いもじな日々

−作業記録と雑感−

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2006_03

2006-03-31
葉月螢出演作 鑑賞メモ (2006年版 随時更新)

2006-03-28
夜、雪混じりの雨

 3月27日、スタニスワフ・レム死去。84歳。

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[書籍]

2006-03-26
不可視なものの実在

 生人形の系譜を汲む「現代作家紹介」として伽井丹彌の紹介記事が掲載されている。人形をオブジェではなく「人形」として認識させるものはいったい何だろうか? 我々が「気配」と呼ぶものだろうか? 伽井丹彌の作品は、それが身長25cm程の小さな作品であっても、彼女自身の気配を纏っている。

2006-03-25
帰札後の休日

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[音楽] Dream Theater。

2006-03-19
明日から東京出張

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[音楽] レンタルCDでチェック。

Evanescence(エヴァネッセンス)

Nightwish(ナイトウィッシュ)

2006-03-15
な〜んか、疲れてるなぁ

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[メモ: Hans Bellmer]

2006-03-14
また寒くなった。

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[音楽] Sheila Chandra (シーラ・チャンドラ)。UK在住のインド系女性歌手。すげー。

2006-03-11
根雪が溶けてきた

 鈴木貞美 『日本の文化ナショナリズム』読了。

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[書籍]

 この評論集は、後に文春文庫や筑摩書房から出た『富岡多惠子集 7 評論』にも収録されたが、今ではどれも品切れで古書でしか入手できない。私の目当ては左川ちかを論じた「詩人の誕生――左川ちか」だった。いま、この部分をざっと読んだところなのだが、詩人である小松瑛子の「黒い天鵞絨の天使(左川ちか小伝)」が左川ちかに寄り添うように評するとするなら、 富岡多惠子の評論は、左川ちか、伊藤整、そして彼の妻の関係をいわばロジカルなモデルに再構成しようとする。まさしくある種の小説家の手つきだ。

 伊藤整の「若い詩人の肖像」に左川ちかは川崎愛子という名前で出てくる。 (中略) 伊藤整は<面長で目が細く、眼鏡をかけ、いつまでも少女のやうに胸が平べつたく、制服に黒い木綿のストッキングをつけて、少し前屈みになって歩い>ていた友人の妹に、学生時代の恋愛をちょっとからかわれているようなところがあるのだった。
 結婚した恋人の前に(と同時にその家庭の中へ)、翻訳を見てもらったり、詩の話をするというように文学を武器にしてのりこんでいった左川ちかは、その男の文学や仕事のもう片側にある生活を見なかった。見えなかったと同時に、おそらく敢えて見なかった。男には文学のもう一方にも家族とともにする非文学の生活、日常もあった。そこには男の妻たる女の主人公もいた。そこのところを左川ちかは見ようとしなかった。
この詩人には恋の詩はない。はたして伊藤整の伝記作家がいうように、伊藤整との関係が世にいう恋愛だったかどうか。左川ちかが伊藤整のアパートをしばしば訪ね、或る時はふたりのいるその部屋にデンキの消えていたことがあったりしても、それが恋愛だったかどうか。
そこに恋愛感情もあったろうが、その実践は彼女の詩に必要だったからである。彼女も詩人であるからには、自己への残忍と同時に、必要な他人にも残忍であったはずである。だからこそ、このひとは作家伊藤整の恋人ではなく詩人左川ちかであり得たのである (中略) もし真実、このひとが兄の親友である詩人と恋愛したとしても、その恋愛はこのひとの詩人が必要としたからであった。男に恋するよりも、兄の親友である詩人のもつ才能のありかを恋愛によってうかがうことで、自分の詩を見きわめる必要があった。そして男も必要であった。その男は女の死後、いっさいなにも女について、また<わかい女>の詩人と詩について書かぬはずである。

 私は、富岡多惠子のこの解釈に違和感を持つ。個人を超えた「詩人」が形而上学的な実体として存在するわけではない。個人である詩人が詩人である個人として生きる時、詩が生まれるのだ。
 また、失恋後の左川ちかの態度については別の解釈が可能だ。伊藤整の結婚という突然の状況の変化に対して、彼女は対応できなかった。彼女がそれまで恋人だと信じてきた相手は、兄の親友であり、詩作や翻訳の相談相手であった。彼が他の女と結婚したからといって、彼の前から消えることなどどうしてできる? 彼女には、それまでと同じように親しい態度をとり続けることしかできなかったのだ。しかし、そのことは相手の元を去ること以上に彼女の心を引き裂くだろう。伊藤整はおそらくそれを分かっていたのだ。

2006-03-05
山田オルタナティブ(´・ω・)カワイソス

 よくこんなウイルス作るよな。↑の名前を知らない人は、検索で調べておいた方が良い。

2006-03-04
ァ '`,、'`,、'`,、'`,、(ノ∀`) '`,、'`,、'`,、'`,、'`,、

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戯言: 陰毛をねだる話
 何かの本で読んだのかテレビ(映画?)で見たのか、よく憶えていないのだが、戦地に赴く男が思いを寄せる女性に陰毛をねだるという話を、時々何かの拍子に思い出すことがある。良く知られているように、日本では古来から女性の髪には霊力(あるいは呪力)が宿るとされてきたが、実は陰毛も強力な魔除けのお守りになると信じられてきたらしい。
 この<陰毛信仰>が、出産という女性の能力に関係付けられて生まれたものであることは間違いないだろう。この文脈では女性の陰毛は典型的な「フェティッシュ」(呪物)として位置付けられる。しかし、先の兵隊の話は、これとは異なる契機が介在しているようにも思われる。
 生きて還る保証のない「出征」に際して彼らが希求したのが、生きる心の支えであり、それを最も強く体現した物が<性的関係の象徴>としての陰毛だったのではないだろうか。この場合、呪物というよりも性的な意味での「フェティッシュ」に近い。相手が愛する妻であったり深い関係の恋人である場合は、このように考えてよいだろう。
 では、こんな場合はどうだろう。...男が淡い思いを交わしていた女性に思いきって陰毛をねだる。この様なことは当時の日常的常識では考えられないことだが、それ(陰毛)がお守りになるという<信仰>が彼にとって良い口実になる。 ...彼の本心の望みが<彼女の全て>であったとしても、相手のもとに帰る保証の無い身となっては、彼女のことを大切に思えば思うほど選択肢には成り得ないだろう。せめて、彼女が彼の願いを聞き入れて、うつむきながらもそれを手渡してくれれば、彼にとってはそれが象徴的な<契り>になる。 ...そんな事が、もしかしたら、かつてあったかもしれない。と、想像したりする。

2006-03-03
なんか、疲れてるなぁ

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[音楽] Anna Maria Jopek


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2006年3月
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