いもじな日々

−作業記録と雑感−

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2000_09

2000-09-27
会田誠

 会田誠の作品集『Lonely Planet』と『ミュータント花子』届く。いいなあ、この作家。

 それにしても、タカラ(?)あたりの小さな人形をモデルに見立てて写真撮影した「久保荘6号室」なんて、1993年の作品だぜ。しかも、説明文がトボケていて大変よろしい。

 それから、「犬」のシリーズ。このモチーフは、永井豪の「バイオレンス・ジャック」でも見た記憶があるが、その視点と作品の雰囲気は全く異なっている。それにしても、ここまでやるか?

...
 唯一つ違和感を感じるのは、(説明文の記述を素直に解釈する限りでは)、「巨大フジ隊員VSキングギドラ」のような作品を「ハイ・カルチャー」である美術の領域に属するものとして、「ロー・カルチャー」であるマンガから区別していることだ。...まあ、プロの芸術家だから制度としての美術を相手にせざるを得ないわけで、しかたがないのだが、...ポストモダンな人達に改めて指摘されるまでもなく、素人の我々にとっては、既に「美術」も「マンガ・アニメ」もフラットな地平にあるわけで、...要するに「良い物は良い」、「好きな物は好き」なのであって、もはや美術作品のアウラもへったくれもないのだ。

 ...いや、彼にはそのことが十分すぎるほど分かっているのかもしれない。 ...彼の作品を見ていると、どうもそんなふうに思えてくる。

* ところで、「シミュレーショニズム」で名を馳せた評論家氏の解説が妙に「浮いていた」のはとても愉快だった。(笑)

2000-09-24
昨日はちょっと評論家してみた。

 ちなみに評論家というのは自分の造形能力は一切棚上げするのがお約束なので、「偉そうなことを言って自分は何を造っているんだ?」という批判は受け付けません。(笑)

 それから一応断っておくけど、「市場経済の支配のもとで単なる商品供給システムになりさがった現代芸術シーン」というのは私の表現だけど、あくまでもレトリックなので誤解無きよう。

 ところで、
  レディ・メイド: Ready Made <> Lady Maid

 こんなシャレは、日本語でしか成立しないが、右辺の言葉は結構「オタク的」かも。ちなみに"lady's maid"は「小間使い」のことだそうだ。

2000-09-23
「ギャラリーフェイク」

 今週のスピリッツの「ギャラリーフェイク」は興味深かった。この中で槍玉に挙がった芸術家について、実際のところはどうなのか、ちょっと調べてみた。WEB上で公開された講演や模型関係の掲示板などを見てみたのだが、現時点の結論としては、「作者の細野不二彦に一票」という感じだ。

 日曜鋳物師としては、創作の基本は、自分が作りたい物を自分の手で作ることであると考えている。そして、その上で初めて作品のオリジナリティが論じられることになる。趣味のレベルであれば、「どこそこで見た作品がすごく良かったので、自分もあんな感じの作品が作りたくて挑戦してみました」でも全く問題ない((c)が関わってくる場合はあるが)。これに対して、いわゆる芸術家の場合は、オリジナルな表現を追求することが本質的に重要な意味を持つはずである。しかし、この「芸術家」氏の発言を読むと、「アート・フィールドでのサバイバル」 だのマーケッティング戦略に則った制作だのに関心が向けられていて、オリジナリティをどのように考えているのか疑問に思えてくる。

「僕の立場は、未発表の文化のプレゼンテーターだと思っていますから、最初の課題は、ボーメさんというフィギュア界の王者の人の文脈をいかに上手くプレゼンテーションするかということでした。」
「制作は、『ガメラ3』のクリーチャーをつくっていたビショップというムーヴィープロップ屋さんに協力してもらい、制作費5.000万円でつくっています。」
「物をつくるには金がかかりますが、バブルでもないのに5.000万円もかけてオタクの固まりみたいなものをつくり、しかもそれでオタクの人は満足させられないし、100個つくって100個売れるわけでもない。でも、アートということに関していえば、これは世界で誰も見たことのないイメージです。」

リアリティのある等身大フィギュア=「ポック・アート」 (「村上隆 講演 PO+KU ARTレボリューション」)より引用。

 要するに、これは単に他人の作風をそのまま真似て自分の作品を作ったということなのか? しかも、どうも自分で直接フィギュアをスクラッチしたわけではないようだ。「それでオタクの人は満足させられない」のは、無理もないのではないだろうか?

 この講演を読むと、現代の教育システムへの批判等、共感できる部分もあるし、非常に頭の切れる人という印象を受ける。しかし、日曜鋳物師は自分の手でものを作らない人は評価しない。かりにも「おたく文化」云々を言うのであれば、苦心しながらフィギュアのガレージキットの手法を確立していった人達に対してきちんと敬意を払うべきだろう。彼らは、自分が欲しいと思うキャラクターのイメージに立体形状を与えるために、そのフィギュアを自分の手で作り出す道を選んだのだ。

−−−ちょっと待てよ...。なにか変だ。
あれほど頭の切れる人が、こんなしょうもないことを素でやるだろうか? たしか彼は、「加瀬大周宇Zプロジェクト」などというパフォーマンスをやったことがあるんだよな。もしかして、この一連の流れは、村上隆自身が演じる壮大なパフォーマンスなのか?

 彼は、このままアート・マーケットや評論家などを引っ張り回したあげく、最後にちゃぶ台返し(この表現、変?)をやってのけるつもりではないのだろうか? もしそうだったら、すごいことだ! 「市場経済の支配のもとで単なる商品供給システムになりさがった現代芸術シーンを徹底的に笑いのめす」ことにより、「美術史上最も強烈なパフォーマンス」として、デュシャンのレディ・メイドと肩を並べるかも...。これは、ますます目が離せなくなってきた!(笑)

2000-09-09
作業記録

 ペーパーウェイトとペーパーナイフのバリ取りと写真撮影。


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2000年9月
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