私の文字風景と名づけた気ままな落書き帳・番外編です。

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 巣立ち - 2005.1.20・編 -


最寄の駅からいつも一言、「今から帰る」と息子のぶっきらぼうな電話があった。帰宅と同時に温かい食事にありつく理由に他ならないのだが。

過日、夕食時に「帰るコールももう少しだね」と言うと、「引越しの時に泣かんといてや」と返ってきた。 へぇー 私が泣くと本気で思ってるんかいなと拍子抜けするが、考えてみれば、心配性で、なかなか子離れできない母の気持ちを察してのことなのだろうか…。

あの会話から10日余り、少しずつ荷造りをし、今日山積みの引越し荷物と共に我が家を巣立っていった。住居の一室を占領していた楽器や家具などの生活道具が消え、ゴミだけが残った部屋には、長い思い出と共にほんの少しの寂寥感がよぎる。

2年前、夫の定年を兼ねた小旅行先を奄美大島を選んだ息子は、旅先で同じ職場の女性とケイタイメールを通して、頻繁に島の観光案内をしてもらっていた。今思えば彼女の生まれ故郷を知りたかったのかもしれない。

不器用な生き方は親譲りだが、しっかり者の彼女と共に仲良く健やかに暮らしてほしい。
空いた部屋には大きな長椅子一つを置いて、夫と二人、のんびり暮らしたいものだ。これからは、「今から行くわ!」のコールと共にやってくる、若い家族の訪問をちょっぴり期待しながら…。(2004.5)

 家族旅行 - 2005.1.20・編 -
写真:ホノホシ海岸(奄美)
一昨年早春、夫の定年退職を機会に家族3人、久しぶりの旅行に出かけた。

子供が幼い頃は、家族でよく遠出や小さな旅をしたものだった。思春期にさしかかると、息子の口数は減り、親子での行動などほとんどなくなった。そんなおり今回の記念旅行の行き先を、奄美大島に選んだのは息子だった。

3月、空港に初めて降り立つ私たちを、奄美の温かい雨が迎えてくれた。
予約したレンタカーに乗り込み、息子がまずハンドルを握る。南下する沿道の景色は物珍しく、地上に競り上がったガジュマルやゴムの木の太い根に驚き、樹海に際立つ大物シダを思わせるヒカゲヘゴには圧倒された。

マングローブ林の干潟の生き物たちにはしゃぎ、若い子育ての時を思い出した。小休止したマングローブ館では奄美大島出身の歌手、元ちとせの「ワダツミの木」が繰り返し流れていた。神秘的なその歌は、帰宅後しばらく脳裏に繰り返し、水に浮ぶ広大なマングローブ原生林と重なった。

初日の宿泊先では、野菜を自家栽培されているスタッフの方から、発芽を促したオクラの種を数粒いただき、ジャガイモ掘りに誘われた。出発時間の都合でジャガイモ掘りは断念したが、三日間、蒸し暑い車中に耐えたその種を、帰宅後大事に育て、オクラ日記に記したことも懐かしい。

旅の間、奄美出身の職場の仲間に、島の観光スポットをメールで尋ねていた息子は、その道案内を務めてくれた女性と、この春新しい家庭を築きます。水辺で聞いた爽やかな河鹿(?)の鳴き声を思い出しながら、人情も自然も穏やかだった奄美大島がいっそう身近になりそうです。(2004.春)
  薬師寺からの帰り道 - 2004.9.1・編 -
写真:薬師寺
電車待ちの駅構内でお手洗いに行ったときのこと、一室しかないドアの前に年配の女性が立っていた。順番を待つ私に、「すみませんね」と一言。どうやら中の連れをお待ちのようだ。洗面所の鏡に向かっていると再び「ごめんなさいね」とおっしゃる。「いいえ、急いでおりませんので…」と、私は場を外した。

待合椅子に戻ると、程なく先ほどの方が、20代と思しき女性の手を取り出てこられた。色白の細面の女性はこちらに顔を向け、聞き取れなかったけれど、指差しながら短い言葉をかけられた。指先に目をやると、椅子の下に私のハンカチが落ちていた。思わず「ありがとう」と笑顔で答える。
私の隣に腰かけて待っておられたお父さまらしき方と3人で、反対ホームの階段をゆっくり下りていかれた。

ご年配のご両親に見守られながら、一段一段下りて行かれたご家族を見送りながら、フォークロア調のスカートが良く似合う、清楚な女性の後姿がとても印象に残った。

繰り返し「ごめんなさいね」とおっしゃったお母さまの言葉を思い出している。ハンディキャップを持つ子の母として生きて、今まで何度もそうおっしゃったのだろうか。謙虚な方なのだろう。遠慮は無用ですよ、と心からお伝えしたい気持ちになりました。 (2002.10.)
  三つ子の魂 - 2004.9.1・編 -
写真:シュウメイギク
先日ハイキングに出かけた時のこと、沢の濡れた石の上を歩くとき、滑らないようにと無意識に体が反応する。山で育った私の脳裏に自然に備わった感覚である。もしかすると都会で育つ子どもには身につき難い感覚かもしれない。幼い時の体験が、良きも悪しきも後々にまでいかに影響するか、改めて考えさせられた一瞬だった。

休日の公園で、幼い子連れの若い家族が、ぐずる子どもに手をやいていた。3、4歳だろうか、自分の意思を通そうとしつこく駄々をこねている。幼い子どもなりに意味があっての「反抗」なのだろう。
じっと待つ若い父親に、果して自分はどうだったろうかとふと考えてしまった。子どもの気持ちになって考える余裕など持ち合わせていなかったように思う。

ある異国の友人との会話で印象深い思い出がある。幼い子どもの面前で決して子どもの悪口を言わないこと。たとえ井戸端会議の場のへりくだった意味であっても、子どもは親が考える以上に鋭敏な感覚を持ち、大人の何気ない言葉をも素直に取り込み傷つくことがあると。

年を重ね、子育ての当事者から遠ざかり、被写体を引いてから見えてくるものがある。我が子育てに関してはすっかり後の祭りだが、視点を変えて考えられたらと思う。 (2002.10.)
  夢の島  - 2004.9.1・編 -  
写真:木彫りのアクセサリー
去年夏、某新聞日曜版の「踊る島」と題された礼文島の記事を読み、無性に行ってみたいと思った。
宿舎の前で、夕日に向かって両手を広げ、悠々と踊る若者たち。 『心とからだを傷つけて、北の果てまで来た旅人を、迎えてくれる、桃岩ア・ゴーゴー』。 内気な私も、心を開放し仲間に混じって無心に踊れそうな気がした。なんとも勝手な錯覚である。

1年経ったこの夏、礼文の花を撮りたい希望も加え決行する事にした。不慣れな初旅に、運良く直行便のツアーを見つけ便乗することとなった。猛暑の関空からひとっ飛び到着地の利尻は冷たい雨が迎えてくれた。

翌朝念願の礼文島へ。移動中のツアーバス車窓から、無常に通過する美しい被写体に未練が募る。旅の選択ミスは次回への参考にと気分転換する。追いまくられるツアー行程に少なからず欲求不満を感じたが、旅行者の安全を考え、見所を最大限に活かす添乗員さんの心配りには大いに感謝している。

帰宅後、礼文の木彫りのアクセサリーと真珠のような雨粒を宿す花の写真を眺めながら、やっぱり憧れの島に気持ちは飛ぶ。
やっぱりあの場所に立ち夕日に向かって踊ってみたい!過去の日曜版を再び開き、来夏への夢を追ってみる。 (2002.7)

が、あれから二年目の夏が過ぎ、今以って見果てぬ夢の最中である…。