いもじな日々

−作業記録と雑感−

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2004_05

2004-05-29
田中一村展 その後

 <アダン>ちゃんかよ。(´Д`)

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[書籍]

2004-05-22
田中一村展

 大丸札幌店で開催中の「田中一村展」を見に行く。この画家のことを初めて知ったのは、「田中一村論」というWebページでだった。幸い、このページの冒頭に次のような文章があるので、何時頃か見当がつく。

今日2002年2月24日NHKの日曜美術館「田中一村 亜熱帯の理想郷」を見ながら田中一村作品集(昭和60年刊)を繰りながら書く。

 このページのあるサイト(白翔画廊)を見つけたのは、ハンス・ベルメールに関する検索の過程だった。私はこのサイトのベルメール論とは別の考えを持つが、ここに掲載されている「芸術日誌」という文章が好きで、時々見ていた。そして、件のページを読んだのだが、たちまち引き込まれた。このページには文章と共に「アダンの木」等の作品の画像が引用されていて、そのお陰でこの画家の作品の印象が深く記憶に刻み込まれた。

 「田中一村論」の筆者は次のように書く。

取るに足らない情報さえ飛び交うこの情報化社会において、この画業にしてよくもまあ情報の網の目から漏れていたことの不思議さを思う。それはとりもなおさずその奥にある画家の生き方の凄さを感じさせるからである。彼は悟りを目指す修行僧のようである。私にとっては幾度と無くあこがれた世界だった。というのはつい数年前までは私も都会のジャングルの片隅で独り部屋にこもりながら私の画業にいそしんでいた。孤独な作業。一心不乱に憑かれたように。狂気に近いほどかも知れなかった。ふと振り返れば潤いのない寂しい人生だ。このままストイックに修行僧のように生きていくか?それとも女と愛のまねごとでもしながらゆっくり行くか?絵描きの生活は楽ではなく概ね貧乏暮らしを余儀なくさせられることを考えれば独りで行くことの選択は真っ先に考えざるをえない。これは随分迷った。迷った末に安易な誘惑に負けてしまったという話になるのか?それとも人間らしい感情を取り戻したという話になるのか?まあ、同じ事ではあるのですが女と愛の巣を築きながら流れとして、やがては家族を希求するようになる。独りで行く選択は多分、天才願望・異端願望・自殺願望・その他諸々のマージナルな極みを目指した生き方に恐らくはなる。こうゆう危ない生き方に追い込んでいく選択も選択の一つとして確かにあった。ほんとに迷った。二兎追うものは一兎も得ずということではなく、一方が成り立てば一方は成り立たないというレベルのものだ。まあ、何かを選ぶ行為は何かを捨てる行為でもあるわけですから選んだ人生に肯定半分悔いが半分なのは世の習い、私は取り逃がしたもう一つの人生を歩んだ一村に思いを馳せながら感慨に耽っていた。

 上の引用のような一村への<共感と羨望>に触れたとき、「画家の生き方とはそれほど苛酷なものか」と感銘を受けた記憶がある。

 手元の『田中一村作品集』(1)によると、彼の死後、その作品が偶然NHKのディレクターの目にとまったのが契機となって、1984年12月16日のNHK教育テレビ「日曜美術館」で「黒潮の画譜−異端の画家・田中一村」として放映され、これが全国的に知られるきっかけとなったようだ。少なくともこの時点では、有力な評論家や美術団体の推薦もない無名の画家であった。この放送が反響を呼んで、その後、何度も再放送されたようだが、「田中一村論」を読んだ時点でいろいろ検索をかけてみた時の印象は、「知る人ぞ知る画家」だった。

 だから、この画家の展覧会がデパートのギャラリーで開かれていることを知ったときは少々驚いたのだが、さらに実際に行ってみると、「奄美群島日本復帰50周年記念」? え? 「田中一村記念美術館」なんてのができてたの? みたいな感じだった。

 たしかに彼の作風は一般に受け入れられやすいし、何より日本人の芸術家観にぴったり合うような「孤高」の生涯と劇的な発見の経緯を考えれば、人気が出るのは当然か。

 だが、今回の展覧会では、この画家にはそぐわない何か妙に政治的・商業的な臭いが感じられたのも確かだ。そのことが確証できたのが、最後のビデオ上映のコーナーで、奄美大島の「奄美パーク」なる観光施設の中核として「田中一村記念美術館」が位置付けられていたことを知った時だ。

 私は、この美術館の意義を一概に否定するつもりはないが、ハコもの行政のネタに体よく使われたのではないかという気もしないわけではない。私にこの画家の存在を教えてくれた「白翔画廊」の作者にそれについての見解を聞いてみたい気がする。そして、もはや不可能ではあるが、当の画家本人にも。

 (1) 『田中一村作品集[新版]』(解説=中野惇夫、大矢鞆音)(日本放送出版会, 2001.10.25) 7刷発行(2004.4.20)

 あ、作品の感想を書くのを忘れていた。奄美に渡った後の作品の幾つかは良いと思った。一番好きな作品は「アダンの木」だな。それからちょっと思ったのだが、彼の絵はもう少し明るいところで鑑賞した方が良いのではないかな。

2004-05-20
逃避のツケ。

 睡眠不足。やっと今日で一時解放。ということで、以下の言葉(5/16参照)を少し考えてみた。

「私が既に発した言葉は、私を常に更新する」のであって、「私」は言葉(発語)の「結果」として遡行的に構築しなおされるものだろう

 これは、<私は実践において世界に働きかけ、その反作用によって変化していく>という内容の事を、構造主義的に表現したものと考えて良いのかな?

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[書籍]

2004-05-17
ほんとは忙しいんだけど。

 逃避モード。

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[メモ] ベルメール、「球体関節人形展」関連

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[書籍]

 『プロ倫』の方は、梶山・大塚共訳の二分冊版のものを読んだことがある。また、『ド・イデ』は誰の訳か忘れたがアドラツキー版の訳を買ったものの読まないまま何処かにやってしまった。大昔のことだ。どちらも新版をそのうち読もうと思いながら、今までズルズルときてしまった。

2004-05-16
「美術」という制度

 せっかく貴重な回答が寄せられたので、永瀬氏の「作品は作家を消しうるか」を読んだ感想の概要を(日記らしく独り言っぽく)書いてみる。

 まずは、感銘を受けた後半部分の引用から。

製作の現場においては、まず先行する諸作品への批評から、自らの絵画が開始されます。そして、完成というのは、その作家の批評性のある臨界点を示しています。作品を展示する、というのは、その作家の批評性を、多様な別の角度からの批評に曝すことによって、止まってしまったと思えた作品を更に稼動させようとする行為です。自らの手ではこれ以上回転させることができなくなった作品が、作家の手を離れて(作家と無関係になって)、新たに回転してくれることを期待しながら筆を置くことになります。

 この部分はこれまでの私には無かった考えで、とても新鮮だった。そして同時に、科学・技術の世界に身を置く者としては、非常に理解しやすい考え方だった。[(既存の研究の)批判→(新たな研究の)実践→(研究成果の)公開→]というサイクルは、まさしく科学研究活動の基礎となるものだからだ。
 しかし、これらの構造がまったく同じであることが、逆の意味で疑問をもたらすことになる。
 もしかしたら、このような進歩史観的な考え方は、必ずしも美術の本質ではなく、例えば近代になって成立した一つの「制度」における見方に過ぎないのではないだろうか、と。そして、永瀬氏の批判する「作家が「自己イメージ」の保護を優先して、そこから自由であるべき「作品」を犠牲にしてしまうような態度(例えば通俗的耽美主義者のド−ル趣味)」のような創作活動が、実はこの「制度」の外で営まれているものだとしたら、どうだろうか?

 もう一点。

この主張を例えば言語コミュニケーションの場合に置き換えると、<私が既に話した言葉は、私とは何の関係もない。>という主張となるのでは? う〜ん、ますます解らん。
という私の疑問に対して、永瀬氏は次のように答えている。

僕自身は、コミュニケーションとエクスプレッションは、基本的に違うものだと思いますので、ここは「置き換えてはいけない」と思います。ただ、「言葉」を「作品」と乱暴に結び付けて言ってしまえば、文字どおり「私が既に話した言葉は、私とは何の関係もない。」のではないでしょうか。
 
基本的に「私が既に話した言葉は、私とは何の関係もない」ということが混乱を引き起こすのは、発語する主体は常に一貫性をもっていて、その一貫した主体を「正確に表す」のが「言葉」である、という前提があるからだと思えます。僕はこの前提を疑います。

 ここで、若干のすれ違いがあるように思うのだが、・・・<私が言葉を発する>ことは、エクスプレッションと見ることもでき、一方で、それが他者にどの様に伝達され評価されるかという問題はコミュニケーションの問題だということで、今問題にしている事柄は最終的にはコミュニケーションの問題になる(のではないか)というのが私の考えだった。

 それとは別に、この回答で興味深かった部分は、上の引用の後の

おそらく正確に書くならば「私が既に発した言葉は、私を常に更新する」のであって、「私」は言葉(発語)の「結果」として遡行的に構築しなおされるものだろう、と思えます
というくだりだ。この考えを精確に把握しているとは未だ確信できないのだが、いずれにしても、「常に更新する」とか「構築しなおされるもの」という言葉の対象として指示される<私>は、事前も事後も依然として<私>であり、その意味では私の疑問はまだ生きている。
 また、我々の日常生活の実践感覚として、自分が過去から現在に至るまで或る一貫性(自己同一性)を持って存在してきたと認識していることは否定できないだろう。そして、その様な前提がなければ、批評活動そのものが成立しなくなると思う。

2004-05-15
WWWとP2Pの可能性

 先日、リンクと同時に作品論に言及したサイト「はてなダイアリー−paint/note」の5月7日付けの記事(作品は作家を消しうるか)に、私の疑問に対する「回答」が掲載されていた。その内容そのものが興味深く、様々な点で参考になるものだったのだが、それとは別に、この回答が即座に為された事そのものに、WWWの新たなフェイズが垣間見えたたように思えて興味深かった。

 どうやら「はてなダイアリー」には、自動のアクセス解析かそれに類するリンク元探知機能があるようだ。「paint/note」の作者(永瀬恭一氏)はこの機能を利用して網状討論をほぼリアルタイムで行っているわけだ。

 私なりに理解した"Web"開発者Tim Berners-Leeの研究目的は、ハイパーテキスト文書をクモの巣状に張り巡らせることによって、ネットワークを基盤とするデータベースを創り上げることだった。それを実現するのがハイパーテキスト間のリンクなのだが、真の意味で「使える」データベースとしてのWebが姿を現したのは、googleのような大規模な検索サイトが登場した時だと私は考えている。そして、いま私は自分のサイトがこの巨大なデータベースの一片であるという認識を持ちながら制作をしているわけだ(ここ「いもじな日々」は例外)。

 しかし、今姿を現しつつあるWebの姿は、例えばWeb日記を有機的に結びつけることによって立体的な公開討論を可能にする。そして、その記録がデーターベースに格納されることになる。これは凄いことだ。

 ただ、データベースとしての現在のWebには大きな弱点がある。例えば、せっかくリンク集を作っても、リンク先が移動したり消滅したり、また内容が全く変わっていたりすることは良く経験することだ。このような不安定性は「論文」中で引用文献としてリンクを張る場合には致命的になる。

 実は、この問題に対する技術的回答が、別の所から見え始めていた。それが「Winny」だ。私自身は「WinMX」や「Winny」のようなファイル交換ソフトは使ったことはないが、ネット上のデータベースという観点から、WinnyのようなP2P技術が将来重要な位置を占めるのではないかと考えていた。例えば、こうだ。まず、論文の作者は、論文を例えばPDFファイルに固め、特定のID番号を附して、Winnyネットワークに「放流」する。その結果、彼の論文は広大なインターネットというストレージに格納されることになる。そして、別の論文の作者は、そのID番号によって引用を行えばよい。

 これは夢の一例にすぎない。P2Pの可能性は、たぶんもっと豊かだろうと思う。その可能性を潰そうとする者は、その汚名を歴史に残す覚悟があるのだろうか?

2004-05-14
タイ

 8日から13日までタイのバンコクに滞在、本日帰札。2日目夜にシャングリラ・ホテル(かなり高級)のイタリアン・レストランで食べたサラダのせいか翌日から下痢に悩まされた。生野菜と氷には要注意。身体が適応するまでは高級レストランでも気を許してはいけない。...ということが分かった(遅過ぎたけど)。

 それから、最終日、チャーターしたバスに預けた複数のトランクの中から現金が盗まれていることが帰りの空港で判明した(私は大した物を入れてなかったので無問題だった)。こういうのが無ければとても良い所なのだが。 ...と思う反面、あっけらかんとこういう事をやられると、本質的な価値観の相違を想定したくなる。要するに、余った金を持っている者は、必要な者に「分配」するのが当然、という価値観だ。(もちろん、今回の被害者の場合、決して不必要な金だったわけではない。ただ、日本人=「金持ち」というイメージがあることも事実だと思う。) いずれにしても、日本がアメリカ的価値観の上澄み(弱肉強食信仰)を受け入れて向かいつつある地獄のような社会より、この国の方が或る意味よっぽど人間に優しいように思えるのだ。 ...まあ、被害者でなかったから、こんなことを言えるのだろうが...。

 さて、お土産に、タイの古典音楽やポピュラー歌手のCDとピューター製品を幾つか購入。タイは有数の錫の産地で、土産物屋や免税店にはピューター製品のコーナーがあるほどだ。

ピューター製品
タイのピューター製品 タイのピューター製品

(1) 自分用に購入したタイのピューター製品。古いアイロンの形を模した置物。舟の舳先に鳥の頭を配したデザインは、日本を含む古代の海洋民族が残した「鳥+舟」のモチーフが基になっているのかもしれない。かつて、海洋民は舟に鳥を飼っていて、陸の方角を知りたい時に鳥を飛ばしたらしい。彼らにとって鳥は舟を導く存在だったわけだ。
(2) 葉書やメモを挟んでおくのに使用中。

ホテルの窓から眺めたバンコクの風景
ホテルの窓から眺めたバンコクの風景

(1) 寺院と高層建築とバラックが同居する街。

2004-05-05
作品論(3日の続き)

 (1) 作品は作者の意図あるいは意志に基づいて制作される。
 (2) 作者は完成したと見なした作品を何らかの意図の下に発表する。(作家としての評価を勝ち得るため。金銭・権威・権力の獲得のため。作品に託したメッセージを公開するため。作品に対する反響によって、自己の存在を確認するため。etc.)
 (3) しかし、作者の創作意図が完全に他者に伝わることは期待できない。あるいは、他者による評価は作者の主観からは独立している。(コミュニケーション/ディスコミュニケーションの問題。)

 このあたりまでは解を導くことができるが、ここから<作品と作家はまったくの他人です。>という主張までの間には大きな断絶がある。これをどう考えればよいか?
 この主張を例えば言語コミュニケーションの場合に置き換えると、<私が既に話した言葉は、私とは何の関係もない。>という主張となるのでは? う〜ん、ますます解らん。

2004-05-03
装幀の勝利

 金原ひとみ『アッシュベイビー』購入。装幀で本を買ったのは、表紙が山本六三の作品だった「幻想文学」以来だ。

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[メモ] ベルメール、「球体関節人形展」、「イノセンス」関連

 例の如く、この件に関しては論評無しで。

2004-05-02
動画サイト

 貴重な歴史関連動画。(2007.5リンク更新)

2004-05-01
ナルシシズム、ピグマリオニズム

 ナルシシズムの一つの側面を次のように基礎付けてみる。

 ナルシシズムは人間の互いに相容れない二つの本質に基づいている。

「利己的な人間」である自分は、同時に他者との「繋がり」を必要としている。しかし、利己的で自立した他者とつき合うことは自己にとって不快である。ならば、利己的な自意識が希薄か、あるいは全く無い他者を相手にすればよい。その相手とは、例えばペットであり人形である。

 ここまでくると、この話が実は「イノセンス」について語っている事が分かってくるだろう。何故、バトーが、最後に救出した少女に対して怒りを顕わにしたのか? 何故、少女の泣き顔が醜く表現されたのか? それは、彼女のとった行動が利己的であったためだ。それが「人間」としては自己防衛のためのやむを得ない行動ではあると理性では理解できたとしても、自己のためには他者の犠牲を省みない「人間」というものに対する嫌悪感がそこで爆発したのだ。バトーが人形だって? 笑わさないでくれ。バトーはピグマリオンの方だ。


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2004年5月
日曜鋳物師のページ