いもじな日々

−作業記録と雑感−

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2002_01

2002-01-31
「ウィーン分離派」展

 渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開催中の展覧会「ウィーン分離派 1898-1918 クリムトからシーレまで」を観る。この手の展覧会としては良くまとまった内容だった。...1年前だったら十分堪能できたに違いない。

 しかし、ここのところベルメール作品を集中して見てきたせいか、ほとんどの作品が生ぬるい上滑りしたものに見えて仕方がなかった。僅かな例外は、クリムトの丹念に描かれた鉛筆画やクノップフのパステル画、セガンティーニの油絵、...そして、誰よりも凄かったのがエゴン・シーレだった。シーレのデッサンの強度はベルメールの最良のものに匹敵する。何気なく引かれたような鉛筆の線と絵の具の筆触、ただそれだけなのに...。今回の展覧会で、シーレこそ紛れもない天才だと確信した。

2002-01-23
「Midnight Déjàvu 色彩のブルース」/EGO-WRAPPIN'

 シングルCDを買ったのは、Coccoの「けもの道」以来、2枚目だ。

 1曲目の「色彩のブルース」は、2000年9月にリリースされたインディーズ版のミニアルバム「色彩のブルース」に収録された表題曲のニューミックス・リマスタリング・バージョンとのこと。ちなみに、「エゴ・ラッピン」はヴォーカルの中納良恵とギターの森雅樹の二人のユニット。結成は1996年。

2002-01-12
「美と出会う」 四谷シモン

 夜10時半からNHK教育で放映された「美と出会う 人形作家四谷シモン・聖なる顔を求めて」を観る。題名に端的に言い表されているように、いま四谷シモンが目指しているのは、人形に「聖なる顔」を与えるということだった。

 ...「聖なる顔」か。これほどハンス・ベルメールから遠い表現はない。ベルメールが、この地上で生を受けて這いずり回る人間存在の有様を冷徹に腑分けする事に徹したのに対して、四谷シモンは、天上に向かう者の属性をその手で創り出すことを願っているのだ。だが、「聖なる顔」を持った「人形」とは、いったいどのようなものなのか? 神ならぬ人間が自らの製作物に「聖性」を付与したと確信した時点で、その「聖性」なるものは直ちにその反対物に転化するのではないのか? とするならば、四谷シモンはそれが絶対に到達することが出来ない無限遠の彼方にあることを知りつつ、それに向かおうとしているのか?...たしかに、それも人間としての生き方の一つかも知れない。

2002-01-12
「シャ・リオン」/河井英里

 たまたま知人から借りた「peaceful」(ポニーキャニオンPCCY-01482)というCDの2曲目にこの曲が入っていて、懐かしくて繰り返し聴いている。この曲は、フジテレビ系列の番組「ワーズワースの庭で」と「ワーズワースの冒険」のテーマソングだった。当時、CDがあったら買いたいと思っていたのだが、なかなか見つからず結局諦めた。

 この曲を聴くと天野可淡の人形が思い浮かぶ。この番組で唯一記憶に残っているのが、「消えた少女人形の謎〜カタン・ドールの世界〜」と題された「ワーズワースの冒険」の第22話なのだ。たしか、猫の人形が、生みの親(可淡)を追い求めて失踪した少女人形を探し回るというあらすじだったと記憶している。当時、可淡のことは、人形写真集を本屋で見て知っていた。放映日を調べてみたら、1994年8月28日。...あれから7年以上も経ったのか。

 ところで、この曲の歌詞は一体何語なんだろうか?と疑問に思っていたのだが、なんと「造語」なのだそうだ。


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2002年1月
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