、悲惨な戦争とのギャップに戸惑った。

先の大戦で召集を受けて佐世保海兵団へ、館山海軍砲術学校にて訓練後、昭和19年3月、呉軍港からシンガポール、ジャワ島スラバヤを経てアンボン島に上陸。作業に従事した後セラム島に向かうが病に倒れ、海軍病院へ向かう移送船が攻撃を受けて爆発炎上。700名中15名が九死に一生を得た、まさに奇跡的な中にいた父は、21年7月に無事復員できたそうだ。

8月半ば、故郷に向かう空調設備の整った二等寝台船室に横たわりながら、徴兵の義務に従うしかなかった時代の、少なくとも父と同じく南方へ向かった海兵団の方々の、蒸し風呂のような船底を想像し胸が痛んだ。

平和な余生を生きる父に聴かせたかった島の音楽は、難聴が進む高齢の耳には残念ながら届かなかった。
戦後59年、どうか何処の国も尊い命が失われることのない平和な世界であってほしいと、終戦の月の終りに改めて思う。
 真実の木(ドラセナ マジナータ)  - 8月10日 -
写真:ドラセナ・マジナーダ2000年冬、甥がフィアンセを伴って遊びに来てくれた玄関を飾ったドラセナ・マジナーダ。小さかった木は成長し、それから二度鉢換えし、室内の天井に届くほどに成長した。

7月半ば、長く伸びた一枝を切り落とした。今日その株の先端に新しい芽が出ているのに気づいた。
切り落とした挿し木の鉢に目をやると、二本に切り分けた葉のない棒にも小さな芽吹きがあった。葉付きの分は、閉じた蛇の目傘のように葉がしおれ、先端の葉だけがわずかに上を向いている。
挿し木の時期を逃がし酷暑の最中に切り落とした株の芽吹きを見ながら、自然界の逞しさに感動させられる。

この春、巣立ちゆく息子に「挿し木のぶんを持って行く?」と問うと、軽く「いらんわ」の返事。人生の門出に、同じく我が家から巣立つ新しい鉢を餞にしたつもりの親心は、どうやら勝手な独りよがりだったようだ。

酷暑の最中に新芽を伸ばし根付きつつある新しい鉢は、親しい友人宅へと落ちつきそうだ。
 立秋の日に  - 8月7日 -  
写真:マテバシイ午後、窓外の曇り空を見上げ、外気を吸いたくなった。久しぶりにデジカメを持って河川敷を歩く。むせ返る草いきれに散歩に出たことを少し後悔する。

足元に、仰向けになり瀕死の蝉が、微かに足を動かしている。地上に出てわずか一週間の命と聞く蝉の寿命のなんとはかないことか。盛夏の焼けつくような蝉時雨のフェードアウトとともに、そういえばこの頃やたらに蝉の羽音が情けない。裏庭の茂みで、平衡感覚を失うかのように、なんとも覚束無い羽音を感じることが多くなった。

そんなことを考えながらの帰り道、行く手の樹木の陰から、帽子の先端だけが見え隠れする人影とケーナの音色が響いてくる。ペルー音楽が好きで、様々な手作りの楽器を奏でる器用なRさんかな?と思いつつ、覗き見をして人違いだったらばつが悪いと、コースを逸れて畦道に向かった。

いつ頃だったか、郷愁をかきたてるケーナの音に惹かれて、その方に頂いたケーナを吹いてみた。ひと吹きするが、全くの空吹き状態で音など出ない。繰り返し練習していると頭がクラクラし、脳震盪を起こしそうになった。それっきり我が家には、状差しに並んだままの二本のケーナがインテリアと化している。

思い切って声をかけなかったことを少し後悔しながら、風のような音色が遠ざかる立秋の散歩道・・・。