私の文字風景
思うこと、気づいたことなどを気ままに綴る落書き帳です。 


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  ふるさと四方山話-- '08.12.21

「銀鏡神楽を訪ねて」
銀鏡神楽('08.12.14)

12月の帰郷時に銀鏡神楽を訪ねた。銀鏡神社の夜神楽訪問は40数年ぶりのことである。 夕方、仕事を早めに切り上げてくれた弟夫婦の車に乗って、米良街道を上り神社へと向かう。 昔暮らした家々の跡を懐かしみながら一時間足らずで、臨時駐車場となっていた中学校の校庭に着いた。この中学校は私の卒業後に新築されたもので母校ではないが、その下には牛舎になった学び舎がある。 牛舎の学び舎と新校舎との中間辺りに銀鏡神社が位置しているのだ。

暖かい師走とはいっても山の冷えは厳しい。着膨れて車を降り、急な石段のある鳥居に向かった。鳥居の両脇に掲げられた銀鏡神楽の幟を目にしたら、長い間の念願を果たせた感動がわいてきた。 神社へと続く暗い石段を上りながら遠い日のことを思い出していた。 早く着いたこともあって人はまだまばらだったが、昔と同じように、飴や玩具を売る出店が出ていて、大きなドラム缶で焚き火が燃えていた。境内には銀杏の大木が一本、立っていた。天にそそり立つ裸木を見上げながら、子どもの頃にも確かにそこにあったはずだと思い出した。 社務所で間に合わせの受付を済ませたが、祭事のしきたりの勉強不足を悔いたのだった。

神楽舞が始まるまでの間、手打ち蕎麦や柚子製品など地場産物を品定めしてから、囲炉裏を囲んだ臨時座敷で米良産の手打ち蕎麦をいただいた。地元産のシイタケ、タケノコ、鶏肉をそえた蕎麦粉100%の暖かい蕎麦がたまらなく美味しかった。
神楽舞の時が近づいたので舞台に向かった。 松明が灯され、筵を敷いた結界の周りを注連縄が囲み、中央の天空には輪状の飾り(天蓋)が施されていた。(銀鏡神楽の専門用語は同郷のくろまめさんに教わりました。ありがとうございます。) 恭しく祭礼が執り行われ、猪頭が奉納されて舞は始まった。 動画・銀鏡神楽

私のコンパクトデジカメで写したお粗末な写真を右上のアルバムに入れました。画像をクリックし、「スライドショー」でご覧くださいませ。 

また同じデジカメで撮った動画を右の写真からリンクしてみました。 よろしければ…

'04春に訪ねた昼間の銀鏡神社の写真がこちらに。

 

「母を想う」

母のふるさと便朝、チルド室から高菜の漬物を取り出して刻む。茶色っぽく色づいた高菜は、私の里帰りに合わせて母が漬け込んでくれたものだ。ほどよく熟成し、素朴な風味と酸味が食欲をそそる。私の帰郷が旬を過ぎると思った母は、春先の道の無人野菜売り場で高菜を買って漬け込み、冷凍庫で保存してくれていた('08.5.13)。

以上は春の帰郷から帰宅した折の記述だが、今回も母は私の帰郷に合わせて白菜漬けを作ってくれていた。 私が漬物を好むと話したことはないが、そう思い込んでいるらしく、必ず漬物を準備して待っていてくれる。買ってきた白菜を日に干してから漬け込むそうで、こうすると嵩が減り旨味も増すからだそうだ。 帰省翌朝の膳に添えられた白菜漬けは、母の心がそのまま詰っているようで、ありがたく味わったのだった。 



「おもてなしの心」

戸口のスイセン去る朝刊に、ノーベル物理学賞を受賞された益川敏英氏の寄稿として「おもてなしの心」が掲載されていた。 たとえ話に出すには大変失礼だが、今回も母が持たせてくれた白菜の漬物を食しながらそんなことを思い出した。 

田舎の暮らしは素朴であたたかい。客が来ると「茶でも飲んでいきやらんや」と必ず声をかける。些細な用事で立ち寄った村の衆は、上がり框に腰掛けてお茶をいただく。丸盆には湯呑みに注いだ緑茶とともに必ず漬物が添えてある。家人は、漬物鉢の沢庵漬けや梅干などをお箸で取って客にすすめる。客は会釈をしながら掌に受けて口に運ぶのだ。 ずいぶん昔のことになるが、関西育ちの夫と結婚して初めて私の田舎に挨拶回りをしたときもそうだった。訪ねる先々で出してくださるお茶と漬物には正直面食らったと、当時の思い出をふり返っていた。 昔から続く漬物でのおもてなしは今も少しも変わらないようだ。

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