写真:青砂ヶ浦教会の鐘楼
長崎さるく



新上五島の
古い教会を訪ねて
('09.10.14-16)
写真:青砂ヶ浦教会ステンドグラス
以前からいつか訪ねてみたいと考えていた五島列島のカトリック教会を目当てに、長崎を旅してきました。発つ2、3日前からの風邪気味が気になったが、前夜に飲んだカコナールが効いたか、風邪気味を維持したままで決行できてなによりでした。

10/14
午前7時55分発のJALで長崎へ。機内のアナウンスで当地は雨模様と伝えていたが、着いたころには太陽が出ており、幸先のよいスタートとなった。リムジンバスで宿泊先のホテルへ向かい、荷物を預けて街に出た。 市バスやタクシー、路面電車など、人より交通機関の方が目立つ印象だったが、交通機関を他所に、「長崎さるく」の旗がひらめく町中を地図を片手に歩く、さるく。

ホテルのすぐ近くだったオランダ坂は後回しにして、大浦天主堂からグラバー園(邸)へ。こちらは30余年前に訪れたことがあり、記憶をたどりながら歩いた。 グラバー園には当時はなかったエスカレーターや、長い動く歩道が設置されておりバリアフリー化の時代を思った。

園内の複数の邸宅を歩き回り、今朝4時起きの軽食以来のお昼にありついたのは昼過ぎだった。お腹を満たしたところで市街に戻り、明日の乗船場所の下見も兼ねて大波止ターミナルに立ち寄り長崎駅へ。食後の運動にもちょうど良く、町並みのもの珍しさも手伝って、行き交う路面電車は街の風景として眺めただけで、もっぱら街の散策を楽しんだ。 

写真:左から大浦天主堂・グラバー邸内・日本二十六聖人殉教碑・オランダ坂

長崎駅から再び地図を頼りに「日本二十六聖人殉教地」へ。 全くの予備知識なしだから、これからカトリック教会を訪ねようとしている者としては避けては通れない場所だろう。記念館に入るゆとりはなかったが、記念碑を仰ぎ、手を合わせた(十字を画く方が正しかったかもしれないが…)。 晴れ上がった空は真夏のようで暑さもこたえ、そろそろ疲れて帰路につこうと歩いていたら、突然目の前に白い館の中町教会が見えた。ちょうど業者さんが剪定作業をしておられたが、門をくぐって中に入り見学させてもらった。

一回りまわって、宿泊先のホテルに向かう途中でオランダ坂やフランス交流館に立ち寄った。ちょうど学生さんの下校時で、木漏れ日の揺れる石畳の坂を下ってくる女学生たちの風景が絵になっていた。

10/15
ホテルを出て長崎港(大波止ターミナル)に向かい、午前8時出港の五島産業・高速汽船で一時間半。鯛ノ浦港に着くと、予約していた有川タクシーのドライバーさんがプラカードを持って待っていてくださった。同世代と思しき方で、一日お世話になるので少し気になっていたが、気さくな感じの方でほっとした。

用意してくださった行程表には、新上五島の名所も含まれていたが、今回は教会めぐりが目的だったので、名所を外して教会めぐりのみをお願いした。教会だけでは飽きるだろうとの心遣いだったようで、希望に快く応じてくださった。


写真:左から鯛ノ浦教会・頭ヶ島教会・青砂ヶ浦教会・高井旅教会

まずは旧鯛ノ浦教会(明治13年設立)へ。レンガ造りの旧教会は資料館として保存されており、その傍らに新しい教会があった。鐘楼のレンガは原爆で崩壊した浦上天主堂の被爆レンガを使っているのだと説明を受けた。敷地内に湧き出る「マリア様の水」を空のペットボトルにくんでくださった。普段親しむことのないマリア様の像に異文化を感じ、少し緊張感を覚えたのだった。 

その後は今回最も期待していた石造りの頭ヶ島教会へ。大正8年竣工のこの教会は国指定重要文化財に指定されているそうだ。 重厚な造りの外壁を見上げながら、長いキリシタンの歴史が過ぎった。島内の石を切出して積み上げられたそうな切石積の所々に数字が彫り込まれており、説明を聞いたはずだが覚えていないのが悔やまれる。十字を冠した最寄りのキリシタン墓地へも案内してくださったNドライバーさんは、この島で生まれ育ってこられたそうだ。

お昼に五島名物のクジラ料理をいただいて、青方教会、冷水教会を訪ね、頭ヶ島教会と並んで国指定重要文化財に指定されている青砂ヶ浦教会へ。 どの教会にも扉に鍵はかかっておらず、自由に中に入れたので室内を写させてもらったが、特に青砂ヶ浦教会は、ステンドグラスを透過して描き出す明かりの美しさに感動させられた。

写真:左から大浦教会・中ノ浦教会・佐野原教会・福見教会

移動中のタクシーの車窓から眺める五島の自然はのどかで美しかった。 大曽教会、跡次教会、佐野原教会、中ノ浦教会、大浦教会、高井旅教会、福見教会、浜串教会と、海沿いの民家や村に点在する教会に次々と立ち寄った。日も暮れて、最後に訪ねた浜串教会ではミサが行われていた。 浜串教会を下った海辺の漁港近くに立つ、航海の安全と大漁を願って建立されたという「希望の聖母像」を案内されて、名残惜しい一日の教会めぐりが終った。

写真:左2枚目から中ノ浦教会、浜串教会、希望の聖母像

10/16
前日のNドライバーさんに鯛ノ浦港まで乗せていただき、午前8時出港の便で長崎港へ。長崎といえば平和公園を外すわけにはいかない。私は修学旅行で訪れたことはあるが、まだ一度も行ったことがない夫の希望もあって、路面電車に乗った。路線図の案内に従って松山町で下車。 町の案内板を確認してほどなく着いた。

「原爆の時、すべて焼野原となり そして人々はのどが渇き水を欲しがりました。どうぞ花に水を与えて下さい」 そう記された原爆殉難者之碑の前で修学旅行生が被爆体験の語り部さんの説明を受けていた。 私たちも碑の生花に水をかけて合掌し、中央の平和記念像に向かった。
昔の記憶では薄汚れた記憶でしかなかったが、真新しい青碧色の記念像は上空を指差して静かに目を閉じていた。 たしか中学の修学旅行では皆で折った千羽鶴を持参したような記憶があるのだが…

写真:左から浦上天主堂の窓・平和公園・原爆落下中心地公園

平和公園を後にして、浦上天主堂へ。浦上天主堂から、原爆資料館、原爆落下中心地公園へと急いだ。原子爆弾投下地点を記す碑に、ちょうど灰色の雲間から太陽の光が反射して眩しく、悲惨な記憶を留めておくよう教えてくれているような気がした。 碑には「昭和20年8月9日午前11時2分、一発の原子爆弾が、この地の上空500メートルでさく裂し、一瞬、73,800人の尊い生命を奪い、76,700人の負傷者を出した。 …以下省略します…」と記されていた。傍らには原爆で倒壊した旧浦上天主堂の遺壁の一部が移築してあった。 空港までの移動時間が迫っており、平和公園も原爆資料館の見学も、本当はもっと時間がほしかった。

急いでバスターミナルに戻り、リムジンバスで長崎空港へ。 出発の時間待ちの間に売店で見つけた、長崎県の季刊誌 『ら 樂 く』の見出しにつられて購入し、ページを開いたら「無人島に遺された教会堂」として野首教会が載っていた。そこで初めてこの教会が最も訪ねたい教会だったことに気づいた。

いつの間にか頭ヶ島教会と混同してしまっていたようだ。廃村の筈の様子が違うなと交錯する頭の中の疑問符をなだめすかしていたのだったが、旅の終わりで真実に気づいただけでも良しとしよう。
午後2時30分、またの楽しい宿題ができたわ!と自分を納得させて、一路機上の人となったのだった。


<後記>
帰りの搭乗ゲートの手荷物検査で、バッグがひっかかった。「中を見せてもらってよろしいですか」と係官。そこで気がついた。液体物持ち込み禁止に、風邪対策に持参したカコナール(風邪薬)一瓶と、マリア様の水を入れたペットボトルがひっかかったのだ。封を切っていないカコナールはそのまま返されたが、ペットボトルは、成分を読み取る機械(だろう)にかけて返された。 幸いに出番なく共に旅をしてくれたカコナール、行きの手荷物検査では何事もなく通過したのだったが…


お世話になった有川タクシーのNドライバーさん、いっしょに記念写真をとお願いしたら、(私を撮ったら)カメラが傷むのでと はぐらかされ、良い肌色ですねと語ると「色を塗ってます!」と真顔で返させる。 ユーモアに疎い私は返す言葉に戸惑って、ただ微笑むだけであった。 仕事のない時は、いつも自家用のボートを出して釣り三昧の日々だそうで、島の太陽と仲良くされているのだろう。この次は奥さんだけ教会を回ってもらって、旦那さんはいっしょに釣りに行きましょうとおっしゃった。 釣り好きの夫にはその方が本望だったろう。 Nドライバーさん、ありがとうございました。
写真:左から青砂ヶ浦教会内と鐘楼、冷水教会の窓、青砂ヶ浦教会内ステンドグラスの明かり

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