いもじな日々

−作業記録と雑感−

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2005_01

2005-01-30
bk1ブリーダープログラム

 オンライン書店bk1のブリーダープログラムに登録してみた。基本的には、Amazon.co.jpのアソシエイト・プログラムと同じなのだが、書影の画像を正規に使える点が異なる。

 以前は、Amazon.co.jpでも本の表紙やCDジャケットの画像を使えたのだが、今は著作権の関係で「正規」には使えないことになっている(参考サイト)。にもかかわらず、多くのアソシエイト・サイトが現在も画像を使っているのだが、それは、Amazon.co.jpが規約の変更を大っぴらには伝えていないからだ。
 というのは、多くのアソシエイトは、気に入った本やCDを画像付きで紹介したいがために登録しているわけで、それができなければ登録する意味がほとんどなくなってしまう。Amazon.co.jpが規約を厳格に適用すれば、アソシエイト・プログラムはおそらく壊滅状態になるだろう。だから現状を一定程度野放しにしつつ、「規約上は認めていませんよ」、という立場をとっているのだと思う。
 まあ、出版社等がアソシエイト個人にクレームを付けることは実際にはほとんど無いだろうが、正規に認められていないことをやるために、わざわざ今から登録しようとは思わない。

 ところで、Amazon.comでは画像使用OKなのだが、それは「フェアユース」の概念によって認められているからだと理解している。使う画像のサイズがAmazonの拡大画像並みとなるとちょっと問題かもしれないが、適正サイズに調整した画像を示しながら書籍を紹介したり批評したりする事は、文化的に十分意義のある活動だと思う。日本のように、こういった活動を杓子定規な法運用で抑圧してしまうのは愚かな事だと思うのだが。

少女伽藍
 
緋衣汝香優理 著

出版社 カンゼン
発売日 2004.12
価格  ¥ 3,045(¥ 2,900)
ISBN  4901782371
 

2005-01-29
夕方は雨降り

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[メモ: ベルメール関連]

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[メモ]

現代詩など

書上奈朋子

2005-01-28
ヘルンヴァイン作品集

2005-01-27
疲れが取れん

2005-01-26
疲れた

 大阪日帰り出張。移動中、大塚英志 『木島日記』(角川文庫, 2003.3.25) 読了。

 帰宅したら、野波浩の写真集『MOUSA』が届いていた。まあ、良くできた商業写真といったところか。人気の出る理由は分かるし悪くはないんだけど、人間の生きる「業」のようなものがきれいさっぱり洗い落とされていて、いまいち手応えが感じられないんだよな。要するに、美しいが強度がない。写真を撮るときに、後工程の画像処理のことが常に頭にあって対象にのめり込んでいないせいかもしれない。モデルが単なる絵の<素材>に成り下がってしまっていて、写真家とモデルとが互いに対峙するような契機が存在しないのだ。あるいは、それは意図的なものなのかもしれないが、それならなおさら、もっと<絵>に力が欲しい。

2005-01-23
備忘録:リンク

 ひとまず、論評抜きでリストアップする。

アニミズム

ベルメール・人形関連

2005-01-16
SAMBA

 昔、短い期間だったがブラジル音楽にのめり込んだことがある。「ゲッツ/ジルベルト」 --> ボサノヴァ --> サンバ てな感じで興味を持ったのだと記憶しているが、なにぶん昔のことなので。もしかするとその前に「黒いオルフェ」を観ていたかも。『ブラジル音楽の素晴らしい世界』とか『ボサノヴァの歴史』とかいった本を読みながら、アルバムを聞き始めたのだが、その頃はちょうどブラジル音楽ブームの衰退期だったようで、一時期盛んにリリースされたアルバムが手に入らなくなってきて、そのうち別の方面に興味が移ってしまった。その後は、CD主流の時代になって、マリア・クレウーザのベスト版CDがでたときには買ったりとか、時々思い出したように聴きたくなることがあった。

 ちなみに、今回は、紅白に出た<なんとかサンバ>の影響...では決してありません。

2005-01-12
なんというか

 Noah Doll にそっくりな(だった)アイドルを発見。

 --> OKAMOTO NATSUKI岡本奈月奈月の四季―岡本奈月写真集

 似てると思うんだけど。--> KAKESU - a jay bird - (in "Dollhouse Noah")

2005-01-09
「一神教vs多神教」?

 最近、「一神教vs多神教」という議論をしばしば目(耳)にする。その背景は主として9.11以降の世界情勢であり、これをユダヤ・キリスト教とイスラム教という一神教的大宗教の争いという枠組みで見て、その歴史的限界を指摘し多神教を見直そうとする論調と、主に一神教の側に立ちつつ前者の論を一面的であるとして批判する論調とがある。前者は多神教を寛容な宗教であると主張し、一方で後者は、例えば多神教である日本神道も先の戦争では他国に対して強制されたではないか、と批判する。

 しかし、私の考えでは、これは問題の立て方そのものが間違っている。ここでは本来、特定の神(神々)を排他的に崇拝する心性と、この世界の全てのものに固有の尊厳を認める心性(アニミズム)とを対置させるべきなのだ。いま「多神教」側に立つ人達の多くは、「多神教」にアニミズムの姿を見ているに過ぎない。だが、例えばギリシャ神話や日本神道のような多神教でも、或る特定の神を頂点とする階層化された権力構造が認められる。それらは、特定の者達が他の者を支配するために創り出したイデオロギーの側面を持っている。

 「一神教vs多神教」という問題の立て方は、多神教の上にアニミズムの影をちらつかせて人々を惹き付けながら、実は上記のようなイデオロギーの側に人々の意識を回収しかねない危うさを持っている。そしてそれは時として排他的なナショナリズムに結びつく。「多神教」とアニミズムとを混同してはならない。

 また、一神教の側に立つ論者は、偶像崇拝や呪術とアニミズムとを意図的に混同して否定する傾向がある。しかし、偶像崇拝とは、或る物に特定の神的存在を重ねて見て崇拝する心性であって、アニミズムとは無縁である。また呪術とは、自らの目的のために特定の霊的存在または霊的機構に働きかけ、動かそうとするテクノロジーであって、アニミズムそのものではない。

 再度述べるが、いま重要なのは、「排他か寛容か」という問題の立て方なのだ。少なくとも、私は、12月にはクリスマス・ケーキを食べるし、正月休みで田舎の実家に帰れば、寺で除夜の鐘をついた後、村の神社にお参りに行くぞ。

2005-01-08
"Prayer"/ Secret Garden

 シークレット・ガーデン(Secret Garden)はノルウェー出身の作曲家ラルフ・ラヴランドとアイルランド出身のヴァイオリニスト、フィンヌーラ・シェリーとのユニット。

 彼らについて特に詳しいわけではなく、大ファンだというわけでもないが、アルバム"Dawn of a New Century"の2曲目"Prayer"(「祈り」)は別格。この曲のために、このアルバムCDを購入したほど。(かなり前に、「北海道の野外彫刻」でもスクリーンセーバーの推奨BGMとして紹介した。)

2005-01-05
Gottfried Helnwein

 初めてHelnweinの纏まった作品を見たのは彼の作品集『HELNWEIN』 Gottfried Helnwein (Könemann, 1998)でだった。対象に入り込むような鑑賞の仕方をすると、精神的にきついものがある。彼の世界を「ゴス」に分類する向きがあるが、それには疑問を持つ。

2005-01-03
近年になく穏やかな天候の正月だったとのこと

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[メモ: ベルメール・人形関連]

2005-01-01
何年かぶりの越冬

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[書籍]

 『双子の国のアリス』の「あとがき」を引用する。

人形達はどこから来るのでしょう。
なぜこの世に生まれるのでしょう。
私にも答えはわかりません。
私の掌の中で、人形達は何度も顔を変え、
悩み苦しみ、迷いながらこの世に生を受けます。
彼らの生の権利は誰にも奪えません。
全て平等で自由な世界なのです。
たえず光を求め、出口を探す暗闇の中でこそ、
彼らの存在は輝いているのです。

 彼女の言葉の通り、この写真集の人形達は固有の<いのち>を持っている。その意味で、これらの写真は彼女の人形観を伝えることに成功している。...人形達の生の権利は誰にも奪えない。この思いは、私の考えるアニミズムの本質「全てのものが固有の尊厳を有することを認める世界観」(2003-01-17)に直接的につながる。しかし、同時に、この人形達の眼は、彼女の世界が一筋縄ではいかないものを秘めていることを語っている。かわいらしく、そして何処かただならぬ背景を感じさせる人形たち。その正体がどのようなものかは、未だ分からない。ただ、昔の記憶だが、特にエキセントリックでない素朴で控えめな女性が時に驚くべき感性を示す絵を描くことがある。どうも、そんな事が連想されてしまうのだが。


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2005年1月
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