いもじな日々

−作業記録と雑感−

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2004_08

2004-08-29
オイディプスとスフィンクス

 「1つの声を持ち、2つ足にして、また4つ足にして、また3つ足なるものが、この地上にいる。地を這い、空を飛び、海中を泳ぐものどものうち、これほど姿・背丈を変えるものはない。これが最も多くの足で支えられて歩く時に、その肢体の力は最も弱く、その速さは最も遅い。」

 コリントス王の息子オイディプスは、デルポイの神殿で「故郷に帰れば父を殺し母を妻とする」という神託を受ける。彼は、この神託から逃れるべく、国に戻らず旅に出る。その途中の道で権高な老人の一行と諍いとなり、勢い余って老人を殺してしまう。

 放浪のオイディプスがテーバイの町に差し掛かろうとしていた頃、テーバイの町は混乱のさなかにあった。近くの丘に怪物が住み着き、通りかかる旅人に謎をかけては、答えられない者を次々と餌食にしていた。国王不在の状態が続いていたテーバイの町はこの怪物”スフィンクス”を退治した者を国王にするという触れを出していた。

 オイディプスはスフィンクスと対峙する。そしてスフィンクスの謎に自らを指さしながらこう答える。

 「それは、人間だ。」

 赤子の人間は四つん這いだが、やがて二足で歩き回り、老人になったときに杖をつく。これがオイディプスの考えだった。謎を解かれたスフィンクスは丘の上から身を投げる。

 オイディプスはテーバイの王位に就く。前王の妃イオカステを妻とし、やがて、イオカステとの間に4人の子供をもうける。 ...しかし、彼の統治の元にあるテーバイの町に疫病が流行り出す。神託によれば、その原因は、前王ライオスの殺害犯がこの町にいることだという。オイディプスは、その犯人を捜し始める。

 ...そして、オイディプスは全てを知ることになる。

 かつて、テーバイ王ライオスと妃イオカステとの間に一人の王子が誕生した。しかし、それは許されざる交わりの結果であった。 「生まれてくる子は父親を殺し、母親を妻とする」...。ライオスとイオカステは、赤子の足をピンで刺し、テーバイとコリントスの国境に捨てた。しかし、幸いにも赤子はコリントスの羊飼いに拾われ、子供に恵まれなかったコリントス王の子供として育てられることになった。この赤子はその足の傷にちなんで「オイディプス」(腫れ足)と名付けられた。

 オイディプスが旅の途中で出会って殺した老人こそが彼の実父ライオスであり、そして妻として子供をもうけたイオカステがオイディプスの実母であった。「父を殺し、母と交わる」という呪われた宿命を避けるための試みが、逆にその宿命を形作ってきたのだった。

 真実を知ったイオカステは自らの命を絶ち、オイディプスは己の両の眼を刺す。

 かつて両足に傷を負った赤子は、いまや盲目となり杖にすがって歩く身となる。「2つ足にして、また4つ足にして、また3つ足なるもの」。それはオイディプス自身であった。それがスフィンクスの謎の真の答えだった。

 だが、オイディプスがスフィンクスに答えたときに本当に己の運命を知っていたとしたら、その後の物語は成立しない。オイディプスの答えは「人間一般」を意味していた。しかし、スフィンクスは、オイディプスが「自分」だと答えたものと誤解した。およそ考えられる限りの悲惨な運命を己のものと知りつつ、動揺の素振りすら示さない人間の存在にスフィンクスは衝撃を受け、自らを滅することを選んだのだ。仮に、スフィンクスという存在が、自己の真の姿も知らず見えない未来に自らを投げ込む他は生きる術のない人間存在の有様を啓示する事をその本質としているとするなら、スフィンクスにとって自らの存在意義そのものが否定されたことになると言える。そして、スフィンクスとて、自らの運命に関しては人間と同等の存在なのだ。

 スフィンクスが畏れた存在。かつてギリシャ文献学者として自らのキャリアを始めたあの哲学者なら、それを「超人」と呼ぶかもしれない。あるいは、これは素人の空想にすぎないが、彼、ニーチェの超人思想の成立に、このギリシャ神話がひそかに影響を及ぼした可能性もあるかもしれない。

(参考サイト)

(画像)

2004-08-28
もう秋空だよ

 『ハンス・ベルメール写真集』届く。リブロポート版(1984.8.10)の復刊。修正の在る所も同じ。

[書籍]

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[アート] フェルナン・クノップフ

 今年の7月にベルギーに行く予定だったのだが、避けられない用事で断念せざるを得なかった。その鬱憤が今になって蘇ってきた(笑)。

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[メモ] ベルメール&人形関連

2004-08-22
ジャケ写

 ベルメールの人形写真をジャケ写に使ったJohn Zornと彼の「ロック・バンド」"NAKED CITY"のCDの情報。 (2007.10.16リンク再構成)

"Absinthe"のレビュアーの評の一部を引用。

完全フリーなジャズのインプロ。ジョン・ゾーンが何者か知らずにこのアルバムから聴き始めると、多分きらいになる。(笑)
 
きくものに迎合する甘さなど一切持ち合わせていない、表現だけのための音楽。アバンギャルドの極北です。

 最近はこういうのをフリージャズと言うのか? まあ、よくわからんが。試聴の範囲では、なんとなく、"a dark ENO"みたいな感じがした。

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[書籍]

2004-08-20
夜の木々。形而上学者たち。

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[書籍]

2004-08-13
金曜日 もう涼しい

 松岡正剛 『花鳥風月の科学』(中公文庫, 2004.6.25)読む。次から次へと博い知識を披露されて、読んでいる最中は結構面白かったのだが、結局何を言いたいのか把握できなかった。

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[書籍]

 デュシャンに関する検討が不十分なまま止まってしまっているが、興味が無くなったわけではない。機械文明に対するデュシャンの態度から彼の「大ガラス」やレディ・メイドを論じるという観点も今のところ変更はない。でも、今はベルメールを優先する。いずれ、デュシャンの「遺作」とベルメールの人形との関係を検討することになるだろうし。

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[メモ]

マルセル・デュシャン

ベルメール&人形関連

2004-08-08
をたくと建築?

 たまたま、「paint/note」を見たら、こんな展覧会が紹介されていて驚いた。「paint/note」曰く、

ここまでガイジンに媚びてくれると、いっそすがすがしい。「paint/note」は、ヴェネチア建築ビエンナーレ日本館を応援しています。

 概要は以下の通り、

ヴェネチア・ビエンナーレ第9回国際建築展 - 日本館
展示テーマ     おたく:人格=空間=都市
会場         イタリア共和国 ヴェネチア市 カステッロ公園内 日本館
日本館主催者   独立行政法人 国際交流基金

 この公式サイトの「趣旨」を読んでみたのですが、何を言っているのかサッパリ解りませんでした。というか、これは、なにか高等な冗談みたいなものなのでしょうか?

 さてと、
 「ちゆ、出番だよ。」

 ちなみに、「ぷに」というのは結構以前からあって、今や或る意味完成された表現様式と言えるかも。

ところで、「プニ」というのはアニメ顔の幼少化傾向が定向進化したものだと理解しているのだが、(後略)
  (「いもじな日々」(2000-12-15))

 4年前にこんな展覧会をやってくれてたら、きっと(脊髄反射的に)受けまくって大喝采しただろうな。有り得ないけど。

 今なら2「へー」程度だが、それでも、このような「おたく的表現」に直接的に繋がっている<深部>の有様を主催者は本当に分かっているのか、疑問に思う。

 まあ、「いもじな日々」としては、この展覧会を生温かく見守りたいと思います。...「生のオタクを天日に曝したらダメなんじゃないかな」、と幾分危惧しつつ。

(参考ページ) 週刊わたしのおにいちゃん - Wikipedia (2007.5リンク追加)

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2004年8月
日曜鋳物師のページ