いもじな日々

−作業記録と雑感−

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2006_09

2006-09-30
落ち葉が目立つようになってきた

 休日出勤。この時期は何故か毎年忙しい。つい自分の誕生日も忘れてしまう。

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[書籍] ストレスが溜まると、買う本が増える。(ーー)

2006-09-25
秋空

 本当は、ゆっくり休んでいる暇はない。

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[映画] 怪奇大作戦

 ガキの頃リアルタイムで観た。記憶に残っているエピソード多し。人格形成に影響を及ぼされた可能性大(笑)。

2006-09-23
久々の休日

 国際会議(事務局=裏方)が終わって翌日即新潟出張とか、もうマジで死にそうだった。

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[書籍]

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 苅部直『丸山眞男 ―リベラリストの肖像』読了。
 今の世相の中で、東大の学者によってこのような新書版の書物が書かれた事には大きな意義がある。ただ、「あとがき」の冒頭の言葉には異論がある。

いったいいつから、批判するとかのりこえるとか、精神を継承するとかしないとか、剣呑な言葉でしか、過去の思想は語られなくなってしまったのだろう。

 「過去の思想」が生涯をかけて考え抜かれた物だと思うのなら、少なくとも同じ分野の学者なら、それに対してそれ相応の姿勢で対峙すべきではないのか。そのとき、批判と継承以外の何が出来るというのだ。それとも都会的エリートらしく「もっとスマートにやろうよ」というような意味でこんな事を書いているのか?
 同様の批判は、菅孝行:「引き継ぐということ――丸山眞男と竹内好」,「未来」No.479, (未来社, 2006.8.1), pp.21-25.でもなされていて、その内容には基本的には同意できるのだが、次の言葉にはカチンと来た。

丸山研究室出の、いわば丸山の孫の世代の研究者である東大教授の丸山論は、よほどの天才ででもない限り、間接的「学恩」へのオマージュにしかなりえないのだ。「身の程」を自覚して書いて欲しいものである。

なんだろ、この無意味で尊大な物言いは。学問的土俵での批判はその学問的内容や方法に対する批判によってなされるべきだろう。それとも丸山擁護派では、年長者の「権威」を笠に着て「身の程を知れ」というような精神論をぶつのが常態なのか?

2006-09-02
仕事が山積み

 全然進まん。→ 逃避モード全開。→ 悪循環永劫回帰。

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[書籍]

木水彌三郎

 木水彌三郎については検索してもほとんど情報が得られないので、予備知識の無いまま、サバト便りの紹介を頼りに購入した。ざっと見てピンときた8句を書き出してみる。

鵺啼くや湖心にうつる萌黄月

相姦の父娘旅湯の鵺月夜

雪の爐や亡き姉に似し一夜妻

おぼろ夜や喉に傷ある一夜妻

優曇華や旅に病みつく刺師

はぐれ來し秋の螢や遊女塚

死病得て踊り子かへる粉雪の爐

秋ゆかた頸繃帯の覗き窓

これだけ見ても凄いと思う。かなり私の趣味に偏ったピックアップだが。編集後記によると、木水彌三郎は大阪の商家の生まれだそうだが、確かに町人文化的なセンスがある。田舎生まれの田舎育ちの私には憬れても真似のできないセンスだ。

(追記) Webで得られた情報を纏めておく。(2006.10.1)


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2006年9月
日曜鋳物師のページ