第三歌集
 2

(101〜200)

朝な夕な愛し見おりしさつき花 裏切る如く散るぞ悲しき

職業病を患い生きる末の世を 思えば心晴るる日もなし

紅葉降る峰に鹿鳴く声を聞く 夕暮れどきの寂しかりけり

百年の知友に会いたるもののごと 老婦人語るバス待つ吾に

兄弟と吾を知らずに弟の 悪態告ぐる老婆に苦笑す

水道の蛇口の締まり足らざるか 膨れつつ光る小滴の落つる

春風に忙しく鳴るや虎落笛 音高くなりまた低くなり

夏鈴は心涼しき物なれど 冬の夜の鈴の音は寂しき

病葉に冷たき風の吹きさわぐ 神も仏も世におわさじや

暖かき褥を抜けて小用に立つ 師走の夜の廊下冷たし

美しき花咲く草も目に付かず 悩みある日々の寂しかりけり

労災の障害追うに新たなる 病気を不意に又背負うかな

高千穂の駅にディーゼル着くごとに 刈り干し切りの調べ流れる

農園のハウスの中から人声の 賑やかに漏るる畑中の道

心だに想わぬことも思わるる 読み難きかな人の心の

汗ばみつ遠く尾鈴を眺むれば 尾根には白き雪の残れり

苦労して買い求めたるチェーンソで 障害を病む愚かなるかな

この体大正時代にスクラップ 至る所に錆の出にけり

山間の蔭りも徐々に濃くなりて 冬の日早も夕暮るるかな

病弱の体となりて今更に 鍛う甲斐なき命と思う

色燃ゆるもみじの山で啼く鹿の 声聞く夕べ寂しかりけり

断崖の僅かな隙間に野兎の 棲みおるらしき柴食みており

時に来る幼い孫を抱き上げる 以前に比べ重たくなりぬ

幼き日鉈で殺ぎたる親指は 蛇の頭の如くなりたり

年頃の息子の帰り遅かれど 幼き日ほど気にもならざり



夜に入りて雨の降りしか生け垣に 今朝玉つゆの光り輝く

高原の松の木の枝横に張り 盆栽のごとく奇形しており

綴りおく吾がこの歌が後の世の 語り草にと残りてゆかむ

背の痛み季節変わりに疼くかな 春来る時や秋来る度に

些細なる事と言えども気になりて 眠れぬ夜の辛きものかな

天性の器用を背負い生まれしは 一代この身の幸とぞ思う

障害に硬ばる手指解しつつ 寒夜の床にまどろみており

生け垣で今だ幼きうぐいすの 今朝は忙しく餌を漁りおり

治らざる病患う身となりて 今は用なき命と思う

振り返り幼き日々の道すじを 記憶をたどり自叙伝を書く

春風の吹き流れゆく芦原に 鳴く葦切の声流れくる

犬背負い自転車に乗る老婦人 後姿の寂しく見ゆる

口先に語りはせぬもそれらしく 謎めく物の目の色に出ず

宇納間寺に詣でて拝む人の波 土産物売る店賑わいぬ

山里に降りし救いの神ならん 宇納間の寺に人集い来る

寒風が心の中を吹き荒らす 療養の日々の虚しかるかな

ハンデーに耐えて闘う記事を見る 思わず涙にじみ出にけり

快晴の朝鳴る鈴の音も澄みて 春風部屋に流れ来るなり

晩酌を愛用の器になみなみと 注いで夕餉の時を楽しむ

障害の身には温もる春もなし 花見の野辺も何か寂しき

濁り澄む掻き田の中に美しく 朝日に映ゆる山並沈む

若き日を懐かしむ事多くなり 老いゆく日々の寂しかるかな

天翔けて凄める竜に戦いを 挑みて吠ゆる虎の絵図見る

知らざれば恐るるに足りぬ物までが なまじ知りては近寄り難し

今朝方に春雨上がり山肌に 萌える樹々の軟らかきかな



蛙鳴く声の流るる農村の 細き夜道を家路に急ぐ

良運の掌紋握る手の平を 見ては心を慰めており

吾が世とぞ思いし事も儘ならず 浮き世と人は名を付けたるや

千町田の中に住まえば夜通しに 枕辺に来て蛙鳴くなり

快きオタマジャクシの調べ聴く 静かなる沢に野芹摘みつつ

大木の茂りし頃もあらんかと パオの屋上で妻の町見る

両の手の指折る程も残るかと 吾が世を思う年となりたり

由布院の病棟に居て眺めたる 白き湯煙瞼に残る

炭を焼く父に手伝い人気なき 深山に住みし幼日を思う

独自なる吾が道ゆけば世の人ら 左巻きぞと嘲りており

現実の世に甘んずる人もあり 革命に死する人もいるかな

蛙のみ夜の静寂に騒ぐかな 吾らの眠り妨ぐるごと

恐ろしき魔物の凄みて居る如く 火口の池の青澄みており

盆栽の素材求めて入りゆけば 不意に飛び立つ鴫に驚く

音もなく五月の空に真白なる 航跡を引く飛行機のおり

畦道に咲き香りいる野菫に 今朝も見とれて佇みにけり

故郷の自然の物は消え失せて 眼裏のみに今は残れり

淀む瀬に浮きて流るる病葉に 悪戯風の吹きそよぐかな

物言えば応えてくれる人のあり 闇夜の空に星見る如し

峯々を姿隠して啼く鳥は 声の悲しきほととぎすかな

物置の梁の上にて睦みつつ 巣作りをする家付き雀

酒に酔い口滑らせし愚かさに 自責の念に心苦しむ

白泡の立つ瀬を狙い竿振れば 確かな魚信に竿たわみゆく

連凧の形の如く白鷺の 塒を指して夕空を飛ぶ

怪猫の眼の如く三日月は 西の夕空に冷たく光る



朝夕に心を掛けて育てたる さつきに花の咲き香るなり

悩みあり渚に立てば軟らかく 春の潮騒心を洗う

背の痛み和らぐと言いて妻の買いし 健康器具に今宵は休む

来る度に幼き頃を思い出す 南郷村の神山の滝

深夜なる庭に出ずれば雲の間に 明るい月のやさしく光る

思い切りジーパンはけば自ずから 七十の齢も若やぎにけり

秋の野に影落とし来る浮き雲の 今わが空に広がりて来ぬ

釣り上げる魚の如く蜘蛛糸に 落ち葉のかかり風に揺らるる

音もなく霧雨降りて時おりに 落つる軒垂れ地に滲みてゆく

若き日に無理した故か時々に 背筋の痛みに吾は苦しむ

落ちしごとコンクリの割れに草花の 一輪咲くを暫し見ており

背の疼き治る所はないのかと 方々の医者に訪ねてみるも

赤紙の令状受けて戦場に 駆け出した身の命残れり

幼き日生まれ育ちし故郷に 知る人もなきに懐かしく思う

天の原流るる如き旅の身に 落ち着く里を得たる嬉しき

窓ガラス開けて遠き山肌に 白く咲き居る椎の花見る

朝早く生垣の上ひらひらと 花弁の如き蝶の舞いおり

玄関のさつき一輪落ちにけり 願いしことも叶わぬ夕べに

神山の樅の巨木に寄り添いて 麦笛の友と写真を撮りぬ

赤ヘルの乙女香りを振りまいて 吾が横を抜け遠くなりゆく

木洩れ日も射さぬ深山の静かさに 枯れ葉の落つる些音も響く

白絹の扱きの如く岩肌を 白水の滝は垂れ流れゆく

見た夢の数多の物を叶えつつ 年老いゆくも尚を夢見る

井堰から流れて落つる白水の 入り日に映えてレースの如し

修業時に悲憤の涙流したる 息子らの技術今は光りぬ
                                  【続く】