第一歌集
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(201〜300)

腕巻きを貸せと言われて若き娘が 裏ぶた塵紙で拭いて棒ぐる

障害で頭痛耳鳴りに眠られず 夜な夜な庭に立ち出でて見る

肉親の温もり知らず中国に 戦災孤児等生き伸びたるか

過分なる幸などあれと願わずも 嫁ぎゆく娘に幸なあれかし

子等思い長き冬の夜白み来て 現に聞きぬ朝のサイレン

芽吹きたる簾れ柳に風ふきて 揺らなう枝の重たげなりき

久々に町の通りで出逢いたる 吾子の一人と昼餉楽しむ

大木の林に独り入りゆけば 懸巣鋭く鳴いて飛び交う

軟らかき若芽の萌ゆる山肌を 春一番の吹き荒らしゆく

腰鉈を刀の如く研ぎすまし 切れ味はやと青竹を切る

瀬を走る鮎は銀の肌色の 光りを空にきらりと放つ

酒断ちて何か心のうつろなり 吾が世に春も来ぬ如くなる

振動病の手指の痛み耐え難し 私病に悩む事なき吾が

太陽の光集めて輝けり 一ツ瀬ダムの白き城壁

憂き事の思いも知らぬ人なるや 唯集まりて燥ぎており

老杉の茂りて暗き氏神の 社の森にむささび鳴けり

入院の初日暮れゆく病室に そぼ降る雨や部屋の寂しき

乳色の病棟の五階の屋上に 湯布院の町独り眺める

手術する時は刻々迫りくる 雑念かさみて吾は語らず

抜き出で高き病棟の 中央眼科に吾入院する

時折に甘酸い香り流れ来る 見舞いの品にりんごあるらし

建物の犇めく街の唯中で 夕陽に泳ぐこいのぼりあり

飾り気のない病室の白壁に 柱暦の目に引きにけり

癒ゆる日を夢見る如く病室の 白きベットに今日もまどろむ

音にこそ聞こえはせねど山々は 鳴り交う如く若芽吹きくる



野兎の駆けゆく如く草間より 舗装道路を毛虫横切る

米良渓に山魚求めて入りゆけば 熊笹の中にカモシカのおり

真夜中の峯啼き渡る時鳥 短き夏の夜何故に騒ぐや

陽盛りの裏道行けば梔子の 花の匂いの漂いてきぬ

白ろうする指の疼きに苛立ちて 八つ当たりする吾のおろかし

廃物となりて行くかも振動病に 病み疲れゆく身も心も

新築を祝う春より雀らは 飽きず毎年巣作りにくる

人生の春は御国の盾となり 老いたる今は障害を病む

同窓と呼ぶ友はない吾なりき 学舎の庭も知らざり故

煮魚の骨を抜きつつ酒汲みつ 終戦の頃の生活し思いき

初陽出ず日向の洋の静かさよ 霞も雲も晴れ渡るなり

盆栽の欅に宿る朝露の 真珠の如く光り輝く

薄氷の湖の上を渡るかに 補償で暮らす命寂しき

渇水で井戸水乾き貰い水 お流れを汲む正月さびし

干涸ゆく瀬江川筋の水溜まりに 集う小魚を五位鷺狙う

悶々と悩み果てぬる日こそなし 人の浮き世の常か知らねど

畦焼きの炎に追われ芦原を 韋駄天に駆ける野兎あわれ

窓に見る白水谷の峯々も 春のかすみに薄れゆくがに

目覚めては強張る右の手指をば 左の手にて今夜もほぐす

将来を宇宙に賭けてフロリダの 基地に消えたる英雄あわれ

立ち並ぶ人垣破り野兎は 野火をくぐりて駆け抜けてゆく

静かなる朝のひとときストーブの 笛蓋のやかん高らかに鳴る

荒々しく畑駆けゆく野兎が 芦原に入り姿消えたり

病める身を乾布摩擦で鍛えつつ 振動病の癒ゆる日を待つ

南郷の白水山に立ち入りて 樅の巨木に威圧を感ず



湿原に落ち葉貫きいたどりが 赤き産芽の萌え出でにけり

晩酌を飲めば脳裏に浮かびくる 飢えに苦しみし終戦の頃が

三日月の淋しく光る夕空に 長旅に立つ鴨の群ゆく

水温む一ツ瀬ダムの鴨ら立ち 遠ちこちに咲く山桜かな

独裁の政治に破れしマルコスの 落ち行く先は何処なりしや

春雨は欅の枝にまつわりて 真珠の如く今朝は輝く

春風の訪れ知るや枯れ野原 薄い緑に衣かえゆく

濁りたる土色の田も水澄みて 戦げる風にさざ波立てり

盆栽を逸品にせんと思いつつ 朝な夕なに育みており

薄らぎつ西に残れる月見るに 蔭す如くに雲の流るる

輝けるネオンの町を通り過ぎ 星空映える濁り田をゆく

振動病の癒ゆる日も来ず心身の 疲れ重なる障害の吾は

先々の事など思うこともなく 唯駆けて来し若き日思う

廃物の如く成りゆく人生を 犠牲になれと国はうそぶく

白梅と見粉う如く杉の木の 梢に止まる白さぎの群れ

国鉄の路線廃止も何のその 西都市の町盛り上がり来る

幾度か我が身に嵐吹き荒び 灯火のごと命揺れにき

仏なきは人の命と山ざくら 昨日に変わる今日の寂しき

庭角に妻の作れる菜園の キャベツが硬く巻きはじめたり

窓辺より常に眺める彼の山に 病癒ゆれば登らむと思う

症状の証示さず身を病むか 振動障害の患者気辛し

畦焼きに焼き残さるる萱株に 寄り添う如く土筆出にけり

次々に光りて落つる雨垂れは 機銃掃射の光りに似たり

肌寒く降る春雨の濁り田に 白さぎの群れ静かに降りる

貫禄は巨木の如く備わるも 哀れき者よ盆栽なるわ



白き花の蕾みの如く杉の木の 梢に一羽白さぎ止まる

紫に気貴く咲きし桐の花 霧雨煙る古き家敷に

巣箱をば作りてくれし吾の目を 避けて巣穴を出入りするかな

我が町の市街化により旧式の 馴染みの店も縁遠くなりぬ

晩酌に酔えば思いの新たなる 飢え苦しみし敗戦の日々が

今宵又重たく疼く肩や手よ 蛙の声の耳に忙しき

吾が体廃物となり果てなむか 振動病に病み疲れゆく

旧式のバス赤錆て哀れにも 荒れ地の野辺で草に埋もれり

灰色の雨雲垂れし朝早く 鴨の一群つらなりてゆく

浮き雲の五月の空を流れゆく 漂白されし真綿のごとし

今日も啼く裏の深山に時鳥 人の浮き世も寂しかりしに

薄雲に見えつ隠れつ夕暮るる 空に一機のヘリコプタゆく

見渡せる限り緑の田園に 住み着く吾は避農家なりき

振動病で静かな夜は耳の鳴り 眠れぬままに心苛立つ

久々に降る夕立につばくろの 喜々と飛び交う夕暮れの空

夜に入りて夜鳥の声の聞こえくる 木の立ち茂る宮の森より

入院の頃は雪の降り居たり 今春たけて栗の花咲く

奥米良の夜明けを告げるサイレンが 秋雨煙る谷にこだます

韓国の赤松林登る陽に 朱に深まりて秋の風立つ

新玉に春とは言うも年毎に 老いてゆく身に目出たくもなし

成人の過ぎし三人の息子らと 共に生活も何時の日までや

早き瀬を流るる如き人の世ぞ 何時ともなきに老いたりしかな

稲田より慌てて飛び立つ白さぎが 五月雨煙る沢に消えたり

灌木の青める中に尖り立つ 孟宗竹の穂先するどし

一閃の光りの如く世の流れ 還暦来たる吾の人生

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