第一歌集
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(301〜429)

今も尚忘れ難きは幼日の 柴壁小屋の暮らしと思う

朝の陽に天草洋の島々の 松の緑の目に浸みにけり

天草の八百島見れば緑濃き 数多の松の生い茂りおり

黄金の波騒ぎたる広い田も 寂しく今は雨水溜まれり

若き日を昔話に語りつつ 新築の家に今は老いゆく

静かなる原生林に入りゆけば 吾が持病なる耳鳴り激し

谷川をゆく水に似た人の世ぞ 瀬も滝もあり淀みもありぬ

現世は楽しくも又苦しくも 逝く世もかくや今は知らぬも

踏み入りし深山の谷に青澄みて 淀める渕の不気味なりけり

八百山の花見る如く色づきて 早瀬のごとく年の暮れゆく

色付きて彼の木枯らしに散らされて 梢淋しく空に震えり

若き日の夢の実りて還暦を 新築の家に今日は迎えり

長旅の疲れもなきか水鳥は 湖水に喜々と戯れており

働けぬ体となりて今更に 汗を流した彼の日恋しき

生還を当時夢にも思わぬも 戦野を駆けて生きて帰りぬ

老いたりて余生楽しむ事もなく 暮らしに追われ逝きし父母

緑濃き山肌に今も赤々と 山津波引きし傷跡のあり

浮き雲の風に吹かれて行く如く 人の浮き世も儘ならぬかな

心して階段下りよと息子らが 以前は吾の言いし言葉を

牧水は坪谷に生まれ儚さを 歌に詠みつつ世をおくりしか

畦焼きの炎くぐりて野兎は 土塊のごと駆け出してゆく

土塊を掻き起こし行く赤トラに 怯えながらも小さぎ放れず

F15朝の静寂を掻き乱し 家の真上を飛び去りてゆく

朝未だき沈む空気を振るわして 夜明けを知らすサイレンの音

野兎の駆け上るらし岩肌に 白き爪跡幾筋もあり


西日映ゆ上江の里に家なして この人生の終わる日を待つ

杉の木の茂れ奥の暗がりに 家跡らしき石垣のあり

峰に立ち見下ろす谷の遠ち近ちに 素朴に香る山ざくら花

息子らに言い過ぎたるを謝りて 心のしこり共に晴れたり

足腰の痛み堪えて盆栽の 素材を求め山に踏み入る

盆栽の芽つみをしつつふと思う 此の作品に別れゆく日を

排水の溝の雑草刈り取りて 流れに映る夕月を見る

寝室の高窓くれば西方に 琥珀に光る有明の月

夏空の雲間を縫って一筋の 銀線を引き旅客機のゆく

立つ秋や真白く光る浮き雲が 竜房山の上に流れる

風そよぐ刈田に溜まる水ありて 雲の流れの映りては消ゆ

集中雨の爪跡痛く赤々と 赤松谷の山肌にあり

夕涼みする吾が前に近づきし 蛍慌てて横にそれゆく

脊椎の痛み続けば後よりに 足しびるると医者の告るも

振動病の悪化しゆくか右腕の 今朝の寒さに激しく痛む

嘲るか吾が刈る後に夏草は 笑うが如く生い茂りゆく

今日の日の務めの終わり荷を下ろし 湯舟に深く入りてくつろぐ

自家用のオクラ四、五本伸びのびて 我が家の食卓賄いており

僅かなる畑に季節の物作り 食卓かざる農家出の妻

移り来て今だ間もなき吾が家の 庭に並びし趣味の盆栽

朝早く銃声ありて乱れ飛ぶ 鴨の一羽は手負いの如し

廃止日の近く迫りしデイゼルの 汽笛日毎に太く聞こえり

セレベスの沖で終わりし命ぞと 思えば安し今に死すとも

布水の滝のしぶきに夕陽さし 七色の布となりてゆらめく

もみ木尾の峠に座り浮雲の 流れる空をしばし眺めり


伐採の終わりし山で見る空に 三日月薄く光りて見ゆる

出稼ぎで今宵眺める名月を 妻や子供も眺め居るかも

吹き山の伐採終わり山裾に 酒汲み交わし友と別れる

啄木鳥の音も静かな昼下がり 猟銃の音で静寂やぶるる

愛犬を嫌う妻故手放して 夜毎にコロの夢を見るなり

障害に悩むこの身はさん竹の 根ぶしの如き苦しみのあり

龍房の高処を黒き雲つつみ 篠つく如く雨の降りきぬ

幼春の山田の薄く青み来て 和らみのある風の流るる

天の原貫く如き大杉の 茂り栄ゆる銀鏡神社は

凍てつきし闇を通してサイレンが 村の谷間に木霊して消ゆ

山裾に追いつめられし猪か 銃声ありて犬声も消ゆ

障害で指の細りて冷ゆる手を もみ手しながら暖めて見る

水滴に掘られし岩に池ありて 空ゆく雲の小さく映れり

栴檀の実にひよどりの群がりて 吹雪のやまじ降り続くなり

積雲の如き煙の立ち登り 燃えゆく山に人のさけびし

青空の如く澄みたる湖は 部落を呑みて波をも立てじ

恐竜の吠ゆる如くに大木の 差し出ず枝は裂けて落ちたり

愛犬を家族に嫌う者ありて 意を覚らしめ人にゆずりぬ

月出ずる夜なら独り歩く身に 添う影なりの友あらなむに

捕らえ来て檻に入れたる山鳥を 哀れに思い山に放ちぬ

症状に定かに見えぬ振動病を 主治医はくどく問いただし見る

儚きは人の命と山ざくら 風のさそいに散りて行くがに

泡沫の夢を見るかな山ざくら 春の深山に花を咲かせて

風香るさつきの空をほととぎす 悲しき声で啼き渡るかな

又来ると愛車の窓に微笑みて 修行に出ずる息子見送る


汝が為ぞ雨や嵐の強るとも 堪えてまろき人となれかし

軒端なる雨垂れ川に溜まる水 空ゆく雲の流れ映りし

館山の砲術学校出でし身も 形とどめじ衰えにけり

メナードの町で初めてブランデーを 呑みて酔いたる若き日もあり

片言のマレー語出来る嬉しさに 原住民の家を訪ねる

一ツ瀬の渓谷登る終バスに 赤き夕陽の山並み染める

横谷の峠を越ゆる終バスに 沈む夕陽の差し入りて来る

学識もなき人生を半世期 めしいの如く歩み来にけり

戦国の落ち人達の住むという 五木の山を遠く眺める

静かなる秋の小川に瀬掘りする 山魚見おれば百舌の高なく

木枯らしに鏡の如き一ツ瀬の ダムの湖面に白波立てり

尾花出て薄きピンクに色つける 野に立つ松の青葉目にしむ

寒ランの展示会場に来て見るに 気高き香り漂いており

年の瀬の凍てつく寒空小走りに 通り過ぎゆく下駄ばきの人

夜明け方建設業のダンプカーが 吾が家の前を激しく走る

コチコチと乱れも見せず時きざむ 柱に下がる古時計かな

盆栽のもみじ剪定する枝に 涙の如く樹液こぼれる

淋しげに遠吠ゆる犬の声に似て 凍てつく夜にサイレンが鳴る

苔まとう桑の枯れ木の枝先に 花咲くごとく山翡止まる

鯉つりの竿に止まりし山翡は 動かぬ吾を人と知らじや

大寒に入りたるダムの水蒸気 野焼きの煙に似て棚引けり

小雪降る夕暮れの町蜆売る 呼び声暗き路地へ入りゆく

忘れじは人里もなき山奥に 炭焼きて居た少年の頃か

人寄りて噂話の花咲きぬ 田舎を走る乗り合いバスに

春風の吹く野に早も此処かしこ 夏草の芽の吹き出でにけり


湖に映りて揺らぐ遠方の 山眺めるに雪景色あり

小女の何か嬉しむさまに似て 梅咲き香る春の陽だまり

朝陽受け白銀の飛沫散らしつつ 水吐きくだす白水の滝よ

妻と二人夕餉楽しむ身となりぬ 子等はそれぞれ職に就き居て

代明けし田圃に張れる水澄みて 今朝寒々とさざ波立てり

草深き田舎の道に踏み入れば 黄いちごの花咲き乱れおり

日向路の嵐山と人の呼ぶ 杉安峡のやなぎ青めり

大杉の根は境内に走りのび 国宝となりぬ銀鏡神社は

三味線の一弦はじく音のごと 深夜に時計一時を打ちぬ

吾が元を離れゆく子を見送りて 空見上ぐれば浮雲のあり

朝風に寒々と立つさざ波に 田に植えられし早苗たなびく

親元を離れゆく子の乗る汽車の 遠く消ゆるも駅にたたずむ

振動病の療養は三年過ぎたるも 治らぬままに不安の募る

短くも長く思える人の世は 二万余日の儚きしかな

小獣鶏の烈しく啼きて警けり 暮れゆく野辺にわらび採りいて

米良街道国鉄バスは下りゆく 樹間白きアーチ橋見ゆ

同窓と呼ぶ友もなく生い立ちて 長き余生に歌を楽しむ

春浅き野辺の遠ちこち蕨つむ 姉さんかぶりの一人目を引く

青鷺は剥製の如く瀬の石に 身動きもせず鮎狙いおり

学舎の庭一日も踏むざりて 事足る吾は歌を楽しむ

一音の警笛吹いて通過する 遮断機もなき畑の踏切

干潟なる田の土を食む燕おり 何処の家に巣作り居るや

満水のダムも日照りに水引きて 浮き居し島に干潟の見える

薄布を垂らす如くに井堰より 朝日に透けて水零れ落ちる

居る時は別に思わぬものなれど 妻居ぬ部屋は何か寂しき


さつき晴れ白く流るる浮き雲の 紺碧の空に薄らぎて消ゆ

昨夜なる雨の名残か電線に 玉露光る朝日をうけて

吾の行く雨の道辺にしゃばり出で 鋏み振り上げる小さき沢蟹

黄昏の濃くなる空に茜雲 弓振り月の朧げに見ゆ

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