いもじな日々

−作業記録と雑感−

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2001_05

2001-05-27
漫画

 集英社文庫で出ている弓月光『ボクの初体験』を書店で見つけて、あまりの懐かしさに思わず購入。(笑)>

2001-05-25
ニーチェ

 竹田青嗣(著)『ニーチェ入門』(筑摩書房,1994) 読了。まあまあ良く書けていると思う。しかし、どうもスッキリしねーなぁ。まあ、相手が悪いか。ニーチェだからな。 ...これは単なる直感なのだが、ニーチェが編み出した批判の「方法」は、「永劫回帰」だの「超人」だのといったニーチェの「教説」をも葬り去る力を持っている。...と思う。

 また、ニーチェの思想を駆動しているのは、キリスト教との対決という「意志」だ。逆に言えば、そのようなあり方を通して、キリスト教に囚われている。そして、そのことがニーチェの思想の純度を損なっているのではないか?...とも感じる。

 それとは別に、ごく素朴な疑問。

「永劫回帰」と「超人」:

 「超人」ってば、「人間」がそれへの進化の単なるステップでしか過ぎないようなスゴイ存在なんだよね。でも、今はいないよね。だったら何時か滅んじまったんだよね。だって、世界は永劫回帰するんだろ? ...だったら意味ねーじゃん! (19歳くらいの時そう思った)

「力への意志」:

 少なくとも有性生殖をする生物種の個体は、「力への意志」が必ず挫折するように造られている。すなわち、生まれたときから、「死」がプログラムされている。これはどう考えればよいのか? しかし、ニーチェには「死」の思想がない。...

 現在、最も説得力があるのは「利己的遺伝子」という考え方かもしれない。...<遺伝子は自分自身を増やそうとする行動のプログラムであり、生物の個体自体は、時の流れの中を遺伝子を乗せて運ぶ乗り物に過ぎない。>...この考えに立てば、個体の「死」は世代交代の必要から導かれる「合理的な方法」であり、それは結局のところ、より確実に遺伝子を存続させるための戦略だというわけだ。ニーチェにおいては個体レベルで考えられていた「力への意志」の概念を「遺伝子」のレベルに移行させたのが「利己的遺伝子」という概念である、と見ることもできる。しかし、この結果として、ニーチェが追求しようとした、個人として「如何に生きるか」という部分が、完全に覆されてしまう。

 ただ、進化の過程では遺伝子自体が変化する訳で、「利己的遺伝子」そのものは生命の戦略の一部分に過ぎないような気がする。私には、生命の戦略は、遺伝子そのものの変異をも折り込み済みであるように思われる。例えば、バクテリア。遺伝子の複製過程ではある確率で変異が生じる。薬物耐性を持ったバクテリアの出現を可能にした要因は、個体の構成は単純にし、その代わり凄まじい高速度で増殖するというバクテリアの戦略だったのではないだろうか? これを言い換えれば、一種の遺伝子改変によって、環境に合わせて自らの体を作り変えていく戦略と言ったら良いだろうか。

 このように考えてくると、生命にとって保存されるべきものとは、単なる設計図である遺伝情報ではなく、生命という特異な熱力学的状態そのものである、ということになるような気がする。これは、「力への意志」ではなく、むしろ「生への意志」、ニーチェが否定したショーペンハウエルの「生への意志」の新しい形ではないだろうか。

 ...しかし、以上のような考え方は、生命があたかも意志を持つ「実体」であるかのような表現をしてしまっている。この点には、自分自身納得がいかない。...まあ、この方面にはあまり詳しくないので、明確な答えを出すには、決定的に知識が不足しているのだが。

 それはともかく、人間はあくまでも生物であり、その個体そのものは自己保存の本能に従って生き続けようとする。しかし、その一方で、自己の死が避けられないものであることを知っている。...思うに、この状況こそが人間の悲劇の根元なのではないだろうか? 問題は、「死」が存在する事ではない。その存在を知ってしまったことだ。...しかし、自己の死をも理解する高度の知能故に、今ここにいる自分が、まさしく「唯一の自分」であるという事をも理解することができる。それこそが、人間のささやかな栄光ではないか。なんだか、そんな気がする。ごく平凡な結論だが、「真理」なんてそんなものかも。

2001-05-24
シミュレーションと認識

 「実在論」(*1)、すなわち自己の外部にある物理的実在を確信することは、結局のところ、リクツではなく実践の問題なのだ。あるいは、ともかく自分がこれまで生きながらえてきたという「実感」こそが、これまでの自分の世界認識の妥当性を裏付ける根拠の根底であると言って良い。

 いずれにしても、我々は、生まれ落ちてから今まで、外界に対する判断や対処のちょっとした誤りが命取りになるかもしれないという状況に常に置かれてきたのであって、それは例えば、細い平均台の上を歩くようなものだ。目測を誤ったりバランス崩せば、たちまち落下してしまう。そのような状況において、シミュレーショニズムが依拠している「シミュレーションこそが実在を生みだす」などという思想が、いったいどれほど有効だというのだろうか? 無力な赤ん坊がどのようにして成長し自立していくかを考えてみればよい。我々各自が獲得した「世界像」は、決して外界の完全なシミュレーション像ではないが、それでも、大げさに言えば、我々自身の「命を懸けた」実践と、そしてこれまで我々を守ってくれた人達の賜物なのだ。

(注)
 (*1) ここで言う「実在論」は、西洋思想史的には「唯物論」と言うべきかもしれない。不用意に「実在論」というと、スコラ哲学時代の普遍論争において「唯名論」と対立した「実在論」と混同されてしまいかねないからだ。 ただ、「唯物論」と言うと、これまた微妙なバイアスがかかってしまうような気がするので、あえて「実在論」とした。

2001-05-23
書籍3冊購入。

  1. 柴橋伴夫(著)『風の王 砂澤ビッキの世界』,(響文社, 2001年)
  2. 松木武彦(著)『人はなぜ戦うのか 考古学から見た戦争』,(講談社, 2001年)
  3. 桜井哲夫(著)『フーコー』,(講談社, 2001年)

 特に、二冊目の『人はなぜ戦うのか』には期待。書店で軽い気持ちで手にとって導入部を読み始めたら、そこでの議論がまさに「目から鱗」で、これだから本読みはやめられない。

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 2001-05-21に書いた「ゴルゴ13」のネタに誤りがあったため訂正(済)。2000年問題に絡んでいたとされるのは、湾岸戦争ではなくて、その後の(1998年から1999年にかけての)軍事介入だったんだね。

 ただ、湾岸戦争に関しても「米国陰謀説」があるようだ。この説の根拠は、
  (1)アメリカは、イラクのクウェート侵略を阻止しようとしなかった。
  (2)アメリカは、1990年前半には既にイラクを敵とした戦争計画を作成し、図上演習も行っていた。
といったところだそうだ。また、クウェートがOPECの決定に反して行った原油の増産は、イラクを挑発することを目的とした米国の工作によるものであったとする見方もあるようだ。

2001-05-21
シミュレーション?

増補 シミュレーショニズム』をボチボチ読み始めている。「シミュレーショニズム講義篇」は大体読み終えた。それにしても、この講義で一度もボードリヤールの名前が出てこないのは何故なんだ? たしか、「シミュレーショニズム」が依拠する特殊な「シミュレーション」概念は彼から借りてきたんだよな。

 まあ、はっきり言って、ボードリヤールが「湾岸戦争は起こらなかった」などと言い出した時点で、その思想の限界が露呈された(というか、自滅した)訳で、こんな言説より、例えば、<1998年から1999年にかけてのイラクへの制裁爆撃やユーゴへの大規模爆撃は、2000年問題のために使い物にならなくなる兵器をその前に消費することを目的としてアメリカが行った軍事行動である>というマンガの「ゴルゴ13」の分析の方が遙かに魅力的だ(真偽はともかく)。

2001-05-16
prints21 「恋月姫 少女繭」

 今年の1月に書店経由で注文し、品切れ・返品待ちだった「prints21」が届いた。まあ、既に一冊通販で入手しているから遅れてもいいんだけど...。ぺらぺらめくりながら、この前、東京で見てきた恋月姫の作品の名前を調べてみた。ちょっと確定できないのだが、(1)ビスク、(2)sleeping eyes、(3)佐吉コレクションという特徴と「Head No.」の近い作品の写真を参考にして候補を絞っていくと、「戯れの夢見」(1997)に行き着く。...確信は無いけど。

2001-05-12
研磨 −雪の結晶のキャンディ入れ−

 研磨(けんま)って、研く(みがく)+磨く(みがく)なんだよな。良くできた言葉だと、つくづく感心した次第です。(嘆息)

 ただ、私は、金属の美しい光沢が大好きなので、だんだん仕上がってくると、何とも言えない嬉しい気持ちになる。...前世はカモメ(seamew)ではなくてカラスだったか? "Nevermore"(笑)。

 しかし、製品に求められる光沢というのも、用途によって変わるのが当然だろうと思う。いまつくっている「キャンディ入れ」などは、たぶん初々しい光沢がふさわしい。だけど、ミニトマトやアスパラを盛った器だったら、落ち着いた光沢が合っていると思う。

2001-05-11
『シミュレーショニズム』

 ちくま文庫の椹木野衣(著)『増補シミュレーショニズム』を書店で見つけて購入。

 『シミュレーショニズム』は、洋泉社から刊行され、その後、河出文庫版が出たが、これも品切れで、今まで入手できなかったものだ。今回の刊では、冒頭に100ページを越える「シミュレーショニズム講義篇」というのが加えられており、著者の今の考えを知ることができる。Webに掲載されたインタビューを読む限りでは、「シミュレーショニズム」を日本に持ち込んだことの問題点を意識しているようなのだが。...まあ、読むのが楽しみだ。

 話は全然変わるが、バーチャルネットアイドル「ちゆ12歳」! 萌え〜(笑)。
バーチャルネットアイドル ちゆ12歳

2001-05-10
ディスプレイ

 「北海道の野外彫刻」のページを作った関係で、ディスプレイの調整が気になっていろいろ調べてみた。 ...それにしても同じWindowsマシンでもディスプレイによって表示される画像がまったく変わってしまうのには愕然とした。これがさらに、ガンマ値が違うMacだったら、どうなるですかーって感じだ。ITだとか何だとか言ったって、こんな基本的な設定がバラバラだったらどうしようもないじゃん。

2001-05-04
研き −雪の結晶のキャンディ入れ−

 薄肉中空鋳物+透かし付き −> 表面積:大+形状:複雑 −> 研きがメッチャ大変(ーー)

 いや、当初の予定では、雪の結晶の部分に本物の雪が持つ精緻な模様を刻み込むつもりだったんだけど(笑)...それをやるとしたら、もっと手法を洗練させないとだめなことが、今回よく分かった。...今のレベルで、そんな模様を付けてたら、...考えただけでも気が遠くなる。

2001-05-03
鋳放し材 −雪の結晶のキャンディ入れ−

鋳放し材1 鋳放し材2

 ようやく完成のめどが立ってきたので、とりあえず鋳放し材の画像をUP。1999年の10月から始めた作品だから約1年半。
 "薄肉の中空鋳物+透かし付き"という、「素人じゃ、どう考えても無理だろ!」という一人突っ込みを入れたくなるような課題に敢えて取り組んでみました。
 モデル造形素材の探索から始めて...、まあ、とにかく大変でした。

2001-05-02
スクリーンセーバー

 「北海道の野外彫刻スクリーンセーバーNo.1」をVectorに登録した(URL)。

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 ちくま新書の 永井均(著)『ウィトゲンシュタイン入門』(筑摩書房,1995) 読了。この「入門」シリーズ、カルチュラル・スタディーズ、フーコー、バタイユ、ウィトゲンシュタインと読んできたのだが、どれも本当によく書けていて、感動的でさえある。これは、著者たちが自分自身の人生に深い関わりのある思想家について書いているためだろう。そう考えると、編集者の力量は相当のものだと言える。


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2001年5月
日曜鋳物師のページ