別冊 『ありんこの目線で・・・』


ブログサービス停止中なので
こちらで待機版を作ってみました。

 「やめとけばいいのに…」と自問自答しながら
クモの糸に絡まって踊るありんこです。。。 
                  
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6/19(金) ニッコーも日光も皆にっこにこ (苦し紛れに)
写真:点訳作業
週一の点訳活動日。珍しく今日は急く依頼もなく、各人がゆったりと作業をこなしていた。私は手持ちの校正作業を淡々と。 何かと気を惑わす家とは違って、集中するしかないから幸いだ。

この春に点訳に取り掛かった『英語でさるく』(那須省一・著/書肆侃侃房)は、個々の点字入力と校正を終えて、今月、いよいよ編集までたどり着いた。
提出された各々のデータを原本に沿って編集し、点訳本に仕上げる最終段階だ。 編集担当者は三校を済まして最終校正者にまわし、秋の風が吹く頃には完成の予定だ。 (写真は、編集を終えたデータを、原本を前に画面校正している今日の光景)

写真:頂き物のインセンス
『英語でさるく』の文中にも記されているが、無アクセント地域に生まれ育った私は、当たり前のようにアクセントの区別なしで話し、時々「ん?」といった顔をされて戸惑うことがある。 「ん?」と言われても、「ん?」と返すしかないがこのあいだは、ニッコー(近くにあるスーパーの名)の話をしていて辻褄が合わなくなった。 何かの商品のことだったと思うが、「今度ニッコーに行ったら買ってきますね」と答えたら、怪訝な顔をされた。 「は?」 「ん?」と、お互いの顔に疑問符が。 私が発した「ニッコー」は、関西人には「日光(東照宮)」と聞こえたらしい。遠い日光に頻繁に買い物に行くには不思議だと思われたそうだ。 そんなところから、「点訳中の本にも載っていたわね」などと、此の頃の午後のtea break は、もっぱらアクセントの話題に花が咲いている。

YOMIURI ONLINE のコラム『英語でさるく』から「アクセント」をご案内します。 他のコラムも読めますが、それぞれにタイアップした類似の英文が入った書籍がお薦めです。

まだコメントなど未設定ですが、つぶやきを始めました⇒"Viva!還."
--写真は、時々、香りと空の揺らぎを楽しむ頂き物のインセンス lisn --




6/10(水) 八十爺の悲哀に我の力なし

写真:白いラベンダー
6/11(木) 緑の風が気持ちいい。こんな風に吹かれて歩くのが一番幸せなときだなと思う。たおやかな薫風にヒメジョオンの群れがゆっさゆっさと揺れていた。前方から駆けてこられる華奢なジョギングウェアの婦人の胸も揺れていた。同世代だと思しき方のリズミカルなピッチが清々しい。そんな光景を脳裏に掠めながら、河川敷を大股で歩く。 憩いの広場では、60〜70代くらいの男女の方大勢がグラウンドゴルフをされていた。試合だろうか… 
集いを楽しむ熟年のこんな時間もいいものだなと、玉の当たる乾いた音を余韻に残して通り過ぎた。
今年もベランダの白いラベンダー(イングリッシュ・アルパ)が花をつけてくれた。花が終ったら今夏こそ地に移植してあげよう。

写真:西都原民俗資料館から
6/10(水) とても迷いつつ、八十爺の呟きを載せてみた…
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「用もなき此の世に生きる寂しさよ 生きる楽しみ何一つなし」  こんにち○(わの意) 梅雨に入りて毎日天気がよくないということである。今日は独りの日である。スーちゃんは介護センター行きで、老い独りの日である。全日雨である。人生も老いて生きていく道は言い様もなく寂しいものである。希望に燃えていく若いあの頃はサビシーと思うことはなかったもんだが。何一つ希望もなくただ生きているだけという人間になって生きる日々は人生の地獄と言うもののようだ。何一つ楽しいというものがないようである。ただ生きているだけの人生と言うものになった老いの日々、それが此の世の末に来るんだな。あと何年の人生だろうか?と思う日々である。ヨクもトクもない人生はアジのないもんだヨナ?
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留守居の父の気分転換になればと送ったファクスの返信だったが、水取紙のように真っすぐ吸い取る癖のある私にはちょっとこたえる呟きだった。
近くなら話し相手に駆けつけたいと思うのは無い物ねだりの妄想でしかないか… 老いる切なさを思った。写真(右)は数年前に父母と訪ねた西都原考古博物館 館内パネルです。

11日付の朝刊「ひと」の欄で、まど・みちおさんを拝見。100歳の秋には新作詩集が出るそうだ。<「ぼく」も、ゾウも、マメも、かけがえのない存在としてここにいる>と、まどさん。童謡「ぞうさん」が聞こえてくるようだ。

写真:赤いガクアジサイ 写真:水田に沈む夕日
さて同じく11日の夕方、徒歩30分余の「ほたるの里」へ、ホタルを見に行きました。 毎年時季を外したころに気づいては行きそびれ、今回初めて叶いました。
夕食後の散歩も兼ねて、明るい夕暮れ時に出かけました。早く着きすぎた7時前は、藪の白いガクアジサイを見紛うばかりでしたが、辺りが暗くなった7時過ぎからポツポツと光を放ち始め、闇が深まった頃には水辺から湧き上がる緩やかなホタルの乱舞に見とれてしまいました。
ホタルを見たのは何十年ぶりでしょう、さすがに写真には映ってくれませんでしたが、道中の落日と蛍の水辺の赤いアジサイもきれいでした。




6/5(金)  振り向けば薫風の時遥かなり
写真:斑入りギンバイカ
収穫間近いジャガイモの畝は黄昏色でした。その横の真新しい黒土の畝にはサツマイモの蔓が植えつけられていて、あぁ、もうそんな時季なんだなと思った帰り道でした。

ドクダミの白い十字の花が夕時の藪に映えて目に沁みました。 回り道したケアハウスの敷地内で、初めて目にした斑入りのギンバイカにすっかり見とれてしまいました。淡い色調の葉に同系色の花を付け、西洋人形の長いまつ毛のようなシベが清楚で可愛い花でした。

昨日午前ラジオをかけながら家事をしていたら、好んで聴いている「にっぽんの歌 世界の歌」(NHK-FM)で懐かしいフォークソングが流れました。

♪人は誰もただ一人旅に出て / 人は誰もふるさとをふり返る / ちょっぴりさみしくて振りかえっても / そこにはただ風が吹いているだけ.......  / プラタナスの枯葉舞う冬の道で / プラタナスの散る音に振りかえる / 帰っておいでよと振りかえっても / そこにはただ風が吹いているだけ.......♪

写真:ドクダミ精神科医でもある北山 修氏の作詞が心に沁みました。

言葉にできない感情は、風に例えたらぴったりくるのですね。うんうんと心の中で頷きながら聴いてしまいました。
はしだのりひことシューベルツの「風」('69)は、もう何十回も聴いたはずなのに、この齢になって初めてその趣に気づいた気がしました。

その前日の放送では、初めて知った歌い手さん・しますえ よしおさんの「百万本のバラ」の歌詞と歌唱に打たれました。 幸いに番組は夕方に再放送があるので、しっかりエアチェックできたのですが、ネット検索してみたら、「蟻んこ」というシャンソンライブハウスを運営されていらっしゃるようで、恐れ多くも少し親近感を覚えました。




6/1 '09(月)  "Viva還."と 造語掲げて泣き笑い!?

写真:ブラックベリー今日は、私にとってラジオ好きな「電波の日」、デジカメ好きな「写真の日」、雨好きな「気象記念日」、だそうな。

好きが重なるそんな記念日に、私は深い山の谷間で生まれた、そうだ。時は廻って、ありんこの今日は赤子になって生まれ変われる(?)日らしい。さぁさ "Viva還."!

昨日何気なく目をやった、故郷のように近くて遠い裏庭に今年も淡いピンクの花が咲いていた。 放りっぱなしながら、毎年決まって花をつけ、真夏には真っ黒な実りを見せてくれるブラックベリー。その健気さに、普段は見向きもしない私は少し胸が痛んだ。「ありんこといえばブラックベリー」 そんなことをおっしゃった方がいたっけ… 長いベリーとのつきあいだ。

写真:赤いバラ
1980年代はついこの間だった気がするがよく考えてみれば、もう30年近く前のことになるわけだ。 昨日のことのようなミレニアム騒ぎも、もうひと昔前に近いのだからおそろしい。

頭が痛い、肩が凝る、目が重い、足腰が痛いなどなど、よく耳にする台詞であり、自分もまた例に洩れずだが、よく考えてみればそれは齢相応のことであり、なにも不思議ではないはずだ。 同世代の不定愁訴を聞きつつ、他人事のようで、いざ自分の身にふりかかると慌ててみたりする。 近すぎて見えない自分の容姿を忘れて、いつまでも若い頃のままだと錯覚するからやっかいだ。

写真:雨の紫陽花
子育てに追われていた若いころ、近所の年配の方にとてもお世話になっていた。子連れで呼ばれてはお茶をいただき、刺繍を楽しんだり他愛もないおしゃべりをした。 淡い色調のインテリアが若々しくて、とてもおしゃれな夫人だった。 まだ若かった私が想像する一般的な年齢とその方の雰囲気の落差に戸惑ったものだった。齢を取る=地味なものといった思い込みがあったのだろう。 今その齢になってみて、気持ちはそれほど老けないものだとわかった気がする。 大人が偉大に見えていた子どもの頃、いざ自分が大人になったらそうでもなかったことと同じことか。
気持ちは変わらないけれど、ものを想う気持ちは、深く、切なくなっていくような気がする。

<… 年を重ねただけでは人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。>  昔読んだサムエル・ウルマン氏の 『「青春」という名の詩』の一節を思い出す。 叶うなら今後の座右の銘としたいところだが…
(下に、墨点字版の詩の一節を貼ってみました)
墨点字版 『青春/Youth』





5/27(水) わくらばや時に晴れたり曇ったり

写真:ブラシノキ
<裏の畑が、また草ぼうぼうです。この間きれいに掃除したつもりなのに!!>とメールをいただいた。 <草ぼうぼうですかぁ、生まれいづる生命力を感じますね。草も一生懸命生きているのに、都合が悪いと引き抜かれてしまう… ちょっと寂しい運命だなぁとへんなことを考えてしまいました。我が家の裏も茫々です。>と返しながら、例えば雑草を、敵にまわしたり味方にしたりと、人間ほど勝手な生き物はないなと思うことでした。

この春、数十年ぶりに味わった茅花(最下段)は今、小豆色の穂を掲げて初夏の風に揺れています。 今まで気づかなかった其処此処にまるで居場所を教えるかのようになびいています。

写真:クサフジ
春の花はとっくに散って実を結び、次々と移り行く時季の花を見せてくれます。真っ赤な花はブラシノキ。コップを洗うこんな形のブラシがありましたね。
それから右は薄紫のクサフジです。所構わず生える植物があり、決まった場所に群生する植物がある。クサフジは後者に当たるようです。枚方市の河川敷を遠目に眺めると、緑の絨毯に薄紫の唐草模様を描いているようで素敵でした。

日曜日に、映画『60歳のラブレター』を見てきました。熟年夫婦のそれぞれの人生に思いを重ねてみました。
庶民的な夫婦を演じた正彦と光江の物語に共感をおぼえました。妻が買ってくれていた憧れのギターで弾き語りするシーン… 懐かしいビートルズの "Michelle" に忘れていた青春の日々が浮かびました。
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ありんこの愛菜弁当 '09

菜園を楽しんでいる友人からえんどう豆をそれはたくさんいただいた。豆類が好物の夫はご機嫌で、えんどう豆ご飯が三日続いた。ひと釜を三日かかって食べたのではなく、毎朝三日間豆ご飯を炊いてお弁当にしたわけだ。朝炊いたご飯で夕食まで賄う我が家はえんどう豆ご飯が9食続いたことになる。 で、その三日続いたえんどう豆ご飯を含めた弁当のアルバムを作ってみた。

退職後再雇用を受けた日から弁当作りを始め、ついでに毎朝の弁当をデジカメで撮るようになってずいぶん経った。パソコンの中だけでは不憫なので(?)、今年の分からアルバムにしてupしてみた(左画像からリンク)。 名づけて「ありんこの愛菜弁当」。 皮肉にも愛菜たっぷりの弁当が夫の胃をこわしたか、職場の検診にひっかかり精密検査を待つことに… 嗚呼...




5/18(月) 深山に木漏れ日揺れて夏蕨 

前回のバラ 「ラジオ・タイムス」にちなんで、今日はまずラジオの話しから…
写真:ナワシロイチゴ(花)
久しぶりのフリーな月曜日。今日こそはじっくり居座って再放送のマヌーシュ・スウィングを楽しんでみようと思っていた。 てきぱきと家事を済ませて、コーヒーを沸かし、今日は特別にと、解凍したとっておきのマロンケーキを味わいながら、FMラジオに耳を傾けていた。 と、10時半を過ぎた頃、外から耳慣れたエンジン音と黒い車の影が。なんと想定外の夫の帰宅である。 あれぇ、折角のお膳立ての時間が… と苦笑しながら呟くと、「弁当もあることだし山に入ってワラビをとってくるわ」とのたまう。 時季外れだが、ワラビの酢の物が好物の夫は残り福を期待しているらしい。 空は青く爽やかなハイキング日和だ。それなら私もと、仕方なくラジオを止めてついて行くことにした。(写真左はナワシロイチゴの花)

山行きの服に着替え、お弁当の残りを詰めていざ出発! 歩き出すと昼前の陽射しはすでに暑く、帽子を置きサンバイザーにしたことを悔やんだ。 家から10分も歩けばハイキングコースに続く山道が有難い。新緑の雑木林が美しく、道を覆う高木の木洩れ日が、先に続く細道に幾何学模様を描いている。 陽射しを程よく遮る雑木林の森は気持ちよく、道に足を踏み入れた途端に心身のリフレッシュを感じるから不思議だ。

ひと歩きして、森のベンチに腰掛けてお昼にする。 正面に林立する木々を仰ぎながら、最期はこんなところで迎えられたらいいなと、新緑の清々しさに魔が差したか、有らぬ事に気持ちが過ぎる。 鶯がさえずり春蝉が鳴く。 刷込みのDNAを呼び覚ますのか、私にとって山は最も心休まる居場所だとつくづく思う。

写真:ササユリお腹を満たしたところで、いよいよ今日の目的であるワラビ採りに向かう。 ワラビの季節になるともう何年も夫が一人で行っている場所を案内してもらう。 沢沿いを上りながら山の茂みに分け入り、ワラビの枯れ枝を目当てに目を皿のようにして探す。旬の季節は過ぎているが、取り残しや晩生のワラビにありついて思った以上の収穫になった(と、夫は喜んでいた)。来春は早蕨を探しについて行こうか…

一時間ほど沢沿いを歩いてからハイキングコースに戻り、去年のササユリの場所に立ち寄ってみる。 去年より株が減ったような気がしたが、堅い蕾を宿したササユリを確認(写真右)。 やがて凛とした薄桃色の花を咲かせてくれるだろう。乱獲されることのないよう願いたい。

ササユリを見て帰路へ。 住宅街に出るまでに(ハイキングコースの入り口)に焼物工房があるが、時々その鶏舎の扉が開いていて、今日も烏骨鶏が自由に出入りしていた。 白や黒の親鳥や若鶏や雛鳥がいて、その様子をしばし眺めていた。 今日は工房主さんもいらしたので、立ち話のついでに「ブログを読ませてもらっています」と告白(?)=生き物に対する心温まる話題を時々拝読させていただいているのだ。

写真:妙見工房さんの灯りの家
今秋の作品展の話を伺い試作品を見せていただく。 勧められて工房を案内していただき、教室兼展示場に初めておじゃました。 灯りの点ったお家が素敵だ。小さな灯りのハウスは、内側にも家具調度品が収められていた。極小さな家具もすべて成形し内に収めてから窯に入られるのだそうだ。 不器用人にはとても真似のできないことだが、生徒さんのなかにはそれは緻密に仕上げられる方がいらっしゃるそうだ。 前から密かに考えているのだが、夫が職を退いたら、老後の楽しみとして二人で陶芸を教わりたいと願っている。 しばしお話を伺い、採れたてのワラビを半分お裾分けして失礼した。

リアルタイムで聴くせっかくのマヌーシュ・スウィングには溢れたけれど、気持ちのいい一日だった。 上の写真は『やきもの妙見工房』さんの灯りの家です。



5/17(日) 茅花立ち風を奏でて手招きす

あっという間の先週一週間をふりかえってみれば…
写真:ラジオ・タイムスと言うバラ
月曜日午前、ヘルマンハープのお稽古日。今回から時間の一部がグループレッスンになり、ハーモニーの心地よさを体感。
終えて、月一のV新聞発行の席にお昼に合わせたように到着。すでに仕事は完了していたが、注文していたお弁当を一緒にいただき、後、配布車に便乗。

火・水は引きこもり日ながら、急流の如き時間にのまれて何も手付かず、ただため息をつく。

木曜日、大阪在住の同級生女4人で数年ぶりのミニ同窓会。静かな和のレストランでランチをとりながら、最近の暮らしから村の子ども時代をたどり懐かしんだ。
話は尽きず場所を移してしゃべくりまわり、最後はケータイメールアドレス交換に四苦八苦の同級生たち。ケータイを持たない私は退屈で(?)、その光景をしっかり写真でフォーカス! これからは半年毎の再会をと約束して解散。どこか温かさを感じる同郷人との楽しい時間だった。

金曜日、週一の点訳活動日。今週は『市議会便り』のノルマに私語は無く、ただ黙々とノートのキーを打つ音だけが響く真面目な会であった。

土曜日、雨は大したことはなさそうなので、夫と思いつきでひらかたパークのバラ園へ出かける。友の会の会員証提示で入場無料がうれしい。バラの美しい季節だから、小雨が降り出すまでの午前中、カメラ遊びを楽しんだ。--- 今もあるかなぁと期待していた写真のバラ「ラジオ・タイムス」は健在だった。

帰りにユニクロに立ち寄って綿パンを買う。二年余前に妹が買ってくれたお気に入りのパンツのサイズが合わなくなった(2サイズダウン)ので、似たデザインを探したいと思っていた。目当ての製品が運良く半額セールだったので、迷わず購入。ちょっと太目のパンツは「ユニクロの369リサイクル」行きにしようか。ユニクロさんは着古しの後始末もきちんとされているようです。



5/10(日) 鼻先の老眼鏡や文字おどる
写真:ノイバラ
このところ、仏間(単に仏壇のある居室にすぎないが)に入るたびにやさしい香りに包まれている。
日が経って幾分香りは薄らいだが、母の香りのような、と表したくなるその香りは今がさかりのヒラドツツジだ。暖かくなり日持ちが浅くなった仏花に、手折った一枝を添えたのは一週間ほど前だった。蕾は次々と咲いて、部屋に入るたびに香る穏やかな香りに気持ちが和む。思うに、花の香りを表すいい表現はないものだろうか…(写真:ノイバラ)

---> 今朝のUさんのメールvs.ありんこの返信---
> 森光子さんが、「89歳の誕生日」を見てびっくりしました。来年90歳なんて、驚きです。私はまだまだですね。

はい!そういうことです(笑)。昨日、午後8時からNHKで放送していたのでしたね。私は教育の健康の方を見ていてうっかり見そびれてしまいましたが。
森さんの2000回もそれは素晴らしいことですが、Uさんの天声人語点訳はとっくに2000日以上になりますよね! Uさんも、まずは90歳までを目標に点訳を続けてくださいと申し上げるのは失礼でしょうか。校正にお付き合いさせていただきますので(笑)。
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Uさん(80代)より少し年上の母は、デイサービスで出される宿題のプリントに悪戦苦闘しています。簡単な読み書き計算ですが、長い間、鉛筆を持つことに無縁だった母にはとても苦労のようです。書き慣れない文字はミミズのようで力なく、10本の指に余る計算は難しそうでした(そうは言っても母の名誉のために申し添えれば、家庭を守る経済観念は父も認める賢母です)。

生真面目な母は、解けない箇所は子に教えてもらいながら完成させています。デイのスタッフさんに○をつけてもらうのが楽しみだそうで、最近は計算も速くなり文字も力強くなったと聞きました。昨春の帰郷の折に、懸命に問題を解く姿を撮った写真を、母の日に募集していた某紙に応募したらうれしい佳賞をいただきました。ボードに飾ったその写真は私の日頃の励みにしていますが、母の一途な努力には敵いません。母は苦笑いするでしょうが、その紙面を今日の母の日の贈り物に添えて送りました。



5/7(木) まばたきに等しいほどのいのちかな

写真:アヤメ数日前にいただいた時は堅い蕾だったシャクヤクは、今窓辺で満面の微笑を見せてくれている。花器の水の減りも著しく、ガクの縁には幾つもの水滴を貯えて力強い生命力を感じる。

今、散歩道にはニセアカシヤの白い花が咲き、山肌には薄紫のヤマフジが美しい。花は束の間の華やぎを記憶に残して次々とバトンタッチして行き、時は流れてゆくことを無言で教えてくれている。数日前に雨粒を宿していたアヤメは、疾うにさかりを過ぎてしまったはずだ。

今朝は大根の端の葉を菜飯にと、茹でて刻んだ葉に塩をまぶして菜ばしでかき混ぜていた。チュッチュッ!チュッチュッ!と外からスズメらしい鳴き声が聞こえた。小雀が餌を催促して羽を震わせている姿を想像し、手を止めて窓外に目をやり鳴き声の先を探す。すっかり緑を成したトウカエデの茂みに目を凝らすが姿は見えない。時おりかき混ぜる小鉢の大根葉に目を移しながら、遠くの茂みを探していた。と、相次いで飛び立つ二羽の雀が見えた。遠すぎて親子か番か確認できなかったが、きっと巣立ちをうながす親子スズメだったのだろう。
子どもの日が過ぎて、やがて母の日、重ねて愛鳥週間が始まる。


写真:高槻ジャズスト1(動画にリンク)

端午の節句ならぬ、団子の五月で明けた5月=<マイブームのいきなり団子が高じて、1日は活動グループで流行りのお取り寄せに発展>も、GWが過ぎて平常日となった。整理整頓のGWにと決めこんでいた休日だったが、思いどおりには行かず、家族のレジャーに便乗して、楽しくもちょっぴりくたびれた人並みの連休となった。

3日、毎年恒例の高槻ジャズストリートへ。

毎年5月上旬の二日間、高槻の町は音楽のイベントに湧きます。プロもアマも音楽を楽しむ仲間が集って、すべて無料で楽しむことができる楽しいイベントです。当日も街中は老若男女の往来で賑わっていました。私たちも、遊びでエントリーしていた家族の出番(写真右上、ちょこっと動画も)を聴き終えて大ホールに移動し、FMラジオで、ピーターバラカンさんが紹介されていたプロのワールドジャズグループ "WAY OUT WEST" の素晴らしい演奏を満喫しました。

写真:高槻ジャズスト2 写真:高槻ジャズスト3













翌日、私は留守番の筈を急きょ返上して、家族の釣りに付き合うことになった。目的地の淡路島まで道中は一時 "想定内"の渋滞に巻き込まれて、でんでんむし走行で通り抜けた。釣果は、釣り初体験のにわか釣り師(女性)が20cm余のグレを釣り上げたほかは、海面の波に目を遊ばせただけだった。幸いに明るい曇り空で日焼けの心配も無く、久しぶりの家族遊びを楽しんだ。帰宅は日付が変わった深夜で、昼型人間の私にはさすがにハードで再び目が回ってしまったのだったが…


5/1 '09(金) 茅花食み遊び惚けたこどもの日

写真:チガヤの若穂(ツバナ)
写真:ツバナ(4月)

今ごろの季節になると、チガヤの若い花穂を抜いて食べていた子供の頃を思い出す。田舎ではマカヤと呼んでいた。その若穂は柔らかく、とても甘い味がしたのだった。大人になった今は、花穂が立って5月の風に揺られてはじめて気がつくが、懐かしい思い出だ。その若穂を味わってみたくなって、草地を観察していたらほんの少しふくらんだ軸を見つけた。通りがかった年配の婦人が「懐かしい。子どもの頃に私も食べていたわ」とおっしゃった。柔らかい花穂に野苺を通して食べておられたそうだ。白い茅花に連なった赤い野苺を想像してみたら子どもの頃の味覚がよみがえる気がした。数十年ぶりに味わった茅花は、甘さを抑えた野生ガムの味だった。


写真:チガヤ(5月)
ありんこの目線で---2004.5.20から---

真下にぶら下がる花(?)が涼風に微かに揺れていました。ツリーチャイムを連想するそれは、♪シャラ〜ン♪と爽やかな音を奏でているような…、目に留まるたびにそんな気がします。 郷里ではマカヤと呼んでいました。茅の中の柔らかい若穂を食した思い出がよみがえります。おやつが乏しい時代、ほのかな甘味が美味でした。ツリーチャイムを連想する花穂がこちらの写真⇒。


子どもの日に則って、先日見た映画『子供の情景』の話を少し...
萌黄色のスカーフを被った6歳の少女のつぶらで力強い瞳が物語るアフガニスタンの情景と、学校へ行きたいと願う一途さがいじらしかった。「戦争ごっこはいや」とつぶやく少女・バクタイの瞳に、長い戦禍の憂いを想いました。スクリーンに映る少女の眼差し、鉛筆の代わりの口紅などには若い女性監督ならではの感性が感じられました。
ワンクリックでアフガニスタンの子どもたちに本を贈るキャンペーンが行われています。詳細は⇒こちら。(2009.05)

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