私の文字風景
思うこと、気づいたことなどを気ままに綴る落書き帳です。 


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  ふるさと四方山話--- 2010

「思い出をたどれば…/50年前の銀上(しろかみ)小」


写真:恩師宅の庭のクサイチゴ('06.05.04)少し前の散歩道で、白い大きなタイサンボクの花に気づき、ふと、恩師のお庭の老木にも咲いているだろうかと思った。大輪の花を見上げながら日頃の失礼を悔い、近々近況報告をと思っていた。そんな矢先に、遠い日の学び舎を紹介した宮崎日日新聞の切抜きを同封した恩師からの封書が届いた。

「あなたたちが小学生の頃だと思います。見覚えのある友はいませんか。甲斐優君はやさしい男子だったと思います。」と添えられていた。

※切抜きのコピーは、こちらでご覧ください。

切抜きを送ってくださった恩師は中学生の頃のクラス担任で、社会科と、国語・英語を教わった。厳しくて硬派なイメージを持ったまま大人になった私だったが、ひと昔前の再会をきっかけに、再び交流させていただくようになった。中学生の頃の教科とはまた違った教えを請う恩師にいつも感謝している。

古いアルバムのなかに見覚えのある人は見つけられなかったが、素朴な顔立ちの面々に、忘れていた昭和の時代がしのばれた。裸足で校庭の朝礼台に向かって並んだ子どもたちの実直な姿がなんともせつなく、懐かしい。

撮影された滝先生は、小学生だった妹の担任になってくださったことがあったようで、病気で休んでいた妹を気遣って家庭訪問してくださったことがあったそうだ。時おり母は、貧しかった我が家は先生にお出しするお菓子もなくて、梅干しをお茶請けに差し出すことしかできなかった失礼を詫びながら、当時のご恩を思い出すように話してくれていた。

恩師のお便りにもあった甲斐優さんは、名は体を表すという、まさにそのままの穏やかな人だ。 今でも真っすぐに到着する記憶は、私がまだ10代の頃だったろうか、帰郷して再び都会へ発つ時に、何度か車で空港まで送ってもらったことがあった。まだ交通の不便な時代で、親戚に当たる彼に両親がきっと頼んでくれていたのだろう。 カブトムシのような形をしていた車の記憶が懐かしく、今調べてみるに「スバル360」だったのかもしれない。田舎ではまだ珍しかった車に乗って、私はよく車酔いをしていたのだった。

一枚の「古いアルバムから」様々な思いがよみがえった。 人情深い故郷にこれまでたくさんお世話になって、今の私(たち)がいる。改めて、心から感謝である。

<写真は2006年5月4日、恩師のお宅のタイサンボクの老木の下に実っていたクサイチゴです。「道端で採ってきた一株が増えたのよ」と、奥さまがおっしゃっていた。今年も赤い実がたくさん実ったことだろう。>


ウェブ版宮崎日日新聞を見ていたら、6/13付「地域の話題」の中に、西都市銀鏡地区でホタルが乱舞…とありました。話題につられてネット検索したら、場所を案内した「ホタルへの道」としたサイトに出合いました。懐かしい写真満載だったのでこちらに紹介したくなりました。
子どものころに、夢中でホタルを追いかけて肥溜めに落ち込んだ苦い思い出がよみがえりました。
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