いもじな日々

−作業記録と雑感−

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2005_03

2005-03-31
普通に、雪

 もう4月になろうとしているのに。

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[書籍]

2005-03-23
ブックマーク

2005-03-22
"The Knife"/Jan Saudek

 思春期の葛藤、そして脆さを、痛々しいまでに鮮烈に表現した写真。

 Jan Saudek(ヤン・ソウデック)はプラハ生まれの写真家。プラハは、かつて神聖ローマ帝国の首都であった歴史都市である。初めて見た彼の作品が、この"The Knife"だった。それは、中古CD屋で偶然見かけたCDのジャケット写真で、原作をトリミングしたものだった。CDの作品名もアーティスト名も記憶に残っていなかったが、Web検索で調べることができた("For The Beauty of Wynona"/Daniel Lanois)。Daniel Lanois (ダニエル・ラノワ)はブライアン・イーノの門下生で、U2などのプロデュースで知られているそうだ。

 この写真の作者の名を知ったのは、初めて見た時からかなり後の事で、たぶんトレヴィル版のヤン・ソウデック写真集『SAUDEK』(1993.2)を紹介したWebページを見たのだと思う(はっきりした記憶がない)。父と息子、少女、妊婦、肥満女、レズビアンを思わせるカップル、そして男と女。テーマは単純ではないが、手彩色のためか奇妙なノスタルジーを感じさせる美しい写真集だ。

 ところで、"The Knife"のモデルのポーズを見る時、ロバート・メイプルソープが撮ったリサ・ライオンの写真( "Lady, Lisa Lyon")を思い浮かべる人もいるだろう。しかし、メイプルソープの眼が、もっぱら、鍛えられた女性の肉体のフォルムと力感に向けられているのに対し、ソウデックは作品の場に物語を呼び込む。やはり、彼は、あのフランツ・カフカを生んだ中央ヨーロッパの幻想都市の写真家なのだ。

[メモ]

2005-03-20
朝、雪の上で子供の雀が群れて遊んでいた。

 「この世界のなかで、自分が取りたてて特別の存在ではない」と言うことは、大人になれば厭と言うほど思い知らされる。しかし、それでもなお、<この自分>は世界に唯一人しか存在しないという事を確信すること。その事によって、初めて、自分と同等の尊厳を有する<他者>の存在を認めることができるのだと思う。

2005-03-17
伽井丹彌の周辺情報

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 貴女の黒い皮翼の陰、仄白く浮かび上がる蝋細工の乳房。

2005-03-13
H.B.の誕生日

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[書籍]

2005-03-07
ブックマーク

 佐伯俊男のついでに丸尾末広も行っとく。さらについでに、山本タカトに金子國義にErnst Fuchsも。(脈絡無し)

2005-03-06
久しぶりの休日

 車のバッテリーが上がっとった。

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[書籍]

2005-03-04
くたくた

 先月末の無理が今頃になって身体にきている。

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[書籍]

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 『少女たちの日々へ 1』を見て、昔のことを思い出した。これらの写真が撮られた時代は、私が学生だった頃に重なる。大学に入学したての頃の或る日のことだ。寮の先輩に「ちょっと手伝ってくれ」と頼まれて、セツルメントの行事にかり出されたことがある。それは、ススキノのいわば「裏側」の区域に住む子供達の勉強を見たり遊び相手になるグループが主催する遠足だった。

 子供達は、全くの初対面の私をごく自然に仲間に迎え入れてくれた。その時、たまたま少しだけ無精髭をはやしていたので、私のあだ名は「ヒゲ」となった。行事の内容を何も聞かされていなかった私は、当然、昼の弁当を持っていかなかった。(聞いてないよ)と内心思いながら、彼らの昼食を見ていたら、子供達が少しだけ分けてくれたりした。

 彼らの素直さは、セツルメント・グループとの交流の賜という側面もあるが、やはり、それが子供達の本来の姿なのだ。ただ、彼らの生活環境が種々の問題を抱えていたことは確かだろうと思う。ほとんどのことは、ぼんやりとしか覚えていない私だが、忘れられないことがある。遠足の途中、顔見知りになった小学校低学年くらいの女の子が私の目の前に立って、「見たい?」と言った。何のことか分からなかった私は、「ん?」と訊いたが。彼女は、少し得意げな顔で、突然服の前をはだけて平らな胸を見せた。彼女は、訳が分からずポカンとしている私を見て何を思ったのか?...何事もなかったように、また元のように屈託のない様子に戻った。 彼女が何を試そうとしていたのか、今でも分からない。たぶん彼女は何処かで何かを見聞きし、幼いなりに「この世界の仕組み」について何かを考えていたのだ。あるいは、もしかすると、あれが彼女なりの親愛の情の表現だったのかもしれない。

 ...結局、私はセツルメントには入らなかった。他にやりたいことをいっぱい抱えていたからだ。ただ、この日の遠足は記憶に残る経験となった。

 子供達もまた、彼ら自身の人生を生きている。だから、彼らを危険に曝したくないからと言って、柵の中に囲い込めば済むというものではない。彼らは家畜ではないのだ。 ...今の社会は、彼らから余りにも多くの大切なものを取り上げてしまった気がする。


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2005年3月
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